3つのエルを数えましょう
7
「調査はすぐ済んだ。君のラブレターを隠した犯人は、彼女だよ」
あの日から二日後の放課後に、私は同じ教室に畑中君を呼び出した。昨日、張り込みをして犯人はいとも簡単に特定できた。横沢という畑中君と仲の良い友達が、彼女のラブレター消失事件の犯人だった。
この前と同じように机に座り、向き合うような形になっている。私が彼女に見せたのは、少し画質の悪い写真。横沢に気がつかれないよう、彼女がラブレターを下駄箱から持ち去る瞬間を離れた場所から、ズームして撮った写真で畑中君はそれをまじまじと眺めていた。
「そう、横ちゃんだったんだ……」
彼女は少しショックを受けている様にも見えた。
「間違いなく彼女だよ。丁寧に破ったラブレターは、あんまり使われない教室のゴミ箱に捨ててたみたいだ。一応、拾っておいた。いるかい?」
「いや、いいです。そこまでしてくれたんですね。ありがとうございます」
畑中君は遠慮しながら、そう言って頭を垂れたが私としてはこれは彼女のためにやったことではなかった。ほとんど、私の推理の裏付けとして彼女の反応が欲しかっただけだ。
「横沢君には私からは何もしてない。彼女もきっと、自分が写真におさめられているなんて思っていないだろうね。君の依頼は、犯人をこっそり教えてくれってことだったから、その意志に従ったよ。これでいいのかな?」
私のこの探偵のまねごとめいた仕事には時々、あいつをボコボコにしてとか、そういう依頼もある。そういうものは極力断っているけど、彼女みたいに犯人に何もしないケースも珍しい。犯人を糾弾する意志があまり彼女からは見られない。
「ええ、私はただ犯人が知りたかっただけです。横ちゃんも大切な友達だし、喧嘩したくありませんから」
そう笑う少女には、本当に美少女という言葉が似合っていた。なんの含みもないその笑顔が少しまぶしい。どうやら彼女は本当に、横沢をどうにかするつもりはないらしい。
――やっぱり。
「蓮見先輩、本当にありがとうございます。なんてお礼を言ったらいいか分かりません」
彼女は立ち上がって、深々と腰を折って礼をしてくるけどあまりこういうのは望んでいない。
「そんなのはやめてくれ。照れる。けど君が本当に私に感謝してるなら、一つ質問に素直に答えてくれないか」
私の要望に彼女は迷いもせず、いいですよと返事をして座ってくれた。そんな彼女を見つめたまま、私はこの事件で一番気になっていたことを訊いてみる。
「今回、私は本当に探偵だったのかな?」
私の質問に彼女はすぐに反応して見せた。顔を硬直させて、背筋が自然と伸びたようだ。
「……私は、キューピッドだったんじゃないかな?」
それが私の気にしていたことで、彼女はしばらく質問には答えなかった。答えるのに躊躇っていて、体を落ち着きなく小さく揺らしていた。しかし、しばらくすると小さな、そして少し色っぽいため息を漏らした。
「流石、この高校の名探偵ですね。まさかばれるなんて思わなかったです」
彼女は少し表情を赤くして、その事実を告白した。
「そうです。私も横ちゃんと同じです。……女の子しか、愛せないんです」
「そもそも妙だなって思ったんだよ。君が依頼してきた時点でね」
二日前の放課後、彼女は前触れもなく相談しに来た。そういう生徒が多いの事実、たいていの生徒は予約なんてしない。私も放課後は用もないのに校内を彷徨いている場合が多いのでそれでいい。
「私の依頼、そんなにおかしかったですか」
「一見すると、別になんともない。ラブレターが消えるから、犯人を見つけてくれ。これが小説なら、まあ納得できるだろうね。けどね、おかしい」
私はそこで一旦言葉を切って、机の上の写真を人差し指でコツンコツンと二度つついてやった。
「私はこの仕事を昨日一日でやれた。隠れて、待ち伏せて写真に収めた。ただそれだけだ。私じゃなくても、誰だってできる。そう、君にだってね。どうして自分でやらないのか、それが不思議だった」
「そうですね、確かにできました。けど面倒だからまかせたっていう発想もできますよね」
「うん、当然だね。けど本当に面倒なら、犯人をこっそり教えて下さいなんて依頼の仕方はしない。無視すればいいし、突き止めて二度とさせないないで下さいって依頼するほうが自然だ。けど君はそうはしなかった。君はあくまで、犯人を知りたかったんだ。けど、そこに第三者の介入は邪魔で仕方なかった」
その言葉にもう疑問符はつけない。彼女が認めている以上、私の推理通りなんだろう。
「どうして君は自分で調べなかったのか。簡単だよ。調べられなかった。これだけだろうね。自分が張り込みや見張りをしたら、まず友達が気がつく。けどそれじゃあ、ダメだった。君のお友達は少しお喋りだからね。信用できなかった。それに、君は気づいていたんだ。自分の身近なところに犯人がいるってね」
張り込みという単純作業さえできないほど親しい友達が犯人だということは彼女は感づいていたのだろう。
「どうしてそんなことが分かったんですか?」
「だから君の依頼さ。君はこう言った。犯人を突き止めて、その子のことをこっそり教えてくれってね。妙な違和感があった。普通、ラブレターが消えてるなんてことになったら、私なら真っ先に男子に疑いの目を向けるよ。そうなると呼び方は、男子とか彼とかになるだろう。事実、君は男子って言っていたしね。なにかこの『その子』って言葉が、女子生徒を指しているように聞こえた」
最初はそんな違和感はなかった。ただ、彼女に私が君の友達はお喋りだと言ったときに彼女はあの子たちは喋りすぎだって笑った。その『あの子たち』って言葉と、『その子』という言葉が妙に引っかかった。
「すごいですね。それだけでおかしいと思ったんですか」
「確信をもったのは、ついさっき。写真を見せたときの君のリアクションだよ」
彼女は友達が犯人だと知ってショックだ、というリアクションをしていた。それ以外の感想は漏らさなかった。彼女は最初から犯人が女子生徒であるというのは分かっていたんだと、その時に確信した。
「まあ、同性愛者かなと疑ったのは、告白を全部断ってるって話しを聞いたときだね。付き合うというのが分からないなら、一度は付き合ってみてもいいかと思えるよ。お試し感覚でね。それさえしないのは、男子を好きになれないから。そう考えた。それで少し君に質問をした。破られたラブレターを、君はいらないと即答した」
「……ようやく愛しの人を見つけれて、舞い上がってしまったせいです」
「君はこのラブレターが消えるって事件を、自分と同じ同性愛者の犯行だと察した。けど、それを誰かを自分で調べることはできない」
「犯人が友達の中にいるのはすぐ分かりましたよ。下駄箱の靴には何もされていませんでしたから。もし誰かが嫌がらせでやってるなら、ラブレターよりまず靴が無事じゃないと思ったんです。だから、気がつけました。女子生徒の嫌がらせも考えましたけど、ありえません。もしそうだとしたらラブレターは消えるだけじゃすみません。もっと何かに悪用されます。だから、気づけました。とは言っても、半信半疑でしたけどね」
「けど君はその半信半疑を知りたいと思った。それがもし本当なら、誰が自分を好きなのか。そして、その子を自分が好きになって良いのか」
「……先輩、分かりますか」
彼女の声のトーンが一気に下がる。太陽が雲に隠れたのか、教室に差し込んでいた光が、少し弱くなった。
「好きになっていいのか、分からないなんて、分かりますか。みんな、好き勝手に私に告白します。いいですよ、それは。けど辛いです。男子が私にする告白は、ふられようが何しようが、綺麗です。それでいて、当たり前です。男子が女子を好きになるのが、当たり前。けど、そんなのおかしい。どうして女の子が同性の子を好きになっちゃいけないんですか。……いや、分かってます。おかしいのは私です。だから、この事件が嬉しかった。私と同類の子がいて、その子が私を好きでいてくれてるかもしれない。正直、今も心が躍ってます。けどおかしいですよね。だって、私がその子を好きになるかなんか分からない。ただ、女の子が好きって共通点だけです。それだけで私は、その子と一緒になりたかった。それで先輩を利用しました」
長い語りの後、彼女は本当に申し訳なさそうに深々と頭を下げた。綺麗なロングヘアーの黒髪が、重力に従い流れる。
「悩んでるみたいだね」
彼女の言葉からは、その感情が一番強く伺えた。
「ええ。ちょっと、動機が不純です」
彼女はこれから犯人の横沢と、より親密に付き合っていくつもりだろう。犯人だよねなどとは言わず、ただ自然に近づいていって、自然な恋の成熟を待つ。それが彼女の望んでいる未来。
「間違って、ますよね?」
「さあ。私は今回はキューピッドだったけど、いつもは探偵だから、そういうのは分からない」
私の素っ気ない答えに彼女は残念そうにまぶたを下ろした。
「けどまあ、一人の女として、一つ年上の先輩としてなら、何か言えるかも知れない。とにかく今は君がしたいようにすればいい。本当に迷ったときは、また相談にきてくれよ。今度は、嘘も隠し事もなく、素直にね」
私のウィンクに彼女は目を輝かせ、もう一度頭を下げた。
彼女が教室を出て行ってから数分後、私が教卓の上に座りながらマイルドセブンで一服しているとポケットの携帯電話が震えだしたので、相手の確認もせず電話に出た。
「はい、もしもし」
『仕事、終わったのか?』
相手は仁志だった。今日は彼はバイトがあるとかで、早めに帰っている。そういえば昨日メールで今日解決させると言ったのを思いだした。一応、心配していたのかもしれない。
「うん。まあ、写真を渡すだけだからね」
彼には畑中君の話はしていない。彼を信用していないわけじゃないけど、二人の間に何か変な妨害があってはいけない。
『なら良かった。今回は楽だったな』
「そうだねぇ。……そうだ、ひぃ君、少し恋バナでもしてあげようか」
私の突飛な発言に彼は電話口で、えっと素直に驚きの感情を吐露して見せた。
「君、恋愛には三つのエルが必要なんだ」
『なんだよ、急に』
興味なさそうに気だるそうな声を出すが、電話を切らないでいてくれるところからすると、この話に付き合ってくれるらしい。私としても、思いつきの話しなのだけど。
「まず一つ目。幸運って意味の単語」
『“Lucky”だな』
そうそうと返事をしながら黒板に、携帯電話を持っていない方の手で“Lucky”と書いてみる。できる限り、丁寧で綺麗な字を目指しながら。
畑中君と横沢が出会ったのはかなりの幸運だろう。ある意味、運命なのかもしれない。もしどこかで彼女たちが違う道を歩んでいれば出会うことも、そして想い合うこともできはしない。横沢が恋に落ちたからこそ、この事件は起きて、畑中君は報われた。
これはすごい幸運だろう。
「じゃあ、次。今度は孤独って意味の単語だ」
『へぇ、以外だな。“Lonely”ってことか』
さっきの“Lucky”の下にまた同じように綺麗に“Lonely”と書いていく。
「恋愛ってものは孤独なんだよ。寂しさがないと、愛しさや恋しさは生まれないさ」
もしも世の中に自分一人で生きていくことに何の支障もなく、それを望んだ人間がいるのなら、そういう人はきっと恋などしない。どんな美しいものが目の前に現れようとなびかないだろう。
けど大方の人間は一人じゃ寂しいと感じるし、辛いと思う。だからこそ誰かを求め、その誰もその人を求む。畑中君はこれから故意的に横沢に近づくことを自分では不純だと言っていたけど、そんなことはないと思う。彼女が悩んで多分だけ、また横沢も悩んでいたはずだ。
その計り知れない孤独や寂しさが、お互いによって癒されて消されていく。順番なんてどうでもいい。ただそれだけの事実があればいい。
『最後の一つは、あれか』
「そうだね。少し言うのも照れくさいだろ」
『うるせぇ。じゃあ、バイトの休み時間が終わるからきるぜ』
結局最後の単語を言わないで、彼の電話はそこできれた。やっぱり照れくさかったんだろうな。まあ、まだまだ高一男子だねぇ。これくらいの単語、発音よくスラリと言ってほしかったものだけど。
私は二つの単語の下に、その単語を二つよりもさらに綺麗に書き足した。
愛を意味する、その単語を。
――〈了〉
お付き合いいただき、ありがとうございました。
本当にただの小ネタでした。サブタイトルも遊びました、すんません。
現在、別に連載してる作品もあるので、そちらもよければ覗いてやってください。