第一章: 帰還
西暦2090年、地球人口は最盛期の4分の1以下の10億人弱にまで減少した。
その原因は、西暦2075年に発生した世界規模の大干ばつによる大飢饉である。
限られた食料の奪い合いから起った第4次世界大戦、後の世に『殲滅大戦』と呼ばれるこの激烈な争いにより、人類は滅亡の危機に瀕してしまったのだ。
事ここに至りようやく目を覚ました人々は、戦争を終息に導いた日本皇国元首『天元 命』を総代表者として『連邦地球政府』を樹立。
地球そのものを一つの国家として再構成を図り、終戦後に辛うじて存在を保っていた旧来からの各国は州へと形を変えての存続となった。
それから10年後。
連邦地球政府初代総代表、天元の指導のもとで、人類は有史以来、初めて国家、民族、宗教の壁を超え一丸となって力を合わせた。
その甲斐有って、地球の環境も徐々に回復を始め、人口増加の兆しが見え始めたこの年。
天元は自分の役目は終わったとして総代表を辞し、2代目総代表としてアメリカ州知事のアーノルド・ダグラスがその後を継いだ。
そして、この西暦2100年を一つの区切りとし紀年法の一新を行い、『新世紀元年』としたのである。
新世紀暦3年。日本州とドイツ州の企業を中心に構成される超巨大企業集団『神崎リヒト・グルーヴ』が亜光速航行システム『カンザキ・ドライヴ』の開発に成功。
最大時速0・3光年を可能にしたこのシステムにより、人類は太陽系の隅々にまで足を踏み入れた。時速0・3光年のスピード……キロメートルにすると、約3600万キロを1時間で進めるという計算である。
地球が属する太陽系の直径は約90億キロメートルなので、カンザキ・ドライヴであれば約250時間、十日半ほどで横断出来る事になる。
このカンザキ・ドライヴの実用化が、人類の宇宙進出を劇的に加速した。
新世紀暦5年。神崎リヒト・グルーヴとアメリカ州ゼネラル・アドミラル社の共同開発により宇宙空間浮遊コロニー完成。
宇宙空間に浮かべられたコロニー内で、人類の生活が可能になる。
新世紀暦6年。神崎リヒト・グルーヴが中心となり設立された世界共同技術公社により惑星地球化改造システムが完成。月・火星・金星の改造に着手。
新世紀暦7年。世界共同技術公社が超時空接続システム『エレメント・トンネル』の開発に成功。
これは、A地点に設置したET:α《アルファ》とB地点に設置したET:β《ベータ》の間を時間・距離の概念を越えて結ぶ、一種のワープ装置である。
二つのETの間が何億光年と離れていても一瞬にして行き来できる画期的な技術だが、必ずαとβの一対で構成する必要がある。つまり、αから離れた場所にβを設置しなければならないのだ。
そして連邦地球政府はまだ見ぬ新天地を求め、ET:βを載せて旅立つ外宇宙探査船団を結成。
元連邦地球政府初代総代表、天元命を総長とした第一次外宇宙探査船団が翌々年の新世紀暦9年1月1日に、人類生存可能な星を持つ新たな太陽系を目指して出発した。
船団の旅は困難を極め、途中幾度も絶体絶命の危機に陥った。
だが、天元船団総長を始めとした選ばれたクルーたちの卓越した技術と不屈の精神により、出発より9年後の新世紀暦18年11月10日、とうとう原始地球とほぼ同じ環境を持つ惑星『ツヴァイ』を擁する新太陽系『希望』に辿りつく事に成功。これにより、従来の太陽系は『第一太陽系』と呼ばれる事となった。
そして新世紀暦19年1月7日。
探査船団は新太陽系『希望』内、惑星ツヴァイから約1万キロの地点にET:βを納めた簡易コロニー『コーク・ボトル』の設置を完了。
エレメント・トンネルの機能実験も兼ね、人類の居住する第一太陽系の果て、天王星付近に前もって設置されていたET:αへ、第一次外宇宙探査船団旗艦『はやぶさ』は10年振りに帰還を果たしたのだ。
「還って来た、か」
第一次外宇宙探査船団・防御指揮官 巳桜北斗は艦隊旗艦『はやぶさ』メインブリッヂの自席で小さく呟いた。
巳桜北斗。連邦地球政府日本州出身の四十歳、がっしりとした体躯と短く刈り込んだ頭髪が精悍な印象を与える壮年の男性である。
彼の第一次外宇宙探査船団参加以前の職業は、連邦地球防衛軍機動部隊第七遊撃旅団の団長であった。
従軍時代の最終階級は少佐。機動ロボット兵器、インター・セプターのエースパイロットとして活躍し、その筋では知る人ぞ知る男である。連邦の体制に不満を持つテロ組織及び犯罪組織の鎮圧・撃退や、人類の宇宙進出とともに遭遇が始まった未確認敵性物体との熾烈かつ過酷な戦いを数え切れないほど戦い抜いて来た歴戦の男だ。
だが、あるとき突如軍を退役し、親友の家に居候していたところ、彼を良く知っていた外宇宙探査船団総長・天元命に半ば強引に招聘され、船団に参加したのだ。
「還って、来たんだね」
北斗の呟きから少しの間を置き、隣席に座る防御副管理官、パトリシア・ボナパルトが北斗に応えるように呟いた。
現在二十二歳の彼女は、腰まで伸ばしたさらさらな淡い金髪と深い翠色の瞳が印象的な、地球連邦フランス州出身の女性である。
船団出発時には弱冠十二歳であったが、その時点でフランス州最高学府の『グランゼコール』と呼ばれる技術系学校、国立航空宇宙大学院大学を卒業していた天才少女だった。
その幼さと天才的頭脳のアンバランスさ、また家庭的に恵まれなかった生い立ちから来る少々エキセントリックな性格で、出発直後の船団内では複雑な立場となり孤立気味だった。
彼女は、幼少から発揮されたそのたぐいまれな優秀さと美しい容姿ゆえ世間的には持て囃されたが、同時に幸福とは言えない家庭環境もスキャンダラスにクローズアップされてしまい、マスコミの格好の餌食となってしまった。
そのため、彼女の家庭は崩壊してしまい施設で孤独に育ち、大人や世間に対して強い不信感を持つようになったのだ。
だが、長い旅の間、彼女を普通の娘として優しく、時には厳しく接した北斗との交流で、頑なだったパトリシアの心は解きほぐされ、今では親子ほど年の離れた北斗に特別な想いを抱くようになっていた。
また、美しい外見に似合わず口調や態度が男っぽいのは、幼い頃から自分を守り、強く見せる為にワザとそう振舞ってきた名残でもある。
「10年ぶりか。こっちもずいぶん変わっただろうな」
北斗がパトリシアに無精ヒゲにまみれた顔を向けて笑いかけると
「かなり変わっているんじゃないかな。ボクたちが出発する前に着手した惑星改造も進んでいると思うし」
パトリシアはそう答え、微笑み返す。
第一次外宇宙探査船団は、その特殊な任務から、非常に限定された範囲にしか真の目的は知らされず、乗組員のデータもダミーや隠蔽が非常に多く設定されている。
計画立案当時、外宇宙への調査行に反対する者自体は少なかったが、どんな危険が潜んでいるか想像も出来ない外宇宙と太陽系を一種のワープ空間で繋ぐと言う計画には様々な反対意見や抵抗も多かった。それは、未踏の宇宙からの思わぬ外敵やトラブルを招きかねないという慎重派が多かったためだ。
だが、増え続ける人口を支え切れなくなると言う現実への憂慮から、これ以上の計画遅延は許されず、極秘裏に開発されていたエレメント・トンネルを積んでの探査実行となったのである。
よって、『外宇宙探査船団』と言う名目をもある意味ダミーとし、計画への参加者も厳選された。
また全てのメンバーに守秘義務が課され、航行開始以降、個人的通信は完全に禁止された。それが解除されるのは、ET:βを希望に設置完了した後に船団旗艦はやぶさが第一太陽系へ無事帰還し、連邦地球政府による解除指令を受けてからであるのだ。
「変わったといえば、お前も本当に大きくなったよな」
パトリシアの顔をしみじみと眺め、北斗が笑った。
「なんか引っ掛かるなぁその言い方。そりゃ、こっちを出たとき、ボクまだ十二歳だったしね」
なんとなく子供扱いされた気分がして、少し不満げにパトリシアが返すと
「はは、すまんすまん。いや、お前も綺麗になったって言いたかったんだ」
北斗はギシリ、と椅子の背もたれを軋ませながら詫びた。
「……ふんだ。心にも思ってない事言っちゃってさ」
だが、なぜかパトリシアの機嫌は更に斜めになってしまう。
「いやいや、本当だって。まあ、昔からお前は可愛かったけど、今は立派な美人さんになったって」
こういう形で機嫌が悪くなった時のパトリシアは少々性質が悪い。それを良く知っている北斗は、いつもより少しサービスを増した表現で宥めに掛かった。
「……じゃあ、昔のボクとアリスちゃんは、どっちが可愛かった?」
切れ長の瞳でじろり、と北斗を睨んだパトリシアが低い声で北斗に訊く。
「どっちも同じくらい可愛かったさ。そんなの、比べることじゃないだろ?」
北斗は、軽い気持ちで放ってしまった失言を後悔しつつフォローを入れ、
(しまった、久方振りのまずいパターンだな)
と、腹の中で己の迂闊さを呪った。
北斗の首に掛かったペンダントのロケットに納められている立体写真には、蒼い瞳に豪奢な金髪の儚げな美少女が微笑んでいる。
その娘の名は、神崎アリス・リヒトフォーフェン。
人類最大の企業集団かつ、今では1つの国家として成り立っている神崎リヒト・グルーヴの現総帥、神崎雅臣の一人娘だ。
北斗と雅臣は幼馴染であり、親友であり、大学時代には1人の女性を巡って恋敵だったこともある。
結果的にその女性――アンヌマリー・リヒトフォーフェンを雅臣が勝ち取り、アリスが生まれたのだ。
そんないわくつきの関係を持つ北斗と雅臣では有るが、アンヌマリーを争っていた時にも友情は変わる事は無く、もちろん今でも続いている。
元々子供好きな北斗は、親友である2人の愛娘アリスを自分の娘の様に可愛がり、またアリスも北斗に良く懐いた。
だが、アンヌマリーはアリスが五歳の時に事故で亡くなり、アリスはそのショックのあまり精神に変調を来たしてしまった。
その時、北斗は溜まりに溜まっていた休暇をまとめて1年も取り、雅臣と共にアリスに付きっきりとなった。
2人の愛情を込めた看病に加え、神崎、リヒトフォーフェン両家の親族とスタッフの尽力によりアリスの精神は崩壊を免れたが、この際に幼い時から患っていた肉体的な病の進行も速まってしまった。
そして10年前、北斗が旅立った時には十歳であったから、生きていればちょうど二十歳を迎えているはずだ。
そう、生きてさえいれば。
「……ボクには比べられないって言うくせに、アリスちゃんには宇宙で1番可愛い、って言うんでしょ?」
ジトっとした目で北斗を睨み、更に言い募るパトリシアに北斗はうはあ、と天を仰ぐ。
船団が出発した直後、十二歳の頃のパトリシアにアリスの写真を見せたとき、北斗はアリスを『宇宙で一番可愛い』と表現しパトリシアの機嫌を盛大に損ねてしまって往生した事がある。
それ以来、北斗はパトリシアの前でアリスの話題を出すのを極力避けて来た。だが、ごくまれに何らかの理由で機嫌を損ねたパトリシアからアリスの話題が振られる事がある。そうなると必ず最後にパトリシアが不貞腐れ、しばらく機嫌が直らないと言うパターンに陥ってしまうのだ。
パトリシアが成長し、二十歳を越えた頃から2人の間でアリスの話題が出ることはなく平穏だったが、今日のパトリシアは久しぶりに粘着的だ。
「あのな、パティ……」
少し考えてから、北斗がパトリシアに向かって何かを言おうとしたとき。
「あ……」
「緊急通信! 地球からか?」
ブリッヂ内に鳴り響いた緊急通信音に、北斗とパトリシアは視線を合わせて小さく叫んだ。
はやぶさの巨大なメインブリッヂはコの字型に配置され、ライト・ウイング、レフト・ウイングそしてセンタ・ヘッドの3ブロックで構成されている。総席数は約100席あり、センタ・ヘッドに配置される艦長席を中心としたメインブレインを始め、様々な部署の責任者やリーダーの席が設置されている。
「来ました、か」
その中心、センタ・ヘッドの艦長席から穏やかな声が響いた。声の主は、天元命艦隊総長。旗艦はやぶさの艦長も兼ねている。既に七十歳を超える老齢ではあるが、頭脳も肉体もまったく衰えを見せてない。かつて、殲滅大戦を終息に導き、その後に成立した連邦地球政府初代総代表として人類再発展の基盤を築いた偉大な人物である。
「緊急通信! 発信者は、連邦地球政府現総代表、ムガベ・ンドルワ氏。艦長への直接通信回路接続依頼です!」
オペレーターの報告にブリッヂがざわ、とどよめく。なぜなら、この緊急通信を持って、本当の意味で第一次外宇宙探査船団の任務が完了するはずなのだ。
「うむ、私の手元に繋いで下さい。それと、艦内の全スピーカーにも同時に通信を流すようお願いします」
「了解!」
天元の声に応え、オペレーターの手が宙に浮かび上がっているエアロコンソールの上を軽やかに踊る。
「通信接続完了! 総長、どうぞ!」
オペレーターの声に応え
「こちら第一次外宇宙探査船団総長、天元命です」
天元の静かな、だがしっかりとした威厳ある声がブリッヂ内に響いた。
『こちら連邦地球政府総代表、ムガベ・ンドルワです。お帰りなさい、はやぶさの人々よ。よくぞ無事に戻ってくれました。困難な任務の達成、おめでとうございます。すべての人類を代表して、あなた達の帰還を心から歓迎いたします』
そして、スピーカーから音声が流れ出すと、はやぶさ艦内の所々から歓声が轟いた。
「よっしゃあああああ! 帰って来たぞおっ!」
「見ろよ、土星だ! 地球までもうちょいだぜ!」
「ははっ! 俺、地球に返ったらラーメンを腹一杯喰うんだ!」
「母さん、元気かなぁ……」
「あの野朗、くたばっちゃいないだろうな?」
あちらこちらから聞こえて来る言葉には、喜びの声ばかりではない。10年の月日と多くの命を費やしたこの旅路には、苦しみも悲しみも混在している。
だが。
だが、帰って来られるとは思っていなかった。故郷への想いは全て捨て去って乗り組んだ。
この旗艦はやぶさの、そして希望に残留している船団の艦、残り9隻全ての乗組員はそう覚悟していたのだ。
地球から、約25000光年離れた希望まで、ET:βを積んでの長征航路。
カンザキ・ドライヴによる亜光速巡航……時速0.3光年で巡航し続けても10年掛かったこの長き旅が無事に終わった……
ET:βを抜け、太陽系への帰還を果たしたはやぶさの乗組員達ではあったが、先ほどまでは今ひとつ現実感に欠けていた。だが、船団総長と連邦政府代表の通信を聞き、ようやくその実感が、やり遂げたと言う充実感が溢れ出して来たのだ。
その通信を持って極秘であった任務も終了した。
これに伴い通信禁止の解除がなされ、各所の通信機スペースには乗組員が群がり、家族や友人など10年間一度たりとも連絡を取れなかった懐かしい人々に帰還の知らせを送っている。
だが、家族がもう誰も残っていない者もいる。
逆に、旅の途中で志半ばに倒れた者もいる。
10年間、25000光年。地球から約3兆キロメートル。
それは、とてもとても永い旅路だった。
「祖母ちゃんと雅臣、元気かな。アリスは、きっと……」
北斗が、ほとんど無意識にぼそっと呟くと
「え? なんか言った?」
耳の良いパトリシアがそれに反応する。
「いや、なんでもない」
北斗ははっとした後、碧色の瞳を向ける娘に苦笑しつつそう答えた。
「そう……? ところで北斗は通信しないの? 日本にお祖母さまがいるんでしょ?」
あちこちでお祭り騒ぎになったブリッヂを微笑みながら見ている北斗に、パトリシアが尋ねる。
「ん? ああ、今更急いでもしょうがないしな。お前こそ、先生たちに連絡入れたらどうだ?」
余計な事とは解っていても、北斗は一応そう言っておく。先生とは、パトリシアの家庭が崩壊した後、親代わりになって彼女を育ててくれた施設のスタッフの事である。
「ん……今更急いでも仕方ないもんね」
だが、パトリシアの答えは北斗のものをなぞっただけだ。
パトリシアの答えを聞いて、北斗はそれ以上言い募ることはせず、口を閉じる。
「じゃあさ、北斗。アリスちゃんには連絡しないの?」
だが、再びパトリシアがアリスの話題を蒸し返した。
(通信のお陰で、上手いことスルー出来たと思ったが甘かったか)
さて、このへそを曲げた娘をどうしたものか、と北斗が額に拳を当て唸り出す。
(ボク、なんでこんなイヤらしい事言っちゃうんだろ……)
同時に、パトリシアはダメだと思いながら口を衝いて出る言葉を止められない自分自身を呪っていた。
「昔、アリスちゃんを実の娘みたいに思っている、って言っていたよね? じゃあ、連絡してあげれば良いんじゃない? アリスちゃんだって北斗に逢いたがっていると思うけどなー」
一言発するたび深くなっていく自己嫌悪の念に押し潰されそうになりながら、パトリシアは自分の口が動くのを止められない。
「ほら、防御指揮官なんだから、優先的に通信出来るでしょ。なんなら、ボクが繋いで上げても良いよ?」
「…………」
露ほどにも考えてない事が、なぜこんなにスラスラと口を衝いて出るのだろうか?
パトリシアは今までに感じたことも無いほどの自己嫌悪に陥りながら、黙って自分を見詰める北斗に向かって言い放つ。
(こんな事、北斗に言いたくないのに! こんな事言ったら、北斗に嫌われちゃうかもしれないのに!)
しかしその思いと裏腹に最後まで口を止める事は出来なかった。
(最低だ、ボクって……)
パトリシアはすぐにでもこの場から走り去りたい気分になっていたが、それも出来ずに自分を見詰める北斗の黒い瞳から視線を逸らした。
「……だから、な」
パトリシアが下を向いたまま、今まで生きてきた中でも最大級の後悔をしていると、北斗が何事かを呟いた。
「……え? 今、なんか言った?」
だが、意識が北斗に向いていなかったパトリシアはその呟きを聞き逃してしまい、呆け声で問い返す。
「ああ。生きていれば、きっと物凄く綺麗になっているだろう。だがアリスは、もうこの宇宙には居ないだろうからな、って言ったんだよ」
「えっ……?」
パトリシアは北斗の言葉の意味を一瞬理解出来ず、絶句してしまう。
「アリスは生まれた時から病弱な子で、1年の半分は病室のベッドで過ごしていた。詳しくは省くが、様々な病気に体を冒され、九歳の頃には左目を摘出、右足は切断されていたんだ」
淡々と紡がれる北斗の言葉に、パトリシアは驚愕した。
「え……じゃあ、宇宙には居ない、って……」
「ああ。アリスは多分、天国にいるさ。天使みたいな娘だったからな」
そう言って、穏やかな、パトリシアの大好きな笑顔を見せて北斗が黙る。
パトリシアは自分の醜い嫉妬心から酷い言葉を吐いた事を、再び心の底から後悔した。
「ごめんなさい、北斗。ボク、ボク……」
溢れ出る気持ちと涙に声が途切れ、パトリシアは嗚咽し出してしまう。
「気にしてないさ。ほら、涙拭けよ」
ぽろぽろと涙を流して詫びるパトリシアに、北斗がハンカチを差し出した。
「ありがと……」
礼を言ってハンカチを受け取り、ぐしぐしと涙を拭うパトリシアの小さな頭を、北斗は優しく撫でてやる。
「地球に着いたら、一緒にアリスの墓参りに行くか?」
少し経ちパトリシアの嗚咽が収まって来た頃、優しく掛けられた北斗の言葉に、
「うん。ボクも連れてって」
赤くなった目を擦りつつ、パトリシアが頷いた。
「アリスの墓は、多分日本の鎌倉ってとこにある。鎌倉には神崎の家の代々の墓所が有るからな」
「鎌倉……聞いた事あるよ」
「古くて良い町さ。大戦でも被害は少なかったしな」
「そっか。……ねぇ、アリスちゃんへのお供え、何がいいかな?」
すっかりしおらしくなったパトリシアの態度に苦笑した北斗だったが、
「そうだな……アリスの好物だった、俺の祖母ちゃんの梅干しと、アリスが好きな動物……クマかライオンのアクセサリーでも持って行こうか」
少し考えてから、優しく答えた。
「じゃあ、アクセサリーはボクに選ばせてよ。良いでしょ?」
両手を豊かな胸の前で祈るように組み、そう言ったパトリシアに
「そうだな、お前に任せるよ」
北斗は答え、破顔した。
艦の中のお祭り騒ぎは一向に収まる気配が見られないが、総長の天元を始め幹部連中もそれを諌める様な無粋な事はしない。
「さて、パティ。こんな時になんだが、地球到着後の業務相談をしておこうか」
そんな大騒ぎを横目で見ながら、北斗が唐突に神妙な口調となってパトリシアに向き直る。
「え? いいけど……何を相談するの?」
「大事なことさ。本件については、総長の許可と裁定も既にもらってある」
ニヤリ、といたずら小僧のような笑みを浮かべた北斗の顔を見て、パトリシアは悪寒が背中を走り抜けるのを感じた。
「……ねぇ、北斗。何を企んでいるの?」
そして、切れ長の瞳をジトっとさせながら訪ねる。
「なに、大した事じゃないさ……実はな」
すると北斗は悪い顔で微笑み、パトリシアの肩を抱き寄せて形の良い耳たぶに唇を付けるようにして囁きだした。
(わわわ、北斗近いよ!!)
パトリシアは急接近して来た北斗の行動に慌て、あたふたとテンパってしまい北斗の囁きなどほとんど耳に入って来なかった。
「ふふ、あの二人は本当に仲が良いですね」
あちこちで上がり続ける歓声を聞きながら、船団総長天元命は北斗とパトリシアのやりとりを笑いながら眺めていた。
だがその瞳の色は、連邦政府からの通信を受けた時とは裏腹に曇り掛けている。
(これからが、人類にとって本当の試練……正念場、でしょうね)
天元は、視線を北斗とパトリシアからメインスクリーンに捉えられた青い地球に移して、声に出さずに呟く。
その表情は、まるでこれから起こる諸々の事を、予感しているかの様でもあった。
次回更新は27日(土)を予定しています。
よろしく!