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1.チョコレート

たしかにその日は毎年私の気分を憂鬱にさせていた。

甘いものが苦手な私には関係のない日。

高校生の時友人が今日は頑張るんだって意気込んでいた。

それは去年も聞いた同じセリフで。


不思議な日だ。普段は告白する勇気がない子でもこの日には告白しようと一生懸命になる。

彼女たちは変な魔法にかかったのかもしれない。でも私は今までそんな魔法にかかったことはなかったし、これからもかかる予定はない。


毎年繰り返されるチョコレートの日。

いつもと同じはずだった。


けれどその日は違った。





大学生になってはじめての2月14日。今日は御菓子メーカーの思惑にまんまとはまってしまった女の子たちが勇気を奮う日。2週間くらい前からお店のあちこちでバレンタインデーフェアが開催されており、どこからともなく甘いにおいが漂う。きっとこの日のためになれないお菓子作りをした子も多いだろう。そんな健気な女の子たちが少し可愛く思えた。ただ、それは他人事であって私にはまったく関係のないこと。


2月は大学生にとってうれしい春休みだというのに、今日は集中講義をとっていたので大学にいた。春休み中というのにも関わらず、心なしかいつもより人が多く感じられる。大学校内がいつもと違う雰囲気であることが嫌でもわかる。朝すれ違った女の子たちは甘いにおいを漂わせた紙袋を持っていて、それを楽しみにしているのか男の子たちもそわそわしている。

私はバレンタインデーって本当はどんな日だったけかなと考えながら歩いていた。



講義中も生徒たちはそわそわしていた。いつもよりも教室がざわめいているような気がする。窓側の後ろのほうの席に座っていた私はくすくす笑っている女の子たちや冗談を言い合って小突き合いをしている男の子たちを見ていた。


黒板には几帳面に書かれた白い文字。

笹川教授はいつものグレーのパンツに白いワイシャツ、彼のトレードマークでもある白衣を着ていた。

この集中講義は全学部が対象で、環境問題をとりあげた授業である。私は少しでも多くの単位を取るために、出席するだけで単位をもらえるというありがたいこの授業を受けることにしたのだ。

もちろん環境問題についてそれほど興味があるわけでもなく、私はただただ教授の話を右耳から左耳へと流れるように聞いていた。

はたして今この教室の中でどれだけの学生が教授の熱のこもった話を真剣に聞いているのだろう。前の席から数えてみたがあまりにも少なくてすぐに数えおえてしまった。

「というわけで釧路湿原のタンチョウヅルは1度でもいいから見るべきだ。」

教授の話はいつの間にかタンチョウヅルの話にかわっていたが、タンチョウヅルにも興味がなかったのでしばらく居眠りをすることにした。


「キーンコーン。」

スピーカーから授業の終わりを知らせる機械的なチャイムが鳴る。

今日で最終日だった集中講義だけれど、みんな名残惜しいわけはなく、授業の終わりを知らせる鐘が鳴ったとたんまだ小言を言っている教授におかまいなく席を立つ学生がわらわらといた。

「よく寝た…。」

うーんと背伸びをして帰り支度をしているときだった。

「ね、伊達さん、これもらってくれない?」

不意に声を掛けられて、それが自分に向けられた言葉なのかわからなかった。

「私も作ったの。よければ食べて!」

教科書をカバンにしまいこんでいた私を囲むように同じ学部の女の子たちが群がっていた。


あれ、なんかおかしい。


そもそも私はれっきとした女で、今日は女の子たちが男の子にチョコレートを渡す日で、それで私はやっぱり女で。

女の子たちが渡してきたものはどう見てもバレンタイン仕様のプレゼントだった。

「え、私に…?」

あまりの出来事に少し気の抜けた返事になってしまった。

「友チョコってはやってるじゃん?って言っても私のは本命だから!友チョコじゃないよ!」

ちょっとふざけたような顔で小柄のショートヘアの女の子がにっこりと笑う。

「なんか伊達さんってあげたくなるような顔してるんだよね。」

「そこいらの男子よりもあげがいがあるっていうか…。」


私は人づきあいが少し苦手で、このポーカーフェイスのせいもあってか近寄りがたい存在だと高校時代の友人に言われたことがある。

2月になったけれど仲のいい友人は今のところひとりだけだ。

なのに今日は少しだけ顔見知りの女の子たちにプレゼントをもらった。

不思議な日だ。

思いもよらない出来事に拍子抜けした私は彼女たちに軽く礼を言うとただぼうっとしてしまった。

私の目の前には可愛くラッピングされたチョコや、おそらく手作りであろうガトーショコラ、有名チョコレート店の高級チョコが並んでいた。

それは少し落ち着いた木目調の渋い机には似つかわしくなかった。

「どうしよう、これ…。」

正直私は甘いものが苦手でチョコレートなんてめったに食べたことがない。あの胸がやけるような甘さはどうしても好きになれなかった。

ため息交じりで独り言をつぶやいた。が、それは突然上から降ってきた言葉によって独り言ではなくなった。


「おれ、食べようか?」


後ろを振り返ると細身の男が立っていた。ゆるいパーマがかかった柔らかそうなアプリコットオレンジの髪。私よりも少し高めの身長。オシャレに着こなした服装。首には黒と灰色と黄色のチェック柄のマフラーが巻かれている。

男はにっこりと笑った。その笑顔はまるで綿あめのようだった。

「そのチョコ。どうしよう、困ったなって感じの雰囲気だったから。」

気さくに話しかけてきた男は私の手元にあったお菓子の包みを手にとって、

「あ、これ、シェリーのチョコじゃん。有名店の。」

とうらやましそうに言った。

よく見れば彼の手にもたくさんのチョコが入った袋があって、こんなにもらってるのにまだ物足りないのかなと思ったけれど、

「…食べる?」

と私は言った。

「いいの?やった!」

彼はするりとマフラーをとって私の横に座った。

「やっぱりチョコはいいよね。おれ、バレンタインデーが誕生日の次に好きだ。」

初対面なのにぺらぺらと話す男に驚きつつも、彼があまりにも幸せそうに食べるから、おいしいのかなと思って私もコーヒー豆がのっている一口サイズのチョコレートを食べてみた。やっぱり甘かった。

「伊達さん、…だよね?」

私は唐突に出された自分の名前に驚いた。

「…なんで私の名前知ってるの?」

「ちまたの噂。伊達さんは女の子たちにも人気あるんだよ。知らなかった?そこいらの男よりも魅力的だって。男のおれたちの立場もないよ。」

ははっと笑い、人懐っこい笑みを浮かべた。

「えっと、下の名前は?」

伊達透子(いでとうこ)。透き通るっていう字。」

「へぇ、透子っていうんだ。おれ、楠千景(くすのきちかげ)。千載一遇の千に、景気安定の景でちかげ。建築学部の1年。また困ったときは呼んでちょうだい。甘いもの関係ならとくに!っていうか是非とも呼んでください。」

なんでもっと普通のたとえかたがないのだろうか、逆に混乱すると思いながらも「ちかげ」という名は私の頭の中に新たにインプットされた。


千景は綿あめみたいにふわっと笑って

「ごちそうさま!おれこれからバイトがあるんだ。それじゃあね、透子さん。」

と言って、軽やかなステップで教室を出て行った。



不思議な人だと思った。人が貰ったチョコを食べるなんて傲慢だと感じるはずなのに、千景は許せてしまうような不思議な雰囲気があった。今日はじめて声をかけてきたのに、前から知り合いだったかのような千景の人懐っこさが人みしりの激しい私には少しうらやましく感じた。

ふぅとひとつため息をついて私も家に帰ろうと思い席に立った時だった。足元に黒と灰色と黄色のチェック柄のマフラーが落ちていた。

それは声をかけてきたときに千景が身に着けていたもので、主人を見失ってしまったマフラーはさみしそうにぽつんと置き去りにされていた。

私はいそいで彼の後を追って廊下に出たが、その姿はなく、あせっている私の顔をちらっと横目に見た数名の学生たちがいるだけだった。

「困ったな。」

ま、もし今度会ったら返せばいいか。会うことがなかったらどうするつもりだったのかわからなかったけれど、私はマフラーをカバンの中にしまった。



綿あめ。私はかなりずっと昔にお祭りの夜店で買ったそれを弟が食べているところを見たことがある。味の感想を聞いたとき、「ふわふわしていて、口に入れた途端甘く溶けちゃった。」と弟は言っていた。


不思議な食べ物。

未知なる食べ物。


小さいころの記憶だからしっかりとは覚えていないし、実際私は食べたことはなかったけれど彼の笑顔はそれに似ていた。

ふんわりしていて甘くて、不思議な笑顔。


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