理(ことわり)
「次のもの、入れ」
長かった『逃がすもの』の決裁もこれが最後らしい。
みすぼらしいローブを被り、水差しを抱えた青年が入って来て跪く。
「逃がすものを提示せよ」と役人
青年は水差しを脇に置くと、懐から取り出した巻き布を床に広げる、
そこには数本のガラス棒がある。 青年はおもむろに口を開く。
「私が逃がしたいものは『現象』にございます。 しばしお付き合いを頂けますでしょうか」
「よろしゅうございますか?」
役人もこれが最後と思っているのか寛容な対応だ。 私も首を縦に振る。
青年は水差しに被せていた深めのカップを床に置く。
次に布でガラス棒をひとしきりしごくと、床に置いたカップに向けてそっと水を垂らす。
青年が細い水の流れにガラス棒を近づけると、流れが湾曲しおかしな向きに飛んでいく。
「これは珍妙な…魔法の一種かね?」と役人。
「いえ、魔法ならばもっと高度なことが可能です。 ですので『現象』として認識しております」
青年は床に散った飛沫を布でふき取りながら続ける。
「私が決裁をいただきたかったのは、この現象の『未来』でございます。
いまは優先度『評価に値せず』をいただいております…もちろん異議はございません。
ですが『未来』でしたらどのような評価となりますでしょうか。
『未然』を知っておられる使徒様から是非お聞かせいただきたいのです」
「そうですね、これの延長線上にある『技術』であれば『最高』の優先度となるでしょう」
「…! ありがとうございますっ」
「ときに、貴方ははこの『現象』をどのように理解していますか」
「はい、私はこれが四十八音様が予言されていた『デンキ』ではないかと考えております。
つまり、ガラス棒を布で摩擦することでデンキが発生、『発電』をしていると…」
「誤りです」
「え?」
「発生や発電という認識は誤りです、早めに訂正しておきます。
電気が新しく作られているという誤った認識が広がると、後々大きな弊害を生みます。
正しくは、分離または分電です」
「ぶ…分離ですか?」
「基本的に物質は電気的に中性、電気が無いとされる状態ですが、実際には電気がないわけではなく、
物質の中にある陽子と電子の数が一致しており、総和としてゼロになっているだけの状態です。
分子構造の都合上、ガラスは電子が剝がれやすく、布は余分な電子を抱え込みやすい性質があり
摩擦することで物理的にガラスの電子が剥がれ、布に移動した――という現象なのですが、
この電子の偏りを認知して『電気が発生した』と誤解する者が多いのです」
「発生ではなく偏っただけということでしょうか」
「その通りです。 遠い将来『電磁気学』と結びつけば、『磁力』を使った本格的な『発電』を行うようになるでしょう。
しかし、それでも実態は『地面』から電子をポンプのように吸い上げているだけなのです。
決して電気を作っているわけではありません、電気の偏りを作っているだけなのです」
「恐れながら何故、その『偏り』をもって『発電』と認識してはいけないのでしょうか」
「あえて『偏り』を作り、その『偏りが』元に戻る力を利用して『仕事』をする。
これがこの世の理であり、心に留めておく事柄だからです」
「『理』ですか」
「ええ、『偏り』がなければ『存在』自体がないのですよ、この世も我々も。
そしていずれはゼロになる。 その過程をただ『生きている』と称しているのですよ」
――――
ファンガル副局長は錠体協会ウェスタンディジタス支部のデスクで頭を抱えていた。
「ど、どうしよう、セイシン君。 早すぎる、採算は取れるだろうか…」
「副局長、向こうの失態を尻拭いする形になってしまった以上、こちら側としては意地でも回収するしかありません」
「しかし、私の代でコレの承認は…」
ファンガル副局長のデスクには「異端者強制労働徴集法」という法案の表決書があった。
「セイシン君、君は若いから前を知らん。 『ヒャッハー、顕造派共は皆☆殺☆しだー!』、コレが当たり前なのだ。
奴隷にしたとして、いったい誰が異常者の作った飯を喰い、その手で縫った服を着ようと思うのだ?」
「連中の『発明品』がおそらく今回は少ない、か、未熟。 であればもうカラダで払ってもらうしかないのですよ」
ファンガル副局長は深いため息をつくと、何かを諦め、表決書に名を連ねて判をつく。
「さすがは『仏のファンガル』副局長、ご英断感謝いたします」
「君とシマツ君だろ、そのレッテル」
「お気に召しませんでしたか?」
「仏ってのがなぁ、死んでるみたいじゃないか?」
「ははは、まさか」
目が笑ってないよな、と思うファンガルは、とある童謡を口ずさむ。
「むすんで、ひらいて…」
「突然、何です?」
「童謡だよ、習わなかったか?」
「知ってます、幼子に『股開いて』って歌わせるえげつない奴でしょ?」
「時化様の歌だぞ? 良いか?
むすんで――は、無。
開いて――は、分離。
手を打って――は衝突。
むすんで――で、無への回帰。
この世はただひたすらこの繰り返し、理であるとの崇高な歌だぞ」
「知ってます、
手を上に――が勝利
手を下に――が敗北
手を頭に――が喪失への苦しみ
手を膝に――が新しく得たものを糧に立ち上がる様
という事でしょう?」
「なんだ、分かっているじゃないか」
「もちろんですとも、時化様の儲け方理論の『発金のしくみ』にある――
何もないところから儲ける術を教えましょう。
何もないのは完全調和だから。 この手で引き裂いてあげましょう。
彼らは元に戻りたがるでしょう。 だから間に『壁』を作りましょう。
壁で『通行料』を取りましょう、お金が転がり込んできます。
壁を挟んで貧富の差を作りましょう。
金が貧しい側に流れます、人間が富める側に流れます。
すべて『通行料』をいただきましょう、どんどん儲かります。
壁を挟んで思想の差を作りましょう。
貧しい側では精神性が、富める側では合理性が育つでしょう。
相反する思想同士で憎むよう仕向けましょう、武器が売れてまた儲かります。
限界が来たらフィナーレです。 壁に穴をあけましょう。
殺し合いが始まったらさらに武器を売って儲けましょう。
融和したら祝いましょう、お祭り騒ぎで浪費させて儲けましょう。
彼らが可哀そうですか?
いいえ、生き残った者には優れた精神性と、優れた合理性が引き継がれました。
調和の中では生まれ得ないものを彼らは手にしました。
まぁ、お高い買い物ではありますけれど?
のくだりで出てくる歌ですからね」
「…暗唱できるのか、凄いな」
「敬虔な信徒ですからね? あ、あと『捜査部』が動き出してます。
今夜にも動きがあるかもしれませんので、ご準備怠りなく願います」
そう言うとセイシンは表決書を持ってファンガルの執務室から去る。
「あの童謡、戦時中は『戦闘歌』といって全然違う歌詞だったんですよね。
はぁ、まったく、都合のよろしいことで」
廊下で独り言ちながら。
――――
「ごめんな、ユミ」
「今更でしょ、ホッコじゃ潜入無理だし、オーノじゃ向こうの操作できないし」
緊急マウント解除を出先から遠隔で出来るのは、権限を持った高位魔導士のターレン先生だけ。
僕らで行う場合、物理的に第三チャンバーのマウント境界を越えて、その向こうにある
緊急コンソールを操作しなければならない。
今、僕とユミはダンジョンの『/misc』の扉から続く、少し長めのパスを進んでいる。
開けた空間に出ると、目の前には第三チャンバーの設備への扉が見える。
「今回ばかりはダンジョンの入り口にゴミ捨てる奴らに感謝ね」
「何時バレると思う?」
「アホな冒険者が2日目の食料がなくなってるのに気づくのは朝方じゃない?」
組合の方は四人分の演技してるホッコ達の演技力にかかってるわね」
「…始めるか」
僕らは左一六〇度後ろを向くと剣と携帯スコップで長めのパスの出口から少し離れた右側の土壁を突く。
土壁は意外にもろく崩れていく。
「心理トラップって言うかさ、気づかないもんだな」
「そうね、目の前にいかにもな扉があれば背後のこれはなおさらね」
今は深夜、ダンジョン内部で夜を過ごそうなんて物好きは居ないから、ぶっちゃけ僕らだけと見ていい。
今掘っているこの部分は、あらかじめ岩盤をくり抜いたパスを粘土質の土で埋め戻したものだ。
本来はマウント時の事故でチャンバー内に取り残された時用の脱出口なのだが、
今はここから向こうに戻るのが最短の道筋だ。
緊急マウント解除を行えば、昨日まであったものが忽然と消えるわけだから、
各都市のダンジョンに隠してあるチャンバーの仕組みがバレる。
それは避けたいが、
ゲートに居る重装甲魔法騎士がここに来ればその感知器で結局バレる上、
そうなれば第三チャンバーから地上人軍団の侵入を許してしまう。
魔法使いがその中に居たらお仕舞いだ、ジ・エンドだ。
第ゼロセクターの場所を特定されるのが一番まずい。
僕が掘り、ユミが掘り土を取り除く作業を続ける。 土が粘土質のため、掘る音も小さい。
やがてパスは上に登り始め、突き上げた剣がそのまま突き抜ける感触を得る。
剣の柄で、天井の土をたたき崩すと新鮮な空気が入って来る。
「ユミ、出たぞ。 さあ!」
僕は後ろのユミに手を伸ばす。 すると、固く大きな手が僕を掴んだ。
「ぐがっ!」
引き摺りだされ、肩を打って落ちた。 鈍痛で全身が痺れる。
目の前には猿轡をされたユミが、その後ろに黒ずくめの服を着た男たちが数人いる。
「ははは、いやはや奇遇ですねケン君。 こんなところで何をしているのですか?」
「ウキヨ捜査官?」
「おやぁ、穴から月の光が差してますねぇ。 地下なのに魔法の月をこさえてまでとは…実に風情ですねぇ」
「お前!?」
「はて、ケン君。 いつものキョドり口調はどうされましたか?
ん-、実はですね。 ここのマウントのカラクリは事件当日に看破出来ていたんです」
ウキヨは目の前の第三チャンバーへの扉に触れる。
「実はですね、このダンジョンには野生のプリミティブが寄生しておりまして。
実は彼ら、要注意の扉には『印』をつける習性があるんです。
そう、この位置です。 扉のプレートの左下の角をヤスリで二箇所削る…
そういう習性があるんですねぇ」
ウキヨはいやらしい笑みを浮かべつつ、振り返る。
指さしている箇所に削った後は『無い』
「彼――スコルピオ君はこう証言しました。 『つけたはずの傷がない』と
そこで私ピーンときました!『入れ替えられた』と。
ところが、『/misc』の扉につけた傷はあったそうですねぇ。
そこからここへは一本道です。
そうなると、空間ごと入れ替えないと無理。
そう、『マウント』の奇跡ですねぇ」
「んんー!」
「ユミさん、お静かに。
ただ、問題はその『範囲』でした。
どの向きにどこまで掘れば向こうに着くのか、そこが不明だったのです。
組合長をうまく誘導して『聖なる散華』を三人
使わせることに成功したものの、思いのほか範囲が広く、マウント境界に届きませんでした。
天井は、崩落の危険があるとのことで許可が下りませんでしたしね」
「普通に人手をだして掘ればいいだろ?」
「いやはや、まさかこんな目立たないところに非常口があるとは。 流石は地底人、隠れるのがお得意で」
「人の話聞けよ! うぐっ!」
黒服の一人の、蹴り上げたつま先がケンの腹に食い込む。
「ああ、皆さん、お時間を取らせて申し訳ない。 とりあえず、向こうに渡りましょうか」
黒服に引きずられて第三チャンバーの脇に空いた穴から外に出た。
地下の空には魔法で作られた月が輝いている。
黒服は四人、ウキヨを入れて敵は五人、ユミは人質に取られている。
僕は先ほどの転落でどこかを折ったらしい、鈍痛が続いている。
少し先に岩に擬態した『緊急コンソール』が見える。 だが届かない。
「埋め戻しますか?」
黒服が穴を指さしてウキヨに問う。
「いえいえ、オアツラエさんが呼んだ軍団にはぜひ来ていただかないと。
どさくさに紛れた方が我々もやりやすいですから」
「おい、おかしいぞ。 ウキヨさん、あんた何企んでる」
「…ユーシャとかいうクソガキは何処にいる、ネクロマンサーの若造だ」
黒服の一人が僕の喉にナイフを当てる。
「いけません皆さん、そういうのは効果がありません。 こうするのが良いのです」
ウキヨが全く何の躊躇もなくユミの大腿部にナイフを突き立てる。
「ングゥ…ッ!」
ユミが激痛に身をよじる。
「ケン君? ユミさんが穴だらけになる前にお答えすることをお勧めします」
さらに躊躇なくユミの肩にナイフが刺さる。
ユミの顔から脂汗が流れる。 その目は宙を泳いでいる。
「やめろ! 第ゼロセクター、第ゼロセクターだ! そこに居る! 場所は僕しか知らない!
ユミを殺してみろ、僕は死んでも喋らないぞ!」
「立場が分かっていませんねぇ」
ユミの大腿部に二本目のナイフが刺さる。
ユミの体がピクンと跳ねたが、もうそれだけだ。
「早く我々を誘導しなさい。 早ければ早いほど良いでしょう」
「クソ、クソ…ォ!」
響く鈍痛に耐えながら、第ゼロセクターへ向かうDUMBの隠し扉へ向かう。
どうしてこんな目に合わなきゃならない。
僕らが何をしたって言うんだ。
奇跡があるなら起きてくれ。
そう呪いながら。
「嗚呼、娘よ、やっと会えます。
待っていなさい、貴方が受けた苦痛は何倍にもなって異端共に降り注ぐことでしょう!」
ウキヨが何かを独り言ちたが、良く聞こえなかった。




