密談
「神学の教師ですが、すぐに取り換えさせていただきます」
オアツラエは額の汗をぬぐうこと叶わず、頭を下げたまま滴り落ちるのを見ていた。
「それには及びませんな、少し気になったので言葉を挟んだだけのこと。実際、新鮮に感じましたしこちらも勉強させていただきましたとも」
そう言うのはお目付け役の男性。
教師には当然伝えていないから、まさか教室の後ろに控えるお目付け役が御使い様ご本人とは露ほども考えない。それは仕方ない、仕方がないが、まさかその御前で『ニンゲン』を『ヒト』様の子孫などと。
神書を素直に読めば、イミグラントは『ニンゲン』、『ヒト』様の姿に似せただけの習作であることは明白だろうに…。
オアツラエが呵責の念に潰れそうになっていると、もうおひと方より言の葉が発せられた。
「オアツラエさん、まずは掛けてください。今日はその事でお呼び立てしたのではありません。もちろん、周囲へはその件で呼び出された体で通してくださってかまいませんよ」
第五様も発話が随分と上達なされた。これなら街の中で困ることはないだろう。
オアツラエは、御使い様との重要な話し合いがある場合、繁華街の高級喫茶にある要人用個室で会うようにしていた。更生施設内ではどこからファンガルに漏れるかわからないし、セイシンの言う秘文化魔法を使おうものなら、逆に関心を呼んでしまうからだ。
意外かもしれないが、こういういかにもな場所で堂々と「内緒の話をした」事を見せた方が詮索されないものである。
それに、良いとこのお嬢さん設定のおかげか「気難しくてプライドの高いお嬢様の小言を聞くために、喫茶店まで足を運ぶご苦労様なオアツラエ」というカバーストーリーが使えるのも都合がよい。
なお、この喫茶のグループ本社は例の調書で既に掌握済みなので、格安にできるうえ経費で落ちたりする。
「本題の前に、カチクさんですが、お変わりはありませんか?」
「はい、相変わらずおかしな実験をしてはいますが元気にしております。こちらは彼からの新しい報告書です」
ゴーレムの公開実験後、カチクこと「悪魔の知恵」は速やかに処刑された…ことになった。
生かさず殺さず、拷問なりしてゴーレムの情報を引き出す…この手の話が出始める前に死んだことにする必要があったのだ。幸い、死刑執行上申書がうなるほど挙がっていたので強行することは容易だった。
そして実際のところ彼は元気に生きている。現在はリンカ南部にあるカンジョー大隊駐屯地にゼクス族長と共に匿われており、ゼクス族長の娘「エクス」の依り代の保守をしている。
といっても定期的な清拭の他はもっぱら何かの実験に明け暮れているが…。
第五様は報告書をざっと眺め、いったんナカバに預けると本題を切り出す。
「ダンジョンに潜る許可をいただきたいのです」
「は、今何と」
「ダンジョンです、探したいものがあります」
オアツラエは下唇を噛む。降格さえされていなければ、直々に指揮を執り、全重装甲魔法騎士をもってダンジョンを踏破せしめ、直々に探し物を献上したであろうに…。
「許可で構いません、少し先に学校?の野外実習で潜ると聞きました。あれに私も参加できるようにしていただきたいのです」
「恐れながら…、ダンジョンに潜るためには『冒険者』のグループに属する必要があります。こればかりはシステムの権限のため私どもではどうしようもありません」
「ではそのグループに属すことができたら、参加する許可をいただけますか?」
「それは可能ですが…、創成前の怪物が出るような場所です、そちらの護衛に潜らせるのですか?」
冒険者になるには、まずは生きて帰ってこれるだけの実力を試す試験『模擬戦』を突破する必要がある。そばに控える護衛のナカバやウワンの実力であれば突破は可能だろう。あとは、山禍であるからといった試験妨害がないようこちらから釘を刺しておけば問題ないはずだ。
「私とヨワネで潜ります。私達でないと探し物が分からないので仕方ありません」
「えっ――」
「その際サワンをお借りします、彼の知識も必要です」
「えっ――」
「万が一の場合は、新しいカバーストーリーをお願いするかもしれません」
「えっ――」
もうすでに試験は通過できるものとして、話が進んでいるようだ。
「恐れ入りますが、現在の依り代は戦闘向きではございません。『お着換え』をされるのであれば早急に相応のモノを調達してまいります。」
「いえ、こちらで構いません。試験?があることは承知していますし、対策も講じています。」
となると、ゴーレムに戦わせるのだろうか…ただ、それではこの前の公開実験の影響で大騒ぎになるのは間違いない。いったいどういうおつもりなのだろうか。
―――
「『ライブラリ』…かぁ」
ここ一週間、カチクの定期報告書の大半はそのライブラリについての事だった。
エクス嬢の体にジョーを当てはめた場合、なぜか体を動かすことができないことの根本原因は、このライブラリがジョーの「インターフェイス」に実装されていないことが原因とのことだ。
つまり、実質リハビリに効果はないらしい。
そのライブラリは、完成品では互換性が取れないことが多く、実際のところライブラリの「ソース」を見つけ出し、ジョーの「インターフェイス」でコンパイルした方がジョーの環境に適合したライブラリにできるらしい。
カチクが「ニツメル奇譚」という文献で調べたところ、目的の「ソース」はダンジョンの3階層目、「/usr/src」という場所にある可能性が高いとのことだった。
ちなみになんでそんなことが分かったのか、報告書を返す際に聞いてみたら、
「錠体協会本部に安置されている聖遺骸、初代ヨワネ様の「月球」をこっそり持ち出してエクス嬢の胸にはめてみたら、あっさりライブラリがどうこうというメッセージが出たので分かった」
とのことだった。
うん、バレたらほんとに死刑になるな、カチク。
カチクの仮説ではあるが、今のジョーの「インターフェイス」は、仕様が古すぎて現在ではもう動かないはずのものを、諸々の機能をオミットしてとりあえず動くようにしたモノではないかとのことだった。
おい、おっさん…。
そんなわけで、私とジョーは例のダンジョンにライブラリのソースを探しに行くことにしたのだ。
―――
御使い様が帰られた後、オアツラエはゆったりと紅茶をいただきながら思いを巡らせる。
ダンジョン――すなわちロストワールド。協会にとっては周知の事実であったが、イミグラントたちがその存在を目の当たりにしたのは、前回、と言っても十年ほど前の、盛大な空振り騒ぎの時だ。
その時、大規模遊星群が西の空に尾を引いた。
第三の御使いシケ様の御最期から、長きに渡り御降臨を体験することなく、胸に秘めたるメダリオンの奇跡をもってしてもなお、協会のファンタジーと言わしむる輩が出始めたころの出来事だった。
イミグラント達は西の空の下に文字通り殺到した――集結し、襲撃し、殺し、倒した。
遊星が落ちたとされた山は崩され、瓦礫の山となった。抵抗したプリミティブ達は解体され、イミグラントの装飾品になった。瓦礫の山は最後まで削り取られ、ふるいにかけられた後、こぶし大の石は全て検査にまわされた。
このゴールドラッシュのような馬鹿騒ぎに、資産家が金を賭け、市民が命を懸け、死に、破産し、いくつもの街が再起不能となってしまった。
そして、人々が西の空の下でやっと、元の正気を取り戻し始めた頃、各所でシンクホールが報告されるようになる。
――これがロストワールドへの入り口、ダンジョンだった。
ダンジョンはとてもシンプルな構造物だった。まず『パス』という枝分かれした通路があり、その通路の所々に『ディレクトリ』という部屋がある。『ディレクトリ』の中には様々な文書、未知のオブジェクトが秘められており、同時に危険なプロセスが住み着いていた。
この空振り事件は、多くの死者、損害を出したが、一方では福音でもあった。
・協会にとっては神書が誠であることを分かりやすい形で見せることができた。
・商会にとってはロストワールドの探索という新しい経済モデルを開発できた。
・山禍にとっては彼らの物語「ニツメル奇譚」が偽書でないことを証明できた。
「ニツメル奇譚」は、かつてヨワネ様が獣達に疲れて地の底にお隠れになった際、追跡隊を組織した探究者ニツメルと族長アインが書き残したの長編の地底旅行記だ。教会内でも永らく山禍による創作、偽書とされていたが、この事件でその記述がロストワールドの実態と酷似していた事が分かり、今では「最も仔細なる経典」と呼ばれる。
ただ、原本は大変難解な技術書の側面を持つため、一般にわかりやすい冒険譚の部分を切り貼りした短編「ニツメル異聞」、これを原本と思っている者が多い。特に冒険者が手引書として持ち歩いているのは大抵こっちだ。
「おそらくは原本、それもプリミティブの真正オリジナルか」
ロストワールドで発見されるさまざまな文書、オブジェクトは本来、神『おっさん』が不要と判断したはずのものだ。
ただの人間に扱いきれるものではない、だからこそ逆に、冒険者による探索、盗掘は事実上見逃されている。本当の価値を理解し、活用できる者など居はしないからだ。現状、せいぜい投機という形で商会に金を吐き出させるのに使えるだけである。
「できれば正しい使い方なぞ、認知されないままでいてほしいのだが…御使い様がそう望まれるのであれば…嬉々として広める自信しかないなぁ」
―――
オアツラエが高級喫茶から出ると、正面に黒い影が立ちはだかった。
「商会を脅してタダで飲む茶は美味いか!」
「セイシン殿…その黒い箱まだ持ってたのか」
「えぇ、こいつの針が、あの娘がここにいる事を教えてくれました!どうせ貴方がセットだとも」
「セイシン殿…普通にそれってストーカーじゃないだろうか?」
「そんなつもりは毛頭ありません。成分が違うので!」
「そうか…」
「そうかじゃないです、何度目ですか!経費で落とす際、誤魔化すのも大変なんですよ」
「そうそう…セイシン、お土産だ。あの娘の最近のお気に入りのクッキーと、お気に入りのベリーティーだ」
「ぇえ、ここのってすさまじい値段だったはず」
「経費で落ちるかな?」
「お任せください!」
何の漫才かな、と道行く人は二人の男をチラ見するのだった。




