三話 鰐丸(前編)
「今度いつ会える?」
ホテルのベッドの上で、背中に和風の刺青が入った男は、半身を起こした。
「さぁ」
ほっそりした体つきの少年は、投げやりな口調で言った。
「俺も、そろそろ出て来にくくなっててさぁ」
細い体つきだが、背は低くない。
きゃしゃな体を、無理矢理ぎりぎり巻いた様な筋肉が覆っている。
「ほら、俺一人の体じゃないし」
煙草の煙を吐き出して、投げやりに笑った。
「そうか、まぁ、仕方ないんだろうな」
どう見ても、職業ヤクザな青年は、ベッドに寝そべった少年の頭をくしゃりとなでた。
「お前が居なくなったら、寂しいよ、暁」
「ウソ付け。俺の持ってるルートがもったいないだけだろ」
「それもあるな」
どこかの組の若頭だと聞いていたが、はなから憶える気も無かった。
何もかも、どうでもいい。
「帰るよ。金は払っておく。小遣いは足りてるか?」
「俺は足りてるけど、玲司は困ってるかも」
手の中に、紙幣が何枚か押し込まれた。
「会計、別々なんだ」
「そうだよ」
男は、一度も玲司に会った事はない。
もちろんミツオにもだ。
「来週、現物が必要なんだが、出来るか」
「ああ、いつもの場所に用意しとく」
少年は、煙草をくわえて起き上がった。
「もうすぐ玲司が戻る。早く帰れ」
「また連絡するよ」
ヤクザ屋さんの青年は、いかにもなスーツを着ながら、暁の頬に手をかけ、唇を重ねた。
「会えたら、またね」
手を振った暁の体が、びくりと震えた。
うつむいて、次に顔を上げた時には、別人の表情になっていた。
「ああ、まただ」
膝に顔を埋めて、少しの間止まった。
立ち上がり、手の中にある少額ではない紙幣に気が付いて、床に投げ捨てようとしたが、気を取り直して、床に放り出された学生服の内ポケットにしまった。
室内からガラス張りになったバスルームの鏡に、自分の姿が映っている。
情けないくらい細い体に、無理をして付けた筋肉と、長すぎる手足。
低重力の地球外コロニーで生まれ育った人間の、典型的な体型だ。
同じ条件の帰国子女の中では、かなり上手に地球環境に適応している。
別に、来たくて来た地球でもないんだけど…。
暁が居なかったら、地球に来る必要なんか無かった。
軌道上には、こんなややこしい病気を治療出来る医者が居なかっただけだ。
バスルームに入って、見た事もない男の精液と自分の血を洗い流していたら、涙が出て来た。
地球に来る前から、良くある事なのに、いつまでも慣れない。
もう、うんざりだ。
今時珍しい、昔ながらのきっちりした詰め襟学生服を着込んで、ラブホテルを出ると、九時を過ぎていた。
この辺りでは有名な進学校の制服なので、周囲から奇異の目で見られた。
どうでもいいや。
今日は学校はさぼろうと思って、ぶらぶら歩き出した。
川沿いの散歩道は、桜が満開だった。
舞い散る花びらが、頬に当たった。
こんな時だけは、地球に来て良かったと思う。
上を見上げながら、ゆっくりと桜並木を堪能し、早い時間なのにもう場所取りをしている花見客を避け、公園のベンチに腰を下ろして、暁が持っていた煙草に火を付けた。
缶コーヒーでも買って来れば良かった。
二本目の煙草に火を付けた所で、背後に赤い光が点滅するのが見えた。
程なく、花見の酔っぱらいや違法駐車を取り締まる為に出て来た警官に、左右から囲まれていた。
「君、学校は?ここで何してるの」
煙草を吸っていたのは、見れば分かるはずなのに、この手の人達は、わざわざ聞いて来る。
「花を見ながら、自分の人生に絶望してました」
煙草を隠そうともせず、吸い続けながら、ぼんやりと言った。
怒っている風だった警官の表情が、急に優しくなった。
「大丈夫かい君。どこの中学?」
「高校生です」
「そうなんだ。一応、署まで来てもらうけど、ご両親は」
「居ません」
「じゃあ、他に保護者の方を呼んでもらうけど」
「そんな人居ません。期限まで拘留してください」
警官にポケットと鞄を探られ、学生証を見付けられた。
「秀峰高校二年、武藤玲司君…」
警官の片割れが、ああ…という顔をした。
「溝呂木先輩を呼ぶけど、いいかな」
「はい」
何回も補導されていると、顔見知りが増えて来る。めんどくさい。
まぁ、今日は煙草しか持っていなかったのは幸いだった。
暁はいつも、援交とドラッグを繰り返している。
とは言っても援交は男相手だし、ドラッグは自分でやるならまだ可愛いが、売人だった。
本人は、マリファナと煙草くらしいかやらない。
捕まるのは自分なのだから、いい加減にして欲しいと思う。
これで自分が女の子だったら、暁の尻ぬぐいで何回くらい堕胎するはめになっていただろうと思うと、ぞっとする。
暁がゲイで、自分が男の子で本当に良かった。
ネガティブな良かった探しを始めた自分に、ちょっとうんざりした。
パトカーに乗せられて、窓の外を流れる景色を見ながら、玲司はぼんやりと考えた。
もう、何もかも消えて無くなればいいのに。
桜の花は綺麗だけど。
「所長、お仕事くださいー」
鯖丸がもみ手をしながら現れた時、ジョン太は死にそうだった。
「今月は三件も入っただろう。留年しそうなんじゃなかったの君」
所長は、ちょっと顔をしかめた。
どこのメーカーとも分からない、小汚いジャージを着て、頭には粗品丸出しのタオルを巻いている。
また、電車に乗らないで走って来たらしい。
「いえ、おかげさまで無事三回生になりました」
どうにか単位は足りたらしい。
「今月、厳しいんです。お願いしますよ所長」
皆に恐れられている所長にすり寄っている。天然はこれだから怖い。
「君に回せる様な仕事は来てないよ。ほら、これやるから帰りなさい」
机の引き出しからうまい棒を取り出して渡した。
所長もだいぶ、鯖丸の扱いに慣れてきた様だ。
「所長。例の件、まだ担当が決まってなかったんじゃ」
最近、斑と一緒に本社から戻って来た平田が言った。
二人とも、営業で魔界に出る準備をしているので、別件を担当しているのだろう。
「こんな奴、連れて行ける訳ないだろう。私とジョン太で出る」
「気の毒に…」
平田は、ちらりとジョン太の方を見た。
「俺も連れて行ってください。うまい棒だけじゃ、月末まで無理」
あと四日もある。それは無理だろう。
「気の毒に。ほら、これもやるから」
なぜか机の下からチキンラーメン五個パックを取り出した平田は、鯖丸に寄越した。
一袋目は、半分程生食いした形跡があった。
「うわ、ありがとうございます。助かります」
四日間生きていく目処が立ったらしい鯖丸は、帰りかけた。
突然、今まで机の前で死んでいたジョン太が立ち上がった。
「もうだめだー。俺、ちょっと仮眠して来る」
奥にある仮眠室というか、単なる物置に入って、ばたんとドアを閉めた。
「何かあったんですか」
鯖丸は、不思議そうに聞いた。
「君の知り合いで、何とか言う先生と飲みに行ったらしいが、聞いてないの」
「溝呂木先生ですか」
鯖丸は、怪訝な顔をした。
かまいたちの件で魔界から戻ってすぐに、二人が喧嘩した事を知った。以来、お互いの口からは、悪口しか聞いた事がない。
「そう、確か新体操部の顧問で…」
「剣道部です」
所長は、聞き流した。特に何部でも興味はないらしい。
「ジョン太って、酒は飲まないんじゃなかったんですか」
昔薬物中毒だった事は、本人の口から聞いていた。
そんな事もあって、酒も煙草も一切やらないのだと何となく思い込んでいた。
「飲めないんだよ。でも、あいつ飲ますと面白いからなぁ」
明らかに、所長も以前何かやっている。
「仲いいのかなぁ、二人とも」
鯖丸は、考え込んだ。
所長は、しばらくの間、紙の書類とパソコンを行き来しながら、仕事していた様子だったが、ふと…という感じで、顔を上げた。
「武藤君…」
「はい?」
「君、今日は時間ある?」
「二時くらいまでは」
留年しない様に色々助力してくれた倉田教授から呼び出されている。
どうしてもそれだけは予定を外せない。
「じゃあ、ジョン太が起きて来たら打ち合わせだ。明日から人捜しが一件入ってる。たぶん三日くらいで終わるが、やるかい」
「やります、ぜひやらせてください」
明日から三日間仕事だという事は、バイト代がもらえる上に、月末まで食いっぱぐれが無いという事だ。
絶対にやらなくては…。
じゃあ、俺達は行って来ますから…と、事務所を出てから、平田と斑は顔を見合わせた。
「可哀相に…あの子」
斑は、ため息をついた。
「じゃあ、君が替わってやれよ。本当は、所長と君でやるのが一番なんだから」
平田は、言った。
「絶対嫌」
斑は断言した。
一時間程でジョン太は生き返った。
所長に命じられて、事務の斉藤さんを含め、四人分の弁当を買ってきた鯖丸は、お茶をいれていた。
事務所の給湯室には、コンロが二口あって、小型の冷蔵庫も置いてあったが、中には所員の私物の飲み物とか、キープしてあるおやつが入っていたが、ペットボトルのお茶は無かった。
「所長、冷蔵庫にお茶がありません。すぐ買って来ます」
茶を持って来いと言われた鯖丸は、叫んだ。
所長は、頭を抱えて、事務のパートで入っている斉藤さんに言った。
「斉藤さん。あのバカに教育的指導」
「はい」
孫も居るという事務のおばちゃんに、お茶というのは自分で作れる物だと聞かされて、鯖丸が目からウロコを落としている頃、ジョン太はよろよろと起きて来た。
「こんな葉っぱが…」
そう言えば、民宿松吉でも、ハザマ医院でも、急須やヤカンからどんどんお茶が出て来たと思っていたが、中には葉っぱが入っていた。
「おー、何でお茶くみなんかやってんだ、お前」
鯖丸から茶を受け取ったジョン太は、一口飲んで顔をしかめた。
「これは、お茶…?」
「たぶん…」
自分で入れておいて、鯖丸も考え込んだ。
結局斉藤さんが入れ直した茶を持って来てくれると言うので、二人は事務所に戻った。
所長は、遅いと文句を言ってから、話を始めた。
「サキュバスが家出した」
「またですか」
自分の机に座って、弁当の包みを開けたジョン太は、うっ…という顔をした。
唐揚げと、ぎっとりしたフライが入っている。
「誰だ、これ買って来たの」
「あ、俺」
自分の分は、すでに半分食ってしまった鯖丸が言った。
所長も、若者に弁当のチョイスを任せるんじゃなかったという顔をしている。
斉藤さんがお茶を持って戻って来たが、意外と平気そうに、ぎっとりした弁当を食べ始めた。
「それで、所長と斑が行くんですか?」
まだ二日酔いで、頭があさっての方に行っているらしいジョン太は、たずねた。
「斑はさっき平田と出ただろう。寝てたのかお前は」
「寝てました」
そうだったな…と、所長は言った。
「じゃあ、所長と斉藤さんが…」
「まだ寝てるのか」
所長は、わざわざ机を回り込んで来て、ジョン太を殴り付けた。
「やめて、頭痛いのに、これ以上はほんとやめて」
所長にお願いしていたジョン太は、ふいに正気に戻った。
「えええ、俺が行くんですか。マジで」
「だからこうやって、打ち合わせしているんだろう」
所長は言った。
「いや、無理でしょう。絶対無理。サキュバスの確保は、男には無理ですよ。何で斑と行かないんです」
「平田と斑に、名指しで先約が入ったからなぁ」
所長は、遠い目をした。
斑は、所長と斉藤さんを含め、この事務所に三人しか居ない女だ。
平田とは夫婦で、本名は薬師寺という。
もちろん、平田も実際の名前は薬師寺だ。
魔界で本名を知られると危険なので、たいがいは適当なあだ名を使うが、こんな本名っぽい名前を使っている奴はめずらしい。
「お前達はサポートでいいよ。確保は私がやる」
所長は、めずらしく優しい事を言った。
「まぁ、それくらいしか出来ないと思いますけど」
斉藤さんの入れてくれた美味しいお茶をすすって、ほっとため息をついたジョン太は、食い終わった弁当箱を分別している鯖丸をぼんやり見た。
「ところで、何でこいつ居るんです」
「連れて行く。ランクSを一人入れておけば、書類上は豪華メンバーだから、技術料をふんだくれるしな」
ジョン太は、湯飲みをぼとりと落とした。
「実際には何の役にも立たんでしょう」
「いいんだよ。毎回毎回、あのバカ女の気まぐれに付き合わされて…」
箸を持った手が、ぷるぷる震えている。
「せめて取れるだけふんだくってやらんと」
「だからって、こんな真性の童貞連れて行って、どうするつもりなんです。絶対、居ない方がましでしょうに」
「真性とか言うなー。将来的には無くなるから仮性と言ってください」
ぐだぐだになって来た。
斉藤さんは、一人冷静に弁当を食い続けた。
「えーと、サキュバスって言うのはね」
ぐだぐだになったので仕切り直した。
「うちのお得意様の娘。戒能悠木奈。年齢は二十八才、既婚。夫は戒能工業の専務で婿養子の時雄。これ、写真な」
ジョン太から渡された写真を見た。
清楚な感じの美人だ。
豪華な内装の居間で、白いワンピースを着て、家族に囲まれて笑っている。
幸せそうで、何の問題もない人に見えた。
「戒能の奴からは、色々便宜を図ってもらってるし、大口の仕事も融通してもらってる。正直言って、逆らえない」
所長は、忌々しそうに言った。
この会社も、裏では何か色々あるらしい。
「こいつは、どっか心のタガが壊れててな。昔から定期的に家出しては、魔界で常軌を逸した男遊びを繰り返してる」
「そういうのは、専門医にちゃんと治療してもらえば、ある程度は治るはずですけど」
鯖丸は、真面目な顔で言った。本物が言うと、重みがある。
「そんな長い期間、同じ状態なんですか」
「ある種の金持ちは、娘の健康状態より、世間体が大切なんだよ」
所長は説明した。
「ひどい」
「感情移入するな。こいつに捕まったら、お前なんか死ぬまで精気を抜かれるぞ」
「死ぬんですか」
穏やかな話ではない。
「死ぬまで精液をぶちまけて、悶え死ぬ。嫌だろ」
「嫌だー、そんなの」
絶対、嫌な死に方ベストテン圏内だ。
「だから、実際の確保は、私一人でやる」
所長は言った。
「幸い、あいつのタイプの性別は男だけだからな。ジョン太に追跡させて、見付けたら引いてもらう。
たぶん、向こうで色んな男を配下にして操ってるはずだから、そいつらの排除はお前達でやれ」
ただ…と付け加えた。
「サキュバスの魔法の射程距離は、約百メートルだ。魔力もぎりぎりランクBで、強くはない。
能力が特殊なだけだが、これが厄介だ。
私が死にそうになっても、百メートル以内には近付くな。死人が増えるだけだから」
「百メートルっていうのは、その人を中心にした、平面ですか、それとも立体ですか」
鯖丸は聞いた。
「分からん。そんな事試した奴は居ないからな」
所長は答えた。
鯖丸は重さを操る特殊能力があるので、ある程度の時間は飛ぶ事が出来る。
「でも飛ぶな。立体だったら、死ぬのはお前だ」
「はい」
「大丈夫だ。百メートルなら、髪の毛一本でも狙えるから」
ジョン太は言った。
まぁ、ジョン太なら倍の距離でも難なく当てるだろう。
「怪我はさせるな。金もらえなくなるから」
所長は釘を刺した。
「殴る時はボディーを狙え。顔はダメだ。跡が残るから」
真性のヤンキーだ。
「所長、体でも跡は残りますよ」
日常的に竹刀でばきばき叩き合っている鯖丸は、一応止めた。
明日の集合時間を決めた頃には、一時半を回っていた。
「ジョン太、今日は上がっていいから、鯖丸を学校まで送って行け。二時だったな」
所長は言った。
「走れば十五分で戻れます」
既に走る気満々で、柔軟をしている。
普通に歩いたら、四十分以上かかる。どういうペースで走るつもりだ。
「元気だなぁ、お前」
もちろん、ジョン太なら徒歩四十分の距離なら、五、六分で走り切る。
生まれ付き身体能力の高いハイブリットだからで、普通の人間には絶対無理だ。
「今月、練習さぼってるから走らないと」
昨夜溝呂木と、そんな話もした様に思えるが、記憶がない。
「ちょっと待て。お前確か、昔のゲーム機持ってたよな」
河原に不法投棄されていたテレビと一緒に拾ってきて、直して使っていると言っていた。
「これやるから、帰ったら十回くらい抜いとけ。気休めでもやらないよりマシだから」
明らかにAVらしいディスクを渡された。
ご丁寧に『世界の車窓から』と書かれたカモフラージュタイトルまで印刷されている。
絶対、ジョン太の私物だ。
「うちのゲーム機、三世代前だから、こんなディスク再生出来ないよ」
鯖丸は断った。
「そうか、プレスタ二号機はDVDだっけ。すぐ焼けるよ」
ディスクをお急ぎ設定で焼こうとしたジョン太を蹴るつもりだった所長は、ちょっと考えて止まった。
「いや待て…。ジョン太、お前今晩、こいつを女の子の居るお風呂屋さんに連れて行って童貞捨てさせて来い。最初がサキュバスじゃ、あんまり気の毒だ」
「あ、そうですね。俺も以前から、どうにかしようとは…」
「待ってください。二人とも、俺をどうしたいんですか」
鯖丸はじりじり逃げ始めた。
「魔界で仕事するのに、童貞じゃめんどくせぇんだよ。それともお前、所長に犯ってもらうか」
ジョン太は脅した。
「えっ、所長ですか…」
急に逃げるのを中止して、何だかもじもじしている。
「それは…どうしてもと言うなら」
「気持ち悪いから却下」
所長は断言した。
「明日までにどうにかしとけ」
「うわーん、どうせ俺はキモいよ。彼女居ない歴と年齢が一緒だー。もう放っといてー」
鯖丸は、泣きながらすごい速さで走り去った。
「そうなんだ…」
所長は、意外そうな顔で言った。
「けっこう可愛いのになぁ」
「そう思うなら、気持ち悪いとか言うなよ」
ジョン太は呆れて言った。
「だってあいつ、うちの息子とタメだぞ。そんな奴とやれるかぃ」
「所長とこの息子さん、もうそんな年なんだ」
さすがヤンキー、ライフサイクルが速い。
「ところで所長」
「何だ」
「あんた鯖丸を囮に使う気ですね」
所長はちょっと黙ってから、悪い顔でにやりと笑った。
「バイト代の分は、しっかり働いてもらわんとなぁ。なに、若いんだからちょっとの間なら死にゃしないだろ」
「鬼だ」
ジョン太はつぶやいた。
鯖丸は翌朝まで携帯の電源を切って逃げ回っていたが、約束の時間にはきっちり会社に現れた。
仕事用の服に着替えている所を見ると、一度は家に戻ったらしい。
「捕まらなかったのか」
所長は、責める様にジョン太を見た。
「ダメでした。あいつが立ち回りそうな場所は、全部押さえたんですけど」
ジョン太は肩を落とした。
「仕方ないからデリヘル二人呼んで、あいつの部屋に放り込んで来た」
「ナイスだジョン太」
「帰ってもらいましたから」
ふてくされた顔で助手席に乗り込んで、鯖丸は言った。
「もったいねぇな、おい」
失敗だー、絶対いけると思ったのに。
「仕方ない。ウィンチェスター君、今日は体調はどうかね」
所長にめずらしく名字で呼ばれた。
悪くはない。傍目にも、昨日より毛づやがいいのが分かるくらいだ。
俺、ピンチ。
「いやいや、こんなおっちゃん囮にしても、食いつかないから、ははは」
地下の駐車場から車を出しながら、ジョン太は乾いた感じで笑った。
「囮って何の話?」
めずらしく、ダッシュボードに足を放り上げて、なめた態度を取っていた鯖丸は、姿勢を戻した。
ジョン太は、しまったという顔をした。
「お前がサキュバスに食われてる間に、捕まえるんだよ」
所長は、きっぱりと言った。
「ええ、死ぬじゃないですか、それ」
後部座席に頭を突っ込んで、鯖丸は叫んだ。
「大丈夫。頑丈なジョン太が替わってくれるそうだから」
「いや、無理無理。俺、体は丈夫だけど、あっちの方は人並みだから」
「ウソだー。絶対ただれた女性遍歴を繰り返して来たはずだ。だって目がすけべそうだもん」
「人を何だと思ってんだ。殺すぞ、くされ童貞」
二人はつかみ合った。
「運転しろ」
所長は二人を殴り付けた。
「所長!!」
二人は、見事にハモった。
「囮は無しの方向で」
今日も朝からぐだぐだだった。
サキュバスの件で出ると、大体はぐだくだになってしまうのだと、頭を抱えて所長は言った。
「斑を、俺か鯖丸とチェンジ出来なかったんですか」
いつもの定食屋で、遅めの朝飯を食いながら、ジョン太はぼやいた。
壁の『ごはんお代わり自由』の張り紙の下には『常識の範囲内でお願いします』と、付け加えられていた。
絶対鯖丸のせいだ。
「逃げられた」
所長は言った。
「女同士で出ても、けっこう嫌な戦いになってしまうんだよ。あいつ相手は」
「そうなんですか」
そう言えば、何年か前に斑と所長が、不愉快な顔で仕事から戻って来た事があった。
何があったのかは、特に聞いていない。
鯖丸は、いつも通りもりもりメシを食っていた。
「いや…しかし食うね、こいつ」
所長は呆れた。
「意外と、性欲より食欲が勝ってるんじゃないのか。危なくなったら、菓子か何かで吊れば大丈夫かも」
「ああ、まるまるバナナ五本くらい買っときますか」
ジョン太も同意した。
「そんな訳ないでしょう」
言いながら、ご飯のお代わりと、豚の生姜焼きを取って来て、更に食い始めた。
そんな訳ある様な気がして来る。
「いいなぁ、それで太らないんだから」
所長は、本気のため息をついていた。
いつも通りゲートを通ってから、会社の倉庫で装備を調えた。
ジョン太は、いつもとは違う銃身の長いライフルを持ち出していた。
「遠距離射撃は久し振りだから、ちょっと練習して行きたいんだけど」
「手短にな」
所長は、その辺に腰掛けた。
ジョン太は、小石を拾って、駐車場にしている広場の片隅に立てた杭の上に並べて行った。
それから、どんどん反対方向に歩き始めた。
ずいぶん離れた場所で、距離を調節してから、こんなもんかと言って、ライフルを構えた。
かなり距離がある。
とても小石が見えているとは思えない。
「当たるんですか、あれ」
所長の隣に座って、鯖丸は聞いた。
「当てるだろ、ジョン太だし」
ジャージのポケットから煙草を出して火を付けた。
「いる?」
軽く箱を振って、一本出しかけにしてから、差し出した。
「いえ…止めたんで」
パンと銃声が響いたが、この距離からでは当たっているのかどうかも、判別が付かない。
辛うじて、銃を持ち替えて装弾しているらしいのが分かった。
「連射出来ないんだ」
「その方が精度が高いからな」
所長は、付け加えた。
「高いんだよ、オートマチックのスナイパーライフルって」
後は、ジョン太の腕でどうにかしてもらおうと、所長は言った。
「どれくらいの距離から狙えるんですか」
鯖丸は聞いてみた。
「一キロ近くなったら、精密に狙うのは難しいと思うが…」
所長は言った。
「あいつならやりそう」
「ゴルゴか何かですか、あの人」
どんな強力な魔法使いでも、それだけの射程距離を持っているという話は、聞いた事がない。
銃器の有利な点だ。使いこなせればの話だが。
何度か撃ってから、ジョン太は手招きした。
鯖丸は走り寄った。
「おぅ、その辺で止まれ」
だいぶ近寄った所で、止められた。
「もうちょっと下がって」
的にでもされるのかと、びくびくしながら少し後ずさると、あ、そこでいいと言われた。
「これ、百メートルだから、憶えといて」
「ああ」
サキュバスの魔法の効果範囲だ。魔法使いとしては、異常に広い。
「遠い…」
思ったより距離がある。百メートルくらいと、軽く考え過ぎていた。
「意外とあるだろ」
所長の所へ戻りながら、ジョン太は言った。
鯖丸はうなずいた。
「所長、悪いけど危なくなったら撃つからな」
所長は、地面に煙草をねじ込んで、立ち上がった。
「仕方ないけど、殺すなよ」
ジョン太は、返事をしないで肩をすくめた。
魔界はそんなに広くないはずなのに、初めて行く場所だった。
複雑にパイプの絡まった、海岸沿いの大昔の廃工場に、寄り添う様にして街が出来上がっている。
「何これ」
鯖丸は、ぽかんと口を開けて見上げた。
エネルギー効率も何もない、巨大な戦前の廃工場は、何だか古代遺跡の様で美しかった。
たぶん、外界にあったら、取り壊されるか、文化遺産に指定されて保護されている建物だ。
「すごい」
「そうか?」
所長もジョン太も、貴重な建造物には、何の興味もない様子だ。
所長に呼ばれて、魔法陣で車を隠す方法を教えられた。
放っておくと盗難もあるという話だ。
街の中は少し薄暗かった。
廃工場が空を覆ってしまっている。
街自体には活気があって、道沿いには食べ物屋や日用雑貨、良く分からないジャンクパーツの屋台が並んでいる。
驚いた事に、明らかに外から来たスーツ姿のサラリーマンらしい男女が、ちらほら歩いていた。
「外でやると、特殊な技術とコストがかかる精密機械のパーツなんかも作ってるからな」
ジョン太は説明した。
魔法で製造しても、外の世界で安定して使える技術もある。
ハイブリットも、最初はそうやって作られたと、歴史の教科書には書いてあった。
宇宙開発に使われた技術にも、魔界が係わっている物は多い。
たぶん、魔界が出現しなかったら、人類はまだ、火星あたりに有人ロケットを飛ばすのがせいぜいだっただろう。
にぎやかな通りを抜けて、少し裏に入った辺りで、所長はビジネスホテル草薙と書いた看板のある建物に入った。
魔界の各街や村に、会社の定宿がある事は、鯖丸も何となく分かって来ていた。
「とりあえず三日。部屋開いてる?」
フロントの男は、うなずいて鍵を二つ差し出した。
「すみませんね。今、外の人達がけっこう来てて」
ロビーのソファーに、外から来た人間と、こちら側の職人らしい男女が四人、図面を広げて話し込んでいた。
「二部屋しか空けられないけど、いいですか」
「君ら、相部屋でいいかって」
所長は、後ろにいるジョン太と鯖丸に言った。
今までの仕事で、そもそも個室の宿を取った事なんか無い。二人は無言でうなずいた。
「わぁ、お風呂がある。便所風呂」
鯖丸ははしゃいだ。
ユニットバスの、そんな汚い名称を初めて聞いたジョン太は、顔をしかめた。
「入って来ていい?」
「後にしろ。すぐに出るから」
驚いた事に、エレベーターが動いていた。
ロビーには所長が待っていて、フロントの男から、少し情報を入手していた。
「やっぱり来てるって、サキュバス」
毎回、家出すると高確率でこの街に来るという。
「困るんですよね、あの人」
フロントの男は言った。
「戒能さんには、色々融資してもらってる人が多いから、言い出せないけど、皆迷惑してます」
「分かってるよ。うちも同じだけど、きっちり連れて帰るから」
所長は言って、ホテルを出た。
通りの屋台をきょろきょろ見回して、いつの間にか釜玉うどんを吸い込んでいた鯖丸は、すぐに追いついて所長と並んだ。
「ちょっと待ってください」
「待たんよ。お前、食い過ぎだ」
「そうじゃなくて、サキュバスって、本名知られてるんですか」
「いい所に気が付いたな」
所長は言った。
魔界で本名を知られたら、最悪の場合は死ぬ事になる。
そうでなくても魔法の通りが格段に上がるので、攻撃されれば何倍ものダメージを受けるし、行動を縛る事も、魔力が格下の人間にも簡単に出来る様になる。
魔界で生まれた人間は、親以外には本名を知られないシステムが出来上がっているが、外から来た者は、そうはいかない。
プレイヤーに魔法整形者が多いのは、その為だ。
「サキュバスの魔法は、特殊だ。男相手なら、万難を排して、がっつり魔力を通して来る。本名を知られたくらい、へでもない」
「女相手だったら?」
一応、聞いてみた。
「普通。でも、あいつの周囲は、操られてる男共で一杯だから」
所長は、頭をがりがり掻いた。
「ああ、もう思い出しただけでむかつく。ぶっ殺してぇ」
すごく嫌な事があったのは、想像が付いた。
いくら所長が豪傑の男前でも、数で押されたらかなわないだろう。
「犯られたの」
一応聞いたら、殴られた。
「別にいいんだよ、それは。ただ、あの女の勝ち誇った笑顔が許せん」
酷い目にあったらしい。
「私があの女を殺しそうだったら、止めてくれ」
「俺には無理。ジョン太に言ってください」
「あいつは今回、遠距離支援してもらわないといけないから」
自分も所長も、獲物は刀で、近距離の攻撃しか出来ない。
「いや、銃器は近距離の方が当たるから、寄ってもいいですよ、俺」
ジョン太は口を出した。
「ダメだ。お前は今回、安全圏で保険になってもらう」
「嫌な役目…」
安全な方がいいに決まっているのに、ジョン太は嫌そうに言った。
サキュバスはすぐに見つかった。
街の奥で、自分の縄張りを確保して、周囲にややこしい連中を配備している。
街の中では花街に属する、最初から縛りの緩い場所だ。
廃工場のパイプを上って、サキュバスを確認するのは、鯖丸に任された。
ジョン太でも出来るが、重さを操れる鯖丸の方が楽な仕事だ。
下りてきた鯖丸は、手短に報告した。
「居た」
それだけ言って地面にしゃがみ込んだ。
「ごめん、何か吐きそう」
吐きそうではなく、本気で吐いた。
「気持ち悪い」
「サキュバスはどうしてた」
ジョン太は聞いた。
「何か取っ替え引っ替えやりまくってたみたい。うえっ」
更に吐いた。
「魔力の高い奴の方が、魔法に対する感受性も強いからな。良く耐えられたな」
所長は言った。
「耐えられてません。無理です、あんなの確保するなんて」
「確保は私がするんだ」
「すみません」
短く痙攣しながら更に吐いてから、やっと立ち上がった。
「ひどい。何だあれ」
百メートル以内には近付いていない。
それでこんなだ。
「で、周りに何人居た」
ジョン太はたずねた。
「ええと、八人かな」
指を折ってから、鯖丸は答えた。
「一応下からも確認して来ます」
ジョン太は言って、裏道に入って行った。
「あ、俺も行く」
「あんまり近付くなよ」
所長は後ろから声をかけた。
袋小路になった広場の中心で、男達を周りにはべらせて、サキュバスはソファーの様な物に横たわっていた。
何で屋外で寝転んでいるのかとか、そう言う事はさておいて、獲物や敵を誘い込むにはいい地形だ。
周囲は建物が囲んで、通りから死角になっている。
周囲の建物には、サキュバスの配下らしい男達の気配があった。
ジョン太は、用心深く数を確認した。
西と東に四人ずつ。南には三人。
広場には、鯖丸が確認した八人が居たが、二人は獲物として食われた後らしく、倒れたまま動かなかった。
思ったより数が多い。
単発のライフルで、この人数を相手にするのは無理だ。
所長はサキュバスの攻撃範囲内に斬り込めるだろうが、鯖丸は無理だ。
やっぱり囮か…と、ジョン太までひどい事を考え始めた時、追って来ていた鯖丸が、ずいぶん後ろで立ち止まる音がした。
魔力が高いと、そんなに感じ方が違う物かと思いながら振り向くと、必死の顔をした鯖丸が、無言で前方を指差している。
指の先には、倒れた男が居た。
サキュバスの範囲内では、ずいぶん中心から離れた場所に居る。
こちらからの距離は、大体六十メートル。
ジョン太は、嫌な予感がして、自分と鯖丸の距離を測った。
四十メートル強、離れている。
六十足す四十とかいう、簡単すぎる計算をするまでもなかった。
鯖丸の立ち位置が、本当のサキュバスの範囲だとしたら…。
倒れていた男が、ゆっくりと起きあがり始めた。
革ジャンの下から、長い黒髪がこぼれ落ち、裸の白い胸が露わになった。
男じゃない。こいつがサキュバスだ。
そう思って見ると、ソファーに居るサキュバスは、少し体型がごつい様にも見える。
やられた…と思った瞬間に、もう体が動かなかった。
電気で痺れた様な感覚だが、とてつもなく気持ちいい。
腹の辺りを中心に、快感がぐるぐると渦を巻きながら集まって来る。
捕まる前に銃は抜いていたが、腕が上がらない、手が痺れる。
背後で、鯖丸が刀を抜いて一歩踏み出す音がした。
「来るな!」
ジョン太は怒鳴った。
まだ、指くらいは動く。
全身の力を込めて、腕を二センチだけずらした。
ああ、もっと口径の小さい銃にしておけばよかった…。
微妙に後悔しながら、自分の太股に銃口が当たるのを確認して、迷わず引き金を引いた。
痛みが一瞬、正気を戻した。
サキュバスが驚いて目を見開き、明らかに少し、縛りが緩んだ。
ジョン太は後ろへ飛び下がり、走り出した。
「無茶するなよ」
鯖丸は、並んで走り出した。
周囲の建物から、サキュバスの配下が出て来た。
百メートルの範囲を超えているが、一度操られてしまうと、効果が持続するのか、単に操られていなくても仲間なのか、追って来る。
走りながら撃ったが、まだ手が痺れていた。
一人倒れただけだった。
「くそ、当たらねぇ」
「走るのも無理だ。それ、ひどいよ」
鯖丸は、ジョン太の足をちらりと見た。
「そーゆー話は、後で聞くから」
もっとひどい怪我をしたまま、一日戦った事もある。
最も、あの頃は今より若かったし、毎日がっつり訓練も積んでいた。
「ジョン太」
鯖丸は、走りながらジョン太の手を握った。
意外なくらい大きくてごつい手なので驚いた。
「このまま逃げるのは無理だ。飛ぶ」
言うなりこっちへ魔力を通して来た。
魔力が低い自分相手に、こんなに短時間で通して来るのは尋常ではない。
気心の知れた相棒だという事を差し引いても、普通の人間には絶対出来ない。
少し鯖丸が怖くなった。
どこまで行くんだろう、こいつは。
急に体が軽くなった。
鯖丸が地面を蹴って飛び上がる衝撃は、腕を伝わって来たが、重さはほとんど感じなかった。
あっという間に、地上から十メートル以上離れていた。
廃工場の壁を、垂直に駆け上がり、斜め上に向かって、更に高く飛び上がった。
「うわ、怖ぇぇ」
手を放したら、絶対落ちて死ぬ。
宇宙軍に居た経験が無かったら、軽いパニックになっていたかも知れない。
鯖丸も、その辺は分かっていてやっているはずだ。
下から何度か発砲して来たが、もう、普通の腕では当たる距離ではなかった。
銃を使う奴が二人程居る様子だが、ジョン太の様な玄人ではない。
「あの辺に下りるから」
頭から落ちながら、鯖丸が指差す方向を見た。
単なる裏路地だ。超狭い。
宇宙軍で、体が鈍らない様にやっていた三次元のバスケットを思い出した。
無重力空間では、結構楽しい娯楽だった。
自分達は軍内では割と強い方だったが、コロニー育ちの子供のチームに、ぼっこぼこに負けた記憶がある。
ああ、だからこんなに飛べるんだ、こいつ。
サーカスの空中ブランコより激しく空中をぶん回され、最後にはお姫様抱っこされて着地した。
着地すると通常の重さが戻って来る。
鯖丸は「うわ、重っ」と言って、そのままへたり込んだ。
「ジョン太、重い。体重何キロだよ」
「失礼だな、百キロはないよ」
二メートル近いごつい体型の男としては、軽い方だと思う。少なくとも太ってはいない。
「九十八キロくらいかな」
「重いよそれ」
文句を言われた。筋肉が付きやすい体質だし、仕事上もこれより減らしたくはないのだが。
「じゃあ降ろしてくれ」
地面に放り出されながら、低重力環境で育った人間が、百キロ近いウェイトを持ち上げていた事実に思い当たった。
特に、魔法で補強していた様子もない。
「お前って、凄いな」
「何が」
言いながら、ガンベルトを外し、ズボンのチャックを降ろしている。
「えええぇ、何すんのお前」
「傷口だけでも塞ぐから。後は所長にやってもらって」
ズボンをずり降ろされた。
思いの外力が強い。
何かぼんやりと、大食いのガキというイメージで付き合っていたが、実際には身長百八十センチ近い大柄な剣道の有段者だ。
素の状態で弱い訳がない。
「脱がなくていいだろ」
一応抵抗した。
「直に触らないと、出来ないんだ。熟練度低いから」
太股に手を当てられると、沸騰する感じがした。
ハザマが使っている治癒魔法だ。
後遺症とか、傷跡が残るとか考えなければ、もっと楽な一時しのぎの回復魔法もあるのに、何でこういう高等技術から先に憶えてしまうんだ、こいつは。
「痛い。痛いから、もうちょっと優しくして」
ズボン半脱ぎで、裏路地に押し倒されてそんな事を言っている所へ、所長がやって来た。
「何してるの、君ら」
「えーと、何って言われても…」
ジョン太は、説明に困った。
「あ、所長。後はお願いします」
自分より回復魔法の得意な人が現れたので、鯖丸は簡単にバトンタッチした。
別に、それはいいけど、状況を説明してからにしろ。
「お願いされたけど、どうする?」
所長は聞いた。
「もう放っといてください」
ジョン太は投げやりに言った。