FILE15 逃避行の末に
少年はしばらく木材の影に隠れて休んでいた。
時折どこからか発せられる物音に怯え、身を硬くしたりした。本当に近くをゾンビが通りかかった事もあり心臓が止まる思いだった。
『とにかくここって何かないのか?』
落ち着きを取り戻した少年は資材置場の敷地内に建っている物置らしき建物に興味を示した。
空になったペットボトルを構えて物置に入ろうとする少年の姿は滑稽そのものだった。
入り口はフォークリフトが入れる用に広く、スライド式の鋼鉄製ドアである。
しかし今はその頼もしい要塞となるであろうドアは開いている…
内部は切り出された木材が所々に積まれている。
『ここもアイツらいるのかな?…』
少年はまだゾンビの事をゾンビとして認識していなかった。大勢の麻薬中毒者が狂って無差別に襲ってきていると自分なりの解釈を立てていたのだ。
それか集団パニックか集団ヒステリーの類だと思っていた。あの腐敗は麻薬どうのこうのとはまた別だと気付きはしなかったようだ。
少年は薄暗く、埃っぽい室内を歩き回るとなにやら見つけたようだ。
少年は鋸を見つけ、おもむろに取り上げる。
錆付いてあるが、鋭く尖った刃が頼もしく見える。
『いいもんみっけ。襲われたらこれで反撃するか。』
少年は試しに鋸を振ってみた。空を斬る鋭い音が室内に響く。
少年はポケットから携帯電話を取り出して開く。
もちろん電波はなく圏外だ。時刻は5時を回っている。まだ明るいが、後1時間と少し経てば暗くなるだろう。
『なんでこれ圏外なんだよ!?んっとに使えねぇな…』
少年は画面を見て不満を漏らす。
『もうすぐ暗くなるか。家に帰りたい‥』
少年はこの状況から自宅に帰宅する事で窮地から逃れられると考えていたらしい。しかし現実はそんなに甘くはない。
帰宅するまでにはゾンビ達との遭遇は避けて通れない。それに帰宅したとして、同じ町内にある彼の自宅が安全かどうかも分からない。だが少年はとにかく帰宅する事しか考えていなかった。
その時、どこからか大気を震わせる音が聞こえてきた。音自体の場所は分からないがとにかく大きな音だ。
『空から聞こえる?まさか!?』
少年は外に勢いよく駆け出す。そして太陽が傾いて、見事に紅く染まった夕焼け空を見上げる。
上空でヘリコプターが北に向かって飛行しているのが見えた。
『おぉーい!!こっちだ!助けてくれー!!おい!待ってくれよ!!!』
少年は必死に手を振って存在をアピールするが、見えているのかいないのか、少年に気付いたというような反応も無く機械的に真直ぐ飛んでいってしまった。
『クソッ‥今の気付いてねえのかよ!?これからどうしよう…』
少年は遠くなっていくヘリコプターをただただ見ていた。そしてヘリコプターは見えなくなった…
少年は諦めたようで、再度屋内へ戻ろうと足を運ぶ。その時、何かがガサッっと音を立てた。
少年はビクッっと体を震わせて振り返ろうとする。
こめかみから頬へ汗が流れ落ちる。
『な‥なんだ?そこに誰かいるのか?‥』
少年はゆっくりと振り返ろうと体を動かす。
ガサッ‥
また音が聞こえる。少年の動きが緊張と恐怖で固まっていた。背後から何かの気配が近付いてくる事に漠然とした恐怖感が彼を襲ってうまく体を動かせないようにしているらしい。
少年はゆっくりと振り向くと、ポロシャツを着た中年の男がそこにいた。
そのポロシャツは真っ赤に染まって、喉が破れているのを除けば普通のオッサンだろう。
『く、来るんじゃねぇよ!!寄るなって!!!』
少年はガタガタと震えながら、闇雲に鋸を振り回し始めるが及び腰なのが滑稽にしか見えない。男はそれでも唸りながら近づいてくる。
『もうこんなの嫌だっつぅの!!!』
少年は言うやいなや、踵を返して走りだす。
途中、足がもつれてこけそうになるが必死に足を進める。
こんな状況なのに風は関係ないと言わんばかりに澄み渡って、いつもならば心地よい気候だっただろう。
そう、いつもならば…
少年は行くあても無いまま無我夢中で走り続け、ようやく撒いたと悟って足を止めた。
鋸を持つ手が汗ばむ。
袖で額の汗を拭い、ようやく落ち着きを取り戻した少年はその場にペタンと腰を下ろした。
何故かこの辺りにはゾンビも少ないようで、滅多に動く物を見掛けない。
その時、目の前の民家の庭で何かが動く気配がした。
『‥何だ?またヤツらなのか?…』
少年は身を隠そうと辺りを見渡すが特に隠れれる場所は無い。
気配は段々と近づいてきているようで、時折コンクリートの塀の向こうから息遣いが聞こえる。
『…ダメだ。引き返すしかねぇか。』
少年は別の道から行こうと戻ろうとするが、その前に塀の向こうから一つの影が現れた。
それは犬だった。
人懐こさそうな顔をした、黒のラブラドールレトリバーは少年に向かって尻尾を振って走ってきた。
低い声で吠えるが、喜びを表しているのだろう。
少年の体に飛び掛かって戯れている。
『なんだよ犬か、驚かせやがって。よしよし、どうした?淋しかったのか?だから舐めるなって。』
少年はまともな生きものを数時間ぶりに見付け、それが嬉しかったらしい。
何より出会うヤツら全てが襲ってくる中で一人孤独に逃亡していたのだ。
少年の心に少しゆとりが戻ったらしく、柔らかな笑顔が見えた。
『お前名前なんて言うんだ?首輪には‥イリャーナって読むのか?それがお前の名前か。んでもってお前は雌か。』
少年はイリャーナという名の犬の頭を撫でる。
イリャーナはおとなしくお座りをして、少年に頭を撫でられるのを気持ち良さそうにしている。
その時、どこからか轟音が聞こえてきた。
それに続き、もう一種類の音‥乾いた爆発音のような音が聞こえる。
そして三回、再度最初に聞こえた轟音がこだまする、静かな街に響き渡る…
『こ、今度はなんだってんだよ?‥いったい何がこの街で起こってんだよ!?』
少年は轟音に反応し、怯えたような表情をしているイリャーナをしっかりと抱き抱えた。