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アリス・アレゴリー  作者: 鈴原光
第一章:幻想症候群《アリス・シンドローム》
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002

 図書棟に入る。

 全くの無音ということはなく、室内には微かにバックグラウンドミュージックが流れている。

 完全な無音よりも、音楽が流れている方が周りの雑音が気にならなくなるそうで、常になにかしらの音楽が掛かっている。

 勉強している生徒の集中力の向上も狙ってのことだとか。

 今流れているは背景音楽としてはありきたりなクラシック音楽である。

 あまり音楽の造詣は深くないので自信はないだが、確かショパンたっだと思う。

 シューベルトだったかもしれない。

 入口のゲートを通過する。

 ゲートと言っても大層なものではない。

 駅の自動改札をイメージしてもらえれば分かりやすい。

 あちらは改札を通る際に電子カードを使うが、ここでは生徒証がその代わりである。

 一応防犯の為の設備らしいのだが、これも効果を発揮しているのかは定かではない。

 ゲートは決して飛び越えられないというものではないし、防犯というのなら監視カメラが既に設置してあるからだ。

 強いてその役割を考えるならば、生徒の入場を記録できるので、何人の生徒が図書室を利用したか一目で分かるといったくらいか。

 さて、図書委員である僕が真っ先に向かうのは、入ってすぐ左手にある受付カウンターである。

 ここは本の貸し出しや、案内をする場所である。

 図書委員は基本的にここに待機することとなる。

 もちろん、本の陳列などで席を外すことは多いが、当直のうち誰かしらはここに留まる決まりになっている。

 僕がカウンターに来ると、既に先客がいた。いや、どちらかと言えばホスト側なのだから客という表現はおかしいか。

『彼女』は僕の存在に気が付くと、読んでいた本を閉じ、小さく会釈した。


「お疲れ様です、時宮くん。お久しぶりですね」


 そう言って彼女――御鏡氷咲みかがみ ひさきは微笑んだ。


「お疲れ様です、御鏡先輩。久しぶり、になりますね」


 言いながら、僕は荷物を下ろす。

 図書委員会では、慣例的に二人一組で活動する。

 二人一組といってもそこまで厳密な縛りではない。当直の日が同じで、一緒に業務をこなすというだけである。何の為か、いつからそう決まったのか定かではないが、多くの生徒はその制度に疑問を持っていないようだ。

 そして、僕の相方というのが、他でもない目の前の彼女なのである。

 御鏡氷咲は僕の一つ上、二年生で、僕の先輩にあたる。

 これも図書委員会の慣例なのだが、ペアは大抵学年違いの者が組となる。理由は判然としないが、おそらく学年通しての行事(修学旅行など)で二人共が業務を全うできないとう状態を回避するためだと思われる。


「テスト、どうでしたか?」


 おもむろに椅子に座る僕に、先輩は問いかけた。

 テスト。

 試験、つまり一学期の中間考査のことである。

 多くの学生にとっては悩みの種であり、しかしながら学生生活においては越えなくてはならない障害である。

 つい先日まで、本校は一学期の中間考査を実施していた。

 僕にとっては高校に入学して以来初めてのテストであったので、そこはかとなく緊張したりしたものだ。

 多くの高校がそうであるように、本校も試験期間中は部活動の類はできない決まりとなっている。

 一方で、図書館は変わらず開放している。勉強の捗るこの場所はその時期ばかりは平時では想像できないほど生徒が押し寄せる。

 ただし、試験実施する四日間に関してはその限りではなく、図書館も閉鎖してしまっている。

 先輩と僕が先程『久しぶり』と言ったのはそういう意味である。

 一週間の内、図書委員の当直は三日ある。そのうち二日が試験実施日と重なった為、結果的に先輩とこうして顏を合わせるのは十日ぶりとなる。


「まだ全部返ってきたわけじゃありませんけれど、今の所はどれも平均点は超えていますね。――あ、現国は九十四点で、クラスで二位だったんですよ!」

「まあ、それは良かったですね」

「それも、先輩が勉強見てくれたおかげです」


 当然ながら、試験期間であっても図書館が開放している以上、図書委員の業務は発生する。

 ただ、当直の日であっても四六時中何か業務をこなしているというわけではない。

 たまにぽっかりと暇な時間が出来たりする。

 そういった時間がある場合には、試験期間なのだからと、図書委員も試験勉強を始めるのだ。

 せっかく二人いるのだから、と御鏡先輩のありがたい申し出に甘んじて、僕は二年生から勉強を教えてもらうことができたのだ。

 とりわけ御鏡先輩は文系部門に強いらしく、もともと僕の得意分野ではなかった国語教科が、今回に限っては好成績である。


「先輩はどうでしたか? 教えてもらってばかりで、先輩の勉強の邪魔してたんじゃないかと心配なんですが……」


 言うと、彼女は小さく頭を横に振った。


「そんなことありませんよ。私も自分の勉強はちゃんとしてましたから。――そうですね。テストの結果は、概ね満足といったところでしょうか」


 具体的な数字はさっぱり分からないが、本人が満足しているなら、それに越したことはないだろう。

 少なくとも平均点程度で満足できるような人ではないはずだ。

 短い間ではあるが勉強を見てもらって、彼女の頭の良さは身に染みて感じている。

 彼女は教えるのが上手いのだ。

 ただ自分が理解するだけならある程度の人間はできるが、それを他人に分かりやすく教えるのは相当な理解力と表現力が必要なはずだ。実際に僕がこうして結果を残しているのだから、その点において彼女の優秀さを否定する余地はない。

 ――それに。

 彼女は僕とは違い、自ら希望して図書委員になった、図書委員のエリートなのである。

 聞く所によれば、彼女は一年生の時も図書委員だったらしい。一度図書委員を経験して、続けて図書委員を務めようだなんて、どれだけ図書館が好きなのかと、僕にとってはおよそ見当もつかない謎ではあるけれど。

 そんな彼女と、特に読書家でもない僕がペアを組んでいて良いものかと、ふと思うことがある。

 というか実は、御鏡先輩は隠れた人気者である。

 知的な面も去ることながら、先輩の物腰柔らかく親しみやすい面も魅力のようだ。

 それで容姿も端麗なのだから、彼女に魅かれる男子生徒がいても驚く事ではない。

 噂では、彼女目当てに図書委員に志願するものいたとか、いないとか。


「……あの、私の顔がなにか?」


 僕があまりに注目した為か、先輩は困ったようにそう尋ねた。

 なんでもありません、と僕は毅然とした態度で返す。

 さて、ここまで御鏡氷咲という人物を紹介したところで、まるで彼女が聖人君子な非の打ちどころのない存在のように感じてしまうかもしれない。

 残念ながら、そんなことはない。

 人は誰だって欠点・欠陥を持ち、完璧な者など存在しないのだ。

 果たして、彼女を遠目から伺い淡い恋心を抱く男子諸君は存じているのか定かではないが。丁寧口調と柔和な雰囲気に勘違いしてしまうのだが、彼女は優しくはあっても決し良い人ではない。

 どういうことかというと。

 具体的に表せばこんな感じだ。


「あ、そういえば時宮くん。さっき返却台を見たら、ちょっとした本の山ができてたんです。試験が終わって、みんな一斉に参考資料を返しに来たんでしょうか」

「あ、はい……。後で棚に戻してきますね」


 おわかりいただけただろうか。

 言うまでもなく、返却台に置かれた本をもとの書棚に戻すという作業は図書委員の業務のひとつである。

 さっきの先輩の台詞は意訳すると『返却台に本が溜まっているから、片付け作業よろしくね』ということになる。

 つまり僕に雑用を押し付けたのである。

 それを、よろしく頼むとも、お願いねとも言わずに、まるでこちらが自ら進んで作業にあたるかのように仕向けているので更に性質たちが悪い。

 もちろん『へー、そうですか』と流すこともできたかもしれない。

 しかし、立場上僕はそんなことを言えるはずがないので。

 彼女は二年生で、僕は一年生。

 たった一年とはいえ、そこには決して越えることのできない格差が存在するのだ。

 加えて、僕はつい先日彼女に勉強をご教授賜った身分だ。しかもちゃっかり結果も出している。

 そこに恩義を感じて、少々の雑用なら厭わない――そういう考えを抱くのが僕と言う人間なのである。

 そして怖いことに、彼女は僕のそのような性格を見越したうえで、このように接しているのだ。

 勉強を教えたのも彼女の善意によるものではない。時宮に借りを作ることで、その後自分に返って来るのを計算しているのだ。

 つまるところ、御鏡氷咲は『情けは人の為ならず』を正しい意味で地で行く存在なのである。

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