失墜。
「ウラ。今日は学校を休んではいかがですか。昨日もあんなことがあったばかりですし……私も今日は仕事を休んで側にいます」
ウラは心配そうにそう言うウルバラを安心させるように笑う。
昨日、魔族が来た件は即座に軍へと伝えられた。ホーリーホールと呼ばれる魔族を遠のける障壁が一部壊されていたのが発見されたが、それもあの“魔王ハムナ”の仕業であると分かった途端、“仕方ないか”という空気と“警備を強化せねば”という空気が辺りを満たした。
そしてウルバラはあの接触が“カムナ”出会った頃の記憶を呼び覚ましたのではと少し期待したが、ウラの様子が変わらないのを見て少しばかり落胆した。
「学校、行く。同い年の子の中でも遊ばないと。知識バカになっちゃうから」
「! 誰がそれを言ったのです」
天人族とは思えぬほど凶悪な表情になるウルバラを見て、ウラは苦笑した。
「んもー……そろそろ子供離れしないと。私に反抗期が来たら大変だね?」
「……え」
ショックを受けたような表情になるウルバラ。
少し言い過ぎたかなと思いつつも、ウラはゆるく手をふって家を後にした。
一体どうすれば周囲の子と馴染めるのだろうと考えながら通学路を歩いていると、目の前から一人の男の子がやってくるのが見えた。よく見ればそれはウラと同じクラスのクルタラである。
真っ赤な顔でウラを見つめ、その表情は面白いほどにくるくると変わる。
「おはよ」
「お、おは、よう……」
挨拶をすれば、ボソボソと挨拶が返ってくる。
その後は特に何も言わないので、ウラはしばらく考えた後、困惑気味につぶやいた。
「あの、遅刻しちゃうから行くね? キミも、誰か待ってるのかもしれないけど、早く学校行ったほうが良いよ」
それだけ言ってクルタラの横をすり抜けようとした瞬間、ぐいと腕を引っ張られてつんのめる。
「あっ……ご、ごめん」
「ううん。大丈夫。何かあった?」
クルタラの握る手は、少し力が強すぎた。ギリギリと鈍い痛みを伝えてくるそれに、ウラは困惑する。
「あ、あの……あの……」
「う、うん?」
「い、い~……い、一緒、に……一緒に、学校、行こうぜ……」
もはや“真っ赤”では済まないほど顔が赤い。
さすがのウラも、「ああ、好意を寄せてくれているのか」と気づいた。しかし一体何故そんなことになったのか全く想像がつかず、困惑気味に首を傾げるとゆっくり頷いた。
「うん、いいよ」
「本当か!」
まだ少し顔が赤いまま、クルタラの表情が明るくなる。
それがなんとなく可愛いと思い、ウラは少しだけ笑った。
「!」
しかし、それがよくなかった。
クルタラの表情は再び固くなる。
ところがクルタラも男である。勇気を振り絞ると、ウラの手を握り返して精一杯の笑みを浮かべてこう言った。
「お前、ウラ。笑ってる方が可愛いんだから、いつも笑ってろ!」
それがあまりにも必死そうに見え、ウラはまた再び笑う。
クルタラとウラの関係が、少しだけ前進した。
+ + + + +
「……これが事実だとすれば、あの者を放っておくわけには行かぬな」
七大天人族。
天界の全てを司り、法を守り、国を、民を守る存在。
「だから私が言ったのだ! あの者を追放する他ないと……!」
第四天人の怒りを抑えきれぬ怒号が響く。
何故このように荒れているのか。
それはたった一枚の報告書から始まった。
第四天人の元にもたらされたそれは、過去ずっと懸念していたことを事実であると断定する書類であった。
「だが、まだ事実かわからぬぞ。そもそもこの情報源がわからぬ。目撃者とは誰のことだ?」
「ここまで証拠が揃っておきながら、まだ言うか!」
押しつぶされそうな空気に、誰しもが顔を歪めるのを隠し切れない。
「……残念だが、事実であれば……もはや庇い立てできぬな」
この一言で、全てが決定した。
「ウルバラを、魔族処理法違反容疑で拘束せよ」
小さな声。
しかし、この場にいる誰も聴き逃しはしなかった。
+ + + + +
「あっ……! ウラちゃん!」
ウラが学校から帰ってきた時、家の前を忙しくうろつく影があった。
それはウラを見つけると駆け寄ってきて、あっという間にウラを抱きしめる。
「ハミルダさん?」
ハミルダ。一次はウルバラに好意を寄せていた者だ。彼女はウルバラに宣言したとおり、ウラの良き相談役となっていた。
特定の伴侶を持たないのにこうしたことをすることに対し、家族は強く言えないまでも“ウルバラと結婚して欲しい”と思っている。しかし、それはハミルダの望むところではなかった。
ウルバラがウラしか見えていないと気づいていたからだ。
ハミルダがウルバラに抱いていた恋心は、今はもうない。しかし、ハミルダにとってウラは大事な存在となっている。何故ここまでしてしまうのかわからないが、魂がウラの存在を求めていると感じるのだ。
「どうしたんですか、ハミルダさん」
「ウラちゃん、あの……」
言いづらそうに、ハミルダが視線を彷徨わせる。
これだけで、ウラは最悪の事態が起こったのだと気づいた。
「……お父さんに、何かあったんですか」
ハミルダが動揺するなどウルバラのことくらいだとあたりをつける。
そしてそれが当たっていたと知るのにそう時間はかからず、心臓が握りしめられたような感覚を味わう。
「何が……」
「…………」
「ハミルダさん」
「しばらく、帰ってくるのが難しいみたい。その間、私がご飯とかお掃除とかやるからね?」
引きつった笑顔でそれだけ言う。
自分が子供扱いされているのだと知り、ウラの中にどうしようもない怒りが湧いてきた。
「ハミルダさん、何歳?」
「え?」
ウラの表情がいつにもまして険しいのに、ハミルダは僅かに動揺する。
「二十四歳だよね」
「え、ええ……そうだけど……」
「私、もう三十だよ。ハミルダさんより年上。だから、ハミルダさんが思ってるほど子供じゃない」
口をついて出た言葉に目を見開いたのは、ハミルダだけではなかった。
ウラも限界まで目を見開き、今自分がなにを言ったのかわからないでいた。
「…………」
「…………」
時が止まる。
その時を動かしたのは、ハミルダであった。
「……ウラちゃん、たぶん、それは黙っていた方が良い」
ウラはゆっくり頷く。
この時、ハミルダは迷った。自分が今知り、想像した恐ろしい出来事を父に、軍に、そして国に伝えるかをだ。
まだはっきりとしたことはハミルダには何も分からない。
しかし、ウラ自身も驚いていたところから察するに、ウラが前世の記憶を思い出したのだと気づいたのだ。これがどれほど厄介なことか、ハミルダは良く知っている。
特に生まれたのが“魔族の色”を持っているとなれば、その前世は十中八九魔族である。
「…………」
― 以前の功績をたたえて、今回厄介な赤子をウルバラに預けた ―
魔族が天使の色を宿した赤子になって天界へ攻めてきたとされる事件は、皆の記憶に新しい。
そして恐らくその赤子が、このウラであるということは皆気づいていた。
しかしセフィロトの樹で魂を浄化された――ということで、皆違和感を覚えつつも、問題を起こさないウラを静観しているのだ。
それがもし、魔族であった時の記憶を持っていたとしたら――もしくは、持っていないにしても思い出しつつあったとしたら――……
「絶対に、黙っていた方が良い。だってウルバラ様は、そのことで国に捕らえられたのですもの」
ハミルダは、この時自分の身を賭してウラと、そしてウラを愛するウルバラを守ろうと決意した。
この母性にも似た感情が何なのか、ハミルダにはわからない。