朝の出来事
山の頂上に真横から朝日が射し込んだ。
私は眩しさに目を覚まし、ミドラを部屋から追い出した。なぜこの部屋の扉には鍵が無いのか、なぜ彼らにノックをする文化が無いのか。
次に、屏風の裏に居たペットマンを部屋から追い出した。なぜ人の着替えを普通に眺めているのか、なぜ彼らにデリカシーが無いのか。
ベッドの下を確認した後、ベッドの上に腰掛けて自分の置かれている状況を整理した。
整理して分かったことは、私は私と同じ種族の暮らす山においてもなお、命の崖っぷちにあるという事だった。
今までの状況から想定されるストーリーはこうだ。
かつての体の主は族長に妾にでもなれと迫られ逃亡するも、昨日ペットマンに見つかり、連れ戻された。
怒れる族長に無実の罪で処分されるところを、ミドラが耳打ちして私に最後の生存チャンスを与えてくれた。
しかし、私はあの寝室で族長のご機嫌を回復させる事が出来ず、処分は覆らなかった。今思うと、最後のミドラの涙は運命を変えられなかった私への哀れみの涙だったのだ。
ほぼこの状況で間違いないと思われる。何より、今のこの軟禁状態がそれを裏付けている。
あとどれ程の時間が私に残されているだろうか。族長が腹を立てた昨晩のうちに処分されなかった事から察するに、おそらく見せしめとしての処刑を考えていると思われる。であるなら、舞台と観客が用意出来るまでの間は生かしてもらえるのではないだろうか。
生きるためには、ここから逃げ出さなければ。運命に逆らう事は出来るはずだ。かつての体の主の運命は変えられなかったが、胸のインターフェイスの存在がバレるという最悪の事態は回避できたのだから。
逃げるために、まずは脱出経路を考えておくべきだろう。この部屋の窓ははめ殺しで開ける事が出来ないため、必然的に扉から廊下を通って出るしかない。
私は扉をそっと開け、廊下に首を出した。――誰も居ない。廊下を右に行くとすぐに行き止まり、左に行くと少し先で右に折れるようだ。
抜き足差し足で廊下の左を進む。この廊下は、人一人しか通れないようにワザと狭く作られている。おそらくは侵入者対策だろう、この構造ならば、大人数で侵入されても戦う相手を常に一人に制限できるからだ。
曲がり角の壁には人一人分の窪みがある。この窪みは廊下で人がかち合った時の待避所と思われるが、ここに警備が立てば左右の廊下を完全に見渡す事が出来る。死角のない非常にいやらしい作りだ。その曲がり角を越えて、さらに進むと背の高い扉に着いた。そうだ、この先には確か――
扉を開けるとロビーだった。と同時に、ロビーの椅子に腰かけていた数人の口裂け男女が一斉にこちらを見た。やばい、ナチュラルに見つかってしまった。だが、彼らは私に興味が無いらしく、すぐに視線を外してくれた。約一名を除いて。
私は思い切ってロビーの中へと進み、周りを見渡した。
ロビーを囲む四つの壁面のうち一つは正面玄関だ。ここを出ればすぐ外なのだが、さすがに警備が居て守りを固めている。正面玄関の向かいの壁には大きな扉が一つだけあり、これが昨晩の謁見の間に通じている。残りの二面の壁には背の高い扉が等間隔に並んでいて、そのうちの一つはついさっき私が出てきた扉である。
とにかく別の背の高い扉に入ってみる事にした。
扉を開けると、長い直線の廊下が現れた。曲がり角は無く、廊下の中ほどの壁に窪みがあり、そこには警備が一人立っていた。警備はすぐに私に気付き、こちらを凝視してきた。私はぱたりと扉を閉めた。
隣の扉を開けてみると、普通サイズの扉がずらっと並んだ廊下が現れた。おそらくは居住区画だろう。扉ひとつで何人部屋になるか分からないが、少なく見積もっても二、三〇人は寝泊まりできそうな規模だ。
さらに隣の扉に手をかけた時、背後に気配を感じた。振り返るとそこにはライトマンが居た。さっき、私から目を離してくれなかった約一名がこいつだ。
ライトマンは私の左手を軽く握ると、向かい壁の扉のひとつへ私を連れて行った。扉をくぐると良い匂いがした、飯の匂いだ。
そういえば、長らく食事をしていなかった。排泄もしていない、というよりもそのような欲求が今の今まで湧かなかったのだ。もしかすると、インターフェイスでの転生では、食事や排泄などの生理的欲求から解放されるのではないだろうか。
しかし今はまずい、まず間違いなくライトマンは、私に食事をさせようとしている。ならば今は、嘘でも腹に物を入れて食べて見せる必要があるだろう。
廊下を少し進み、広めの食堂のような場所につくと、ライトマンはトレーのようなものを取って、鍋が並んだ壁際へと向かった。
ああ、セルフか。この手のシステムはこの世界でも変わらないらしい。そう思って私もトレーを取ってライトマンに続いた。
するとライトマンは急に私を押し戻し、肩を掴んで近くの席に座らせた。レディファースト的な風習だろうか、配膳はライトマンがやってくれるようだった。
しばらくして、ライトマンは両手の複数のトレーに大量の食糧を載せて戻って来た。そして、座席三人分の幅にトレーを並べると、そのまま私の真向かいの席にどっかりと腰かけた。
何でこいつはこうもデリカシーが無いのか。なぜ私は、鼻息がかかるくらいの距離からこいつにガン見されつつ飯を食わねばならないのか。
いや、分かった。こいつは私を疑っているのだ。こいつ――ライトマンは、かつての体の主の好みを知っていて、今ここで私を試しているのだ。だから料理も全種類持って来たのだ。
かつての体の主の好みなんて私に分かる訳が無かった。こうなれば、誰でも食べそうな食材に限定するしかない。贅沢な肉は程々にして豆や野菜、穀類を中心にしよう。果物も少しはとっておいた方が良いかも知れない。
私が食べ終わると、ライトマンは何かきょとんとしていた。いや、私の顔を凝視するな。もしかして私の口の周りに何か付いているのか? 少し経って、何かが腑に落ちたらしいライトマンは、急に私の食べ残しをもりもりと食べ始めた。いや待て、この量を全部食う気なのかと一瞬そう思ったが、すぐにまさにその気なのだと分かった。
この種族は、伊達に口が大きいわけではなかったのだ。口が奥歯の位置まで開くので、歯の左右と正面でそれぞれ別の食材を噛んで食べるという荒ワザが出来るのだ。
通常の三倍の速さで食事を終えたライトマンは、トレーを「流し」に放り込みに行った。机の上はライトマンが飛び散らかした汁でベトベトだった。そりゃ、あんな食べ方をすればこうなるわな。
本当に何でこいつはこうもデリカシーが無いのか。いや、皆こんな食い方なのか? ミドラも? 後、私のフォークとナイフを使い回さんで欲しかった。
私が顔を引きつらせていると、ライトマンはまた私の手を引っ張り、ロビーに戻っていった。
ロビーはさっきとはうって変わってご年配の方々でごった返していた。ミドラがライトマンを見つけ、手を振ると。私はミドラとご年配方の前へ連行された。
すぐに列が形成され、ご年配が次々と何かを呟いては私に手をかざしていく。呟いている言葉は皆、同じであった。はて、何処かで聞いた気がする言葉だ。
「アナライズ‐ヒエラルキー」
そうだ、橋脚の下で出会った黒服の一人が私に手をかざして呟いた言葉がこれだった。もしかするとこれは魔法の呪文なのだろうか。だが、私の体には何の変化も現れていない。ご年配方は言葉を放った後、うんうん頷いたり、舌打ちしたりしている。例えば、私はこの呪文が効かない体質とかで、魔法使い達に嘘か本当か確かめられている最中とかか?
しばらく実験が続いた後、一番威厳がありそうな魔法使いが場をまとめ、ご年配方は解散となった。そして皆一斉に正面玄関に向かった。もちろん私も。
そして、そのまま正面玄関を抜けた。
外だ――いとも簡単に外に出れた。それはもちろん、ライトマンが横に張り付いているからだが。
ライトマンは私を屋敷に連れ戻すわけでもなく、私を連れて屋敷の周囲を回り始めた。かつての体の主がどれくらいの期間、この山を離れていたかは分からないが、こいつは私に眼下に広がる集落の様子を見せようとしているようだった。
そしてちょうど屋敷の裏に差し掛かった時、私を生理現象が襲った。
まさかの便意であった。いや、今まで無かったのがおかしかったくらいだ。私は下腹部を押さえつつ、ライトマンに対して必死のボディランゲージを披露した。実にみっともない姿であるが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
ライトマンはポンと手を打ち、私を屋敷の裏の少し降りたところへ案内した。そこはなだらかな斜面で、植え込みが等間隔に配置されていた。
ひと目で分かってしまった、これは「青空トイレ」だ。見ると、ご丁寧に葉の広い草も植えてくれてある、それで拭けと言わんばかりに。遠慮したい、切にお断りしたい。だが、今から屋敷内のトイレの位置を教えてもらっている猶予など無いのも確かだ。
やるしかない、今、ここで。
私はこの期に及んでもなお、横に張り付こうとしたライトマンを最大限威嚇し、遠ざけた。もはやデリカシーどころではない、ただの非常識だ、というか変態だ。そして意を決し、用を足す。
その時、恐ろしい事が起こった。「何か」が詰まってしまったのだ。
はたしてこんな事があって良いのか? 明らかに何か硬いモノ、異物感を感じる。そして明らかに直腸に詰まってしまっている。これはどういう事だ? かつての体の主は直腸に異物を挿入する趣味でもあったのか?
そして、私は思い出してしまった。あの「おっさん」の言葉を、「予備を二個」という言葉を。今まさにその二個目がコレなのだ、あのおっさんなんて事を。
酷すぎる話ではないだろうか? 予備の一個目は喉から吐しゃ物と共に現れ、予備の二個目は今まさに尻から排泄物と共に現れようとしている。
とはいえ、もはや切り上げる事など出来はしない。せめて、裂けてしまわない事を祈るのみであった。
そして、遂に事は決した。
不幸中の幸いは、一つ目の予備の時と違い、今回は硬い石畳の上ではなかったという事だ。そう、今回は予備のインターフェイスを回収できるのだ。その予備は今排泄物に綺麗に埋まっている、インジケータだけを覗かせて。
後は拾い上げるだけだ。今の私に必要なものは――勇気。そう、勇気だ。




