センテンス・ブルー・スプリング
この五つの項目を書きチョークを置いて、汚れた指先を制服で拭いた。
「どうかな、ひぃ君。ここまで書けば分かるんじゃないか」
仁志はしばらく顎に手を当てたまま、国会議事堂で座っている中年の親父たちの様な小難しい顔で黒板に並べられた五つの項目を凝視しながら、頭を回転させていた。正直、そこまで悩むような問題じゃない。
教卓の上に座り、仁志の考えがまとまるまでの間、私もあることを考えていた。事件と関係のないことだけど、私にとっては非常に重大なことで、無視は出来ない。黒板に並べた五つの項目とは別に、あることがどうしても引っかかる。
そのあることとは――。
「そうか。犯人は畑中先輩を嫌う奴だ」
仁志のあげた声で我に返る。彼はようやく頭からその答えを出して、掌を打って喜んでいる。全く……。
「君は中途半端な頭の良さを持ってるね。どうしてそこまできて、最後の真相に気がつけないのか。ある意味、天才的ではあるがね」
私の言葉の冷水に彼の喜びの火は一気に消えたようだ。その代わり、少し怒気の含んだ声で問い詰めてくる。
「なんだよ。これも外れなのかよ。じゃあ、どうして外れで、一体何が正解なんだよ」
「まず君の推理の穴。嫌いな奴が悪い噂をたてるためにやったっていう奴。随分遠回り。わざわざラブレターをなくして、それを元に噂を流すって理屈は理解できるけど、悪い噂なんてね、事実がなくても創ろうと思えばいくらでも創れるよ。しかもそれにしては彼女に対する直接的な攻撃はない。はっきり言おう、悪意が見えない」
私の推理に彼はあんまり満足している様には見えない。けれど反論も何もせず、不機嫌な顔で腕を組んだまま、何も言わない。もう自分で推理するのをやめたらしく、私が回答を掲示するのを待っているようだ。
まあ、かなり健闘はしたよ。
「君の残念だったところは、自分の意見に自信を持てなかったことだよ。君は言ったね、畑中君に告白したい奴が犯人だって。その通りだよ。犯人はそういう人間だ」
私が何を言っているのか理解するまでに数秒を要した彼は、しばらくして、はぁっと大声を上げた。
「だ、だってあんた」
「私は間違ってるなんて、一言も言ってないぞ」
仁志のあの発言を、間違ってるなんて私は言ってない。多少、指摘はしたものの、否定はしてない。私の言葉の数々を思いだして、そうだと気づいた彼は奥歯をかみしめて悔しがっている。
「俺はあんたのそういうところが大嫌いなんだよ」
「私は君のそういうところが大好きさ」
そう微笑んでやると、あっかんべえをされた。
「けどどういうことだよ。あんたが言ったんだぞ。嫌われる可能性の方が高いって。何でそんな危険を冒すんだよ。そんなバカ野郎がいるのか」
仁志の言葉で彼が未だに事件の本質を見つめていないと分かった。この考えをしている以上、答えにたどり着けるはずもない。もっと視野を広げることを教えないといけないかな。
「犯人は告白したって嫌われる。そう考えてみなさい」
漫画だったなら今頃仁志の頭上には、大きなハテナマークが浮かんでいるだろう。何を言ってるのか、まだ分からないらしい。
「畑中先輩にふられるってことか。そりゃ、仕方ないじゃないか」
「違うよ。犯人は嫌われることを分かっていたんだ、素直に告白してもね。おそらく、今まで築いてきたものが崩れるのさえ分かっていたんだと思うよ」
ここまで言えばもう彼もいい加減気がつくだろう。まあ、最後に一回だけ背中を押してやろう。
「そういえば君は、さっき私に差別的なことを言ったよね」
仁志は何を言われたか分からない様子だったが、すぐさま稲妻に打たれたみたいな顔をして、その驚きを表した。
「そう、やっとたどり着いたね」
弟分の可愛い後輩が遠回りをした長い長い思考の旅路の果てに見つけたその答えを、私はさっそく口にする。
「犯人は、畑中君に恋をしてしまった女子生徒だよ」
6
異国ならいざ知れず、この国では同性愛というものが理解される場合は少ない。私としては愛に性別など関係ないと思う。どういうわけか、同性から告白をうけたこともある。だから、そこまで特異なものとも思えない。
ただ、先に述べたように珍しいと感じる人も多く、そしてそれは少し差別的な見方へと変わっていく。仁志が私のことを、同性愛者かと思われると窘めたのは彼がまさに同性愛というものを差別的に見てるかの表れだった。
別に仁志を怒ってるわけじゃない。理解できないというなら、それはそれで仕方ない。こればかりは性的な話になるので、個人差が生まれるのは仕方ない。
「犯人の少女は、畑中君に恋をした。けど素直に告白しても、受け入れられるはずない。下手をすると変な噂がたって、彼女とはもう話せなくなるかもしれない。少なくも今までの関係では入れない」
少し想像してみるけど、その恋心はおそらく他の十代の少女たちとなんら変わりない。好きになってしまったから、想い続ける。けれどその恋に対する苦悶は他の少女たちよりはるかに多かっただろう。
受け入れられるはずのない、けどもうはや自分では押さえられない爆弾のような恋心をはらんだまま、彼女は今も苦悩している。
「ああ、俺が的外れな推理をしていたことはよく分かった。けど、それはおかしくないか。だって、そんな嫌われる様なまねをする必要がないってあんたが」
彼の言葉が続きそうだったけど、遮ってしまう。
「君はまだまだだね。もう一回、黒板をよく見なさい」
私が黒板に書いた五つの項目。それらを不自然から、自然にかえることができる推理が一つある。
「最初から私は言ってるだろ。この事件はロマンに満ちすぎてる」
犯人の少女がなぜ危険を冒してまでラブレターを隠したのか。畑中君が告白を受け入れるのを恐れてるだけなら、隠しても意味がない。結局告白されてるのだから相手を減らすことにならない。それでも未だに彼女が犯行を続ける理由はただ一つ。
この行為が、続けることによって意味をなすからだ。
「お手上げかい?」
仁志は素直に両手をあげ、ホールドアップの姿勢をとる。惜しい、彼ならもう少し考えれば分かったと思う。だって、ほとんど言い当てていたんだから。
「これはロマンスだね。愛だよ、君。ラブレターが消える。一見すると、確かに勇気のない奴が他の連中の邪魔をしてるだけにも見える。けど、この犯人が女子生徒であるなら、ある一つの可能性が見える」
ここで私はチョークを手にして、またハートマークを描いて微笑んで見せた。
「このラブレターを消すということ自体が、犯人なりの愛の告白になる」
ここで私はチョークでさっき書いた五つの項目の二番目を叩いて見せた。この事件のみそは、おそらくここだ。仁志は本当にいいところを見ていた。ただそれを嫌いな奴がやっていると見たからだめだった。
彼は、最初に答えを出した通り、畑中君に恋をした奴の犯行という推理と、この推理を結びつければ簡単に回答にたどり着けたはずだ。
「あの畑中君が愛の告白をされるのは、もう仕方がないと少女は考えた。けど、いつか彼女がどこかの男子生徒と付き合う姿なんて、見たくはない。ならどうすればいいか。ラブレターを隠すことなんて、些細な妨害にしかならないさ。けど、それによって畑中君の悪い噂が流れたら、どうだろう?」
「……畑中先輩の人気が下がって、告白が減る?」
「うん。単純な話しだよね。そしてこういう恋の噂に関しては、男子より女子の方が敏感だ。恐らく現状が進めば、畑中君は孤立する。そしてその時こそが、犯人が待ち望んだ瞬間なんだよ。タイミングが今なのは、この計画を思いついたのが今だから。あるいは。本当に実行するから戸惑っていたから」
話しが読めてきた仁志は苦虫をかみつぶしたような顔で、舌打ちをする。
「気分のいい話じゃない。なんか、すっげぇ性格悪いな、その犯人」
孤独になった畑中君に優しく手をさしのべて、一気に彼女との距離を縮めて自分のものにする。そういう関係にならなくても、常に自分だけが側にいれる。その状況を望んだ犯人の、ある意味非道な計画ではある。
愛しているからこそ、彼女の孤独を望んだ。
「けど、それほど強い愛だったんだろうね」
犯人としてはどうしてもこの計画を成功させたい。だからこそ、畑中君が苦しんでるのを見るのも辛いだろうが、それでも計画を続けている。身勝手ととることが普通だ。ただ私は、一途だと思う。
「まあ、恐らく事件の真相はこんなものだよ。今回はたぶん張り込みでもすれば、犯人の特定は難しくない。私一人でできる」
「じゃあ、俺は何もしなくて良いんだな」
「まあ、かなりデリケートな話しだしね。男子禁制だよ」
仁志としてもあまりこの事件に関わりたくなかったのだろう、どこか表情がほっとしている。犯人のことを理解してやりなさいとは、流石に言えない。どんなことがあろうと、やっていいことと悪いことがある。
「じゃあ、帰るか」
黒板に書いていた五つの項目と、ハートマークを消していく。すると黒板には最初に書いた“Lost Love Letter”の文字だけが残った。それをまじまじと見つめ、その下にまた新しい英文を書いてみる。
「おい、帰ろうぜ」
せっかちな後輩が鞄を持って急かしてくるので、分かった分かったと答えながら書いたばかりのその英文をすぐさま消した。
“A Little Laughable Love”(少しおかしな愛)
……かなり受験生としての自覚が足りなかった。今日から英語の勉強時間を増やした方が良いな。あまりにも、単語も文法も無茶苦茶だ。反省反省。
ただ一つ付け加えるなら、この事件にはこの英文がよく似合う。
次回で最終回です。
謎はまだ残ってますよ。