魔族、ハムナ。
「……やっぱりだな。転生したか」
魔族の頂点に、ハムナという者がいた。
以前、婚姻関係にいた女の首を自らはね、娘を天人族に奪われて殺された男だ。
あれほど執着していた女の首をはねた理由を問うた側近は、真実を知る代わりに命を奪われた。
また跡継ぎを安々と天人族に奪われて殺されたと影で言ったものは、長年の親交があった友ですら皮をはぎ、骨を抜き、その者の家の軒先に切り裂いた肉を吊るした。
それ以来、魔族の間でも残酷な男として知られている。元々はただの兵卒であったが、実力主義の魔族のことだ。苛立ちの勢いで当時の魔王を殺したハムナは、もう長く新時代の魔王として座についている。
「転生? 誰がでございますか?」
主のつぶやきを拾った大臣。これはハムナが直々に指名して選び出した男だ。非常に有能で無駄口を叩かず、かと言って腰巾着にならずに意見を言うところが気に入っていた。
しかし、その男の質問にハムナは答えない。
代わりに勢い良く席を立ち上がると、久しく見せていなかった笑顔で大臣を見つめた。
「娘を迎えに行ってくる」
感情があまり動かないとされている大臣。大臣という地位にありながら、またスラっとした細身でありながら、戦では先人を切って敵陣に切り込んでいく猛者でもある。そんな彼も、さすがに一瞬だけ頭の回転が止まった。
脳がようやく機能を再開するころには、すでにハムナは背丈以上もある窓を開け放って今にも飛びたたんと翼をひろげているところだった。
「失礼を承知でお聞きしますが、跡継ぎは以前お亡くなりになったと――あっ! ハムナ様! どちらまで行かれるのですか……!」
ハムナは止まらない。
戦場では誰よりも早く飛び、誰よりも早く駆け抜ける。その勢いはそこにいる全てを壊し尽くすまで止まらない。
そして今、ハムナは戦場にいる時と同じ目をしていた。ギラギラとした目で、ただ一方を見つめている。
その視線の先は――天界。
+ + + + +
「お帰りなさい、カムナ」
ウラが学校から帰ってくると、仕事を早く終えたウルバラが庭の草木に水を与えているところだった。
庭には季節の花や木々が植えられている。これはウルバラがウラの目を楽しませるために、また実のなる時期にはその実を楽しむために植えたものだった。
ウラは声をかけてきたウルバラをチラリと見ると、すぐに視線を外して「ただいま」とつぶやく。このタンパクすぎる反応をウルバラが気にしないわけがなかった。
「何があったのですか」
「……うーん、ちょっと色々」
ウルバラは、ここまで落ち込んだウラを見るのは初めてだった。
そしてそんな時にどうしたら良いのかわからず、ただ呆然と立ち尽くしたままウラが家の中へと消えてくのを見送ってしまった。
「…………」
まずやったのは電話だ。
すぐさま電話機を取り出して学校へ電話をかけると、ウラの担当教師を呼び出す。そして中継ぎから変わって担当教師が電話を取った瞬間、ウルバラは低い声でただ一言つぶやいた。
「何があったか簡潔に言え」
「いや~、そろそろ先輩から電話がかかってくるんじゃないかなって、電話の前で待機してました」
「無駄口を叩くな。結論だけ簡潔に言えと叩き込んだのを忘れたのか、セミセミ」
実はこのセミセミと呼ばれたウラの担当教師、ウルバラとはまだ天界が魔界と大きな戦を行っていた時の上司と部下にあたる関係だ。
一軍を率いていたウルバラは、数多くの戦士から羨望の眼差しでみられていた。最初だけは。
というのも、恐ろしく機械的に事をこなす。そして戦いや勉学の天才であるから、ウルバラには凡才の者と自分の能力の違いがわからなかったのだ。
端的に言えば、訓練がきつすぎるせいで別の部隊へ移動することを希望する者が続出した。
「まあまあ、落ち着いて下さいよ先輩」
その中でも数名が残ったのだが、そのうちの一人がウラの担当教師をしているセミセミというわけだ。
また戦が終わった後にも軍部へ残った者は今でも現役の軍人をしており、かなり上の地位まで上り詰めるほどだ。周囲の者は今の軍上層部がありえない強さになっているのはウルバラのしごきのおかげだと思っているが、あのしごきを乗り越えるくらいなら一兵卒で甘んじるか、それ以外の仕事をした方がまだマシだと言われるほどである。
「切るぞ」
「え、待って下さい! 言いますから!」
ところで、この“切るぞ”には二つの意味がある。
一つは物理的に通話を終了するということ、二つ目は「お前とこうして話していても埒が明かないから現場に行って体に聞く」ということだ。
軍人時代からそれをよく知っていたセミセミは、なんとか通話だけで状況を伝えるべくとりなした。
「結論から言いますと、先輩のせいでウラちゃんが子供らしくない子になってしまい、同年代のこの中で浮いてしまっているってとこですね。それが原因でイジメではないですが疎外感を感じているようです」
「…………」
この一言は、鋼の心を持っていると言われるウルバラを酷く傷つけた。
どれほど傷つけたかといえば、すぐに反応できず、無言になってしまったくらいにだ。
そしていつも即答で何か言葉が返ってくるはずのウルバラが黙りこんだのを聞いて、セミセミは非常に面白いことになってきたと今にも笑い出しそうであった。
「ウラちゃんは今までそれに気づいていませんでしたが、今日ちょっとしたきっかけでそれに気づいたようで。酷くショックを受けているようですよ」
「……そうか」
「だからね、先輩。俺は思うんですよ。ウラちゃんには同性の親が――」
「切る」
その一言だけ伝えると、ウルバラは今度こそ電話を切った。
+ + + + +
「……子供らしくない、か」
夜。
食事はあまり喉を通らなかった。ウラは気づいていた。心配そうな目でウルバラが見ていることに。ただ考えないといけないことが多いせいでどうしてもボウっとしてしまう。
そして今日は早めに寝ることにして、さっさと自分の部屋へと引き上げたのだ。
「子供らしいってなんだろう……」
ウラは「確かに自分は周囲の“子供”より大人しい」と思っていた。
でもそれはウルバラが静かに過ごすのを邪魔したくないので、大人しく本を読んでいるうちに「一人でおとなしく本を読むのは楽しい」と思い始めたからだ。本を読んでいれば必然的に無口になる。
そして知識がたまればたまるほど、周りの大人はウラだけではなくウルバラも褒めてくれた。「ウラの出来が良いのはウルバラの教育が良いからだ」と。それが嬉しかったのだ。
「…………」
手を目の前に掲げる。
「……なんか、変だ」
ウルバラにも話していない“違和感”。
物心ついた頃から、自分の手、体、とにかく全てに違和感を覚えた。まるで自分が何かに取り付いているような、サイズがあっていないような、そんな不思議な気持ち。
「私は何なんだろう……本当に、天人族じゃないのかな……周りの人が言うみたいに、魂の穢を落としきれなかった魔族なのかな……」
そのことについては、もうずっと周囲の大人が囁いているのを聞いていた。でも一度も傷つくことはなく、ただ単に「そうなんだ」と思っているだけだった。
しかし、それによってウルバラから微かに怒気が溢れているのに気づいた時、ウラは初めて自分の存在がウルバラを怒らせる要因の一つであると自覚したのだ。
その時、ウラは初めて傷ついた。
「私は……魔族、なのかな……」
「“元”な」
突然聞こえた声。
跳ねるようにしてベッドから起き上がり、声の方から遠ざかるように逃げる。
そしてそのまま声の方を見れば、ウラと同じ色を持った何者かが窓辺に腰掛けていた。ハムナだ。
しかしウラにはこれが誰なのか分からない。
「……誰」
「お前の“親父”だよ、カムナ」
ドクリと胸の奥が鳴る。
「…………」
その名前はウラしか知らないはずだと思うのに、なぜか酷く懐かしい気がする。
「ん? なんだ、忘れているのか」
「なに……」
「全く。天人族は魂の記憶を消しちまうから質が悪ぃ」
ハムナはそう言いながら、音もなく室内へ滑りこむ。
「来ないで」
「お? 一端の天人族らしい反応じゃねぇか。魔族の娘が聞いて呆れる」
ウラの翼の羽が逆立つ。
ネットリとした空気がウラの周囲にまとわりつくような感覚。思わずウラが腕を擦れば、ハムナはニヤリと口角を上げて床に座り込んだ。
「いいぜ? これ以上は近づかねぇよ」
「…………」
ウラには聞きたいことが山ほどあった。しかし、口を開くことができない。
「会えて嬉しいぜ、我が娘よ」
「……私のお父さんは……“ウルバラ”……あなたなんて知らない……」
「ふーん?」
楽しそうに笑うハムナ。
常であれば魔族など嫌悪感の塊だというのに、ウラには何故か“懐かしい”という気持ちが湧いていた。
そしてそれが、どうしようもなくウラを混乱させる。
「今日は顔を見に来ただけだ。なんせ準備もせずに来ちまったからな。そろそろ結界が壊れる」
ハムナが顎をしゃくってドアを示す。
ウラが一瞬だけその方を見れば、ドアが微かに一定の感覚で歪んでいるのが見えた。
「どんな馬鹿力だアイツ。さすが俺の国を半壊させただけはあるぜ。全くもって鬱陶しい」
「……馬鹿力? なんのこと……というか、お父さんを知っているの?」
「知っている? そんなもんじゃねぇ。アイツは俺からお前を奪った男だ。忘れたくても忘れられるか」
「なに……どういう……」
怯えるウラの顔を見ていると、ふと、ハムナに名案が浮かんだ。
「なあ、カムナ。良いことを教えてやる」
ハムナの口角がゆっくり上がる。
「お前を殺したのはウルバラだよ、カムナ」
「――――」
部屋のドアがはじけ飛ぶのと、ハムナが窓の外へ飛び出していくのはほぼ同時であった。
「いいか、ウルバラに騙されるんじゃねぇぞ。ウルバラに心を許すんじゃねぇぞ。わかったな? 少し待っていろ。俺が助けてやるよ」
去り際、ハムナは確かにこう言った。
そしてその言葉はウラの耳元で囁かれたため、ウルバラがこの言葉を拾うことはなかった。