山削り1/4 黒い数珠
「良かった、間に合いました」
セイシンは馬車に飛び乗って来た。実際には、黒い箱を二つ抱えていたせいで黒服達に引き上げてもらったのだが。
「気持ちは分かるが、いたずらに荷物を増やすのは感心しないな」
セイシンが積み荷に追加したこの黒い箱は『魔素流速計』という装置だ。あと二つは欲しいと言い出して、リンカの魔法使いから接収してきたのだ。
「大発明ですよこれは! バンシーの父君を見つけ出すのに必ず役立つはずです」
『魔素』とは、長年魔法使い達の中で議論されてきた魔力を表す粒子だ。そして、この『魔素流速計』はその粒子の流れを検知できるのだ――理論上は。
魔法使いならば誰しも一度は『魔素理論』に興味を持つ。しかし、実際に『魔素流速計』を自作するのはその極一部だ。そして、微動だにしない自分の装置を捏ね繰り回した後で、『魔素』は実在しないという結論に帰着するのだ。
だが今回はそうではなかった。御使い様がリンカに到着して間もなく、魔法使い達がカンジョー大隊駐屯地の周りをウロウロし始めた。彼らの『魔素流速計』が動いたと言って。
結局のところ『魔素』は実在した。『魔素流速計』の感度が最悪だっただけなのだ。莫大な魔素吸収力を持つ御使い様のお陰で今頃それが分かったのだ。
動いたのは、モーレイ型とイール型を直結したタイプと、コンガー型のキャパシティにメダリオンを溶接したタイプの二種類だけだった。そのどちらも、魔法使いが変なキノコを喰うか、階段から落ちるかしない限り思いつかないレベルの魔改造品だ。
セイシンが接収してきたのは改造コンガー型の方だ。直結タイプの方は感度良好の代わりに有効範囲が狭いという欠点があったからだ。だが、他人のメダリオンごと装置を譲ってもらうのは難しかったようで、協会側の交渉人と共に一晩中走り回ってようやく二個という有様だった。
「ああ、もっと早く分かっていれば、北のジタクでも調達できたのに」
「いやセイシン、ジタクで騒いだ魔法使いは一人も居なかったじゃないか」
「居ました、地下牢の引き籠りですよ」
「ああ、何で外に出て来たか不思議だったんだ。腑に落ちた!」
「オアツラエ様、日の出です」
黒服が声をかけてきた。オアツラエは馬車の幌から顔を出して辺りを見る。日の出直後でまだ暗いが、目指す山頂は真横から朝日に突き刺さされて眩しく輝いていた。
今、五〇の馬車と、二〇の荷馬車、そして一〇〇の騎馬が森の入り口に向かって疾走している。頼みの投石機は、分解して車輪を付けると荷馬車で牽引できる最新式だが、遠目にも攻城兵器だとバレバレの見た目だ。
そのため、夜明けまでに森の中へ投石機を隠す必要があった。元来手ぶらで前線に赴くスタイルのイミグラントが、人以外の荷物を敵地に運び込むところを見られては奇襲を怪しまれてしまうからだ。
「急げ! 森に飛び込め、荷馬車を隠すんだ!」
最優先で荷馬車が森の中に吸い込まれていく、詰まったり渋滞する様子は全く見られない。今回の主戦部隊は西の討伐で現役だった者達が中心となっているが、さすがに動きが違う。カンジョー殿には申し訳ないが、個人の能力でなく連携が優れているのだ。
「観測班より伝達、森は寝ている! 森は寝ている!」
昨晩から森に張りついている斥候からの連絡だ。山から森に降りてきた山禍は居ないらしい。ならばセイシンの読み通り、山禍は我々に勝てると踏んで戦う道を選んだという事だ。
「投石機の運搬は我が隊が受け持ちます」
積み荷を降ろし終わった部隊から、若い小隊長がやってきた。
「重いと思うがよろしく頼む。組み立ても君らか?」
「射撃もです、この新型を扱えるのは僕らの隊だけなので」
「それはまたどうして」
「配備が遅れたんです、商会側から抵抗があって」
「そうか、ならこいつは優秀なんだろう。期待しているぞ」
彼らにも我々がこいつで飛ぶ事は伏せてある。そのタイミングまでは普通に本来の用途に使われる予定だ。こいつの威力なら山禍のトーチカ破壊も容易だろう。
「準備できたな! では、一列縦隊!」
指揮官長が命を下すと、特に規則性も法則性もなく兵が一列に並んでいく。
「いいか、俺たちは蟻だ。足の速い蟻だ! ただ走れ、前のヤツのケツを追え! 罠の心配は要らん、先頭のヤツが取ってくれる。二つ目は二番目が取ってくれる!」
今回の作戦はスピード重視だ。我々が単に攻め込むだけなく、山禍を誰一人として逃がす気が無い事を悟られる前に、包囲網を完成させる必要がある。そのためには、この森に仕掛けられているであろう無数の罠に時間を割く事は出来ないのだ。
「先頭になった者は自分のクジ運を恨め! 全速前進!」
―――
「イミグラントの部隊が森に侵入しました!」
「どこだよ、見えねぇ」
サワンは山の中腹にある監視塔から眼下を見下ろすが、朝日が左からチラチラ射してくるせいでよく見えないでいた。
「共鳴検知器には反応がなかったぞ?」
「奥にでかい『旅団』が居るでしょう? 数が多いと反応がそっちに引っ張られてうまく検知できないんです。逆に、側面とかに回り込む隠密部隊などは少数なのでクリアに検知できます」
「なるほどなぁ……まぁ、これは俺の仕事じゃないから良いや。で、数は?」
「馬車六〇、騎馬一一〇です」
「よし、任せろ」
サワンはランタンの遮光版を開閉して屋敷のカチクに敵兵の数を伝える。カチク考案の『明滅通信』の組み合わせを覚えられたのは、カチクを除くと残念ながらサワンだけだったのだ。
「来ましたね」
「連中の拍子抜けた顔が見えますわ。森を素通り出来てしまうんですものね」
「まぁ、正直人形作りで忙しかったですからね」
「ワシは心配だカチク、あの人形は本当に大丈夫なんだろうな? 優位に戦える森を捨てて敵を丸ごと呼び寄せるなんて普通はあり得ないぞ」
ゼクス族長閣下は電撃バーストの事を知らない。だが、詳しく説明するとエクス嬢の真実に行き着いてしまう。今は適当にはぐらかすしかないのだ。
「森での戦闘が有利だったのは昔の話です、最近では逆にイミグラントが仕掛けた罠にひっかかったという情けない話も聞きます」
「ううむ、そうなのか」
「そういえばナカバ、ウワンはちゃんと寝たんでしょうか?」
「ウワンは『限界まで作る』って言ってましたわね」
「あー……よく寝てそうですね、敵の目の前でね」
―――
「山禍が一匹も出てこねぇ――気味が悪ぃ」
先頭の老兵の額に嫌な汗が垂れる。あり得ない、山禍の討伐に来て、その森の中で奴らに出くわさない訳が無いのだ。
「斥候の言う通り、本当に誰も居ないのでは?」
「笑かすなよ新兵、てめえのその胸に聞いてみな」
老兵は後ろの新兵のメダリオンを小突く。新兵はその胸のメダリオンを取り出して自分の耳に当てる。するとチリチリとかすかに鈴の音が聞こえてくる。座学で聞かされた『共鳴現象』の音だ。
「ひっ!」
「分かったかよ新兵、俺達ゃとっくにやつらに監視されてる。ビビってないで堂々としてろ」
だがその緊張とは裏腹に、罠以外の犠牲を出す事なく森の出口に到着した。眼前には山とその麓の平地が広がっていた。
「よし、我々は蟻を卒業する! お次はダンゴムシだぞ、密集陣形!」
指揮官長が命を下すと、兵が七人一組で円陣を組んでいく。中央に一人、その周りを六人が囲む形だ。
「仲間外れはいないな? では、全速前進!」
六〇組、計四二〇名の集団が森を抜け、麓の開けた平地を駆けだした。
その頃、オアツラエは運搬の小隊と共にまだ森の中に居た。
「ここからでは二合目までですね」
「トーチカは潰せるか」
「いけます、元は対城壁用ですから」
「よし、半分の十基をここに設置、主戦部隊を援護する」
指示を受けた小隊長とその配下たちは手際よく投石機を形にしていく。
「ではオアツラエ副局長殿、我々は残りの十基を持って山の側面に回ります。小隊長殿、隊の半分を私の下に付けてください」
「すまないなセイシン、私も飛びたかったのだが」
「構いません、その代わり下では派手に暴れてくださいね」
「オアツラエ殿、ワシが戻るまで無理せんでくだされよ」
セイシンを筆頭に、黒服達と小隊、バルミラ殿、ジジイ殿が森の奥へと消えて行く。
「あれ、もしかしてジジイ飛ばないの?」
「ワシの花火は下で使ってこそ華じゃろぉー?」
あ、こいつ逃げやがった。本当に大丈夫なんだろうな、サーヴィスの邪法とか言うやつ。
その頃、ダンゴムシ達は山と森のちょうど中間に差し掛かっていた。
「正面防御、エクス‐トラクト!」
各ダンゴムシの前衛三人が、それぞれのメダリオンから巨大な金属の盾を一瞬で抽出する。その盾が横に三つ並べて立てられると、中心の一人と後衛の三人はその盾の影にするりと潜り込む。
直後、山の方からザアという音と共に横殴りの矢の雨が降った。だが、矢はことごとく盾に弾かれ、空しく地に落ちていった。
「ランダムラッシュ、始め!」
指揮官長が命を下すと、各ダンゴムシ達がばらばらに数十メートル走っては盾で防御、走っては防御するを繰り返し始めた。走っている間は無防備になるが、走るのを見てから射って来た矢は間に合わず、移動する順番も不規則で予測できない。矢は次第にパラパラとしか飛んで来なくなってきていた。
「さすがは西の現役だ、こいつの出番はないかもな」
「いえ、ここからです。山肌に張りつく直前が一番危険ですから」
小隊長が言い終わる前に、何組かのダンゴムシが串刺しになって崩れるのが見えた。山に近づいた結果、矢がほぼ真上から飛んでくるようになったのだ。
「立体防御、エクス‐トラクト!」
盾の影に居た後衛三名も盾を抽出し、前衛の盾の上に自分達の盾を水平に載せた。これによりその後串刺しになる者は出なくなったが、盾を崩すと即射抜かれるため、殆ど前進できなくなってしまった。
「観測班、トーチカの位置は」
「敵射点を確認、十、いや十一。正面に三、左右に四!」
「右翼投石機五機、照準良し、装填良し!」
「左翼投石機五機、照準良し、装填中!」
「左翼装填完了と同時に一斉射、その後各個撃破、放て!」
ガコガコと音が響き渡り、岩ほどもある石が宙を舞う。一番上の中央と左右のトーチカが集中して破壊され、転がった破片が下の方にあるいくつかのトーチカの屋根を直撃した。
―――
「トーチカ壊滅、投石機です!」
「森から届くのかよ……って、おい、屋敷から指令だ! 前線の奴らを三合目まで下がらせろ」
監視塔の兵は指笛で後退の指示を出した。
「あいつら手際良すぎる、まさか西の奴らじゃないだろうな」
「敵部隊、散開していきます!」
「違った、俺の思い過ごしだ。密集陣形で散開するとかアホの所業だ」
「敵部隊、円周上に……我々の山を包囲していきます!」
「それこそアホだろ、あれだけ散らばったらお互いフォローできないじゃんか。各個撃破して終了だ」
サワンがそう言い終わるのとほぼ同時に地鳴りが鳴り響いた。見ると山の根元で黒い円形のドームが数珠のように連なっていた。
「魔法防御の多重ドーム……おいおい、それってまさか」
「敵部隊、森に侵入!」
「なんだそれ? 山の間違いだろ!」
「違います、ものすごい数です。『旅団』が、『旅団』が動いてこっちに突っ込んできます!」
「待ってくれ、頭が追い付かん。何が起きてんだ?」
―――
ゼクス族長達は会議室から屋根に上ると、森に殺到する大軍と山を取り囲む黒い数珠を確認した。
「サワンの報告通りか……」
「魔法防御の多重ドームなんてものを使うのは重装甲魔法騎士団しかあり得ません」
「つまり敵は協会で、彼らは既に商会に乗っ取られていたという事ですの?」
「だが、どうにも分からん。あの森を抜けてくる大軍を見ろ、商会の小娘一人の誘拐疑惑だけで動く戦力じゃない。最悪周りの山も巻き込んでの大惨事だぞ?」
「私の憶測ですが、おそらくは協会が商会を利用したのです。協会がなりふり構わない行動に出る時――その動機は一つしかありません」
「御使い様か? 我々東の山も西のように削られるというのか? しかも西では結局見つからなかったのだぞ」
「だからこそ、今必死なのだと考えます」
「バカな……」
「ゼクス族長閣下、私はこれよりあの黒い数珠を引きちぎりに向かいます。私が外に出たら全ての戦士達を六合目まで下がらせてください。私は四合目の塹壕に居るウワンと共に奴らにひと泡吹かせて見せましょう」
ナカバも一歩前にでるが、カチクはそれを押さえる。
「ナカバはエクス嬢の傍にいてあげてください。あと、サワンには監視塔に籠城するよう伝えました。意外と屋敷に居るよりは安全かも知れませんので」
「カチク、あんた」
「死にに行くわけではありませんからね? 勝算ならあります」




