悪意は伝染する。
「ウルバラ様があんなことをされていただなんて、信じられないわ……」
少し前まで、ウルバラの噂と言えば“兵に連れて行かれたところを見た”だけであった。
「本当に。ましてや処刑だなんて。でもやったことを考えると当然なのかしら」
その理由については憶測が飛んでいたが、つい先程テレビやラジオで処刑が決まった旨、また過去の行動について詳細が明かされたのだ。
それをたまたま一緒にテレビで見ていたウラとハミルだは、驚愕のあまり言葉も出なかった。
「…………」
家に押しかける者はいない。
しかし、ハミルダが買い物に出かければ、こういった話が耳に入ってこないわけがなかった。今や皆の興味はウルバラにある。
あの戦争で、鬼神の如き働きを見せて国を救った英雄が、地に落ちてしまった話――そしてこれを、誰ひとりとして“悪意”であると認識せずに噂している。
ハミルだは虫唾が走った。しかし、その想いを必死に胸の内にしまい、大きくため息をついた。
「早く……帰らないと。ウラちゃんが待ってるわ」
買い物袋を抱えなおし、家へと向かう。
最近ではほとんど住み込みで働いていた。ウルバラがいなくなって、家に一人で閉じこもっているウラに同情しているのだ。しかしこのような状況になり、ハミルダの両親は家に戻ってきて欲しいと思っていた。
事実、ウラはハミルダがいなければ保護舎に預けられるだけで、生活ができなくなるわけではないのだ。ところが、ウラ自身が住み慣れたこの場所を離れるのを良しとしなかった。
「…………」
そしてその気持は、ハミルダには痛いほど分かったのだ。
たとえ二人が永久を約束した間柄でないにしろ、何かしらの強い思いで結ばれているなど考えずともわかった。お互い、無意識に相手を思っているのが見ていてわかるのだ。
自分が間に入るなどとうの昔に諦めたし、今はただ二人の幸せを願っていた。そのつもりだった。
しかし――実際にはそううまく物事が運ばなかったのだ。
「どうして……こんなことに……」
あふれる涙が抑えきれない。
「ウルバラ様……」
家に着くまでになんとか涙を止めなくてはと思うも、涙は止まることもなく永遠と出続けるかのように思われた。
+ + + + +
「よお、久しぶりだなあ」
学校から帰って、ウラは真っ先にハミルダへ「学校を辞めた」と言った。少し悲しそうな表情を浮かべたものの、ハミルダはゆっくり頷くと「今日は早めにご飯を食べましょう」と言って買い物に出て行ったのだ。
その数十分後。
「…………」
ウラは一人の魔族に捕らえられていた。ハムナだ。
「……誰」
「あん? この間も来てやっただろうが。つーか……なんだよ。その顔は本当に覚えてねぇやつだな」
ハムナは不満気に顔を歪める。
何故かそれが悲しんでいるように見えて、ウラは心臓が握りつぶされたような感覚におちいった。
「なあ、外を見たか? 凄いことになってるぜ?」
この一言で、ウラは気づいた。
全ての騒動を引き落としたのが、目の前にいる魔族なのだと。
「あなたがお父さんの事を――……」
「お父さんだあ?」
ハムナの顔が不機嫌そうに歪む。それは怒りと悲しみと、そして嫉妬。どれとでも言える複雑な表情で、当の本人ですらどんな感情であるかを理解していなかった。
「お前なあ。まさかとは思うが、マジで俺のこと忘れてんのか。ちっとも思い出さねぇってか? え?」
「あなたなんか、知らない」
震えながらも、よく通る声でそう言う。
ハムナはピクリと目の下を震わせると、小さく「ほう」とつぶやいた。
「ウルバラが“お父さん”だ? よく言うぜ。俺はお前を母親から守ってやったってのによ。逆に問うが、ウルバラの野郎はお前に何をしてやったって言うんだ? お前の首の骨を折って、肉を食い、血をすすった天人族とも思えぬ所業をしたあいつが、一体お前に何をしてやったんだよ」
その言葉に、ウラは目を細める。
「嘘ばかり」
信じられなかった。
「嘘言わないでよ」
そんな“魔族”のようなことをするなど、ウラには到底信じられなかった。
しかし、ウラの怯えたような表情に、ハムナはニヤリと笑う。
「嘘? んなわけあるか。娘に嘘ついてどうすんだよ。それに前にも言ったな? あいつに騙されるな、心を許すなって」
「やめてよ……」
「現にどうだ? あいつは今、お前を助けに来ないぜ?」
次々と飛び出す耳を疑う話に、ウラの呼吸が荒くなっていく。
「娘……また……前にも……あなた自分のことを私の“父親”だって――」
「そうだ。お前の親父だって言っただろう? 改めて言うが娘ってのはお前のことだよ、カムナ」
ウラの喉元まで何かが上がってくる。
いつも、ウルバラが自分を呼ぶ名前。
「まだ思い出してねぇのか? お前に俺が名をやったことを。俺の名はハムナ。魔族はその子に、自らの名と一文字変えた名をつける」
「嘘……」
「まあ、しかし今じゃそんな“愛情深い”名付けするやつなんていねぇんだぜ? 魔族だからな。家族の情なんかねぇんだ。ならなぜ俺がお前にそんな“愛情深い”名付けをしたか?」
「……嘘ばっかり……」
「それはなあ、カムナ」
ハムなの顔がゆがむ。
「あの女がお前を産み落とした瞬間、俺の中に妙な感情が湧いたせいだ。自分でもなぜこうも執着しているのかわからねぇ。だがお前を失うのが惜しいと感じるんだ。不思議だな? なんでだろうな? 俺は――」
「やめて――」
「どうしようもなく」
「こないで……!」
「お前が欲しいんだ、カムナ」
ハムナはウラを抱きしめ、その首元に牙を突き立てた。
「うあっ……! やっ……いやっ……!!」
どくりとウラの心臓が音を立てる。
「やめっ……て……!」
ウラの脳が揺れる。
「カムナ」
血がたぎる。
「いやぁあああ!!」
ぐったりと力が抜け、崩れ落ちそうになる。それをハムナは酷く愛おしそうに抱え直し、その首筋へと鼻を埋めた。
「ああ……」
「…………」
「そうだ、この匂いだ。あの時と同じ――」
焦点の定まらない目。
しかしそれがようやく力を取り戻す。
「……お父さん」
「おはよう、カムナ」
カムナの目覚めだった。
「…………」
しかし、その目からは止めどなく涙があふれている。
「どうして……こんなことを……」
「どうして? 酷いのはあっちだろ? 人の娘を奪って殺した。あげくに肉を食い、血を飲み、骨をしゃぶって樹の根元に埋めた」
ハムナは「反吐が出る」と吐き捨てるように言うと、カムナを抱えたままベッドへと腰掛ける。
「なあ知ってるか? 本来、魔族ってのは天人族に捕まったら“何も手を加えず樹の根元に埋める”のが掟なのさ」
「……?」
一体何が言いたいのかわからなかった。
だがハムナが酷く楽しそうにしているのを見て、カムナはどうしようもない不安を感じる。
「ウルバラはそれを守らなかった。それがどういうことかわかるか?」
「何を言っているの……」
「ウルバラは禁忌を破ったんだよ。天人族でありながら、最もしてはいけないことをした。魔族より下劣な行いをだ。そんな奴が国の中枢で民を騙して働いてるたあ、おかしな話だぜ」
クスクスと笑うハムナ。
「……全部あなたが仕向けたの?」
「仕向けた? おいおい、人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ。俺はただ、情報を欲しがっていた奴に情報を与えただけだ。俺は何もしてねぇ」
「あなたが……! ウルバラを、陥れたの……!?」
「陥れた? 情報を与えたら勝手に勘ぐって破滅していっただけだろ」
「よくもそんなことを……!!」
喉が切れて血が出そうなほど叫ぶ。
ハムナは今にも大笑いしそうなほど顔を歪めると、興奮で大量の魔力を放出する。
「ああ、そう言えば天人族のジジィに化けて民にウルバラのネタばらしをしてやれって伝えたな。あれは“何もしてない”には入らないか? まあ、今更遅ぇけど」
「――――」
殺してやると思った。
まさにその時だ。
「ウラちゃん、だいじょう――誰……?」
部屋の戸が開き、呆然としたハミルダが立っている。
ハムナは一瞬不思議そうに首を捻るも、すぐに目を見開くと手を打った。
「……お? おお~、お前! その魂、俺の元嫁じゃねぇか。すげぇ偶然」
「嫁? 誰? なんなの……?」
困惑するハミルダ。しかし、カムナだけは血の気が引くほど驚いていた。
まさか、今まで自分に尽くしてくれていたハミルダが、あの時自分を虫けらと同じ扱いをした“母親”だったなんて――そう思わずにはいられない。
「ははあ。こっちは完全に記憶を失ってるわけだ。まあ、興味ねぇからいいけど」
ハムナは鼻で笑うと、カムナを抱え直した。
「カムナ、俺と行こう。俺はお前を迎えに来たんだ」
声もなく涙を流すカムナ。
その目には、誰も映っていなかった。
+ + + + +
「なんだこの氣は」
ハムナが抑えきれず魔力を放出した時、天上会議を開いていた七大天人族は一瞬にして最悪の事態を察知した。
それが懐かしい気配であると気づいたからだ。
「まさか……」
「だがそんなはずは……どうして“魔王”の氣がここにある!」
膨れ上がっていく魔の気配。
それは一瞬にして天界の半分を消し去るに十分なほどで、さらに言えばそれが本気ではないことも予想できた。
「どうすれば……」
誰がつぶやいたか、ぽつりと小さく響く。
しかし、誰もその問に答えるものはいなかった。
+ + + + +
「ちょっとちょっと、腐ってる場合じゃないでしょ」
その声に目を開けたウルバラは、一瞬にして思考が停止した。
「…………」
「あれ、どうしたんです? ボウッとして」
「誰だお前は」
目の前にいたのは、クルタラであった。
ウルバラは「何故ここに子供が」と思いつつ、誰かが連れてきたのかと牢獄の中を見渡す。しかしそこには誰の姿もなく、ウルバラは眉間に深いシワを寄せざるをえなかった。
「ここで何をしてる」
「ああ、この格好だとわかりませんか。先輩ならわかると思いましたが」
「……セミセミか?」
僅かに感じた気配にそう言えば、クルタラは「ご名答!」と嬉しそうに笑った。
「先輩、俺ね、ちょっとヘマしまして」
「ほう?」
「死にました」
今にもため息を尽きそうだったウルバラの表情が凍る。
「いや~でも最後の情けってあるんですね。クラスの生徒の体をちょっとかりましてね。腐ってる先輩に説教しに来たってわけです。ある意味ここは安全だから」
「どういうことだ」
「手短に言えば、魔族が攻め入ってきました。この中まで」
「そうじゃない、なんで死んだ」
「それを話している暇はないです」
大人びた表情をするクルタラ。
それが“本当に魂はセミセミである”と言っている。
「もう時間がない。あと少ししかこの中にいられません。先輩、腐ってる場合じゃないですよ。なぜか魔王が――ハムナが俺の目の前に現れた。俺を殺したのはあいつです。あれは何かを狙っている。そして今、それを倒せるのは先輩だけだ」
「……見てわからないか?」
「牢屋にいるだけでしょう? こんな檻、先輩なら片手で開けられるでしょうに」
「俺にそれをやれと?」
「先輩、なんのためにウラちゃんを迎え入れたんですか? そのウラちゃんが、今ピンチを迎えているとしても、あなたはここから出ない気ですか」
その問に、ウルバラは顔をしかめた。
「なんでここまで来て良い子になるんだろうな、この人は。あなたのウラちゃんに対する思いってその程度でしたか。血を飲み、肉を食い……でしたっけ? 国中の噂になってますよ。恐ろしい~」
冗談めかして肩をすくめる。
しかし、ウルバラには怒る気力もなかった。
「純愛通り越して狂愛ってやつですね。なのに、こうも簡単に諦めるとは」
「……諦めたわけじゃ――」
「ではなぜ簡単に罪を認めたんですか? どうしてあがこうとしない」
ウルバラは答えない。
しばらく答えが返ってくるのを期待したものの、やがてセミセミは諦めたようにため息をついた。
「しょうがないなあ。じゃあ取っておきの情報――」
そう言って笑みを浮かべたセミセミの表情は、天人族とは思えないほど凶悪な表情であった。