橋
「――無い」
まぁ、分かっていた事だった。
私は橋脚の周囲をランタンの明かりを頼りに隅々まで探した。だが、穴どころか血の跡も吐しゃ物の跡も、砂を被せた痕跡もなかった。
あの予備のインターフェイスはどこに行ったのか。いや、誰が何処へ持ち去ったのか。一番可能性が高いのはあの黒服達だ。特にあの弓を持った奴、あいつは間違いなくあの最初の夜にここで私を射った男だ。
だが、どうやって? 私とジョー以外の人間がインターフェイスに触れる事はできないはずだ。ペットマンや魔法騎士が持っていた爪の槍を使った可能性もあるが、あの隙間のない穴にどうやって爪を指したというのか。
――いや違う。簡単だ、石畳ごと持ち去ったのだ。うまく周囲になじませてあるが、穴を塞いだ痕跡がない以上、新しく敷き直した可能性が高い。
それならばあの工事の時、まさにあの時石畳を剥がしていたのではないか。とすれば、工事関係者か……まて、あのアザラ――商人の関係者の線もある。
ああ、いくら考えても全てが憶測だ。私がこの世界の言葉を知らないせいだ。山の同族、橋の上の異種族、そのどちらの言葉も分からないのは致命的だ。
ただ、山の同族についてはペットマンがローマ字を読み書きできた。そのお陰で、ある程度の意思疎通はできているのだが、はたして橋の上の異種族にそういった者はいるのだろうか。
現状、族長に同行している黒服達との意思疎通は、私(ローマ字)→ペットマン(山の文字)→レフトマン(異種族文字)→黒服達、という絶望的な手順を踏んでいる。ある意味究極の伝言ゲームだ、気が狂いそうである。
もはや意地でもここの言葉を覚えるしかないのだ。普通に考えても、私の世界の言葉――ここの住人にとっては異世界の言葉――を知っている人間に出会える確率など万に一つだ、期待する方がおかしいのだ。
延々と悩んでいても仕方がない、今後の方針を決めなければ――。
方針その一、一つ目の予備のインターフェイスの捜索は続ける。
私の予測が正しければ、予備は二つ揃わないと予備にならない上、二つ目の予備にジョーが宿ってしまった時点で、一つ目も予備としては使えなくなっている。いっそ、諦めてしまう事も必要だろう。
しかし、行方不明の予備が私の知らないところで悪用されないとも限らない。山でのゴーレムの話が、持ち去った者や組織に伝われば高確率でそれを試そうとするだろう、回収しなければ危険だ。
方針その二、この世界の言葉を覚える。
色々あったが、結局レフトマンの「街の施設に丁稚奉公」案はまだ有効らしい。丁稚奉公するなら必然的に言葉を覚えざるをえない。もし覚えられなかったら山に突っ返されて今度こそ処刑だ。命がけで覚えなければ。
方針その三、ジョーに体を返す。
これは必達だ。ジョーの制裁与奪は、管理者である『おっさん』なら好きにして良いだろうが、よそ者の私にはその資格がない。ジョーは今生きている、ならば体は返却するのが筋だ。リハビリの効果が出てくれると良いのだが。
方針その四、逃がして逃げる。
ジョーに体を返したら彼女を逃がしてやる必要がある。少なくとも族長の勢力範囲の外へは出してやりたい。ついでに私もこのややこしい環境から脱出させてもらう。疎開としてこの世界に来たのに、まさか籠城戦の最前線に居たとは、ひどい話ではないか。
――方針はこんなところか。とにかく言葉の問題が最優先の課題だ。それさえクリアできれば、あとはずっと楽になるはずだ。
―――
「どう見ても月球を探している、バンシーの父君で確定だな」
オアツラエは山側の土手の上に身を伏せ、橋脚でうろうろしている少女を視認していた。今は夜中だが、橋脚に居付いている浮浪者達の焚き火のお陰ではっきりと確認できる。
「ですが……あの少女と父君とはどういう関係なのでしょう?」
セイシンは手元の『素晴らしい装置』が指す方向を確認する、それは間違いなく橋脚にいる少女を指していた。
つまり、今はあの『腰まである赤毛の妖艶な少女』が、恐るべき化け物、父君である事になるのだ。
「橋には浮浪者が居るし、安全のために代役を立てたのだろう? いや、それならあんな色っぽい――失礼――少女である必要はないな……」
「オアツラエ殿、土手の下に何か居ます」
「護衛の連中がいるな、うまく隠れるもんだ。上にいなければ我々も気付かなかっただろう」
すると、護衛達が素早く展開し始めた。
我々に気付いた? いや、橋脚で何かが起きたのだ。
―――
「お嬢ちゃん、誰かをお探しかい」
私は振り向き。声をかけてきた男、いや男達を見た。三人……多いな、一人でいいんだが。
私は、ペットマンとミドラから教わった会話のパターンを思い出していた。そして覚えたてのセリフの一つを吐き出した。
『オトコを探してるのよ』
男の裏声というのは大変気味が悪い。それでもこの体は女性なので辛うじてそれっぽい声がでた。練習した甲斐があったというものだ。
『向こうで一緒にどうかしら』
私は土手に向かって軽く駆け出した。よし、全員付いて来る。実験場まで誘導開始だ。
―――
「釣れちゃったかー」
ウワンは顔に手を当て、見てられないといった感じだ。ナカバは私が仕込みましたからという得意げな顔だ。カチクはあきれ顔で二人の頭を軽く小突いた。
あの赤毛の少女は、トーチカの奥で殺されていた山禍の戦士だ。心臓を一突きにされており、それ以外の損傷がほとんどなかったため、今回の実験に適切であるとして飛び級様に献上したのだ。
何故だか分からないが、飛び級様ご自身がゴーレム体を新しく作られた事は一度もない。今回もヨワネ様が少女をゴーレム化した後に、その体を飛び級様がお使いになるパターンだ。
まるで、エクス嬢の体が灰になる事を恐れておられるかのようだ。そうまでしてエクス嬢の体を守るのは何故なのだろう。
そんな事を考えながら、クインタスの三人は少女を追いかける浮浪者達の追跡を開始した。
―――
男の足は速い、特に必死になっている時はびっくりするぐらい速い。だからあえてこっちにもその気がある事を匂わせておいた。
だから男共は、適切な距離をあけて付いて来ているだけだ。こっちが逃げようとしたら追いつける距離をきっちり計算して。
私は山側の土手を越えて、少し走った先の茂みの中に入った。あの時もこんな感じの場所だった。
木の枝にランタンを吊り下げていると、男の一人が茂みから飛び出して来た。男はそのまま私の腰にしがみ付いて押し倒す。
危ないな、頭打ったらどうするんだ。男の顔に蹴りを入れていると、残りの二人も纏わりついてきた。
くっそ、お前ら必死過ぎるだろ、変な笑いがでるわ。上に乗るな、こっちが上でないと私が危ないんだ。
すったもんだして、何とか私が上になった。前と後ろの奴が私の服を剥がしだす。こいつら変に連携が良くて、すぐに胸部があらわになった。
わたしの胸部を見た下と正面の男の動きが止まった。後ろの奴には見えていないが、仲間の反応で異様な事態に気付いたようだ。
ずっと不思議に思っていた。あの最初の夜、馬車が落ちた現場に浮浪者は一人も居なかった――焚き火はあったのにだ。馬車には金も食料もあった、でも私が来るまで盗まれていなかった。
私は、腋に隠していたジョーのインターフェイスを取り出した。
『お前らあの時ここに居ただろう?』
下の男の胸にジョーのインターフェイスを落とした。生きながら体を削られ、凄まじい悲鳴が上がる。さようなら男共、最後に良い夢見れたか?
閃光と爆音で周囲の木々が揺れた。
「周囲を警戒、近づいて来るものがいないか注意!」
カチク達は茂みの周囲に陣取った、あとは実験の成果を待つだけだ。
―――
――私はうっすらと目を開けた。
体のあちこちを触ってみる、だいぶ飛ばされたようだが体は無事だ。茂みの向こうに明かりが見えた、ランタンも無事のようだ。
明かりの方から、誰かがのっそりとやってくる。すぐに分かった、さっき私の下になっていた男だ。男の胸には一文字と三日月のインターフェイスが鈍く輝いている。
男は私を見つけるとぱっと笑顔になり、私に語りかけた。
「こんばんわ、月が綺麗ね」
あらかじめ決めておいた合言葉――実験は成功だ――私とジョーは抱き合い、お互いの背中を叩いて喜び合った。
インターフェイスには一度に一つの体しか維持できないという制限があった。
そのため、ジョーに体を返した後で私が別の新しい体を作ると、ジョーの本来の体は灰になって失われてしまう危険があった。
これは実際そうなると思う。しかし、実はその灰化には条件があったのだ。灰化の条件は以下の通りで間違いないだろう。今、それが確かめられたのだ。
・任意のインターフェイスで作られたゴーレム体が二つ以上ある時で
・インターフェイスが埋まっていないゴーレム体があると灰になる
・埋まっているインターフェイスは作成したものである必要はない
この仕様が分かった事は大きい。この通りなら、ジョーに体を返した後でも、私の体は更新しても何の問題はないのだから。
ただし制限もある。この仕様だと、二体同時に運用している場合、先にインターフェイスを抜いた方の体が灰になる。
ジョーは自分の体を灰にするわけにはいかない。必然的に、ジョーは自分の体を取り返した時点でインターフェイスを二度と外せなくなるわけだ。
ただ、それは普通の人間の一生と何も変わらない。ジョーがゴーレムとしての存在に変な特権意識を感じていなければ問題はないはずだ。
私はジョーと一緒に爆心地に戻り、ランタンを回収して周囲を見渡した。
正面は私が飛ばされた方角だ。そして両脇には飛ばされて焼け焦げた男の死体が二つ転がっていた。奇しくもあの最初の夜の茂みとそっくりな状況だ。
さて、早くペットマン達に合流して報告しよう。私はジョーの手を引いた。
だが、なぜかジョーは動かず、私は逆に引き寄せられてしまった。
―――
「あの爆発はゴーレムの奴じゃないのか?」
「あの茂み、少女と浮浪者数人が入っていった場所ですよね? 大丈夫なんですか?」
オアツラエとセイシンは爆発のあった茂みを目指していた。
茂みの目の前に来た時、突如足元に矢が突き刺さった。オアツラエはランタンの遮光版を全開にして前方を照らす。
「くそ、あの護衛達か、一体あそこで何をしているんだ!」
「黒服達を連れて来るべきでした、明らかに近づけさせまいとしていますね」
オアツラエ達と、護衛達のにらみ合いが、しばらく続いた。
緊張がピークに達する頃、突如護衛達から歓声が上がった。驚いてよく見ると、茂みの奥から男女のペアが歩み出てきた。
浮浪者の男も、赤毛の少女も笑顔だった。男の顔はひっかかれた跡がいくつもあったが満面の笑みだ。少女の方は少し引きつっているがやっぱり笑顔だった。
「「え……なにこれ」」
オアツラエとセイシンは呆然と立ち尽くした。なんなのだこれは、いったい何が起きているのだ。
―――
「なあセイシン、連中の言い分を信じるか?」
「戦争未亡人が、旦那を忘れる為に見知らぬ男を引っ掛けるっていう風習の事ですか? はぁ、信じるわけないでしょう……」
川の下流に張られた野営テントに黒服が入ってきた。
「見てきました。埋められた死体がふたつ、どちらも焼け焦げていました」
「ほう」
「いや、しかし驚きました。あの捜索の夜に、河の東の茂みで見つけた死体と状態がそっくりでしたから」
黒服の隊長は、そう言いながら何かの切れ端をオアツラエに手渡した。
「この入れ墨、バンディットか」
「一部、焦げていない箇所があって気付きました。ただの浮浪者ではないようです」
「オアツラエ殿、どういう事ですか」
「セイシン、アザラ氏の事故は御使い様による不可抗力ではないかもしれないぞ。それどころか、組織的な犯行だった可能性が出てきた」
「街に戻ったら、アザラ家周辺を洗った方良さそうですね」
10月いっぱい仕事ハメが続きそうです。




