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四話 トリコ(後編)

 高い位置の窓に鉄格子のはまった、絵に描いた様な石造りの牢には、月光が射し込んでいた。

 お情けでもらった小汚い毛布の上に座って、鯖丸はぐすぐす泣いていた。

 とうに夜半を過ぎて、日付も変わっていた。

 全裸で拉致られて、牢に閉じこめられるというのは、お誕生日の迎え方としては、最悪の部類に入ると思う。

 別に、ケーキにロウソクを立てて欲しい訳ではないが、これはない、絶対ない。

 折角城まで入れたのはいいが、どうやって脱出しよう、牢の周囲は結界がちがちだし…と、思案していたトリコは、イラっと来たので怒鳴りつけた。

「やかましい、泣くな」

「だって…」

 トリコは、まだ何か着てるからいいよ…と思ったが、女の子がこんな格好で拉致されて平然としているので、ちょっと自分が恥ずかしくなった。

 実際には、女の子と言っても溝呂木先生と同じくらいの年齢だが。

 ごしごし目をこすって、腕組みしているトリコを見上げた。

 何だかかっこいい。

 所長と云い、こういう年上で豪快なタイプに弱いのだった。

「結界がひどい。どうにか破れないかな」

「ジョン太なら、簡単だと思うけど」

 鯖丸は答えた。

 昨日から姿が見えない。何やってるんだろう。

 二人とも魔力が高いのが災いして、強力な結界に手が出せなかった。

「時間はかかるけど、反対側から解いてみる?」

 鯖丸はたずねたが、トリコは首を横に振った。

「時間がかかり過ぎる。幸い床の結界は薄い。ぶち抜いて出よう」

 床の結界が薄いのは、下がぎっちり地面だからじゃないのかと鯖丸は思った。

 あと、こんな強力な結界が床にもかかっていたら、ある程度魔力の高い人間には拷問だ。

 立っている事も座っている事も出来ないで、いずれ衰弱死するだろう。

 牢を覆う結界は、以前トリコが捕まっていた重合結界より遙かに強力だったが、明らかに個人でかけた物だった。

 これをかけた奴は、絶対俺より魔力が高い。

「ぶち抜くって、どうやって」

 鯖丸が聞くと、トリコはあっさり言った。

「お前、攻撃系得意だろ。どうにかしろ」

 自分の得意な魔法は、重力操作を除けば、空気の流れを操る系統が多い。

 鋭いが、地面の様な分厚い面に対しては、それ程破壊力はない。

 たぶん、所長が使っていた、地面から壁を出す様な系統の魔法ならいけると思うが、人には向き不向きがあるのか、以前練習してみたが全く使えなかった。

「そんな、都合のいい事言われても…」

 トリコが、攻撃系の魔法はそれ程得意ではないのは、何となく分かった。

 リンクを張ったせいかも知れない。

「地道に結界解こうよ」

 地道に空気系の魔法で床を削るより、絶対その方がいい。

 結界解除の作業を始めようと、毛布を腰に巻いて立ち上がった鯖丸は「ぎゃー」とか言いながら毛布を牢の隅に放り投げた。

「どうした」

 トリコは聞いた。

「かゆい」

 ダニが居たらしい。地球のこういう所が嫌いだ。

「あ、本当だ。可哀相な尻に」

 しげしげと覗き込まれた。

 いい意味でも悪い意味でも、もうどうでも良くなった鯖丸は、前も後ろも隠すのはやめた。

 何時間ぐらいかかるかなぁ…と、結界の最後の結び目から手を付けようとした時、石畳で覆われた廊下の向こうにある木戸が開いた。

 月明かりと魔法発光の照明の中を、のんきな足取りで歩いて来たのは、昨日会った情報屋、うどんのめん吉だった。

「やっ、元気ーぃ」

「てめぇ」

 トリコは、触ると危ない鉄格子の、ぎりぎりまでにじり寄った。

「私らを売ったな。どっちの情報屋だ、殺すぞハゲ」

 相変わらず口が悪い。

「別にいいじゃん、城には入れたんだから」

 めん吉は、平然と言った。

「ほら、お前の刀」

 鉄格子の隙間から、見慣れた刀が差し込まれた。

「あ…」

 元々、こういう段取りだったらしい。

 鯖丸は刀を受け取った。

「あのー、服は?」

 一応聞いてみたが、予想通りの答えだった。

「そこまでは知らねぇよ」

 絶対、捕まる直前までナニゴトかしていた様子の二人を見比べて、肩をすくめた。

「ジョン太もすぐ来る。オレも色々立場あるんで、これでな」

 立ち去りかけためん吉と入れ違いに、ジョン太が入って来た。

 めん吉からホルスターに入った銃を受け取って、身に着けながら、こちらに走って来る。

「悪い、中々見張りが巻けなくて」

「何だ、お前も捕まってたのか」

 トリコは言った。

「捕まった方が、早く侵入出来るからな」

 うどん屋で言っていた「いつものやつ」というのは、こうい事だったらしい。

 めん吉は、城にも出入り出来るコネを持っていて、表向きなのか実際なのか、二重スパイの様な立場らしかった。

「先に言え、そういう事は」

 トリコは、腕組みして文句を言った。

「ほんと…先に言っといてよ」

 鯖丸も、肩を落としてため息をついた。

 お前、知ってて捕まる演技なんか出来ないだろう…と言いかけて、ジョン太は二人を見比べた。

 ええ…何、その一仕事終わってから捕まった感じの格好は。

「何やってたんだよ、お前ら」

「リンク張ってただけだ。少し手間取ったので、こんな格好だが」

 一切後ろめたい事は無いと言った調子で、トリコは断言したが、鯖丸は少し恥ずかしいのか視線を反らせた。

「ええっ、こいつとやったのかよ。サキュバスに捕まってもギリギリセーフで童貞だったの、お前くらいだぞ。何でこんな、股の蝶番がゆるそうな女と」

「ジョン太は、俺をどっち方向に行かせたいの?人の部屋にデリヘル放り込んでおいて」

 それを言われると、反論出来ない。

「どういうコンビなんだ、お前ら」

 トリコは、二人を見比べて、たずねた。


「そうか…あのサキュバス相手に、ぎりぎりセーフ」

 トリコは、ぐっと拳を握った。

「勝った!!」

 エロ系魔女の間で、何かの目標にでもなっているのだろうか。

 絶対、魔力だけならトリコが圧勝のはずなのに。

「しかし残念だな。お前、このまま三十まで童貞だったら、外界でも魔法が使えたかも知れないぞ」

「都市伝説だから、それ」

 ジョン太は否定した。

「嫌だよ、そんな将来設計」

 鯖丸も否定した。

「博士号を取ったら、宇宙船のエンジン開発関係に就職して、すかさず家庭を持って子供は三人ぐらい…」

 大人の階段を二三段登ってしまったので、妄想が加速している。

「はいはい」

 ジョン太もしんどいので、もういちいち突っ込まない。

「ここ出るぞ、どうせ逃げたのはいずれバレる。石を捜して、早く帰ろう」

「どうやって」

 トリコは聞いた。

 こうやって間近で言い合っているが、実際はがっちがちの結界で隔てられている。

「大体、お前、どうやって逃げて来たんだ」

 段取りからして、ジョン太も捕まっていたはずだった。

「別に、こうやって普通に」

 言いながら、結界に両手を突っ込んだ。

 そこまでは、この男の魔力の低さからして、予想していた範囲内だった。

 しかし、猛獣を閉じこめておく様な太さの鉄格子に両手をかけ、ちょっと力を込めて飴の様にこじ開けたのを見て、トリコは顔色を変えた。

「出て来たんだけど」

「普通じゃないから、それ」

 魔法ではなく、単に腕力でねじ曲げている。何だ、こいつ。

 鯖丸は、何の疑問も抱かないで、結界の利いている鉄格子に触らない様に、外へ出た。

 これで普通らしい。

 トリコも後に続いた。

 木戸の向こうで、人の気配が近付いて来た。

 鯖丸は、トリコの手を握ってから、目を細めて木戸の向こうを透かし見た。

「ジョン太、二人。得物は拳銃とナイフ。投げるやつ」

 ああ、本当にリンク張ってる、こいつ。

 ジョン太は、銃を抜こうとして止めた。

 まだ、大きな物音は立てない方がいい。

 トリコが気が付くと、ジョン太はいつの間にかドアの前に移動していた。

 ドアが開いた瞬間、何か不思議な動作をした様に見えたが、きちんと分かったのは立ち上がる部分だけだった。

 やって来た二人組は、床に倒れていた。

 何がどうなっているのか分からない。こいつのやる事の方が魔法だ。

 鯖丸には、何が起こったか見えていたらしく、相変わらずすげーとつぶやいていた。

 周囲に聞き耳を立てて、まだ、他の追っ手が来ないのを確認してから、ジョン太は足元の二人をつま先で転がした。

「おい、こいつらのどっちか、服剥がして着とけ」

「あ…」

 さっきまでぐすぐす言ってたくせに、もう自分が裸だというのを忘れていたらしい。

 どっちにしようかな…と、腕組みして考え込んだ。

「迷うなバカ。その股間の悪魔超人をさっさと仕舞え」

 ジョン太は鯖丸の後頭部をどついた。

「何だよ悪魔超人って。ばりばり正義超人だってば。何度倒れても火事場のくそ力で立ち上がるって」

 ぶつぶつ言いながら、服をはがし始めた。

 若いのに古いマンガを良く知っていたものだ。

「いやいや、それM78星雲の人だから。すぐカラータイマー点滅するから」

 トリコまでひどい事を言い出した。

 ツッコミが二人になって、不利だと思ったのか、鯖丸は黙って素早く服を着た。

 作務衣だが甚平だか良く分からない変な服で、おまけに丈が短いが、少し手足を動かしてみて、けっこう動きやすいので本人は満足したらしかった。

 もう一人の小柄な方からズボンをはがして、鯖丸はトリコに差し出した。

「着る?」

「いらん、そんな小汚くて生暖かいズボン」

 トリコは断った。

「それより、どうするんだ。このまま闇雲に捜し回っても、いずれ見つかるぞ」

「上へ行け」

 ジョン太は言った。

「石はおそらく殿の周辺にあるって話だ。他にも色々な物を集めているらしい」

 理由は分からないが…と、言った。

「お前達はどうするんだ」

 まるで、別行動をする様な言い方だ。

「ハデに暴れて敵を引きつける。石を捜しやすくなるだろ」

「バカな事を言うな」

 トリコはジョン太を見上げた。

 魔法整形の獣人と違って、顔に表情が良く出るが、それでも何を考えているのか分からない。

 魔法も使えない民間人のくせに。

「この城に何人の敵が居るか、分かっているのか」

「六十人以上、八十人以下」

 ジョン太はあいまいな数字を言った。めん吉の情報かも知れない。

「広い場所ならヤバイけどな。インドア戦で一度に多人数と当たる必要はない。大丈夫だ」

 背中に刀を下げていた鯖丸は、うなずいた。

「俺ら、最近、こういうの慣れてるから」

 二人の戦力が高いので、ここしばらく、荒っぽい仕事はほぼ百パーセント二人に回って来ていた。

 どういうコネがあるのか、魔界に逃げ込んだ犯罪者を捕まえる様な仕事を、どこからともなく所長が取って来ている。

 躊躇しているトリコに、ジョン太が言った。

「大事な物なんだろ。早く行けよ」

 トリコは、言葉に詰まった。

 ただのガラスのかけらが、どれくらい大事な物なのか、本当に分かってくれている様な気がしたからだ。

 事情も知らない他人だ。そんなはずはない。

「分かった、後は任せた」

「じゃあ、先に行くね」

 鯖丸は、こちらを見てから走り出したジョン太の後に続いた。

 迷いがない。

 信頼出来る相棒が居ると云うのは、いい事だなと思った。

 昔は、自分にも…

 廊下の先で、派手な銃声と叫び声が上がった。

 しばらくタイミングを計ってから、トリコは石畳の廊下を走り始めた。


 城の内部は、大部分が木と石で出来ていたが、所々、骨の様な物質がむき出しになっていた。

 城の外観を覆っていた、乳白色の壁面が、こんな風だった気がする。生き物っぽい、気持ちの悪い建材だ。

 ゆるやかに傾斜した廊下を走りながら、ジョン太は鯖丸を振り返った。

 特に変わった様子はない。

 トリコとリンクを張ってしまったと云うので、少し心配していたが、大丈夫な様子だった。

 角の向こうから飛び出して来た十人程の連中を軽く薙ぎ倒してから、鯖丸は変な顔をしているジョン太に聞いた。

「何?」

「お前、体は何ともないか」

「尻がかゆい。ダニに刺された」

 鯖丸は言った。

「そうじゃなくて」

 鯖丸の背後に、二三発弾丸を撃ち込んで、ジョン太は言った。

 背後で人が倒れる音がした。

「あの女とリンク張って、何ともないのか」

「えーと」

 何か回想したらしく、ちょっと顔を赤くした。

「うん、別に何も」

「だったらいいけど」

 ジョン太は、前方に向けて、短機関銃を連射した。

 鯖丸は、少し目を細めて、変な顔で弾道を見た。

「何で聞くの」

「ランクS同士でリンク張る事なんて、あまり無いからだよ」

 ジョン太は答えた。

「あいつは熟練度が高いからいいが、お前はどうなるか分からん」

「そうなんだ」

 自分以外のランクSは、初めて見た。

「良く分からないけど、大丈夫だと思う」

 鯖丸は答えた。

「これで童貞だという俺の唯一の弱点が無くなった。ふふふ、無敵だ」

 全然大丈夫ではない発言だ。

「いや…お前の弱点はバカだからね。直ってないから」

 ジョン太は釘を刺した。

 どんどん敵が群がって来るが、当面、狭い廊下を進んでいるので、一度に来る相手はたかが知れている。

 敵が群がっている方向に向かって、二人は走った。

 騒ぎは大きくなっていた。好都合だ。

 トリコはどうしているだろう…と鯖丸は思った。

 無事なのは何となく分かる。

 リンクを張っているせいだろう。

 前方に、開けた場所があるのが分かった。

 今まで、こんな事は分からなかった。

 ジョン太は、魔力ではなく別の感覚で分かるらしく、二人は止まって、顔を見合わせた。

「何人くらい居る?」

 鯖丸は聞いた。

「二三十人かな、増え続けてるけど」

 空気の匂いを嗅いで、ジョン太は答えた。

「魔力の高そうな奴は居るか」

「四人くらい」

 鯖丸は、少し目をつむってから、言った。

「じゃあ、行くか」

 ジョン太は、両手に銃を持った。

 鯖丸は、刀を抜いた。

 廊下を抜けた先は、二階分が吹き抜けになった広い部屋だった。

 昔のカンフー映画とかで、たまに見る様な構造だ。

 下の階の広場に、敵が群がっている。

「うわー、いっぱい居る、めんどくせぇ」

 ジョン太は、露骨に嫌な顔をしながら、魔法で先制攻撃を仕掛けようとした数人を、あっけなく倒した。

 タメの要る魔法で銃の達人に対抗するのは、鯖丸くらいの速さがあっても無理だ。

「いいじゃん、暴れようぜ」

 鯖丸は、悪い顔をして笑った。

 一瞬、暁が出て来たのかとジョン太は思ったが、思い切り暴れられるので、外界の性格が悪い武藤君に戻ってしまっただけだった。

 あっという間に、鯖丸が視界から消えた。

 重力操作と高速移動で飛び回り、魔法攻撃を避けながら天井に逆さ向きに着地した。

 いくら重さがほとんど無くても、天井に座っていられるはずがないと思ったが、その時にはもう、姿が変化していた。

 かまいたちの時に見た、鬼の様な外見だ。

 あの時には普通だった足まで、かぎ爪の付いた人外の物に変わっていた。

 天井を蹴って、すっかり変わってしまった鯖丸は、加速した。

 いつもながら、地面に向かって頭から高速で突っ込んで来る思い切りの良さは凄い。というか、どこか壊れているんじゃないかと思う。

 飛んでいる間の周囲の敵は、ジョン太が一掃した。

 体を反転させ、着地した次の瞬間、一気に重さを加算した。

 ずしん…という鈍い音と共に、床に亀裂が入った。

 周囲が体勢を崩したスキに、重さを通常に戻して、回転しながら技を繰り出した。

 円形に広がった衝撃波が、群れていた敵を一掃した。

「あー、取り返しが付かないくらい、強くなってる」

 ジョン太は、頭を抱えた。

 破壊された部屋の中心で、鬼の姿をした鯖丸が立ち上がった。

 衝撃波を繰り出した時の空気の流れが、周囲で埃を舞い上げ螺旋を描いた。

 どんどん人間離れして行く様で、ちょっと不安だ。

 背後から、下の階の廊下を駆け抜けてきた敵が、襲いかかった。

 銃撃と魔法を、刀で受け止め、あっさり片付けて上を向いた。

「ジョン太、終わったからそっち戻るね」

 アホっぽい顔で笑ったので、少し安心した次の瞬間、背後の壁から湧き出す様に、人影が現れた。

 まだ半分壁に埋まっているが、明らかに鯖丸を狙っている。

 こちらからは、鯖丸の背後一直線上で、銃では絶対狙えないはずだった。

 どうしてそんな事をしてしまったのか、ジョン太にも分からなかった。

 ためらわず引き金を引いていた。

 銃弾が、空気を切り裂くのが見えた。

 素人には分からない、ほんのわずかな誤差だったが、明らかに銃弾は曲線を描いた。

 紙一重で鯖丸を避け、壁男に命中した。

 自分が何をしたか、分からなかった。

 ジョン太には珍しい事だが、呆然と立ちつくしてしまった。

 二階に飛び上がって着地した鯖丸は、元の姿に戻ってから駆け寄った。

「ジョン太、どうしたの!!」

 背中の鞘に刀を収めて、ジョン太の両手を握った。

 自分でも、何がどうなっているのか、分からない。

「ええと…」

 曖昧な返事しか、出来なかった。

「どうしたんだろう、俺」

 こんな頼りない感じのジョン太は見た事が無かった。

「魔法だから、それ」

 鯖丸は言った。

「最近、弾道が変だと思ってたけど、自分で曲げてるよ」

「そうなんだ」

 この業界は結構長いが、魔法を使う事に関しては、鯖丸の方が先輩だ。

 そう言われるならそうなんだろう。

 長年、魔法を使える様になれと言われ続けていたが、あまり嬉しくなかった。

 というか、まずい。

 普通に練習していて使えたならいいが、敵の真ん中で、持っている武器の性能が、自分の知らない物にがらりと変わるのに等しい事態だ。

 困った事になったと思った。

 トリコとリンクを張って、鯖丸の力が一気に上昇したので、自分も引きずられたのかも知れなかった。

「ううん、もうちょっと前から、微妙に曲がってた」

 手を握っていて、考えが少し分かるのか、鯖丸は言った。

 それから、気が付いて手を離した。

「そうか」

 まぁ、これでやるしかない。

 ジョン太は、ため息をついた。

「魔力は低いままだよな。お前、分かるか?」

 鯖丸は、少し目を細めてジョン太を見た。

「うん、低い。前より少しは高いけど、そんなに変わってないよ」

 魔力が低いと言われて、こんなに嬉しかった事は今まで無かった。

 もし、高くなっていたら、今までの様に攻撃に当たりに行って反撃する事も出来ないし、戦い方自体、がらりと変えなければならない。

「じゃあ、このまま行こう」

 ジョン太は言った。

「大丈夫?」

 鯖丸は聞いた。

「さぁ、分からんけど、まぁ、今まで通りやれるよ」

 ジョン太は答えた。

 ジョン太は、どちらかというと見栄っ張りなタイプだが、自分を過大評価して仲間を危険な目に遭わせる様な真似は、絶対しなかった。

 うかつにそういう事をしそうなのは、自分の方だ。

「分かった、行こう」

 鯖丸は言った。


 トリコは、入り組んだ廊下を移動していた。

 その辺の部屋に侵入して、適当な布をスカート代わりに腰に巻いて、髪をくくっていた。

 まだ、誰にも出くわしていない。

 遠くで騒ぎが起こっているのが分かった。

 本気で、あの人数を相手に、互角以上に戦っている様子だ。

 目算では、城の半分以上を登っているはずだったが、確信はなかった。

 廊下の向こうに、階段が見えた。

 今まで、城の周辺を巻く様に登っていたが、ここから先は、明らかに様子が違う。

 廊下の両脇には、灯りが点っていて、槍状の武器を持った男が二人、脇を固めていた。

 下で起こっている騒ぎに、参加する気配もない。

 トリコは、素足で廊下を踏んで、二人に向かって歩き出した。

 明らかに怪しい女に向かって、二人は槍の先を向けた。

 ふわりと床を蹴って、滑る様に二人の間に入り込み、両手を伸ばした。

 思っていた以上に速く動けたので、自分でも少し驚いた。

 指先から、糸の様な物が伸び、二人の男の顔に、ずぶずぶとめりこみ、融合した。

 二人は、少し痙攣し、棒立ちになった。

 しばらくそうやって、探りを入れていたトリコは、必要な事が分かったので、糸を引き抜いた。

 二人はその場に、崩れ落ちた。

「上か…」

 結局、この階段を上がらなければ、目的の場所に行けない。

 階段の上には、分厚い木の扉が見えた。

 向こう側に人影はない。

 行くしかなかった。

 トリコは、階段を登った。


 ジョン太と鯖丸が階段まで来たのは、それから少し後だった。

 襲いかかって来る連中を倒しながら走っていたら、ここに着いてしまった。

 倒れている見張りの前に屈み込んで、調べていたジョン太は振り返った。

「意識はあるみたいだが、どっかに正気が行っちまってるな。これ、あの女がやったんだと思うか?」

 鯖丸は、膝に両手をついて、肩で息をしていた。

 今まで、魔界でこんなに長時間戦った事はない。

 いくら普段から鍛えていても、普通の人間にはきついだろう。

「少し休むか」

 ジョン太は聞いた。

「今やってる」

 しばらく呼吸を整えて、こちらへ来た。

 トリコがどんな魔法を使えるのか、いくらリンクを張っていても把握出来ている訳ではないが、痕跡は確かにあった。

 倒れている男の顔に、指先で軽く触ってから、階段を見上げた。

「上に行ってる。こいつらの頭を探って、何か見つけたみたいだ」

「そうか」

 ジョン太は、少し考えた。

「そろそろ合流した方がいいな。行けるか」

「うん」

 二人で歩き出そうとした時、階段の上の扉が開いた。

「待て、この先は通さん」

 扉の向こうは、昼間の様に明るかった。

 声の主は、シルエットになっていて顔も分からない。

 薄暗かった広い踊り場も、真っ直ぐに射す光に照らされた。

 顔は分からないが、シルエットだけで誰だか分かった。

「あっ、トゲ男」

 トゲ男は、階段を下りて来た。

 背後から、二人の男が付いて来る。

 どちらも、全裸で拉致られる時に見た憶えがあった。

「まさか、こんな所で会うとはな」

 トゲ男は、鯖丸の方を見た。

「え、知り合い?」

 それはまずいんじゃないかとジョン太は思った。

 鯖丸は、魔法整形が苦手だ。

 一度試した事はあったが、長時間整形した姿を維持出来なかった。

 鬼の様な姿に変わる事は出来るが、あれは実用本位で、顔はそのまんまだ。

 反対にトゲ男は、原型が分からないくらい自分を変えている。

 本名を知られていたらヤバイ。

 ジョン太は銃を抜いたが、もしかしたらこいつ、外界で鯖丸の友達だったりしたらまずいと一瞬思った。

 学生だと言っていたし、可能性はある。

 少し迷ったのが災いした。

 トゲ男の背後に居た二人が、両脇からジョン太を羽交い締めにしていた。

 瞬間移動して来ている。

 魔力が普通レベルの人間だったら、倒れている様な攻撃を仕掛けられていた。

 無理矢理振り放し、肘撃ちと蹴りで倒したが、その間にトゲ男が移動して来ていた。

 残りの階段を一足飛びに飛び降りて、鯖丸の目の前に立った。

 どう考えても、刀で一撃を入れられる間合いだが、鯖丸は動かなかった。

 トゲ男が、鯖丸同様素で強いのが分かった。

 たぶん、同じ様な剣道の有段者だ。

 得物は真剣な分有利だが、背中の剣より腰に差した木刀の方が早く抜ける。

 バカ、さっさと魔法使え、絶対お前の方が強いから…と、ジョン太は思ったが、鯖丸はバカ正直に挑発に乗って、剣術で戦うつもりらしかった。

 やっぱりバカだこいつ。

「ええと…誰」

 更にバカ丸出しの質問をした。

「俺の顔を見忘れたか」

 トゲ男もバカだった。分かる訳がない。

「武藤玲司、止まれ」

 ああ、やっぱり本名知られてる。

 固まった鯖丸の喉元に、木刀が突き付けられた。

 単なる木刀だが、魔力を帯びていて、皮膚に触れれば焼き切られそうだった。

 鯖丸は、固まったまま、普通に鬱陶しそうな口調で言った。

「だから、誰だよ」

「忘れたのか。貴様の永遠のライバル、秋本隆一だ。昨年の地区予選での雪辱を今…」

 自分で本名をバラしている。本物のバカだ。

 トゲ男の姿が変化した。

 普通の人間の姿に戻っている。いや…普通と言うには語弊がある。

 すごい男前だ。

「ああ、広大の秋本君」

 鯖丸は、納得した様に言った。

「何でライバルなの、君」

 金縛りをかけられていても分かるくらい、やれやれという顔をした。

「弱いくせに」

 武藤君、本気で性格悪い。

「何でお前、剣道やってる時の方が性格悪いんだよ。武道家として、どうなんだ、それ」

 ジョン太は、溝呂木先生みたいな事を言い出した。

「勝てばいいんだよ、勝てば」

 二人は同時に反論した。

「あ、やっぱり友達なんだ。俺、手出ししないから」

「友達じゃねぇ」

 更にハモっている。

「良かった…お前の友達って、山本と迫田の二人しか居ないと思ってた。見学するわ、俺」

 ジョン太はその辺に座り込んだ。

 友達じゃないのに…と二人はぶつぶつ言った。

「秋本隆一、束縛解除」

 鯖丸は命令で自分の束縛を解いた。

 更に、背中に背負った刀を外して、ジョン太の方に投げた。

「同じ条件でやってやるよ。木刀寄こせ」

 秋本は、もう一本挿していた木刀を抜いた。

「奥道後温泉と、厳島神社、どっちがいい?」

「じゃあ、温泉」

 差し出した手に、木刀が渡され、二人は少し後ずさって間合いを取った。

 秋本は、上段に構えていた。

 鯖丸は、少し体をずらして、斜めに中段の構えを取っている。

 どちらの構えが有利なのか、剣道は素人のジョン太には分からなかったが、それなりに色々な格闘技をかじっているので、どちらが強いのかはすぐに分かった。

 秋本君、早く逃げた方がいいぞ…と、ちょっと思った。

 鯖丸の足が、すうっと前に出た。

 上半身は全く動いていない。

 そのまま、目にも止まらない速さで、撃ち込んだ。

 見事な抜き胴が決まった。

 秋本は、その場に崩れた。

 鯖丸は、ふん…と小さくつぶやいた。

「弱いよ」

 文句を言った。

「もうちょっと強くなってから、出直して来い」

「くそっ、今年の地区予選こそ」

 秋本は言った。

「二秒で倒す」

 武藤玲司は、断言した。

「あの…ちょっといい」

 ジョン太は、スポ根物の流れに、歯止めをかけた。

「俺ら、石を帰してもらえれば、それでいいんだけど」

「石って何」

 秋本は、今までこっちがやって来た事を全否定する様な、へこむ事を言い切った。

「ビーストマスターから盗んだ石だよ。お前が盗ったんだろうが。さっさと返せ」

「えー」

 秋本は、鯖丸を見上げて、変な顔をした。

「お前、普通のプレイヤーとかじゃないよな。何やってんだ」

「バイト」

 鯖丸は答えた。


「石は、殿が持ってると思うけど」

 秋本は言った。

 目新しい情報ではない。

「お前こそ、ここで何やってんだ」

 鯖丸は聞いた。

「バイト」

 秋本は答えた。

「そうなんだ」

 あっさり納得してしまった。

 似た様な二人だ。秋本の方が超男前だが。

「ビーストマスターが、ここを通ったと思うけど」

 ジョン太は聞いた。

 秋本は、自分に突き付けられた拳銃をちらりと見て、素直に吐いた。

「通した。殿が会いたいって言ってたからな」

 少なくとも、捕まったりはしていない様だが、それはそれでまずい気がした。

「殿って、何者だ」

 前から気になっていたので、ジョン太は尋ねた。

「分からない」

 秋本は即答した。

 ジョン太は、銃口で秋本の頭をぐりぐりやったが、意外に頑固な青年で、口をつぐんだままだった。

「お前、そんな分からないもんに雇われてるのかよ」

「分からないが、悪い人じゃない」

 秋本は、意外な事を言った。

「いや…人かどうかは、分からない」

「ええ?」

 そんな答えが返って来るとは思わなかった。

「じゃあ、何だ」

 ジョン太は怖い顔で聞いたが、秋本はもうしゃべらなかった。

 踊り場の隅で、何かごそごそやっていた鯖丸は、ロープを見つけて戻って来た。

「ジョン太、これ」

「おお、お前にしちゃ気が利くな」

 ジョン太は、踊り場の柱に、秋本を括り付けた。

「よし、行くぞ」

 殿の正体については気になるが、トリコが一人で殿の前に行ってしまうのは、少し危ない気がした。

 急いだ方がいい。

 階段へ走り出そうとしたジョン太は、鯖丸が秋本の前にしゃがんで、何かやっているので止まった。

「え、何してるの、お前」

 鯖丸は、秋本のズボンを脱がせ、更にボクサーパンツをひっぺがそうとしている所だった。

「秋本君には、全裸で拉致られる辛さを、ぜひ分かち合ってもらいたいと思って」

 パンツをむしり取って、その辺に投げ捨てた。

「うわぁぁ、やめろー。せめてパンツはー」

 秋本は悲鳴を上げた。

「あー、魔界で写真が撮れたらなぁ。試合の時外野できゃーきゃー言ってる女の子全員に、転送するのに」

 鯖丸は、ため息をついた。何げに、秋本の男前には、ちょっと悔しい思いをしていたらしい。

「お前、最近芸風黒いよ」

 ジョン太は言ったが、別に秋本は助けないで階段を登った。


 階段の上は、全く様子が違った。

 なぜ、ここが城と言われているか分かった。

 昔の、日本の城にそっくりだ。

 どこから光が来ているのか分からないのに、昼間の様に明るい空間を、板張りの廊下と襖が、ずっと先まで続いていた。

 階段の終点で、一瞬靴を脱ぎそうになったジョン太を、鯖丸はちらりと見た。

「ジョン太って、本当はニセ外人?」

 何の利点があって、そんな事するか二百字以内で簡潔に述べろコラ…と、ツッコミ文句は脳内にすらすら出て来たが、口に出すのはぐっと堪えた。

 大体所長とコンビだった頃は、俺がボケだったはずだ。

「ばあちゃんが日本人」

 普通に説明した。

「そうなんだ」

 鯖丸は普通に納得した。普通って大事だ。

 襖の所々には、トリコの痕跡が残っていた。

 鯖丸には見えるらしかったが、ジョン太は元々匂いで痕跡が分かるので、二人とも同じレベルで追跡を続けた。

 あちこちの襖を開けて、部屋の中を捜しているのが分かった。

 何処にも、目的の物が無いのも分かった。

 大半の部屋は、畳が敷いてあるだけで、何も無かった。

 形式的に日本の城を再現しているだけで、使用目的は判然としなかった。

 この城を造った奴は、何かおかしい。

 時々、用心棒的な奴らが潜んでいる部屋があったが、弱い奴ばかりで、話にもならなかった。

「何だろう、ここ」

 鯖丸は尋ねた。

「俺に聞くな」

 ジョン太は答えた。

 上の方にトリコが居るのが分かったらしく、鯖丸は走り出した。

 更に階段を登り、廊下を走り抜け、閉じられた襖を開け放った。

 畳を敷き詰めた、三間続きの大広間だった。

 一段高くなった、奥の間に『それ』は居た。

 外界で収集したがらくたに囲まれ、肘掛けにもたれて鷹揚に周囲を見ている『それ』。

 人に似た姿だったが、人ではないのは、一目見て分かった。

 何だこれ。

 『それ』の面前に、トリコが居た。

 哀願する様に、両手を差し出していた。

「返してくれ」

 悲痛な声だった。

「たった一つの、夫の形見なんだ」

 個人で民間に依頼してまで捜していた物の正体を、二人は初めて知った。

 バカと言えばバカだ。

「俺は、そういうバカ、嫌いじゃない」

 ジョン太は、鯖丸を振り返った。

「お前はどうする」

「ええと」

 鯖丸は一瞬考え込んだ。

「ええ、夫って何だ。ああ、形見って死んでるんだ。どうする、どうするよ俺。うわー」

「うろたえるな、小僧」

 ジョン太は、鯖丸の尻を蹴り飛ばした。

「お前、短期間で、あの女のどの辺のポジションまで狙ってたんだ」

「行ける所まで」

「勢いで暴走するな、ボケー」

 結局ツッコミだ。

 殿とトリコが、こちらに気付いた。

 殿と呼ばれている、人ではない何かが、立ち上がった。

 真っ黒な長いドレッドヘアに埋もれた、陶器の様に白い顔が、こちらを見た。

 古びたぬいぐるみ、赤と白の初期のファミコン、田舎の場末でも見ない様な昔のパチンコ機、古本、折れた釣り竿、使い物にならない程酷使された野球のグローブ、壊れた大昔の一眼レフ、サッカーボール。

 殿は、瓦礫の中から歩み出た。

 一瞬で、鯖丸には分かった。

 牢に結界を張ったのは、こいつだ。

 自分より魔力が高いのは、当然だった。これは、人間じゃない。

「今宵は、来客が多いな」

 殿は声を出した。

 良く響く声だった。

 普通に話すだけで、本名を押さえて命令を出すのと同等の力がある。

 トリコが振り返った。

 ひどい顔だ。怯えているのが、一目で分かる。

「逃げろ」

 苦労して、言葉を喉から吐き出した。

「予定外だ。あれは、この世界の物じゃない。契約は解除する。逃げてくれ」

「当日のキャンセル料は高いですよー、お客さーん」

 ジョン太は、両手に銃を持って、踏み出した。

「お薦めはしませんけどねぇ」

「そうだ。昔のダンナより俺の方がいいだろ。微妙にジャニーズ系だし」

 鯖丸は、訳の分からない事を言い出した。

 何を狙ってるんだ、このバカは。

「いや…お前は普通にあっさりした地味な顔だし」

 ジョン太は止めた。

 トリコは、振り向いて少し笑った。

「ありがとう。早く逃げろ」

「却下!!」

 鯖丸は、刀を抜いた。

 抜いた瞬間にもう、攻撃魔法が繰り出されていた。

 たぶん、この手の攻撃魔法では、人類最速だ。

 ただ、相手は人間じゃない。

 光に飛んできた羽虫を追い払うより軽く、鋭い攻撃が柔らかく打ち払われた。

「乱暴なお客だ」

 殿は、手に何か握って、進み出た。

 鯖丸は、次に来る攻撃に備えようとしたが、殿が持っているのは、マイクだった。

「ようこそ、我が城へ。まずは一曲聞いてもらおう」

 聞き間違いでなければ、瓦礫に埋もれた昔のカラオケセットのスイッチを入れる時、殿は小声で「ポチッとな」と言っていた。

 昔の歌謡曲の、もの悲しいイントロが流れ始めた。

 音に違和感があるのは、音源がモノラルだからだ。

 鯖丸くらいの年齢だと、モノラル音源なんかめったに耳にした事はないはずだ。

 イントロが流れ始めた瞬間、ジョン太が前に出た。

 止めようとしたトリコは、ジョン太が二本目のマイクを掴むのを見て、そのまま固まった。

 殿とジョン太の目が合い、二人の間に何かのアイコンタクトが成立した。

 兄弟で歌っていた古い歌謡曲だった。

「明日わたしは旅に出ます」

 一瞬のアイコンタクトで、どっちが弟のパートをやるか決定したらしい。

 ものすごく上手い。

 異形の物とは思えない、切々とした歌声だ。

 というか、ここまで上手いと、もうこれ、攻撃魔法の一種なんじゃないかと鯖丸は思った。

 とりあえず、殿が歌に夢中になっている間に、トリコの手を引いて自分の近くまで避難させた。

 ジョン太が兄のパートを歌い出した。

 そうじゃないかとは思っていたが、やっぱり歌が上手かった。

 おまけに、無駄にいい声だ。

 さびの部分で、二人は完璧にハモった。

「何で、初対面の人とこんなにハモれるんだ…」

 鯖丸はつぶやいた。

「いや、人じゃないから、あれ」

 トリコは言った。

「じゃあ何」

 人ではないのは分かっていた。

 しかし、だから他の何なんだと言われると、全く分からない。

「穴の向こうに異界があるのは知っているな」

 鯖丸はうなずいた。

 いくらダメなバイトでも、それくらいは知っている。

「あれは、向こう側から来た何かだ。人ではないし、生き物かどうかもまだ分かっていない」

「いや…俺には分かる。あいつらはカラオケ好きなただのダメなおっさんだ」

 鯖丸は断言した。

「歌ってる間に逃げよう」

「嫌だ。やっとここまで…」

 トリコは、鯖丸の腕を振り払おうとしたが、がっちり捕まえられて出来なかった。

「お願いして返してもらえなかったんだろう。あれ相手に力ずくは無理だ」

 負けず嫌いのこの男には珍しい意見だった。

「こっそり取り返せなかったんなら、一旦引こう」

 一旦引いてしまったら、もう取り戻すのは無理だろう。

 諦めろという意味だった。

「だから、お前達だけで逃げろと言ってるだろう。あの歌ってるバカを連れて、早く行け」

 そろそろ、八時丁度のあずさ二号で、ダメなおっさん二人が旅立ってしまう。

 時間がない。

 鯖丸は、トリコの手を放さなかった。

 ごつい手だ。何をやっているか知らないが、相当鍛えている。

 女の力で振り解くのは無理だった。

 トリコの指先が、軽く震えた。

 魔法を使ってでも、振り解くつもりだ。

「死んだ奴の形見より、生きてる人の方が大事だ」

 鯖丸は言った。

「それでも、あいつとやる?」

 トリコはうなずいた。

「分かった」

 鯖丸は、トリコの手を放した。

「折角リンク張ったんだ。思い切り使おう」

 背中にかけた刀を降ろして、左手で腰の所に構えた。居合いの構えだ。

 ここから抜けば、背中から抜くより更に速く攻撃を繰り出せる。

 間合いを計っていたその時、ジョン太が歌い終わった。

 …と思ったのは一瞬で、瞬きする間もなく殿のこめかみに銃を突き付けていた。

「久し振りに気持ち良く歌わせてもらった後に、野暮な話だが」

 まだ、左手に持ったマイクのスイッチが入っているので、その辺一帯に声が響いた。

「石を帰せや」


 さすがジョン太…と、鯖丸は思った。

 単に歌いたかっただけの様な気もするが、殿と距離を詰めて銃を突き付けている。

 戦闘用ハイブリットの反射速度は、異界の物にも通用する様だった。

 ただ心配なのは、異界の物に銃撃が通用するかどうかだ。

「やれやれ」

 殿は、マイクのスイッチを切って、四角いアンプ状のカラオケセットの上に置いた。

「本当に野暮な客だ。吾輩にその様な鉛の固まりが通用すると思っての所業か」

「思ってるさ。異界の奴らは、物理攻撃に弱いからな」

 ジョン太は、引き金にかけた指に少し力を入れた。

「いかさま左様、この世界で言う物理攻撃には、我等は弱く出来ている」

 殿は、笑った。

 薄く開いた口の奥は、深淵の闇だった。

 これは本当に、人でもなければ、どんな生き物でもない。

「吾輩にその弾を撃ち込めるかどうか、聞いておる」

「出来るさ。俺はこっち側でも、普通の人間じゃないんだ」

 六連発の銃が、近距離から撃ち込まれた。

 障壁が殿を守るのが見えたが、一発が腕に命中した。

 殿の顔から、笑いが消えた。

 黒い液体が、着物を纏った腕から流れ落ちた。

「血が出るなら殺せる」

 ジョン太は、にやりと笑った。

「カリフォルニア州知事の名言だ」

「誰だよ、そんな奴知事に選んだの」

 めずらしく、鯖丸がツッコミに回った。

「生きてる間に、石を返せ」

 めずらしい鯖丸のツッコミはスルーして、ジョン太は殿を脅した。

「攻撃は当たるが、吾輩は殺せぬ」

 殿は言い切った。

「なぜなら、お前達の基準で言う生命を吾輩は持っておらぬからな。生きていない物は殺せん」

「ジョン太、下がって」

 鯖丸が、刀に手をかけていた。

「殺せないなら壊すけど、いいよね」

 トリコの魔法が連動している。

 鯖丸の魔法が空気系…というか、風属性だとすれば、トリコは水だった。

 連動すればどうなるか、ジョン太にも想像はついていた。

 たぶん、嵐になる。

「答えは聞かないけど!!」

「聞けよ、その辺は」

 城の大広間を、ハリケーンが吹き荒れた。

 殿が集めた瓦礫の山が、空中に吹き飛ばされ、部屋中を荒れ狂った。

 意外な事にダメージがあった。

 しかし、期待していた程のダメージではなかった。

 大事な物を壊されて、怒っておられる。

 反撃の方が、こちらから仕掛けた攻撃より大きかった。

 三人は部屋の隅に吹き飛ばされた。

 とっさにジョン太は二人を庇った。

「うわ、何するんだお前。無茶な…」

 反論しかけたトリコは、ほぼ無傷なジョン太を見て、黙った。

 部屋の隅まで吹き飛ばされたダメージはともかく、魔法攻撃の痛手はほとんど受けていない。

 魔力が低いという事は、魔法の理の外に居るという事だ。

 異界の物にも通用する。

「すげぇジョン太。さすが最強の魔法無能者」

「嫌な評価だなぁ、それ」

 ジョン太は言った。

「誉めてる」

 鯖丸は言った。

「その調子で魔法使わないで」

「うぇ」

 先刻、無意識で軽微な魔法を使ってしまった事を思い出した。

 実は、意識して使うより使わない方がむずかしい。

「分かった」

 言ってしまった時点で、ゼロだった魔力が少し上がった。

 鯖丸は、刺激しない様に黙った。

 低いレベルとは言え、魔力がこんなに変動する人間を見たのは初めてだった。

「ジョン太の魔力って、実はあんまり低くない?」

 鯖丸はトリコに聞いた。

「最初からそう言ってるだろ」

 トリコは答えた。

「実際、どの程度」

「たぶんランクBの中程度」

「充分高いな」

 鯖丸は考え込んだ。

『実はジョン太、魔法使える』

 いつの間にか、ジョン太に聞こえない様に、直接頭の中に意識を通して来ている。

『このままそっとしとくのと、二人で尻蹴飛ばして魔力を上げるのと、どっちがいい?』

『待て、何考えてるんだ』

 殿が、瓦礫の向こうで立ち上がった。

 物理攻撃に弱いと言う割に、意外と丈夫だ。

「三人でやったら、あれに勝てるかも」

 殿を指差した。

 可能性はある。

「やってみよう」

 トリコは、ジョン太の方を向いた。

「お前、大変な相棒を持ったな。覚悟しろよ」

「えっ」

「簡易接続する。抵抗するな」

 細い腕が首に回され、唇が重なった。

 そのまま、意識の表層へ手を伸ばし、差し込んだ。

 ジョン太は抵抗しなかった。少なくとも体は抵抗しなかった。

 中身のガードはがちがちだった。

 こんなにガードの堅い人間は、見た事がなかった。

 魔法を使えない事と、何か関係があるのかも知れない。

 こいつとリンクを張るのは、きっと鯖丸相手より大変だ。

 表層を簡易接続するだけなので、ガードの高い中身は無視して、触った表面だけを掴み上げた。

 そのまま、自分の方へ強引に繋いだ。

 ばちっと音がする様なイメージがあった。

 簡易接続は繋がったが、引き上げられない。何かが必死で抵抗している。

「鯖丸、手伝え。私一人じゃ無理だ」

「ジョン太、ごめん」

 鯖丸は、トリコとジョン太の手を握って、中継に入った。

 抵抗するジョン太の魔力が、ぐいぐい上に引っ張られた。

 一瞬、抵抗している何かの姿が見えた。

 自分をがんじがらめにして、檻の中に閉じ籠もっている獣。

 あれをどうにかすれば、きっとジョン太は普通に魔法を使える様になるんだ…と、鯖丸は思った。

 いずれどうにかしよう。今は時間がないけど。

 引っ張り上げられた何かが、ずぶりと表層を突破した。

「よし、成功だ」

 トリコは、ジョン太から離れた。

 予想していたより魔力が高い。

 ランクBの中程度ではないかも知れない。

「簡易接続は長持ちしない。短時間で決めよう」

 トリコは、ジョン太に言った。

「それと、お前もう、魔法無能者じゃないから、攻撃魔法には絶対当たるな」

「何するんだお前ら」

 ジョン太は怒鳴った。

「どんくさいくせに、俺が盾にならなかったら、攻撃当たり放題だろ。特にトリコ」

 鯖丸は、元々運動神経もいいし反射速度も速い。しかしトリコは、魔力が高いだけで、身体能力はごく普通の女だ。

「お前、何で私がビーストマスターと呼ばれているか、分かってないな」

 トリコは、身に着けていたニットのブラウスを脱ぎ捨てた。

 白い体に、不気味なタトゥが浮かび上がった。

 薄い青緑の、腕が生えた蛇に似た怪物。足に巻き付いた、黒いトカゲ。背中に浮かび上がった、コウモリに似た四枚の羽根。

 うっすらと笑って、トリコは腕を差し伸べた。

「おいで」

 目の錯覚かと思った。

 トリコの体の表面を、蛇に似た化け物がはいずり回った。

 そのまま、差し出した腕から、外に躍り出た。

「襲え」

 殿に向かって、不気味な蛇が襲いかかった。

「鯖丸、追加!!」

 トリコは叫んだ。

「おぅ」

 攻撃魔法が重ね掛けされた。

 不気味な蛇が、殿を飲み込んだ。

「ジョン太、ぼやぼやするな」

 怒られた。鯖丸のくせに。

 この時点で、自分に何が出来るのか、ジョン太には全く分からなかった。

 魔力が低いままの方が、良かった気がする。

 両手に持った銃を撃ち込んだ。

 三発ずつ撃ち出された銃弾は、お互いの間をぐるぐると回りながら加速した。

 威力を増しながら加速し、融合し、あり得ない軌道を描いて殿の体にめり込んだ。

 当たると思った瞬間、力を込めた。

 激しい爆撃が、辺りを薙ぎ払い、焼き尽くした。

 自分の魔力が火炎系だと言う事すら、今まで知らなかった。

 殿の体に、大穴が空いていた。

 人間だったら死んでいるが、相手は生命も持っていないと言う異界の物だ。

 一瞬で反撃が来た。

 反射的に、今までの習慣で魔力の高い二人を庇っていた。

「バカ、止めろ」

「ジョン太、やめて」

 背中に何か当たる感触はあった。

 それだけだった。

 ジョン太は無傷で立ち上がった。

「あー、何となく分かったわ」

 両手に銃を構えた瞬間、ほとんど無くなっていた魔力のレベルが急上昇した。

「自分で調節出来るんだよな、これ」

「いや、たぶんそんな事出来るの、ジョン太だけだから」

 鯖丸は言った。

「そうなんだ」

 誰でも、それなりに自分の得意技という物を持っている。

 鯖丸の重力操作や、トリコの魔獣召還だ。

 しかし、魔力の出力調整というのは、初めて聞く能力だった。

「この状態は、長続きしないんだよな」

 ジョン太は聞いた。

 確かに、簡易接続は長続きしない。

「どれぐらい持つ?」

「人による」

 トリコは答えた。

「お前なら十分くらいかな」

「充分長いな」

 今まで反撃しかして来なかった殿が、ふわりと両手を広げた。

 そよ風の様に優しい流れが、三人の前まで吹き寄せて、やにわに牙をむいた。

 さすがに、腹に大穴を開けられて怒っておられるらしい。

 鯖丸とジョン太は、一瞬目線を合わせてから、左右に飛び退いた。

 トリコが気が付くと、ジョン太に抱えられて天井の梁からぶら下がっていた。

 反対側の壁に、鯖丸が居た。

 いつの間にか、鬼の様な姿に変わっている。

「よし、そのまま斬り込め。援護する」

 魔法を使えば、銃口をターゲットに向けなくても、当てられる。

 トリコを抱えた左手と、天井にぶら下がっている右手から、勝手な方向に打ち出された弾丸は、部屋中を飛び回り、全方向から殿に襲いかかった。

 輪胴が開いて、薬莢が排出され、ベルトに付けた物入れから出て来た弾が、吸い込まれる様に宙を飛び、装弾された。

 ついさっき魔法を使える様になったとはいえ、この業界は長いせいか、上達が早い。

 トリコは、魔獣を呼び戻して、自分達の下に待機させた。

「乗れ」

 ジョン太は、梁から手を離して飛び降りた。

「うわ、何かふわふわしてるな、これ」

 驚いた様子で、魔獣の背中を撫でた。

 トリコは、ひぇっと変な声を上げた。

「あ、もしかしてこれ、体の一部?」

「違うけど連動してるから、触るな」

 トリコは睨んだ。

「ジョン太、もっと弾幕張らないと、斬り込めない」

 鯖丸が文句を言った。

「悪い。すぐやる」

 短機関銃を抜いて、無造作に弾をばらまいた。

 かまいたちの時に紛失して、レストアに出していたスコーピオンだ。

 ストックを外した上に、グリップも交換して、変わり果てた姿になっている。

 アメリカ人のくせに、何でこんなに共産圏の銃が好きなんだろう…と思うくらい、ここ一年で鯖丸も銃器に詳しくなっていた。

 二十発全弾を撃ち込んでから、更に持ち替えた拳銃二丁の十二発を発射した。

 三十二個の弾丸を、ジョン太は全て把握していた。

 短機関銃の銃弾は、殿の周りを飛び回らせて、ランダムに一つずつちくちくと嫌な攻撃を加えながら、拳銃の十二発は、二手に分けて鯖丸とトリコの護衛に回していた。

 マガジンを交換して、更に二十発撃ち込んだジョン太は、叫んだ。

「よし、行け」

 鯖丸が、壁から離れた。

 壁から天井へ、床へ、高速で飛び回りながら、殿の背後に着地した。

 小蠅の様にまとわりつく弾丸に気を取られていた殿は、反応が遅れた。

 すうと一呼吸置いてから、刀が振り下ろされた。

 魔法ではない、全くの物理攻撃だった。

 殿の体が、斜めに両断された。

 ダメ押しで、空中に待機した弾丸を、全弾撃ち込んだ。

 終わった…と、ジョン太と鯖丸は思った。

 トリコは違った。

 ジョン太の手を掴んで、魔獣から飛び降りると、命令した。

「食え」

 悪夢の様な姿で、殿が立ち上がりかけていた。

 生きていない物は、殺せない。

 どんなに壊されても死なないのだ、こいつは。

 死んでいなければ、魔法は使える。

 魔獣が殿の下半分をばくりと飲み込んだ。

 半透明なので、飲み込まれた体が透けて見える。

 しかし斜めに切り取られた上半身は、まるで見えない体があるかの様に、普通に立った。

 殿は、薄く口を開いて、にやりと笑った。

 その手の中に、トリコが捜していた石があった。

 トリコは、ジョン太の手を離して、前へ出た。

「やばい、トリコを」

 止めろとジョン太は言いかけた。

 鯖丸は、聞き終わる前に理解して、高速移動した。

 殿に近付きかけたトリコを抱え、魔力を通して空中に飛び上がった。

 殿の手の中から、何かが伸び上がった。

 白熱した光の束が、周囲をめちゃくちゃに切り裂いた。

 離れていても体が痛い程の高温だった。

 眩しくて、目を開けていられない。

 見当を付けていた場所に、カンだけで飛び移って、足のかぎ爪で天井からぶら下がった。

 体の表面が、熱に反応して変化し、目の上を色の濃い瞬膜が覆った。

 やっと周囲が見える様になった鯖丸の視界に、光に飲み込まれるジョン太が見えた。

 いくら魔力をゼロに調節していたとしても、耐えられるとは到底思えなかった。

 ふと見ると、トリコが何かしていた。

 魔獣がジョン太を守っている。

 その体が徐々に小さくなっていた。

「もう限界だ。後、頼む」

 抱えた体から、がくりと力が抜けた。

 手の平より小さくなってしまった魔獣が、吸い込まれる様にトリコの体に戻った。

 白熱した光の束が消えた。

 辺りが真っ暗に感じられる。

 視界を調節するのに少しかかった。

 鯖丸は、トリコを梁の上に寝かせて、飛び降りた。

 ジョン太は床に倒れていた。

 あれだけの光を浴びたにしては軽傷だったが、毛皮の表面が焼けこげて、酷い有様になっている。

 回復魔法を通したが、魔力を低いレベルにしたまま意識を無くしているので、通りが悪い。

 全力で魔力を通すと、ジョン太は少し身じろぎした。

 トリコは、梁の上で気が付いて、下を見下ろした。

 鯖丸が、不器用な回復魔法をかけて、一人で怒っている。

 もう少し自分を回復させたら手伝ってやろうと思って、声をかけようとした。

「何でだもう、ジョン太のバカ。もうちょっと自分の身を守る事も考えろよ」

 俯いた鯖丸の雰囲気が、突然変わった。

 ふらりと立ち上がって、宙に浮いたままこちらを見ている殿を睨み付けた。

 背中の刀が抜かれていた。

「許せねぇな、俺のジョン太をこんなにしやがって」

 ええ、ちょっと待て。いつからそれ、君のだ。

 心の中で突っ込んでしまったトリコは、顔を上げた鯖丸が別人になっているのを見た。

 見覚えのある顔だった。

 リンクを張る時、左側に居た少年だ。

 年月が経っているせいか、それなりに外観は大人になっていたが、見間違えるはずはない。

 多重人格障害という単語が、頭に浮かんだ。

 それで三人居たんだ、こいつ。

「覚悟しろ、てめぇ」

 殿に向かって斬りかかった。

「あ…バカは同じなんだ」

 三人がかりでこの有様の相手に、どういうつもりだ。

 殿はふわりと刃から逃れた。

 さすがに消耗しているのか魔法での反撃はないが、つかみ所が無くてかすりもしない。

 というか、鯖丸より動きが大雑把だ。

 こいつは、別に剣術の達人ではないらしい。

 ただ、ケンカは強そうだ。

 明かな大振りで刀を構えた鰐丸は、いきなり殿に剣を投げつけた。

 武器を手放すとは思わなかったらしい殿は、壁に串刺しになった。

「きゃっほー、ええ感じぃ」

 イカレた叫び声を上げて、助走を付け宙に飛び上がった。

 重力操作ではなく、普通の跳躍だった。

 足の先に魔力が集まっていた。空気系ではない。何もかも別人だ。

 ぶうんと空間がぶれた次の瞬間、鰐丸は数メートル先から、いきなり殿の目前に出現した。

「おりゃあ、死ねぃ」

 殿の顔面に物凄い蹴りが入った。

 えぐられた壁が、崩れ落ちた。

 着地した鰐丸は、ジョン太を振り返った。

 ジョン太は、自力で起き上がっていた。

 焼けこげた皮膚が、どんどん再生している。

「あー、魔法使える間に気が付いて助かったわ」

 体の表面から、黒こげになった毛皮を払い落として、上を向いた。

 堅く握り混んでいた手の平を開いて、上に居るトリコの方に差し出した。

「無事だ。さすが耐熱ガラス」

 あのどさくさの間に、取り戻していたらしい。

「きゃー、ジョン太。無事だったのぉ」

 鰐丸が駆け寄って、がばぁと抱きついた。

「うわぁぁ、何で居るんだお前」

 ジョン太が悲鳴を上げた時、トリコの乗った梁が、みしりと嫌な音を立てた。

 皆でさんざん暴れ回り、破壊し尽くされた城の梁は、一瞬を置いて落下した。

 普段のジョン太なら避けられるが、さすがにまだそれ程は回復していない。

 頭上注意!!頭上注意!!

 嫌な単語が頭の中で繰り返された。

 ぶっとい梁がトリコを乗せたまま、ジョン太の頭を直撃した。


 次に気が付くと、トリコの膝枕で寝ていた。

 Fカップの胸が視界の大半を占めていて、大変いい感じだ。

 頭がずきずき痛んだが、一撫でされるごとに、徐々に痛みは引いていた。

 周囲の様子を探ろうとしたが、魔法が使えた時の感覚は、すっかり消えていた。

 まぁ、嗅覚と聴覚だけで充分だ。

 破壊し尽くされた広間の奥に、全員無事で揃っていた。

「てめぇ、いつまでジョン太といちゃいちゃしてんだよ。さっさと回復させて離れろ、このエロ魔女が」

 聞き覚えのある声が、あまり憶えのない口調でしゃべっている。

 ジョン太はぎくりと体を硬くした。

「うわ…鰐丸の奴、まだ居る」

 こうなったら、全力で寝たふりだ。

「うるせぇ、黙れオカマ。ケツからバールの様な物を突っ込んでぐりぐり回すぞ」

 トリコ姐さん下品。

「それは…」

 さすがに鰐丸も黙った。と、思ったのは甘かった。

「ジョン太にならしてもらってもいいかも。お前は断る」

「あ、お前実は、そんな凶暴そうな顔してMだな」

「そうだけど、それが何か」

 ああー、そうですかー。俺は別に関係ないけどなー。

 もう、小一時間ぐらい寝ている事にした。

「言っておくが、バールの様な物は、ぐきっと曲がってる方から突っ込む予定だ」

 姐さん、バールから離れて!!

「何のプレイだそれ。普通に死ぬだろ」

「だって、殺す気だもん。お前むかつくから」

 トリコはしれっと言った。

「やめて、それ一応、体は鯖丸だから」

 とうとう起きて間に入ってしまった。俺のバカ。

「ジョン太!!」

 鰐丸は、本気で嬉しそうな顔をした。

「はいはい、ワニ君はそろそろ帰ってね。おっちゃん達も撤収するから」

 鰐丸は、何か言いかけた。

「待て、キスは無し。触るのもダメ。飴ちゃんあげるから帰りなさい」

 ジョン太は、ズボンのポケットからのど飴を出したが、熱で溶けていた。

 ズボン自体、もうちょっとで無くなるくらい焼けこげている。

 回復魔法でも、着ている物は直せないのだ。

「何だ、その二人は、同時に出て来られないのか」

 少し離れた場所から声がした。

 瓦礫の中に、殿が座っていた。

 さっきまで着ていた豪奢な着物は、ぼろ布になっているが、体は全くの無傷だった。

 確か、鰐丸が顔面にすごい蹴りを入れて、頭まで潰されたはずだったが…。

「ほら、もう一匹も出ておいで」

 手招きをした次には、鰐丸の隣に鯖丸が座っていた。

 二人はお互いに顔を見合わせてから、ぎゃっと叫んで飛び下がった。

「気持ち悪い」

 同時に言った。

 こうして並べると、似てはいるが本当に別人だ。

「さて、大切な話があるので、君達には揃ってもらった」

 殿は言った。

 先程の様に、攻撃を仕掛けて来る気も、そんな余力も無い様子だったので、三人…というか四人は、聞き耳を立てた。

「まず、如月トリコ。石を盗んだ事は詫びよう。済まなかった」

 フルネームを呼ばれて、トリコは意外そうな顔をした。

 魔界出身なので、これが本名な訳ではないが、何で知っているという表情だった。

「しかし、吾輩にはそれが必要なのだ。くれとは言わない、貸してもらえないか」

「私以外には、何の価値もない食器の破片だ。どうして?」

 トリコはたずねた。

「お前達の言う、向こう側の我々の世界では、人の想いがこもった物は、大きな力を持つ」

 殿は説明した。

「吾輩は、過去に過ちを犯した。そのせいで、不肖の我が弟子が、こちら側の世界を浸食しようと目論んでいる」

 何の話か、鯖丸と鰐丸とジョン太には、理解不能だった。

 トリコだけが、体を硬くした。

「お前は、あれの関係者か」

「左様、我が弟子の暴挙を止めねばならぬ。吾輩には力が必要だ。お前達四人に不甲斐なく敗れる様な状況を打破しなければ、我が弟子を止める事は叶わないだろう」

「ハンニバルという男が、あれを追ってお前達の世界に行ったはずだ。消息を知らないか」

 トリコはたずねた。

 殿は、少しの間何かを思案している様子だった。

「お前は、こちら側の人間で云う雌だな」

 そんな事も、見ただけでは分からないくらいだから、本気で異界の人間なのだろう。

「ハンニバルの配偶者か」

「そうだよ」

 トリコは答えた。

 鯖丸は、けっこう複雑な顔をして二人の会話を聞いていたが、鰐丸が、口を挟むなと云う様に、肩に手をかけた。

 同じ場所に並んでいなくても、二人の力関係は、大体こんな感じらしいと想像はついた。

「この、一連の困惑した事態を我々に報せたのは、ハンニバルだ」

 殿は言った。

「その後彼は、我が弟子の手で、恒久的に活動を停止させられた」

 死んだという意味らしかった。

 トリコは、冷静にうなずいた。

 たぶんもう、分かっていた事なのだ。

 生きていると思うなら、石を形見とは呼ばない。

「さて、君達に頼みがある」

 殿は、瓦礫の上で足を組んだ。

「我が城は破壊され、我が力となるはずだった品は四散した。君達は、対価を支払えば、様々な物事を引き受けると聞いているが」

「つまり、仕事の依頼か」

 ジョン太はたずねた。

「そう思って、差し支えない」

 殿は答えた。

「君達の言う外界から、代わりになる品々を集めて来て欲しい。必要な量が集まるまで、特に期限は定めない。それから…」

 瓦礫と化した広間を見回し、人間ならため息をつく様な動作をした。

「早急に、新しいカラオケセットを手に入れたい」

「魔界で作動するなら、テープかレコードだな」

 ジョン太はうなずいた。

「分かった。依頼を受けよう。後で契約書を持って来る」

「俺は別に、こいつらと組んで仕事してる訳じゃないんだけど」

 鰐丸は言った。

「まぁ、ジョン太がやれって言うなら、やるけど」

「私も、今一緒に行動しているだけで、便利屋ではないんだが」

 トリコも言った。

「吾輩は、未来の話をしているのだ」

 殿は、断言した。

「いずれ分かる」

「あの…」

 今まで黙っていた鯖丸が言った。

「たぶん魔界を出れば元に戻ると思うけど、このままの状態は気持ち悪いから、戻してくれないかな」

「そうか、こちらの人間は、自分が複数居るのは好まないか」

 殿はうなずいた。

「うん、それもあるけど、この体、何だかおかしい」

「それは表出幻体だ。魔法も使えるし、物にも触れるが、生きてはいない。吾輩がこちらで使っている体と、同じ物だ」

「そうか、殿の本体は、向こうにあるんだね」

「それは秘密だから、言えないね」

 殿は、その部分だけは、妙に人間ぽいしゃべり方をした。

「では、一つに戻そう」

 鯖丸と鰐丸の背後に、瞬間移動して来た。

「望むなら、三人を完全に統合出来るが、元の状態にするだけでいいかね」

 殿はたずねた。

「三人目は、君とほとんど融合している様子だが、もっといい状態で一人にする事も出来るのだよ」

「ああ、三人居る事まで分かるんだ」

 鯖丸は、鰐丸の方を見た。

 鰐丸の方が強気で強引な性格だが、実際に決定権のある主人格は、やはり鯖丸の方らしい。

 首を横に振って言った。

「ううん、時が来ればなる様になる。元通りにしてください」

「分かった、お帰り」

 殿は、鯖丸の背中をぽんと押した。

 鰐丸の体に吸い込まれる様に、鯖丸が消えた。

 それから、鰐丸の様子がふいに変わって、鯖丸に戻った。

「では、依頼の件、頼んだぞ。吾輩に連絡したい時は、トゲ男を通すがいい。外界での連絡先は、トゲ男本人から聞いてくれ」

 殿は、辺りを見回した。

「そう云えば、先刻から姿がないな」

「あまり詮索しない方がいいと思うよ」

 ジョン太は言った。

「助けられても、放っておかれても、どっちにしろ辛い状態になってるから」

「出来れば明日の昼頃まで、そのままにしておいてください」

 鯖丸は非道い事を言い切った。


 魔界では、時計もあまり正確ではないが、三人が城を出て宿に戻ったのは、明け方の四時頃だった。

 観光街は、まだ賑わっていた。

 少し寝て、翌朝殿に契約書を書かせたら撤収と、ジョン太は言った。

 以前うるさく言ったせいか、夏場だから汗をかくせいか、さすがに鯖丸も着替えを持って来ていた。

 共同になっている浴室で体を洗って身形を整えると、やっと人心地が付いた。

「トリコは、あれで良かったのかな」

 タオルで体を拭きながら、鯖丸は言った。

 殿に一筆書かせてから、トリコは石を渡していた。

 ハンニバルの知り合いなら、返すという言葉を信用するという事だった。

「本人がいいと言うなら、いいんだろ」

 ジョン太は言った。

 全身が毛深いせいで、宿に置いてあるハンドタオル一枚では、綺麗に拭ききれない。

 何回か絞って、どうにか全身を乾かしていた。

「一度は取り戻したんだから、仕事は失敗じゃない」

「そうだけど」

 鯖丸は、やはり何か納得出来ないらしかった。

「お前、あ女の事を気に入ってるみたいだけど」

 ジョン太は釘を刺した。

「あいつは政府公認魔導士だし、この仕事が終わったら、たぶんもう、会う機会もないぞ」

「分かってるよ、それくらい」

 分かっている割には、不機嫌な顔だ。

 タオルを首に掛けた風呂上がりな格好で廊下を歩いていた二人は、階段の上の所にトリコが居るのを見つけた。

 やはり風呂上がり者らしい格好で、頭にタオルを巻いている。

「ちょっといい?」

 二人を見比べて、少し思案した。

「ええと、鯖丸の方」

「何?」

 階段を登りながら、鯖丸は聞いた。

「あのね、変な事言う様だと思うけど、これからセックスしないか」

「ええ、何で」

 鯖丸は驚いて聞いた。

 リンクを繋ぐ時は理由があったが、今は特に必要ではない。

「大きい魔法使った後は、したくなるんだよ。お前も魔力高いから、分かるだろ」

「ああ、そういう…」

 納得した感じでうなずいた。

「分かるけど、そうなんだ。俺だけ変なんだと思ってた」

 ジョン太には、全然分からない会話になって来た。

 一瞬だが魔法を使える様になっていたが、そんな感覚は全くない。

「今までどうしてたの」

 トリコは聞いた。

「ううん、そんな大技使う機会は少ないし、使っても自分で適当に処理して…」

「そうか、まぁ皆大体そんな感じだよな」

 トリコはうなずいた。

 ちょっと後ろめたいのか、ジョン太の方を見て、すまんという感じで片手を上げた。

「悪いけど借りるよ。すぐ返すし」

「あー、はいはい」

 ジョン太は、鷹揚にうなずいた。

「別に返さなくていいから、好きにしてくれ」

 鯖丸に向かって、付け加えた。

「お前それ、サービス残業な。後はよろしく」


 トリコの部屋が隣だったのは、完全に失敗だった。

 何で鯖丸の方の部屋でやらないんだお前ら…と思ったが、鯖丸が借りていた部屋は、トゲ男の襲来で窓が割れてドアが破れている。

 ただ、二人ともジョン太が通常の人間より聴覚が鋭い事は忘れている。

 最初は、初心者が微笑ましい範囲内で何かやってすぐ寝るだろうと思っていたが、あっという間に常軌を逸した展開になって来た。

「いや…それ無理だから、待て、何する気だ。初心者がそんな大技を。いやぁぁ、ちょっと待って」

「大丈夫だから、俺体柔らかいから、これぐらい平気だから。あっ、逃げちゃダメー」

 ああ、聞きたくない事まで聞こえる自分の身体能力が憎い。

 鯖丸が、光の速さで訳の分からない遠い世界に行ってしまう。

「俺はもう知らん。飲んで寝る」

 ジョン太は、階下のバーに降りた。

「水割り」

 断言した。

「ああ、そんなに入れるな、二ミリ。後は水」

 人間社会では、それは単なる水と言うのだ。

 溝呂木との付き合いで、多少は飲める様になったと勘違いしているジョン太は、自己申告の水割りを飲んで、がっつり寝た。


 翌朝、階下のバー兼食堂に、トリコが一人で座って、黄昏れていた。

 そろそろ殿に契約書を持って行こうと思っていたジョン太は、声をかけた。

「何だよ、不景気な面だな」

「昨日まで童貞だった奴に、二回もイカされた。プライドぼろぼろだ」

「正直言うけど、君らのエロ路線にはついて行けない。ツッコミは放棄する」

 ジョン太は言った。

「で、鯖丸は?」

「寝てる」

 適当に備え付けのインスタントコーヒーをいれて飲みながら、トリコは答えた。

「起こすのも可哀相だから、放って来たけど」

「そうか、腹が減ったら起きて来ると思うよ。俺は殿の所に行くけど」

「待って、俺も行くから」

 鯖丸が、服を着ながら階段を駆け下りて来た。

「じゃあ、私も行こうかな」

 トリコは、プラスチックのコーヒーカップを置いた。

「お前は、うちの会社の仕事とは関係ないだろ」

 ジョン太は言った。

「そうだけど、殿とは無関係じゃないからな」

 トリコは言った。

「どのみち、一人で待ってるのも閑だし」

 三人は、城に向かった。

 昨晩暴れたせいで、城の外観は微妙に変わっていた。


 驚いた事に大広間は綺麗になっていた。

 トゲ男は、救出されたのか、自力で脱出したのか、踊り場から居なくなっていたので、連絡先は聞けなかった。

「吾輩は魔界から出られないので、外界でのトゲ男の所在は、分からないのだが」

 契約書に必要事項を書き込みながら、殿は言った。

 異界の物には、それが限界だった。

 こちら側の人間が、穴の向こうに行く事も出来るが、やはり、こちら側の法則が漏れ出している範囲内を越える事は出来ない。

 越えれば、存在そのものが否定され、消えてしまうという話を聞いた事があった。

 実際には、穴を抜けるだけでけっこうヤバイのだ。

 こちら側に来て、平気な顔でカラオケを歌っているくらいだから、殿は向こうでも相当な力のある存在に違いない。

 それを軽く負かしてしまう不肖の弟子というのは、どれくらい強いのか見当も付かなかった。

「あ、大丈夫です。あれ、知ってる奴だから」

 鯖丸は言った。

「確か迫田があいつとメルアド交換してたし、連絡付かなくても、どうせ地区予選で会うから」

 悪い武藤君になってしまっている。

「取り巻きの女の子が引くくらい、ぼっこぼこにしてやるわ」

「それ、結果的に引かれるの、お前だからね」

 ジョン太は注意した。

「別に、モテたくてやってる訳じゃないからいいんだよ。勝てばいいの、勝てば」

 童貞じゃなくなっても、武藤君は性格悪い。

「面白い子供だ」

 殿は、笑いながら言った。

「それから、如月トリコ」

 トリコは顔を上げた。

「どんな事になっても、希望を捨ててはいかん。そこに居る二匹と、もう一人が」

 もう一人が、鰐丸なのか、全然別の何かなのか、トリコには分からなかった。

「お前の大事な物を救う。それまで達者で暮らせ」

 殿は、その場からかき消えた。

「待て,判子かサイン」

 ジョン太は、空中に手を差し伸べて叫んだ。

 変な場所から突然腕だけが出現し、書類の適当な場所に『殿』と殴り書きして消えた。


 帰りの道では、いつも通りの定食屋に入ったが、鯖丸は一杯しかごはんのお代わりをしなかった。

「もしかして、性欲が満たされると、食欲が減退するのかい、お前は」

 ジョン太は聞いた。

「さぁ…どうだろう」

 本人も、分からない様子だ。

 トリコには、少しだけ分かっていたが、言わないでおいた。

 トラウマ映像で暴れ回っていたあの子供が、ほんの少し、飢えを満たされたのだ。

 食われた私も、そこそこ満足したから、いいやと思った。


 外界に戻ってからは、普通の日々が続いた。

 どうと云う事もない平日の昼間、たまたま休みだったので、郊外のパチンコ屋で北斗の拳を堪能したジョン太は、景品を交換しようと店を出た。

「我が生涯に、一片の悔いなし」

 悔いだらけのくせに、ラオウになり切っている。

 近所のスーパーから出て来た、若いカップルが目に入った。

 とっさに物陰に隠れてしまった。

 鯖丸とトリコだ。

 外界なので、すっかり女子中学生みたいな外観になってしまったトリコと、二十歳過ぎてるくせに高校生みたいな感じの鯖丸が、ええ感じで手を繋いで歩いている。

「ええぇ、それともやっちゃったの?勇者様ー!!」

 つい、物陰に隠れて、様子を窺った。

 いつも通り小汚いジャージ姿だが、頭に巻いているのが、粗品のタオルではなくて、小綺麗な手ぬぐいだ。

 付き合いが長いので、奴なりのお洒落だと分かってしまうのが悲しい。

 スーパーの隣にある児童公園で遊んでいた子供が、二人を見付けて駆け出した。

 トリコに飛びついてから、鯖丸と三人で、手を繋いで歩き出した。

 トリコに、これくらいの年代の子供が居るのは、知っていた。

 行方不明になったハンニバルの子供だ。

 大体依頼状は読まない鯖丸は、知らなかったはずだが、特に気にしている様子は無かった。

 というか、こいつ、今まで見た中で、一番幸せそうだ。

「おおーぃ、それでいいのか、お前の人生は」

 軽く物陰からツッコミを入れた。

 子供連れで歩いている二人は、すごく若い夫婦に見えなくもなかった。

「いいんだ…」

 突っ込むのは止めて、帰る事にした。

 

 数日後、現場から直帰するつもりだったジョン太は、所長に呼ばれたので事務所に戻った。

「新人入れたから、顔合わせしといてもらおうと思ってな」

 所長は言った。

「ええ、明日でいいじゃないですか」

 ジョン太は、文句を言った。

「明日からお前と組んでもらうから、一応打ち合わせも兼ねて」

 所長は言った。

「またですか。鯖丸のお守りだけで手一杯なのに、この上新人って」

「大丈夫だ。今度はあんな天然じゃなくて、ちゃんとこの業界ではキャリアもある人だから」

 所長はちょいちょいと奥の方に手招きした。

 殿に送る為に、最近ガラクタだらけになって来た事務所の奥から、トリコが出て来た。

「どうも、この度政府公認魔導士をばっさりクビになりまして、お世話になります。如月です」

 皆に自己紹介して、頭を下げた。

「うわ、本気でクビになってたのかよ」

 ジョン太は驚いた。

「まぁ、大きな声では言えないが、あの城はずっと探りを入れてたからねぇ」

 トリコはぼやいた。

「それを独断でめちゃくちゃにした訳だし」

 言われてみればそうだが、政府の方でもトリコの扱いは、元々雑だった気がする。

 ハンニバルの件が、何か係わっているのかも知れない。

「でもまぁ、リストラされてむかつくので、政府の機密情報は、出来るだけついうっかりリークしてしまう方向で行こうと思います。よろしく」

「頼もしい」

 所長、大喜びだ。

「君らには、鯖丸とトリオでやってもらうから。ああ、鯖丸は知ってるよな」

「知ってるも何も、こいつら付き合ってますよ。アホみたいな顔で手ぇつないでスーパーから出て来たし」

 何で知ってるんだという顔で、トリコは睨んだ。

「ええっ、付き合ってるって、その…清くない方のお付き合いで?」

 所長は聞いた。

「まぁ、そんな感じです。週休二日で同棲している様な状況で」

 トリコは答えた。

「なぜ週休二日なんだ」

「たまにはゆっくり寝たいからに決まってるだろう」

 トリコはぶつぶつ言った。

「うわ、鯖丸最低」

 所長はうなった。

「そんな子に育てた憶えはないのに…いつの間にか童貞から悪魔超人に転生してしまったんですわ、あれ」

 ジョン太は説明した。

 溝呂木にだけはバレない様にしなければ…。

 階段を駆け上がる足音がして、当の悪魔超人が入って来た。

「おはよーございまーす。あれ、何でみんな、変な顔してこっち見るの」

 理由は聞かない方がいいと思う。

「じゃあ三人揃ったから、仕事の話だ」

 所長は、三人を呼んで、依頼状を取り出した。

「中々危なくて楽しそうな依頼が来てるぞ。君ら三人で組めば、民間では日本最強だからな。これからどんどん稼いでくれ」

「やったー」

 稼ぐという単語に弱い鯖丸は、完全に騙されている。

 絶対、こいつの時給は、今までと同じだ。

「楽しくなくていいから、安全で楽な仕事がしたい」

 ジョン太は言った。

「民間なら、危ない事はしなくていいと思ってた」

 トリコも肩を落とした。

 二人は、顔を見合わせてため息をついた。

 それから所長に向き直った。

「で、今度は誰相手に暴れて来ますか」


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