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アリス・アレゴリー  作者: 鈴原光
第一章:幻想症候群《アリス・シンドローム》
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003

「それにしても先輩、いつも早いですね」


 何気なく打ち出す。

 先輩とのペアももう少しで二ヶ月が経とうとしているが、放課後の当直に関しては、一度たりとも彼女より早く図書棟に来た記憶がない。

 着いたころにはいつも、文庫本を読む彼女の姿がそこにあるのだ。

 言うと彼女は「ああ……」を頷いた。


「私のクラスの担任教師は、ホームルームが短い事で有名なんです」

「そうなんですか――ってそれ、前に聞いたことありましたね」


 思い出した。

 そういえば、図書委員になって間もない頃、そういう問答があったかもしれない。

 その時は、『そんな先生もいるのか』くらいにしか思わなかったが、今考え直すとそんなことで有名なのは如何なものかとも感じる。

 まあ、ごく平凡な生徒である僕からすれば退屈なホームルームなど短いにこしたことはないが。

 そんなことを考えていると、今度は彼女の方が何か思い出したようだ。


「――あ、でも。今日は私より先に誰か来ていましたね」

「先輩よりも早く、ですか?」

「はい。私がゲートを通った時、二階へ向かう女生徒の後ろ姿が見えました。……ただ、気になることがあるんです」


 御鏡先輩の表情が曇る。


「気になることとは?」

「その女生徒が、少なくとも私の同級生ではない、という点です」

「む?」


 彼女の疑問を理解するのに少し時間を要した。

 つまり、御鏡先輩はこう言いたいのだ。


「自分より図書棟に来ることができるのは、ホームルームが短いことで有名な先輩と同じクラスの人間に他ならない。しかし、彼女はそうではなかった、と?」

「そういうことです」

「彼女が同級生でないという根拠は?」

「私はホームルームが終わるとすぐ、この図書棟に向かいました。その間私を先導する、または追い抜いて行く生徒はいませんでした。あの学級の生徒で最も早く図書棟にたどり着いたのは私です。……それに、いくら後ろ姿でも同級生だったとしたら気づくはずです」

「なるほど」


 なにが『なるほど』なのかは自分も分からない。随分と適当な相槌である。

 まあ、先輩の疑問に答えるのはそう難しい話ではない。普通に考えればこうだ。


「今日に関しては先輩のクラスよりも早くホームルームを終えた学級があったんでしょうね」

「そう……だと思います」


 しかし、先輩は不服そうだ。

 なにかが引っ掛かる、そう言いたげな表情である。

 とは言え、先程の答え以外に納得できるものはないのだ。


「どの学級、あるいは教室からも、あの桜小路の通る以外の道はない。先輩を追い抜く生徒がいなかったのなら、先輩が教室を出るより後にスタートして先輩より先に図書棟にたどり着ける方法はありません」

「そうですね」

「近道があるなら話は別ですが」

「そんなものはありません」


 きっぱりと彼女は言う。一年先輩なのだからこの学院については僕よりもよく存じているはずだ。それとも、もしかしたら近道がないか探してみた経験があるのかもしれない。

 ただ、あまりに即答だったので、ちょっとむきになってみる。


「分からないですよ。例えば、学級棟の西端の非常階段からだと、木々を抜けて図書棟に行くことが出来ます。直線距離なら、桜小路を抜けるよりもずっと近いです」

「ですが、それですと図書棟の裏手に来てしまいます。そこから正面の入口にまわり込むのは、桜小路を通るよりも手間です」

「確かに」


 ぐうの音も出なかった。

 桜小路を通らず、尚且つ先輩より先に図書棟にたどり着く方法は事実上存在しないことが判明した。


「だったら、結局さっきのが答えってことになるんでしょうね」

「はい……」

「あーでも、もしかしたら……」

「もしかしたら?」

「先輩が見たのは、幽霊だったのかもしれませんね」

「幽、霊……?」


 きょとん、と先輩は瞳を丸くした。

 まさかそんな返答が来るとは想像だにしていなかったのだろう。


「あれ、先輩聞いたことありません? 『図書棟の幽霊』の噂」


 一ヶ月くらい前だろうか。

『青鳳学院の図書棟には幽霊が棲みついている』。

 密かにそのような噂話が、学院全域に広まっていた。

 図書棟に来た生徒を呪うだとか、図書館で失くした本を探し彷徨っているだとか、幽霊の存在理由については大きなばらつきがあるが。とにかく、目撃情報は結構な数が寄せられた。およそ眉唾であるのは否めないが、実際に見たという生徒が複数いるのだから、まるで絵空事ではないのかもしれない。

 まあ、図書委員となっておよそ二ヶ月の僕がお目に掛かっていない時点で、その情報が疑わしいという点ははっきりしているのだが。


「いえ、私も聞いたことがあります、その噂。変な噂で図書棟がこれ以上過疎化したらどうしようと思っていました」

「実際は面白半分に図書棟に来る生徒もいたみたいですが」

「興味深い話ではありますが、私が見たものが幽霊ではないということは確実です」

「と、いいますと?」

「確か噂では、図書棟に出るのは『幼い少女の幽霊』でしたよね?」


 その通りである。

 学院に蔓延はびこる噂の幽霊は、出現場所、存在理由、目撃者への影響など、話によってまちまちだが、幼い少女の姿をしているという点では一貫しているのだ。

 幽霊の見た目だけは確立されていて、そこから呪いだとかいう情報が噂に着色されていったのだろうと考えられる。


「私が見たのは『女子生徒の後ろ姿』です。『幼い少女』と見間違えるはずはありません。

「それもそうですね」


 気の利いた変化球ではあったが、まるで効果がなかったようだ。

 そもそも、先輩の抱く不思議な感覚を、僕は共有できないでいる。状況を見直すと、単に自分より早く誰かが図書棟に来ていた、というだけのことである。

 不思議に思う余地などない。


「うーん。やはり僕には、根を詰めて考える様な不思議な出来事とは思えませんね」

「そう……ですね。私もそう思います」


 口では肯定しつつも、その表情は曇ったままである。

 おそらくこちらを慮って同意してくれただけなのだろう。それでも何か引っ掛かりを感じているようだ。


「不思議といえば――」


 突然、先輩が切り出した。


「先程、このような物を発見しました」


 そう言って彼女が差し出したのは、一枚の用紙だった。サイズにしてA5の用紙である。

 僕が紙を受け取ると、


「『ご意見箱』に投書されていたものです」


 と、先輩は加えて説明した。

 ご意見箱というのは、図書館に関する生徒の要望や質問を受けるために、設置されているものである。例えば『空調の温度設定が低すぎる』とか『こんな背景音楽を流してい欲しい』とか。たまに『図書棟が遠すぎる』など図書委員の権限ではどうにもならない投書もあるが。

 さて、先輩の気を引いた不思議な投書とはどんなものなのだろう。

 僕は用紙に視線を落とす。

 そこにはこう書かれていた。


「『アリス・アレゴリー』という本を探してください。――匿名希望」

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