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第10話 笑う月を背に勝利を誇示してもらえませんか?――フェーズⅠ完

飛行船の開口部に立つラミーシャの髪の毛が微風で流される。

暮れつつある景色の中で金色の髪がたなびく。

「まさか……飛び降りるつもりか?」

「はい」

当たり前のことのように答える。

恐怖をまったく感じていないのがわかる。


「ひょっとして、空を飛ぶ魔法とかがあるのか?」

「精霊さんはそんな力持ちじゃありません」

そう答えながら、ラミーシャは、学生服の上から着せられていた白いガウンを脱ぎ捨てた。

手から離れた衣服はそのまま、はためきながら風に乗って飛び去っていく。


下を見下ろす。

――ありえない!

マリトの頭の中は恐怖一色に染まる。


「大丈夫なのか?」

「はい。スカートですけど、ここを押さえれば、パンツ丸見えにはなりません」

「いやそこを心配しているんじゃなくて……」


「はい。心配しなくても、大丈夫ですよ」

やさしい、癒やすようなラミーシャの声……

朝、この世界で目覚めたときに聞いた女神様の声……

いつしか風が止み、その声だけが優しく届いた。

マリトの不安と恐怖はすっと消えていった。


そして――

「いきますね」

穏やかで優しい声とともに、ごく当たり前に、自然に飛び降りた。

まるで、六段積まれた跳び箱の一番上から飛び降りるかのように……


挿絵(By みてみん)

◇参考挿絵:決死のダイビングに備える


シノハは、はるか上空の飛行船を眺める――

涙でぼやけた視界の中、ゴンドラの出入口に白い人影が映った。

炎の光を映す金色の髪が風にきらめく。

そして、上着を取ると、学生服姿の少女が現れた。

シノハは目を見開いた。


「ミーシャ!?」

「あなたそこから飛び降りるつもり?」


彼女たちは、魔法学園に入学してからずっと、水属性魔法で体組織の強化を行っている。

筋肉の最大出力を元の数倍に、その力に耐えるため骨格と関節を強化、さらに軟骨の衝撃吸収能力も高めている。

そのため普通は不可能な高さからでも無傷で飛び降りることができる。

それでも限界はある。


今、ラミーシャが立っているのは、その限界を明らかに超える高さだ。

ただではすまない。

――それじゃ、自殺と変わらないじゃない!

かといって、炎上する飛行船に乗ったままで無事でいられる保証はない。


シノハはいつ走り出したかの自覚もないまま、飛行船の方へと駆け始めた。

滲む視界の向こうにラミーシャを捉えた目からは、涙が止まらない。

彼女から目を離すことができない。


ルームメートであり親友でライバルでもある彼女を、最期の瞬間まで、目に収めなければならない――そんな気持ちからなのか、シノハにはよくわからなかった。

そして彼女が、一歩、ゴンドラの外へ踏み出すのを見た。

「ミーシャあ――!!」シノハの絶叫が響いた。


◇


ラミーシャが虚空へと一歩踏み出してから、自由落下が始まる。

ジェットコースターで降りるときのような、胃が持ち上げられるような感覚がある。

セーラーブラウスに空気が入り、膨らむ。

ブルーのリボンが風に煽られてはためく。

スカートは軽く手を当てると、両足に巻き付くような形で張り付いた。

誰かが下で何か叫んでいる。


着地まで、約2秒。

地表に足が触れたかと思った瞬間、暴力的な力が地面から突き上げてくる。


凄まじい力の一撃を、腰を落とし、膝を曲げた姿勢で耐える。

強化された筋肉の収縮と骨格が衝撃を吸収する。

それでも残る巨大な力で、地に着いた足のかかとに、尻が押しつけられる。

同時に、足の骨にしびれるような感覚の衝撃と痛みが走る。


衝撃を耐えきった一拍の間を置いた後、ゆっくりと膝を伸ばす。

まるで、体操選手の鉄棒の着地のように、バランスをとるために少し足を開くと、何事もなかったかのように立ち上がった。


――うそだろ。

――同じ人間とは思えない。

遠くから駆け寄ってくる深紅の髪の学生服の少女を見つけると、まるで、駅で待ち合わせしている友達に応えるように、にっこり笑って明るく言った。

「シノハ、お迎え、ありがとう」


手を振ろうとして、大きく手を上げようとした。

しかし、それは途中で止まり、拳を握りしめた。

腰に激痛が走ったのだ。

「ああー、痛い、痛い、痛い、ものすごく痛い、痛い――」

声なき声でマリトはうめいた。


「お父さん、大変です」

動揺しているのが伝わってくる。

「腰、やっちゃいました」

「すっごく痛いです」

辛そうにしゃべる。


マリトの頭の中は激痛に支配されている。

「痛い、痛い、痛い――」


「まだ、本調子じゃなかったみたいです。油断しました」

ラミーシャは辛そうに話を続ける。

「お父さんがパンツ見えるって言うので、ついそっちに気を取られちゃいました」

――いや、断じてそんなことは言っていない!


「ミーシャは……痛く……ないのか?」

「はい、ものすごく痛いです」

顔をしかめつつ、辛そうに話す。


「でも頑張って手を下ろしてみます」

「やっぱりだめです。痛くて動けません」

「痛みを我慢して動かそうとしてるんですが、手も足もお断りって言ってる感じです」


感覚は共有しているので、激痛を感じているのは同じはずだ。

――辛ければしゃべらなくていいのに。

この痛みでどうして話ができる余裕があるのかマリトには理解できない。

「わかった……腰に……響くから……しゃべらなくて……いい」


――さすがにノーダメージじゃなかったか。

――脊髄の神経を傷つけたのだろうか。

――正直生きていること自体が奇跡だが、この激痛は耐えがたい。


ラミーシャの方は、頭を空白にし、痛みを意識しない努力をはじめた。

腕を上げたままの姿勢で、厳しい表情のまま、駆け寄ってくるシノハを、意識の外でぼんやりと見つめた。


挿絵(By みてみん)

◇参考挿絵:笑う月を背に勝利の拳を突き上げる


シノハは、ラミーシャが小高い場所に降り立つのを見た。

日が暮れているが空はまだ明るい。

風が金色の髪とセーラー服をはためかせる。

周辺でまばらに燃えている炎が彼女の相貌を照らす。

雲が切れて、背後に笑う満月が現れた。

炎上する飛行船が風に流されていく。


凜々しい表情で仁王立ちして、勝利の拳を突き上げている親友の姿を見て、ほっと安堵すると同時におかしさがこみ上げてきた。

全速力で駆けるシノハの深紅の髪色が少しずつ黒髪に戻っていく。

「ミーシャ、ミーシャ、ミーシャ……」

「もう、あなたは、心配ばかりかけて……」

おかしいのに涙は止まらない。泣き笑いのまま、さらにスピードを上げて友へと駆け寄った。


◇


恐ろしい速度で、駆け寄ってくるシノハ。

「よけなきゃだめだ、よけなきゃだめだ、よけなきゃだめだ、よけなきゃだめだ」

マリトは念じる。

今度は届いたようだ。答えがあった。辛そうに……

「はい……でも、無理です。動けません。大きな声も出ません」


シノハが急速に距離を縮めてくる。

最後の一歩を踏み込むと同時に、両腕できつく抱きしめてきた。

想像を絶する激痛。悲鳴を上げるラミーシャ。

そして、マリトはブラックアウトした――


◇


これが、マリトが生き抜く力を身につけて、元の世界の人生を取り戻しに旅立つまでの、長く続くラミーシャとの異世界サバイバルの第一日。

異世界ではじめて意識が戻り、また無意識に沈むまでの長い一日の出来事であった。


こうして、謎の勢力による賢者拉致計画は失敗に終わった。

しかし、それは続く第二、第三の陰謀の先駆けに過ぎなかった。

賢者召喚の成功の報はひそやかに近隣勢力へと拡がり、やがて、それは全世界を揺るがす大きなうねりとなっていく。


マリトがラミーシャとともに、平和な魔法学園の日々を満喫することが許されるのは、次の脅威が現れるまでの束の間であるが、この異世界バディの絆は様々な出来事を通じてより強く結ばれていくことになる。



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