FILE11 ナイフ男
北川はニューナンブを気配に向けて構えた。
その銃口の先には細身のボロ布を纏った男がいた。
『ん?どうしたんだ?』
上田が庭から出て、止まっている北川に話し掛ける。
『人間?‥』
かなえが顔を強張らせてその人物を見る。
『ゾンビか!?おいアンタ!人間なら返事をしろ!』
上田が男に向かって大声を出す。その声に呼応して男はうなだれていた顔を上げる。目は黄色く濁っていて、どことなく異常者の雰囲気を漂わせている。
男はおもむろにボロ布のフードを被り始める。
三人と男との間に嫌な緊張が流れ、その静寂の中を民家の木に止まっていた小鳥がチチッっと鳴きながら飛んでいった。
『ゾンビじゃないのか?‥返事をしろ!!』
北川が更に大声を出し、ニューナンブのハンマーを起こし、金属音が響いた。
すると男は突然、ボロ布から何かを投げてきた。
空を切り裂く鋭い音と供に、北川の右腕に鋭い痛みが走る。
『つぅ‥な、なんだ‥』
北川は右腕を左腕で押さえながら顔をしかめて男を見る。北川の腕には鈍く輝くナイフが突き立てられていた。男はニヤニヤとしながら懐に手を伸ばす。
『北川さん!大丈夫ですか!?』
かなえが北川の腕の傷を見ようとするが北川はそれを手で制した。
『今はそれどころじゃない。それより隠れろ!』
『私だって戦えるわよ!アイツが何にしたって敵でしょ!』
かなえが北川の制止を振り切り、慣れない手つきでニューナンブを構える。
『お嬢ちゃんも拳銃持ってるのかよ。とにかくこいつは俺達と仲良くする気はないようだな。とりあえず証拠として‥』
上田は手にしたカメラを構えてボロ布を纏った男を撮影する。カシャ、カシャというシャッター音が響く。
『仕方ない‥二人でどうにかするぞ!』
北川はかなえにそう言い放つと男に向かってニューナンブを発砲した。
乾いた銃声が静寂の住宅街にこだまする。
弾は男の腹部に着弾。腹部から赤い血が吹き出て路上を赤黒く染める。
『私だって‥』
かなえもニューナンブの照準をつけ、男に向かって発砲する。男の左肩に着弾し、鮮血が吹き出る。しかし男は軽くよろけただけでニヤニヤ面をやめない。
『クッ‥』
北川は頭に向かって照準をつけ、トリガーを引き絞る。銃声の後、男のこめかみ付近に穴が開き、黒い血が吹き出た。
しかし男は倒れない。だがやはり頭部への射撃は効いたようだ。
男はこめかみを押さえながら呻き始めた。
『おいおい‥頭撃たれて生きてるヤツなんているのかよ‥』
上田は愕然とした表情で後退りしながらシャッターを切る。
『何故死なないんだ?クソッ!まだだ!!』
立て続けに三発、男に向けて発砲した。
三発とも男の脚部や下腹部、胸部に着弾するがよろめくだけだ。
『もう、なんで頭とか撃たれても死なないのよ!?』
かなえも男に向かって二発発砲する。
一発は外れ、もう一発が頸部に着弾し、肉を抉り取る。すると、今まで何も動かなかった男がいきなり猛スピードで走ってきた。
凄まじい速さで三人とも一瞬対応が遅れた。
その隙を突いて男が北川の足をナイフで切り裂いた。
『ぐあぁ!』
北川の太股から赤い血が流れ出る。
次いでかなえに向かって突進し、かなえの腹部に前蹴りをたたき込む。
かなえは吹き飛ばされ、地面に転がって体をくの字にして呻いている。
『おい‥マジかよ?‥』
上田は撮影を止め、男に恐怖の表情を見せる。
男は赤く染まったボロ布を脱ぎ取り、捨てる。
体は茶色く骨ばっており、ガリガリだった。北川やかなえに撃たれた.38スペシャル弾の弾痕が幾つもあり、そこから赤黒い血液が流れ出ている。
手に持ったナイフには北川の赤い血液が付着し、地面にポタポタと垂れて地面を濡らす。
『おい、ちょっと待て‥来るなよ!』
上田は両手を前に出し、
「落ち着け」
のモーションをとっている。
しかし男はニヤニヤ笑いをやめない。そしてゆっくりと上田に向けて歩みを進めた。
かなえは地面に突っ伏して動けず、北川も脚部の出血を押さえて苦しんでいる。
『てめぇ、来るんじゃねぇよ!』
上田は近くに落ちていた鉄パイプを拾うと日本刀ヨロシク構えて対峙した。
男は突進するとナイフを切り上げた。上田は鉄パイプでなんとか防ぎ、鉄と鉄がぶつかる鋭い音が鳴った。
男はナイフを突き出すと上田はバックステップでそれを回避し、カウンターで鉄パイプを渾身の力で顔面に突き出した。
肉が鉄に打たれる鈍い音がし、男の頬骨が砕けた音と、その嫌な感触が鉄パイプ越しに上田に伝わる。
『この野郎が!』
上田がバットのように鉄パイプをフルスイングした。またまた男の頭部に鈍い音がし、首が曲がるが、男はニヤニヤと笑う。
しかし素早い動きで上田は肩を切り付けられる。
『あぁあッ!』
(ヤバい‥俺死ぬわ‥まだ死ねないってのになぁ。ナイフで刺されて死ぬんならゾンビどもに食われて死んで、また蘇るよりかはマシかな?あ、アイツ、ナイフ振りあげやがった。ニヤニヤ笑いやがって‥)
一瞬で色々考えながら上田は目を瞑った。
しかし、なかなかナイフが刺さる痛みがこない。
(あれ?痛くない。)
上田が目を開けると、そこには頭をナイフで刺された男の姿があった。
男の背後には北川巡査の姿があった。
『お前油断し過ぎだぞ。ナイフ二本あって私に一本投げただろ。』
顔に汗をかきながらナイフを掴んでいた手を放し、ニューナンブを男の後頭部に向ける。銃声が響き、男の頭部から赤黒い鮮血と、ピンクのような色の脳髄がドロドロとこぼれ出る。
男は糸が切れた人形に崩れ落ちた。黄ばんだ目は虚ろで空を見ている。
『倒し‥たの?』
苦しそうに顔を歪めながらかなえがヨロヨロと立ち上がる。
『たぶんこれで死んだと思う。苦戦だったな‥』
北川が足の傷口を押さえながらもう片方の足で男を蹴飛ばす。男はピクリとも動かない。
『こいついったい何者なんだ?ゾンビとも違うよな。いきなり襲ってくるなんてよ。』
上田が汚物を見るように男を見るが、落ちたナイフを手に取った。
『あんたら拳銃あるからいいけど俺は心許ないからこれ一本貰うぜ。ヤツが使っていた武器なんて気が進まないけどな。』
上田は鉄パイプを持ち、ナイフを腰のベルトに挟んだ。北川は男の頭に刺さったナイフを抜き取り、ボロ布で血を拭った。
『かなえさん、これは君が。』
かなえにナイフを渡そうとするが、かなえはあまり欲しそうではないようだ。
『それさっき刺さってたナイフでしょ?キモいじゃんか。』
嫌悪の表情を浮かべナイフを見る。
『ゾンビやアイツみたいなヤツらと格闘になった時、銃が使えなかったら女性の君は大変危険だぞ。だから護身用に持ってなよ。』
そう北川が言うと、渋々かなえはナイフを受け取り、上田と同じようにベルトに収めた。
『それよりも、傷の手当てしなくちゃ!』
かなえは二人の傷を見て大きな声で言った。
二人ともどこかに怪我をしていて、出血こそ少ないが手当ては必要だろう。
『家に救急箱があるから応急処置ぐらいならできるだろう。今持ってくる。』
言い終えると家に戻り、しばらくして救急箱と地図を持った上田が戻ってきた。
『はい、救急箱。それとこれはこの街の地図。』
地図には、
「中垣街」
と書かれている。
かなえは救急箱から消毒液や包帯、絆創膏などを取り出すと二人の傷を消毒した。そこまで傷は深くないが、北川の足の傷は縫わなければならなかった。
かなえが上田に裁縫道具を要求すると、ちょっと待ってくれと言い残し、再度自宅へ戻り裁縫道具を持ってきた。
『ちょっと痛いけど我慢してね。』
かなえは慣れた手つきで北川の傷口を縫っていく。
北川は多少痛そうにしていたが、少し経つとかなえは傷口を縫いおわっていた。
『さすが医大生。上手だね。』
北川が誉めるとかなえは顔を赤らめて、そんな事ないよ。ヘタだって!と言っている。
しかし、見事な処置だったのは誰の目から見ても分かっていた。
『それじゃあこれからどっちへ向かうんだい?』
自宅から持参したリュックに救急箱を入れて背中に背負った上田がいた。
『川田君達に合流しよう。ここでかなりロスしたからな。先に着いてる事はないと思うが彼らより早く行って郵便局の入り口を開けなければいけない。かなえさん、パスコードは分かったかい?』
『うーん‥実はまだなんだよね〜。アハハハ‥』
苦笑しながらかなえが長い黒髪をかきあげる。
『とりあえず行ってるうちにわかるだろうさ。地図で見るとやはりこのまま進んでこの住宅街を抜け、高速道路の横の道を行けばいいだろう。』
『じゃあそれで決まりね。川田君達待たせないように早めに行こう!』
かなえがオーッ!と一人で片手を空に突き出している。
『ん‥行こうか。』
北川が苦笑いしながら進みだした。
それにつられ上田とかなえも歩きだす。
しかしこの頃川田と嶋村は壮絶な戦いを強いられていた‥‥