005
本当は、当直が二人して受付から出ることは、図書委員の職務に反することなのだが。今日に限って言えば、図書館を利用する生徒も少ないし、仮に誰かが受付に来てもすぐ察知できる位置にいるので問題はないだろう。
「どうするんですか?」
先輩の背中に問いかける。この質問は流石に野暮だろうと、自分でも思う。
「もちろん」と彼女は言って、『図書どこクン』の操作パネルに指を乗せる。
先輩は調べるつもりなのだ。『アリス・アレゴリー』という本が検索できるかどうか。
「――どうでしたか?」
「はい、予想通りですね」
きっぱりと先輩は言った。
結果は、検索数ゼロ。つまり、そんな蔵書は存在しないということだ。――貸出可能の蔵書の中には。
まあ、仮にここで見つかってしまっても、拍子抜けもいいところだろう。
念の為と『アリス』というキーワードで絞って、蔵書をひとつひとつ確認したが、投書の本に類するような蔵書は見つからなかった。
「……これで、ひとつ私の仮説を裏付ける証拠ができましたね」
「そうですか? 実際、投書はただのイタズラだったって線が濃厚になってきましたよ」
では、と彼女は向きを変え歩き始めた。
今度はどこに行くのかと目で追うと、なんてことはない、彼女は受付に帰ったのだ。
先輩が席に着いたので、僕も隣の椅子に腰かける。
「特別資料庫の蔵書も調べてみましょうか」
不意に彼女は言った。
「そんなことができるんですか?」
初耳だった。
特別資料庫の存在は知っていたが、そこには図書委員である自分も簡単に立ち入ることはできない。
貴重な資料もあることから、入るには教師の許可が必要だ。
そんな場所にある蔵書を、調べることなど可能なのか。
「当然です。膨大な量の資料を管理するのに、蔵書の一覧が把握できないはずがありません」
「それはそうですが――」
僕のセリフを後目に、彼女は受付カウンターの上のパソコンを操作する。
慣れた手つきでファイルを選択する。
恐らくこれが、彼女の言う蔵書一覧のファイルなのだろう。それまではいい。僕も理解できる。
しかし、だ。
「そのファイル、開くのにパスワードが必要ですよ」
資料庫と同様、大事な情報であれば当然、生徒が簡単に触れられる訳がないのだ。
教師も愚か者ではない。こうやって大事な物には鍵を掛けておいているのだ。
「はい、開錠っと」
「ちょっ!?」
流れる様な動作だった。
あまりにもあざやか過ぎて、何が起こったのか一瞬把握できなかった。
先輩は淀みない速度で、八桁のパスワードを打ち込み、ファイルを開いたのだ。
「なんでパスワード知ってるんですか!?」
「時宮くん、得るべきものは『先生からの厚い信頼』ですよ」
教訓めいたものを言う先輩である。
実は、という程意外でもなんでもないが、先輩は教師陣からの信頼も厚いらしい。
授業態度は真面目で、成績優秀なのだから当たり前なのだが、学校の機密に関わるデータのパスワードまで入手しているとは思いもよらなかった。
後から知った話だが、これは図書委員長クラスの権限なのだそうだ。
「先生方も、信頼の結果をそんなことに使われるとは思ってなかったでしょうね」
「それより見てください」
簡単な言葉で片付けて、先輩はパソコンのモニタに視線を促す。
ディプレイに表示されているのは、蔵書の一覧だった。
「これが、特別資料庫の蔵書一覧なんですね」
「はい。これは作者ごとの並びになっていますが、タイトルで絞ることもできます」
ではさっそく、と先輩はパソコンを操作する。
キーワードは先程と同じく『アリス』である。
果たしてその結果は――。
「……ありませんね」
静かに、先輩は言った。
依頼の書物は少なくとも館内に存在しないことが判明した。
しかしながら、これといって残念そうな様子はなく、むしろ口元にはうっすらと笑みを浮かべている。
僕は一抹の不安を感じながら、
「――ということは、投書は単なるイタズラだったってことですかね」
「そうでしょうか?」
「え? だって、図書館に存在しない本を探せっていうのは、普通じゃないでしょう……?」
「確かに、普通じゃない、ですね……」
言いながら、今度は投書に目を落とす。
「ですが私は、このAさんが、単に私たちを揶揄って喜ぶような方とは思えないのです」
どうやらここで考察を打ち止めるつもりはさらさらないらしい。
むしろ嵌っている。――そんな風にも思えた。
分からない、というこの状況を極限まで楽しんでいる。
「では時宮くん、一度ここで考察の路線を変えてみましょうか」
「はあ……」
「まず、この投書をしたAさんが男子なのか女子なのか、どちらだと思いますか?」