そして少年は雪原へ
最初は、ただの粉雪だった。
凛と張った空気の中、まるでそれをも意に介さぬかのように柔らかに舞う雪にふと意識を搦め取られたのだ。所々に触れては消えるその儚さを、私はくだらぬと切り捨て目を逸らした。
次に見た時には、ふわふわと薄く路上に溜まっていた。
ちらりと覗くアスファルトに、なんとも風情のないことだと嘆息したのを、今でもはっきり覚えている。白に染まりゆく世界で大きな口を開ける黒に、底知れぬ闇を見て馬鹿らしくも震え上がった。
そうして気がつけば、膝下までどっぷりと雪に漬かっていた。
足場を踏み締め踏み固め、息を切らせながら雪を掻き分けて進んだ。疲れ切った体を、痛みと化した寒さが苛んだ。
──そして、今。
私を飲み込みつつある純白を、目線だけで追い続けている。圧迫された体はもちろん動くことなどできず、もはや寒さも痛みも感じることを諦めたようだ。
闇色をした白銀が迫り来るのを恐怖しながら、その焦り様をせせら笑うもう一人の自分を睨み付ける。
後戻りもできたのかもしれない。
例えば、雪を掻き分けることを投げ出していたら。白の中の黒に恐怖した時点で暖かな部屋に引き返していたなら。
いっそ、粉雪に目を奪われさえしなければ。
仕様もないことだ、と思考を打ち切ることすらできず、感覚を失った脳はまるで私とは別個の生き物であるかのように働き続ける。
──終わりの見えぬ、白銀の中で。
「私の中の恋愛って、そんなものなのよ」
彼女は遠くを見ながら口の端だけで笑う。
まるで懺悔でもしているように腕を組み、肘を突き、その口で神を愚弄する女が。
「……お前が、恋愛に関してそんなに文学的な表現をするとは思わなかったな」
「どういう意味よ」
「そのまんまだ」
肩を竦めて笑うと、彼女はようやくこの部屋の中にピントを戻した。
染まりゆく世界。
赤い炎は無遠慮にも窓から入り込み、ちろちろと白壁を這い回る。
それは少女の白い脚にまで触手を伸ばし、その上で酷く艶めかしく踊ってみせた。
夕暮れの教室に男女ふたりきりという背徳的な空間で交わされるのは、初々しい告白でも甘い睦言でも、ましてや淫猥な情事やなんかでもなく、絶滅危惧種である“乙女”とは掛け離れた恋愛観の暴露である。やはり世間一般で言う“乙女”は得難いものだ、と確信。
けれど正直、もう少し可愛げがあってもいいのではないか、と彼は思う。
神は一体何のために幼気な少年に無駄な幻想を抱かせる細く柔らかく甘やかな“女”などという生物を作ったのであろうか。少なくとも男に癒しを与えるためではないことだけは確かだ。悪趣味にも程がある。
「救い様が、ないな」
思わず零れた言葉に、彼女の眉が跳ね上がる。
機嫌を損ねたか、と身構えてみれば、彼女は軽く息を吐いただけで結局は不発に終わった。
「そうかもしれないわね」
何を意図するのかわからぬまま漏れた呟き。彼女も感じ取ったことを口にしただけで、お互いに具体的なことはさっぱりわかっていないのだ。
それは伸び悩む身長に対する不満かもしれないし、空虚な生活やの報われない恋心への苛立ちの発露かもしれない。
けれどもその中に決定打があるわけではない。もしかしたらその全てが決定打なのかもしれないが。
一向に掴めない曖昧模糊とした感情が静かに体内を渦巻き、少しずつゆっくりと下方に沈殿していく。
──ああ、彼女が言っていたのはこういうことなのだろうか。
暗闇の迫り来る世界で、身動きが取れなくなってしまった彼を、彼女の目が射竦めた。
少年は、彼女の瞳に、雪原の幻を見た。