深夜の追跡者
なんだか四人組が勝手に盛り上がってくれたお陰で、食事が捗ってしまった。
ミドラのあれには肝を冷やしたが――あいつはインコか何かなのか?――そうそう、ロビーで回収しておきたい物があるんだった。
私はロビー入口正面の記帳台へ寄り道した、ミドラとライトマンは私を制止せずに付いて来る。
欲しいのは羽ペンとインク壺だ。実はあの部屋にも有ったのだが、羽ペンは先が潰れ、インク壺は中身がすっかり乾いてしまっていた。その二つを二人の目の前で持ち出してみたが、特に何も言われなかった。いや、唖然としているのかあれは。持ち出し禁止であれば止めてくれればよいのだが。
そうしていつもの部屋に戻ると、ライトマンは会釈の様な仕草をして去って行った。私は隣でそれを見送っていたミドラを踏ん捕まえて部屋から追い出し、廊下の角を曲がるまで睨みつけた。
部屋に引き返し、机の引き出しを開け「簡易接近センサー」を扉の足元に設置する。椅子に腰かけ、インク壺に羽ペンを付けると、真っさらなわら半紙に絵を描いた――この屋敷の見取り図だ。
今朝、ライトマンが私を連れて屋敷の外を一周してくれたおかげで、屋敷の構造をかなり把握できた。ライトマン自体は下の集落の様子を私に見せたかったようだが。
それで極端な話、この屋敷は全体が巨大な「神輿」になっている。丸太を束ねてつなぎ合わせた巨大な柱を四本、「#」の形に組んだ基礎の上に各部屋が載っている構造だ。ロビーが神輿の中央に据えられていて、それ以外の部屋は全て神輿の「持ち手」の上にある。面白い建築方法だと思うが、ある意味原始的でもある。
ちなみにこの見取り図は、脱出経路云々とは関係ない。屋敷から逃げるだけならば、ジョーのインターフェイスで壁に穴を開ければ良い事が朝の実験で判明している。
では何のためかいうとずばり「風呂」である。この屋敷の住人は全員清潔な身なりをしている、つまり風呂的な設備が屋敷のどこかに在るはずなのだ。
さて、屋敷の外を一周した際に水の音が聞こえた場所は屋敷の裏だけだった。つまり、この建物の水回りは全て北側に集中しているという事だ。
今の私の知識で北側にあった部屋といえば、謁見の間、族長の寝室、食堂、トイレ、居住区だ。その中で唯一埋まっていない区画は謁見の間の西側、恐らくここに風呂があるに違いなかった。
ただし期待は禁物だ、なにせここは山の頂上だ。普通に考えれば水源はここより下にあるはずで、揚水の手間を考えればちゃんとした湯舟があるかどうかも怪しい。
朝の実験で、風呂が無くてもインターフェイスで手足の垢をこそぎ落とす事はできた。しかし、髪や歯はどうするのか、正直限界だ。桶に張った水でもなんでも良いからとにかく髪を洗って歯を磨かねばならない。
だが、私は誰にも胸のインターフェイスを見られる訳にはいかない。風呂に入れる時間は皆が寝静まったこのタイミングしかない。
私は窓際に向かい、植木鉢からジョーのインターフェイスだけを抜き取った。土ヒトデの体はそのまま維持されるようだ、後で穴に戻してやればまた動けるようになるだろう。
そして襟のボタンを外し、ジョーとの通信を始める。見取り図を示し、イエスノー形式で風呂の位置を確認する。結果、風呂は私の予想通りの場所に在るとの事だった、しかも湯舟付きで。
私はジョーを左手に握り込み、右手に空のじょうろを持ってそっと部屋を出た。これは万が一誰かに見つかった際、じょうろに水を入れようとして水場に向かっていたというせこい言い訳――当然身振り手振りだが――をするためである。
廊下の角に見張りは居ない。廊下を突き当り、背の高いドアをそっと開け、ロビーの様子を窺った……人の気配はない。
ロビーの明かりは落とされていて、真っ暗で殆ど見えない。私は左の壁伝いにゆっくりと移動する。風呂場へ続く扉は一番北側、ロビーの突き当りにあるはずだ。
しばらくして無事扉の前に到着すると、扉を静かに開け中に滑り込み、素早く閉める。この廊下の突き当りの角には窓があり、眩しい月明かりが射していた。
その角を曲がって、月明かりに浮かび上がる風呂場の左側の入り口に入った。そう、この世界でも風呂は男女別になっているのだ。混浴じゃなくて良かった、本当に良かった。
風呂場の作りも大して変わらないようだ。手前に脱衣場、その向こうに浴室があった。今更だが耳を澄ます、流石に誰か入って居たら水の音がしているはず。よし、大丈夫だ。
私は先に浴室に入り、手探りで湯舟を探すとじょうろにその水を汲み、中にジョーを沈めた。インターフェイスの表面が全て水で覆われたため、ジョーの「削る」機能はオフになり、安定した。
両手が開いたので脱衣場に戻り、ドレスを脱いで浴室に戻った。この浴室には一応小窓があるのだが、向きが悪いせいか月明かりが入らず凄く暗かった。
私は手探りで湯舟に浸かる――やはり冷たい、ただの水だ。だが、ここからが実験の成果の見せ所だ。私はジョーをじょうろから取り出すと湯舟の方に移した。指でつまんで、風呂の水の表面から少し出る位置まで持ち上げてやる。
さぁ、追い炊き開始だ。
―――
あれから結構経つが、水温はいっこうに上がらない。流石に水の量が多すぎるのだろうか? アイディアは良かったのだが……。いや待てよ、もう一つインタフェースがあるじゃないか、自分の胸に。
だが、流石に自分のインターフェイスを引っこ抜くのには抵抗がある。特に保護モードになって始点が変わってしまうのが問題だ。この暗闇の中、元に戻せなくなったら最悪だ。
だが、今日の私は冴えていた。
私は、自分の胸のインターフェイスを掴むと、ゆっくりと引っ張り出していく。すると、ある位置で保護モードに切り替わって視界が水没する。次はその位置から少しずつ胸の穴に押し戻していく。そしてついに、肉体の目の視点と水中の視点が重なる絶妙なポイントに到達した。いわゆる「半挿し」状態である。
半挿しとは、モノラルのイヤホンジャックにステレオヘッドホンのプラグを挿した時に、左右両方から無理矢理音を出す時にやるせこい技の事だ。
つまり、今の私はインターフェイスが外れた状態でもあり、装着された状態でもある。体も動くし、湯を沸かす事も出来るおいしい状態なのだ。
私は体を少し持ち上げ、胸のインターフェイスを水の表面から少し出した。さて、ジョーと私のインターフェイスの二つならば少しは追い炊きできるだろうか?
――熱っ!
急激に湯の温度が上がった。慌てて私はジョーを水没させて、自身のインターフェイスを胸に押し戻す。びっくりした、もしかして私のインターフェイスは湯を沸かすのに特化しているのか?
ともあれ、上出来だ。これで完全に沸かしたての風呂になった。
では、いよいよ頭を洗うとしよう。当然シャワーのようなものはないので桶で湯をかけつつ洗う事になると思うが、正直あまり音は立てたくない。
私が髪をどう洗うか思案していると、突然ジョーの三日月部分からサーチライトのような光が照射された。その明かりで湯舟の中が照らし出されている。私はジョーを自分の胸の前に持っていき、通信で何事かと問い合わせた。
ジョーが言うには、サーチライトはインターフェイスの能力で、自分の意思でオンオフできるものらしい。私の直腸に収まっていた頃に突然使えるようになったとの事だった。
――少し待っていただきたい。
つまり、私は今までのどこかのタイミングで「尻が発光」していた事になりますよね。蛍か何かでしょうか?
「ウケル」
くっそ、何時だ、何時光ってたんだ! だがこれは便利だ、私もこのサーチライト機能は会得しておきたい、後で練習してみよう。
それで、結局ジョーの明かりを頼りに湯舟に潜ったまま頭を洗う事にした。。
そしてその時、自分が長時間息を止める事が出来る事に気付いた。正確には窒息するまでの五分程と、窒息後に保護モードに移行してからさらに五分以上活動できたという意味だ。
黒服から逃げる時、長時間潜って居られた理由が今頃判明したのだった。あの時は完全な暗闇だったので、保護モードに切り替わって視点が変化していた事に気付かなかったのだ。
なお、それ以上活動するとどうなるかは流石に怖くて確認していない。あと、保護モードの視点になると水中でも物が良く見える事が分かった。これも何かに使えそうだ。
そして、いよいよ手足以外の体を洗う時が来た。顔、首、腋、胸、腹、尻、背中にジョーを這わせる。ショリショリという音とともに泡が立っている、だいぶ垢が溜まっていたようだ。背中は手が届かないかと思われたが、この体は思いの外柔らかく問題なかった。
髪も洗えたし、体も洗えた、さっぱりしたし、これで一安心だ。
――とその時、ジョーからの通信が入った。
「ザツ」
「はい?」
「アライカタ、ザツ」
「いや、丁寧に洗った筈だが」
ジョーは、サーチライトの光線を絞ると、私の体の特定の部位をピンポイントで照らした。
私は、目を閉じ、指で眉間を押さえた。うん、分かってはいたんだ。
「だめかね?」
「ダメ」
私は覚悟を決め、意識を遠くに持っていきつつ、機械的に手を動かした。
「ヘタ、ヤリナオシ」
「げえっ!」
私は、体の持ち主様にダメ出しをもらいながらお手入れの仕方を学ばされた。
―――
最後は歯磨きだ。ジョー教官によれば、脱衣場に置いてある乾燥した植物の茎で磨くらしい。木の枝で磨く例は聞いた事があるが、それに近い文化か。
私は、ジョーのサーチライトを止めさせてじょうろに沈め直すと、それを両手で抱えて脱衣場に移動した。
――そして、脱衣場に誰かが居た。
その誰かは私に気付き、ランタンの遮光版を開けた。そこに立っていたのは、ペットマンだった。ペットマンは右手にランタン、左手の脇に黒い小さな箱を携えている。
しまった! 暗がりでは胸のインターフェースの光が見えてしまうのだった。私は真っ青になり胸元見た、いや、セーフだ。うまい具合にじょうろで隠れていた。
状況が呑み込めないのか、互いにしばらく硬直していた。いや、何か言えよペットマン、ノーリアクションとか怖いんだが。
私の方が先に動いた――棚から歯磨き用の茎を取って、じょうろに放り込むと同時に、後ろの籠に入ったドレスを掴むと猛ダッシュで風呂場から脱出した。
もう、足音で見つかるとか、じょうろの水がこぼれるとか言っている場合ではなかった。最速でいつもの部屋に飛び込むと「簡易接近センサー」を設置、ジョーを植木鉢に隠し、ベッドの布団を膨らませてから明かりを落とし、自身はベッドの下にうつ伏せに潜り込んだ。
息を殺してしばらく経った頃、「簡易接近センサー」がカサリと倒れた。
来やがった――
倒れた「簡易接近センサー」が、まだカサカサと動いている。追跡者は廊下を高速に接近中であった。
ギィ、と遂に扉が開く、私の心臓がばくんとはねた。続いて暗闇の中、ヒタヒタと足音が寄ってくる。
私の視界が急に暗くなる――くそ、体が気絶しやがった! このタイミングで保護モードなるのは止めてくれ。体は動くが、周囲の状況を見るには胸元を横に向けるしかなくなる。だが、それをしてしまったらインターフェイスの放つ光でベッドの下に隠れているのがバレてしまう。
私は貝、私は貝、私はただひたすら息を殺して追跡者が去るのを祈った。そしてすでに間近で鼻息が聞こえている事からも耳を背け続けた。
――唐突に朝が来た。いつの間にか保護モードからは回復していた。
私は、ベッドの下から這い出し、周囲を見た。屏風の裏を見た、ベッドの布団の中を見た。だが何処にも追跡者の姿はなかった。
夢だったのか?
だが扉の前には、踏まれて平らになった「簡易接近センサー」が落ちていた。




