魔族の色を持つ天使の生誕。
「これは……」
深い森の中。
淡い光を放つ星蟲が、まるで星空のように辺りを埋め尽くしている。
木々は深く生い茂り、空の太陽は見えない。それでも辺りを舞う星蟲の光で、辺りは歩き回るのに十分な光があった。
「なんということだ……」
一人の天人族が、セフィロトの樹に生誕反応を認め、その巨大な木の前に立っている。幹はは一周するのに数十分掛かりそうなほど大きく、あたりの木々もこの巨木ほどではないが非常に大きかった。
地面を覆う苔やキノコは全体的に青緑で統一され、ともすれば青緑色の世界に入りこんだような気にさえなる。大声で話すことがはばかられるような、神聖で不思議な空間であった。
しかし、今その神聖な場所に異なる物質が現れた。
「こんな色は……こんな色はありえない……」
この世界で一番大きな樹――セフィロトの樹の番をしている天人族が、呆然として樹の根元を見つめている。その視線の先には、真っ黒な髪の色をした赤子が葉にくるまれて眠っていた。
「一体何故」
セフィロトの樹。
ここは天人族が生まれてくる場所。ここから生まれる天人族は、例外なく金か白か銀の髪を持っているはず。
しかし、その根本から誕生したのは、魔族の色を宿した黒髪の少女だったのだ。
+ + + + +
「これは由々しき事態ですなあ」
円卓を囲み、年老いた七人の天人族たちが皆沈んだ様子で宙を見つめていた。
重厚な作りの室内が、厳かな雰囲気に拍車をかける。大量の蝋燭で照らされた室内は、炎が明るい色合いを醸し出しているにもかかわらずひんやりとしていた。
「まさかこんな自体になるとは誰が想像しただろう」
頭を抱える者もいれば、部屋中に置かれた蝋燭の火が揺れるのを、ただじっと見つめる者もいる。
誰しもが今にもため息を尽きそうな中、一人の天人族がそっと立ち上がった。
それはウルバラと言う名の七大天人族に仕える者。元々は天人軍の軍曹であったが、“天地を揺るがす大事件”を未然に防いだとして少尉の地位まで駆け上がったのだ。
それが何故七大天人族の会議に出席しているかと言えば、地道な努力が認められ、軍人ではなく秘書として七大天人族に仕えるよう召されたからだ。
「いやはや……これは天界始まって以来の大きな事件の一つになりうるな」
ウルバラは音も立てずに自らが仕える七大天人族へ近づいた。
そして主のもとへ行くと、静かに耳打ちする。
「我が主、第七天人様への発言の許可を」
「よろしい」
静かに返した自らの主に、ウルバラはさらに近づいた。そしてその耳元で声を潜めてつぶやく。
「その新たに生まれた髪が黒いという天人族ですが、試しに様子を見て育ててみるのはいかがでしょうか。セフィロトの樹から生まれたのであれば、天人族であることは疑いようもない。以前のように……忌々しい“天人族を模した魔族”である可能性は低いでしょう」
第七天人は忠実な僕であるウルバラに絶対の信頼をおいていた。そしてウルバラのこの提案はまさに皆が心の底で思っていることで、もはやそれ以外に選択肢はないだろうと思えることであった。
しかし、それでも第七天人はウルバラに真意を問うためこう言った。
「ウルバラよ、今何が懸念されているかわかるか?」
感情のない声で問う。
それに対し、ウルバラも同じく感情のない声、そして目でもって第七天人に答える。
「その者が魔族の色を持っているため、民たちに“あの時のこと”を連想させてしまう可能性です。悪意や疑念は罪となりますので」
そして第七天人はこのウルバラの答えに満足した。
ウルバラが答えたことは当たり前のことではあるが、正しく皆が懸念していることであったからだ。第七天人はウルバラに信頼を置いているので、ウルバラがこの答えにすぐ思い至るだろうとは思っていたが、ウルバラがまだ言葉を続けたそうにしているのに気づいて続きを促す。
「偏見を持たず、平等に見られる者に世話を任せるべきです。また誘惑に強く、子としての情を抱いたとしても――……それが仮に“悪”であると分かった時には断罪できる者を」
「セフィロトの樹から生まれてくる者は皆の子であり、それを最初に得るものは実の子として育てる。果たして自らの子を殺めることができる者が、天人族の中にいるだろうか?」
第七天人の声もウルバラの声も決して小さくはない。
やり取りは控えめではあったが目立っていたため、今や部屋にいる全ての七大天人族と、そのすぐ後ろに控える十四名の側仕えたちが第七天人とウルバラのやり取りに注目していた。
「話が主よ、私に再びチャンスをお与え下さい。あの時、私が失敗をした際に下さったチャンスを今一度」
七大天人族はいつでも二人の側仕えを率いている。その者たちは空気のように仕えながらも、発言権がないわけではないのだ。だからこのウルバラのようにして会議中でも意見を言うことがあった。
しかし、ウルバラがこの場で口を開くのは非常に珍しかった。普段は自らの主を信頼し、ただ黙って影として話を聞いているのが常なのだ。
「ほう? どういう意味だ」
「あの時、私は情にほだされ、危うく天界へ魔族を巣食わせるところでした」
何の上も浮かばず、淡々と話すウルバラを見て第七天人は僅かに同情の眼差しを向ける。
「お前はまだ後悔しているのか」
「…………」
ウルバラは答えない。それを見て、第七天人はさらに同情の色を濃くした。
「もう、あの時のことは忘れなさい。もはや誰もお前を責めぬ」
天人族の色を持った魔族が、その色を持って天人族を騙し、天界へ入り天人族にその身を世話させた――
これは、当時天界でも大問題となったが、過去魔族が天界へ入ったことは一度もなかったこと、そして天人族の色を持った魔族など存在しなかったことから、ほぼ全ての七大天人族が「ウルバラがあの魔族を天人族だと思って育てていたのは仕方がない」と言った。
天界全てが騙されたのだ。ウルバラが連れて来たとはいえ、最終的に育てても良いという判断をしたのは七大天人族である。
むしろあの時に情を抱いてしまった魔族を処分したことは英雄視され、実に悲劇的な英断であったとされた。その心労を労う意味も込め、ウルバラはありえない速度で七大天人族の側仕えまでになっていた。
もちろん普段の能力の高さも評価されていたため、この任について疑問を抱くものはほぼいなかった。
「ウルバラよ」
声をかけたのは、七大天人族の一人である。通名を第四天人と言い、あの事件があった時も、終始警鐘を鳴らしていた天人族の一人であった。
「我ら七大天人族が見ても、あの赤子が天人族であることは明白である」
厳しい顔つきのまま、第四天人はウルバラを見据えた。
「だがしかし、仮にあの者が天界にとって害のある存在となりうる時、どうするつもりだ?」
「この手で、あの時の者を……処分したように――」
ウルバラが握った拳を突き出し頭を垂れる。
室内は静まり返っていた。
しかし、ウルバラの拳が、上に向けられた指が、込めた力で真っ白になっているのを誰もが気づいていた。表情は誰が見ても“無”であった。だが、その場にいる誰もが、そこから言いようのない“怒り”と“後悔”の念を感じ取り閉口した。
この者は未だに過去にとらわれているのだと気づいたからだ。未だに、あの時のことを後悔していると。
「まあまあ。良いではないか、第四天人殿。この通りウルバラは未だにあの時のことを悔いておる。休みを与えても休まぬほどにだ。子を与えれば少しは休むようになるだろう」
笑顔を浮かべたまま、第三天人が言う。その一言を機に、皆口々に第三天人へ賛同した。
「そうだな。それにウルバラが体調を崩して長く休まれてしまうと、困るのではないか? 誰もあの仕事量は補えまいよ」
「ああ、そうだとも。であれば最初から小まめに休むのがよいさ。それに伴侶がおらぬからな。子を持てば少しはマシになるのではないか? 何がとは言わぬが――少しはそのムッスリした顔に笑顔でも浮かべてみるといい」
誰かが茶化した途端、部屋は一気に和んだムードへと変わった。口々にウルバラがいかに無愛想かを冗談交じりに語り、時折声を出して笑う。先程まで薄ら寒かった室内は、少しだけ見た目通りの温度を取り戻したようだ。
ただ、ウルバラだけは、自分が渦中の人物となっているその時ですらただ黙っていた。
「――では、彼の者はウルバラの子として承認を。異論のない者は手を」
第七天人の声に六名が手を上げ、第四天人が残る。
「……はあ。やれやれ、第四天人殿は心配症だ」
「だが前例がある。慎重になるのは当然のこと」
「第四天人殿、今回は自らあの赤子が天人族であると調べたではないか」
「すでにあの赤子がなんと言われているか聞いたか? 悲しいかな、我々は疑わねばならぬ立場にある。不届きな噂をしている者よりもだ。だがしかし、その者たちよりも信じねばならぬ立場にもある」
皆、第四天人の懸念がわからないわけではなかった。
事実赤子は早くも“悪の色を落とさず生まれてしまった可哀想な子”やら“業が深いせいで前世の罪から逃れられない元魔族”と噂されているのだ。
それが周囲にとって悪影響を及ぼす可能性は十分にあるし、仮に問題が無かったとしても、あの赤子の未来はなにか特別な出来事でも起こらないかぎり生きづらくなるだろうと予想された。
「天人族とて悪意はある。そういう意見が出るのは致し方がないことだ。だからこそ、ウルバラがそれを白だと証明したらいいのではないかな?」
――この一言があり、第四天人は渋々その手を上げた。
「では、これにて会議を終了する。ウルバラは書類の手続きをするため、只今を持って本日の業務を終了とせよ」
第七天人は、ウルバラがもうずっとあの日から休まずに働き続けているのを知っていた。
その目は慈愛に満ち、まっすぐウルバラを見ている。
「それは帰宅せよということでしょうか。お言葉ですが――」
「ウルバラよ、これは命令だ。お前は少し休みなさい。それに赤子を迎える日に仕事をしている奴があるか。ましてやお前には伴侶がいないのだから、子を育て、育った子を伴侶とすることも視野に入れていればい」
「おお、それがいい。自らの伴侶を赤子の頃から育てるなど、よくあることではないか。お前は長く独り身なのだからそうしなさい」
この話題になり、ようやくウルバラの表情が崩れた。
戸惑ったような表情に、七大天人族に仕える者たちは忍び笑いをした。決して馬鹿にしているのではなく、自分たちの主がウルバラのこの表情を見るために、わざとからかっていると気づいたからだ。
そして期待通りの表情を浮かべるウルバラは、ただ困惑したまま立ち尽くしている。
普段キビキビと機械のように動きまわるウルバラを見る者には、この光景が面白くて仕方がなかった。
「なんだ見合い話には反応せなんだに、こういうのだと照れるのかお前は」
からかうようにそう言う七大天人族を見ながら、ウルバラは小さく咳払いをするのだった。