第94話 琴乃の杞憂
部活を終えた琴乃は一度自室へと戻り、シャワーで汗を流した後蓮の部屋を訪れる。
これから行くとメッセージを送ったところ、すぐに鍵は空いているから入って来てくれと返信。
「お邪魔しまーす」
いつもの通りに琴乃は蓮の部屋の玄関をくぐる。
行動自体はいつも通りではあるのだが、その内心は緊張していた。
(お姉とお兄さん、大丈夫かな……?)
今朝は二人共色々と緊張しているようで、一緒に料理をするようになって間もない頃の様なぎこちなさがあった。
ただ、おそらくは二人共相手に対する恋愛感情を自覚したのであろうというのは予想が付いた。
そういったところ、実に素直で分かりやすい二人。
それを素直に喜び応援しようと思ったのだが、時間が経つと不安な気持ちも高まってくる。
(へんに遠慮とかして、距離遠くなったりしないよね……? 好き避けとかしてないよね?)
何しろあれほどぎこちなかったのだ。
普段通りにしようとして失敗してしまい、より関係が悪化してしまう恐れもある。
そんな不安を抱えながら、琴乃はリビングのドアを開けた。
「こんばんはー」
「いらっしゃい」
「琴乃、おかえり」
(…………ん?)
普段通りににこにこしながら出迎える二人に、琴乃は思わず首を傾げてしまう。
どうやら心配は杞憂に終わったようでそれは一安心だが、しかしこれは――
(なんか、いつも通り?)
まるで昨日までに戻ったかのよう。
一歩進んだと思ったのだが、また一歩戻ってしまったのか。
(……いや、悪化するよりはいいんだけどさあ)
とはいえ、この大切な姉と大切な兄の様な二人にはぜひとも幸せになって欲しい。
そう考えれば、今のこの感じは少し残念である。
(…………いや、今朝二人がお互いを意識してたのは事実だし、きっかけさえあればまた……)
「琴乃、どうかしたの?」
「え? あ、ううん。大丈夫だよ」
不思議そうにのぞき込んでくる桜季に、琴乃は慌てて首を振りテーブルへ。
トマトの美味しそうな香りが鼻へと届く。
「美味しそうな香り。トマトってことはボロネーゼ?」
「残念、ハズレだ」
そう言って蓮がおかずを載せた盆を持って来た。
厚皿の中にはたっぷりのトマトソース、中央にはハンバーグ。
スパイスとトマトの香りとハンバーグの見た目が食欲を湧かせてくる。
思わず口の中に唾液が溜まってしまう。
「今日はトマトハンバーグだ」
「マジ!? 美味しそーっ!」
「いつもと違って合い挽きだけどな」
「そんなの関係ないって! お兄さんとお姉の料理、いっつも美味しいから!」
そう言うと二人は嬉しそうに笑って、料理をテーブルへと並べていく。
蓮が炊飯器からご飯をよそい、桜季がスープを運ぶ。
三人で席に着き、揃って手を合わせる。
「「「いただきます」」」
琴乃はさっそくハンバーグへスプーンを伸ばした。
ハンバーグを少し割ると、そこから肉汁が溢れてとトマトソースが絡み合う。
より一層強い香りが湯気と共に立ち上った。
「ふーっ。ん~っ、美味しい!」
一口食べた瞬間、表情が緩むのが自分でも分かる。
「このソース美味しい! トマトなのに酸っぱすぎなくて、お肉とすっごく合う!」
「生のトマトを煮詰めて作ってみたんだ」
「へぇー!」
感心しながら二口、三口と食べ進める。
添えられている野菜も甘みがあって、それがまたソースと合っている。
本当に美味しくて食べる手が止まらない。
自分達も学校で疲れているだろうに、こうしていつも美味しい食事を作ってくれる二人には頭が上がらない。
そう思いながら何気なく二人を見る。
「……」
「……」
蓮と桜季は料理の感想を聞きながら、どこか嬉しそうに笑っていた。
その表情はいつも通り。
そう思っていたのだが、
(……あれ?)
ふと違和感を覚える。
桜季も蓮も、チラチラとお互いに視線を向けている。
以前のような感じではなく、少しだけ遠慮がちに覗き見るように。
そしてすぐに目を逸らし、少し嬉しそうに頬を緩める。
たまに目が合うとお互いに驚き、笑って食事へと戻る。
そんなやり取りが何度か繰り返される。
(ふーん……)
二人を見て、こちらもつい笑みが浮かんでしまう。
朝はぎこちなくお互いを意識していた。
しかし今はぎこちないどころか自然に二人で笑い合っている。
帰宅後は昨日までに戻ったのかとも思ったのだが、どうもそう言うことではない様だ。
あくまでも自然に。
それなのにお互いを少しだけ意識しているのが分かる。
目が合うたびに、ほんの少しだけ照れたように笑う。
そのやりとりが何だか微笑ましくて、つい嬉しくなってしまう。
(なーんだ。心配することなかったか)
琴乃は心の中で小さく笑う。
(ちゃんと前に進んでるじゃん)
ぎこちなさが消えたとはいえ、元に戻ったわけじゃない。
二人はちゃんと昨日までより一歩近付いていた。
それが分かっただけで、胸の中の不安がすっと消えていく。
(もう、距離遠くなったらどうしよう、なんて心配してたのが馬鹿みたい)
そう思いながら、再びハンバーグを頬張る。
「んーっ! やっぱり美味しい!」
満面の笑みで答える琴乃に、蓮と桜季は顔を見合わせて笑う。
その笑顔を見ながら琴乃は思う。
(ほんと、いい感じだよね、この二人)
その後も三人で楽しく食事を進める。
学校での出来事や部活のこと。
普段通りに何気ない話題が続き、それが心地良い。
気が付けば皿の上のハンバーグも、トマトソースまですっかりと消えていた。
「「「ご馳走様」」」
三人揃って手を合わせて食事を終える。
「美味しかったーっ!」
いつも美味しいのは事実として、今日のメニューはこれまでの中でもトップクラスの美味しさだった。
また機会があったら食べてみたい。
「琴乃、すっごく美味しそうに食べてたね」
「うん! 凄く美味しかったよ!」
「それじゃあまた今度作るか。今度はソースもっと多めにして、翌朝の朝食にも流用できるようにして」
「やった! パンに付けたら美味しそう!」
そんなことを話しながら、食器を片付けていく。
二人揃ってシンクで洗い物をしている後姿を見て、桜季は満足そうに頷く。
(うん。この二人なら大丈夫だよね)
きっと、近い内にもっと距離が近づくはずだ。
そんな確信を抱きながら、大切な二人の背中を眺め続けた。




