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二話 ジョン太(後編)

 外界げかいに戻ったジョン太は、関西本社への増援申請や、必要な備品の発注に手間取ったので、鯖丸に頼まれた連絡は、夜遅くになってしまった。

 刀と銃器を紛失して、鯖丸が重傷を負った事については、所長に少し説教を食らったが、思った通り自分も出ると言ってくれたので、安心した。

「魔力は高いが、ほぼ素人だ。まぁ、仕方ない」

 お前が魔法を使えれば…と思っているのは分かったが、幸い口には出されなかった。

 この女と最後に寝てから、何年経っただろう…と、ジョン太は考えた。

 会社に入った頃だから、十年は過ぎている。

 普通、こういう仕事をする時は、互いの魔法を連動させやすくする為、リンクを張る。

 魔法陣を描いて、周囲を踊り狂ったり、互いの腕を切って血をすすり合ったり、薬物でトリップしたり、その他様々な方法はあったが、一番簡単で確実なのは、セックスだった。

 魔力が低くても、高い方から強引にリンクすれば、たいがいは少しなら魔法が使える様になるものだ。

 鯖丸程ではないが、所長の魔力はかなり高い。

 顔立ちは地味だが、色白でむっちりしていて、おっぱいの大きい、ええ感じの女だった。

 勃つのは体の方だけで、魔力は一向に起動しなかったので、最後には諦めた顔でこう言われた。

「まぁいいか。君は基本性能が高いから」

 その後も、自分とリンクを張れた相手は、一人も居ない。

 自分が軽微な魔法も使えない理由を、所長は知っている。

 だから未だにちょっと苦手だ。

「それで、増援が入る頃には、本当に戦えるのか?」

 所長は聞いた。

「分かりません。ハザマのやる事だし」

 ジョン太は正直に答えた。

「本人は、やる気です」

「ハザマかー」

 所長は考え込んだ。

 この人も昔はやんちゃだったし、魔界で色々怪我をしては、ハザマに酷い目に遭わされたクチだ。

「それは気の毒になぁ」


 九時を回ってから、会社のデスクで夜食のカップ麺を食いながら電話すると、山本はすぐ出た。

「おー、レイジ。こっちはすげー星空だよ。吹雪が晴れてさ。お前も来れれば良かったのに」

 ケータイのアドレス機能で、こちらを鯖丸だと思い込んでいる山本の話を少し聞いて、ジョン太は言った。

「あー、武藤君のバイト先のウィンチェスターですけど」

 どうやら日本アルプスのどこぞでテントを張っているらしい。

 ワンゲルの友達というのは、こいつだろう。

「あっ、すげー。本物のジョン太?」

 何がどういう風に伝わっているのか、全然分からないが、失礼な奴だ。

「武藤君、魔界で怪我してね。当分帰れないから君に連絡する様に頼まれたんだ」

 山本は、少しの間黙り込んだ。

「ひどいんですか、レイジの怪我」

 普通に、目上の大人相手に話す口調になった。

「まぁ、重傷かな」

 かなり親しい友達だと聞いていたので、正直に言った。

「右手を切り落とされて、魔法でくっつけたれど、骨も折れてるし、打撲傷もひどい。一月は外へ出られないと思う」

 山本は、また少し黙り込んだ。

「俺、今から下りてそっち行きます。いいですか」

 夜間にテントを撤収して、日本アルプスを駆け下りてから、四国まで戻るつもりの青年の姿が想像出来た。いい友達だ。

「ダメだ。危ないから来るな」

「魔界のパスポート持ってます、俺」

 いや…こんな季節に夜の山を歩くのは危ないと言いたいのだが…。

「そうか。じゃあ、無理しないでゆっくり戻って、見舞いにだけ来てくれ。きっと喜ぶよ」

 そうします…と、山本は答えた。

 迫田は、剣道部の同輩だと聞いていたが、連絡が付かなかったのでメールを入れた。

 最後に溝呂木先生とか言う相手に電話すると、渋い低音の声が、即座に出た。

「君かね。ジョン太とかいうふざけた武藤の上司は」

 良く考えると、ふざけた名前だが、この場合ふざけたがかかっているのは、名前ではなくジョン太本体だ。

「おぅ、ふざけたジョン太だ。ケンカ売ってんのかい」

「そうだな。武藤を魔界で連れ回しているバカが」

 バカの部分に、いくぶん力を込めた。

「居ると聞いていたのでな。一度会ってみようとは思っていた」

「よし会おう。今から行く。逃げるなよてめぇ」

 住所を聞いてから、鯖丸のせっかく買った携帯を机の上に叩き付け、ジョン太はパソコンの電源を切った。

 仕事柄頑丈な機種をチョイスしたらしく、壊れなかったので、ポケットにねじ込んで、残業を切り上げ、会社を出た。


 溝呂木先生とアドレスに登録してあったので、てっきり大学の先生だと思っていたが、溝呂木は剣道部の監督で、鯖丸が地球に来た頃から剣道を教えていた師匠だった。

 道場も経営している古い家の座敷に通されて、苦手な正座をしながら、ジョン太は溝呂木先生と対していた。

 自分よりだいぶ年下の、三十才前後の男が、厳しい顔でこちらを睨んでいる。

「武藤をどうしたいんだ、君は」

 原型に近いハイブリットは、見慣れていない人には、年齢が分かりにくい。

 年下だと思われているかも知れない。

「将来的には、日本一の大魔導師に…」

 冗談が通じない相手だと分かったので、姿勢を崩して、身を乗り出した。

「あいつが、普通に生活出来る様になれば、それでいいんだけど」

「行儀悪いぞ、君」

 溝呂木は、顔をしかめた。

「アメリカ人に正座さすなや。いや…見た目で分からないのは悪いけど」

 溝呂木は、少し驚いた顔をした。

「それは悪かったが、なまってないな、日本語」

「祖母が日本人でね…いや、そんな話はどうでもいい。お前、武藤の保護者か?」

「保護者ではないが、師匠だ。彼が地球に来てから、ずっと剣道を教えている」

「じゃあ、保護者だ。もっと保護しろ。出来ないなら、俺がやるから、文句言うな」

「ああ、そういう話になるとは、思っていなかった」

 溝呂木は、少しほっとした様子だった。

「武藤がまた、胡散臭いバイトに手を出して、妙な奴に連れ回されているのかと思った。あれくらい腕の立つ奴は、いい戦力になるからな」

 またって、あんた…。前にも何かあったのかよ。

「うちはちゃんとした会社だよ。これ、名刺」

 一応、名刺を渡した。

 溝呂木は、名刺を受け取って少し見てから、畳の上に置いた。

「なるほど。聞いた事のある社名だ」

 うなずいてから、ジョン太の方を向いた。

「魔界でバイトを始めてから、あいつの太刀筋が変わって来ている。実戦で斬り合うなら、格段に実力は上がっているが、剣道でそれはまずい」

「まずいのか」

 何となく分かったが、一応聞いた。

「あいつには才能がある。でも、幕末の人斬りみたいな剣士になって欲しい訳じゃないんだ」

 真剣を握ってから、上達までのスピードが速過ぎるのは、気になっていた。

 確かに昔から、人一人斬れば一段とかいう俗説もあるが、外界で鯖丸がやっているのはスポーツ競技だ。

 この先生は、思っていたより鯖丸と深い関わりがあると思ったので、質問を変えた。

「武藤君が、解離性同一性障害の治療を受けてた事は?」

 ジョン太は一応聞いてみた。溝呂木の顔色が変わった。

「そんな事まで、話したのか」

 溝呂木は、当然知っていた様子だった。

「まあ、俺の恥ずかしい過去も告白したし。相棒だからな、俺ら」

「そうか」

 溝呂木は、少しの間黙り込んだ。

 それから、ジョン太の全く知らない話を始めた。

アキラに会った事はあるか、君は」

「えーと」

 記憶を総動員しても、思い出せなかった。

「誰?」

「武藤の別人格だ」

 溝呂木は言った。

「子供の頃テロリストに両親を殺されてレイプされた話は聞いたかな」

「ああ」

 そんな事まで話していたのかと、溝呂木は意外そうな顔をした。

「暁は、その時出て来た奴だ。玲司の代わりに重装宇宙服をジャックインして、自分を犯したテロリストを全員虐殺した。

 男に犯された事実をチャラにして、人殺しを軽い感じにする為に、ゲイで凶暴な性格の設定になってる」

「それは…」

 今までの話の流れからすると、過去形で、精神障害は治っている風に思える。

 鯖丸を主観とした話としては…。

「暁は、まだ居るのか」

 ジョン太は、暗い気持ちになりながら尋ねた。

「たぶん。魔界に長く居ると、いずれ出て来るだろうな」

 あそこは、心の奥に仕舞った事が、表に出て来やすい…と、溝呂木は言った。

 魔界に入った経験が、いくらかある様子だった。

「経済的に厳しいのは知っているが、今の仕事は一刻も早く辞めた方がいい。君からもそう言ってくれ」

「ええと…」

 ジョン太は、口ごもった。

 喧嘩腰で来てしまったので、そもそも最初に溝呂木に電話した理由を、まだ話していない。

「あの…怒らないで聞いて欲しいんだけど」

「駄目だ。怒るけど話せ」

 溝呂木は、高圧的に言った。苦手だ、こいつ。

「実は武藤君、あっちで怪我をして…」

 嫌な空気になって来た。

「当分魔界から出せないんだ。その…切り落とされた腕を魔法で繋いで…」

 溝呂木は、鬼の様な形相になっていたが、静かな動作で立ち上がった。

「そうか…」

 床の間に飾ってある日本刀を取り上げて、鯉口を切った。

「じゃあ、貴様の腕も落とそう。どっちが利き腕だ?」

 どこまで本気か分からないが、相当強そうだ。

 とっさにホルスターを吊った辺りに手が伸びたが、外界では丸腰だ。

 逃げる事にした。

「くそっ。今日はこれぐらいにしといたるわ」

 悪役の捨てぜりふを吐いて、ジョン太は逃げ出した。


 第一回鯖丸保護者会議が決裂して、とぼとぼ夜道を歩いていると、迫田から電話がかかって来た。

 山本にしたのと同じ説明を繰り返し、勝手に魔界へ入ったりしないよう説得していると、自分の方の携帯に、所長からメールが入った。

『明日、関西本社で打ち合わせ。出張よろしくm(_ _)m』

「顔文字入れるなや…」

 何だかもう、ぐったりだ。

 家に帰り着いた頃には、日付が変わっていた。

 子供達はもう寝ていたので、顔だけ見てリビングに行くと、みっちゃんはまだ起きていて、深夜の微妙なお笑い番組を見ていた。

「ただいま…」

 続きになっているキッチンへ入って、水を汲んで飲んだ。

 みっちゃんは驚いた顔をした。

「ジョナサン…帰るの今日だった?」

「いや」

 もう一杯、コップに水を汲んでから、隣に座った。

「色々あって」

 みっちゃんの肩にもたれかかった。

 風呂上がりらしく、シャンプーの匂いがする。

「何か疲れた」

 言いながら抱きついて、パジャマの下にごそごそ手を入れ始めた。

 みっちゃんは、ジョン太の手の甲をちょっとつねってから、テレビを消した。

「いいけど、ここではやめて」

「うん」

 脱ぎ捨てた上着とズボンをその辺に放り出したまま、寝室のドアを開けた。

 こんな行儀の悪い事をしたら、いつもなら怒られるのに、何も言われなかった。

 よほど疲れて見えるんだろうと思った。


 自分的には年甲斐もなくいちゃいちゃしている夫婦だと思っていたのに、セックスするのは一ヶ月ぶりっていうのは、どういう事だ…と、ベッドの上にへたれ込んでジョン太は鬱々と考えた。

 いや…それ以前に。

「なぁ、俺ら同じ日に休みだったのって、何ヶ月前だった?」

「憶えてない」

 煙草に火を付けて、ゆっくり煙を吐き出してから、みっちゃんは投げやりに言った。

 今時煙草なんか吸う奴は少数派だが、日常的に吸っている訳でもないので、特に意見は言わない事にしていた。

 彼女も色々しんどいのだろう。

「嫌なら転職すれば」

「お前こそ」

 二人は、顔を見合わせてため息をついた。

「向こうで、何かあったの」

 ゆっくり煙草を吸い終わってから火を消して、みっちゃんは聞いた。

 煙草の煙より、火を消した後の匂いの方が苦手なので、ジョン太は軽くくしゃみをした。

 あ、ごめん…と言って、みっちゃんは灰皿を出窓の奥の方に押し込んだ。

「まぁ、色々」

 鯖丸が怪我をしてからの経緯を説明した。

「置いて来ちゃったの?あの子」

 少し驚いている様子だった。

「あなたが仕事関係の人、家に連れて来る事なんか、今までなかったじゃない。可愛がってるんだと思ったけど」

「別に、一緒にいても何も出来ないし」

 リンクを張ったパートナーが回復魔法をかければ、もう少しくらいは楽に治してやれるが、自分にあるのは戦争屋のスキルだけだ。

 ハザマにきっつい治療をされて、泣いているかも知れない。

「それで、明日からオーサカ」

「わぁ、こき使われてるね」

 ふさふさの胸の毛を弄んで、ありんこを量産しながら、みっちゃんは言った。

 後でブラッシングの時にひっかかって痛いから、止めて欲しいのだが…。

「お前だって、休み少ないだろ。小さい子供も居るのに、何で考慮してもらえないの」

「教授達のイス取り合戦に巻き込まれちゃって」

 みっちゃんは、心底嫌そうな顔で、もう一本煙草を吸い始めた。

「むつかしい手術を、よその病院からいっぱい引っ張って来るから…」

 みっちゃんは、腕のいいベテランのナースだ。

 おまけに反射神経がいい。

 自分が薬物中毒で治療を受けていた頃、点滴の針を差し込んでから、反撃されないで逃げられたのは彼女だけだった。

「もう、外科は出ようと思うの。そしたらあんたの休みに合わせられるから、どっか旅行に行かない?」

「そんなでいいのかよ。お前、今の仕事好きだろ」

 みっちゃんは、少しだけ辛そうな顔をした。

「うちの支所、今、人手が足りないんだよ」

 関西の方で大きな仕事が続いたので、有能な人材を何人も引っ張られていた。

 今回助っ人に来る本社の人間も、こちらから転勤になった者が二人居る。

「求人はかけてるから、その内もう少し楽になる。だから考え直せ」

 鯖丸が学校を辞めて常勤で入ってくれたら、どんなに楽になるだろうと何度も思った事はあった。

 何か将来の目標があって、貧乏なのに意地でも学校に通っているらしいので、言い出せなかったが。

 そんなの何時になるか分からないじゃん…と、みっちゃんはぶつぶつ文句を言ったが、もう少し考えてみると答えた。


 本社の社長は、相変わらず偉そうでむかついたが、以前相方だった二人が頑張ってくれたので、意外に早く現場に戻れた。

 所長が直接出るのも効いたのだろう。

 とにかく、民間では日本一恐ろしい魔女だ。

 今日は特攻服じゃないんですかぁ…とか聞いてきた本社の魔法使いを「いい年してそんなん着れるか、こらぁ」と、ぼっこぼこに殴り倒していて頼もしい。

 所長は、魔法とか以前に、恐ろしい元ヤンなのだ。

 確か、有名なレディースの総長だったはずだ。

「ジョン太、こいつ殺したから、交換して来い」

 気持ちのいい無茶を言い始めた。

「生きてますよ」

 一応止めた。

 本社から来た魔法使いは、車に乗ったら固まったまま動けなくなった。

 打ち合わせは向こうで終わっているから、別にいいが。

 応援は、五人来ている。

 本来なら三人来るはずだったが、鯖丸の穴を埋めるのに、二人入ってもらった。

 ベテランが二人で穴を埋めるなんて、どういう素人なんだ…と、思わないでもない。

 早く戻れたので、きっとまだ回復していないだろう。

 ゲートの内側で、申請していた装備を受け取った。

 所長が、新しい刀を発注していたのは驚いた。

 軽くて扱いやすい実用刀と、ごっつい大男にしか振り回せない様な長刀だ。

 予想していたのとは全く逆で、軽い方の刀を所長が装備していた。

「ほら、私もいい年だし、もうあんまり無茶は…」

 とか、いかにも丸まった元ヤンみたいな事を言っているが、絶対かまいたちのスピードに対抗するつもりで居る。そういう人だ。

 鯖丸は、後衛に回して、重い刀で一撃を狙わせるつもりだ。

 まだ、実戦に出られるとは思えないが…。

 村が近付いて来ると、広場で子供らが騒いでいるのが聞こえた。

 右だ、左だ、上だ、下だと大騒ぎだ。

 車を駐めて見ると、牛小屋の屋根に鯖丸が立っていて、ふははは、かかって来なさいと、不敵に笑っている。

 子供達は、歓声を上げて石をぶつけ始めた。

「うわっ、一回十個ずつ。いっぺんにはやめて、マジでやめて」

 叫びながら空中に飛び上がった。

 落下しながら体を捻り、壁を蹴って水平に飛行し、ひさしの所で片手をかけて回転しながら垂直に飛び上がった。

 重力からはあり得ない方向に体が向いているのに、目線が全方向を見ていた。

 やめてとか言いながら、全部避けている。

「ジョン太」

 所長は聞いた。

「彼は飛べたんだっけ」

 魔法使いでも、本当に飛べる奴は少ない。

「別に、飛んでません、あれ」

 ジョン太は説明した。

「あいつ、自分の重さを変えられるんです。後は、跳躍と落下を繰り返してるだけです」

 非常口から落ちた時に、重さを変えて見せたのを憶えている。

 その後、使っているのは見た事が無かったが。

 動きがトリッキーなので、本当に飛んでいる様に見える。

 鯖丸は上空からこちらを見つけた。

 嬉しそうに手を振ってから、いきなり体を反転させ、頭から落下して来た。

「うわ」

 本社から来た五人は、悲鳴を上げた。

 力場を作って受け止めようとしたが、間に合わず、鯖丸が通り過ぎた上空で展開した。

 柿の木の所で、足首を軽く枝に引っかけ、見事な二回転半ひねりで方向を変えてから、斜めにスライディングして着地して来た。

 少し砂埃が舞っただけで、尻餅もつかないで立ち上がった。

「ジョン太、久し振り。あ、所長も」

 何だかすごく元気そうだ。

「肥えたな、お前」

 鯖丸をしげしげ見てから、ジョン太は言った。

 心配していた自分が、少し馬鹿らしくなって来た。

「えっ、やだ」

 両手で頬を押さえて、女の子みたいなポーズで言った。大変気持ち悪い。

「何だよ、お肌もつやつやじゃねぇか」

 まぁ、元気で何よりだと肩をたたいた。

 お肌という単語に敏感な所長は、ちょっと羨ましそうな顔をした。

「うん。まだちょっと痛い所もあるけど、何かすごく調子良くて。魔界に居ると、体にいいのかな」

「そんな訳ねぇだろ」

 まさか、こんなに回復しているとは思わなかった。

 どちらかと言うと、外界で駆けずり回っていた自分の方が疲れた感じだ。

「お前、外でコンビニ弁当ばっかり食ってるだろ。帰ったら少しは自炊しろ」

 そんな事を言った後には何だが…と、一応頼まれていた土産を、車の窓から手を突っ込んで取り出した。

「悪いな、メガプリン無かったから、小さいやつにした」

「やった、雑誌も入ってる。ありがとうジョン太」

 嬉しそうにコンビニ袋から雑誌を取り出した鯖丸は、そのまま固まった。

「一番エロいの選んどいたから」

 自分、グッドジョブという感じで、ジョン太は言った。

 鯖丸は黙り込んでしまったが、特に要らないとは言わずに、エロ雑誌をこそっと袋に仕舞った。


「いや、無理」

 病院というには、あまりにも普通の民家なハザマの家で、本社の人間と一応面通しが終わってから、医者は断言した。

「一週間って言ったろ。早いよお前ら」

「別に、そっちの都合に合わせて仕事してる訳じゃないから」

 所長は、出された座布団の上であぐらをかいて、言った。

「こいつは抜きでやる。悪いが治るまで預かってくれ」

 皆から少し離れて、まるまるバナナを食っていた鯖丸は、ええっと言って立ち上がった。

「俺、やれます。練習したから、もう絶対かまいたちの技には当たりません」

「ダメ。万一死なれたらめんどくさい」

 所長は言い放った。

「いや…あれ、いけると思うけど」

 本社から来たエンマという青年が言った。

「戦えんでも、囮で飛んでもらうだけで、こっちの攻撃、当てやすなるし」

「それだー」

 鯖丸は、エンマの手をがしっと握った。

「俺、囮でいいです。連れて行ってください」

 それ以外の何で、あんな事練習していたんだ…とエンマは考えた。やっぱりランクSくらいになると、変な奴なんだろう。

 ただ、魔力が高いくせに努力家という奴は、あまり見かけないので、その辺は好ましい。

「ダメ」

 所長は、つれなかった。

 彼女が出て来た時点で、この仕事の指揮権はジョン太から所長に移っている。文句は言えない。

「明日から出る。ここは狭いから松吉の所で打ち合わせだ。ハザマ…」

 傍観していたハザマの方を向いた。

「鯖丸は、お前が出せると思った時点で、加わってもらうから、一応打ち合わせに連れて行くぞ。いいな」

「正直に言うが、すごい無理して明後日」

 ハザマは答えた。

「夕方には治療の続きがあるから、返せよ」

「分かった」

 鯖丸は、神妙な顔で皆の後に続いてハザマの家を出た。

 服をぼろぼろにされてしまったので、村の人と同じ格好で、草履をつっかけている。

「すごいな君」

 横合いから話しかけられた。

「エンマさん…?」

 お互い、年齢の近い同業者は少ないので、ちょっと気になっていた。

「普通、初心者の頃に腕とか斬られたら、続けられんで」

「負けるの嫌いなんです」

 鯖丸は、きっぱり言い切った。

「そうか。かっこええな、君」

 エンマは、うなずいてから、こっちを見た。

「でも、死んだら負けや」

 鯖丸は、少し驚いた顔をして、自分とそう年の変わらない青年を見た。

 少しは年上に見えたが、大体は同年代だ。

 そうか、俺は考えが甘いんだな…と思った。

「そうですね。ありがとうございます」

「君、体育会系やろ。苦手や俺」

 エンマは少し引いた。

「違います。理数系です」

 そこだけはどうしても譲れない鯖丸だった。


 打ち合わせが始まって、何の話も進まない内に、鯖丸が話しをぶち壊した。

「三匹居ます」

「ええ?」

 所長はちょっとうろたえた。

「二匹だったろ」

 ジョン太は聞いた。

「そうなんだけど…」

 言いにくそうに口淀んでから、顔を上げた。

「ますみちゃんが、三匹居たって…」

「目撃者の一人です」

 ジョン太が説明した。

「死体と、恐らく殺害現場を目撃したショックで、口が利けなくなってます」

「俺、話した」

 鯖丸は言った。

「そうか。すぐ話を聞きに行こう」

 所長は立ち上がりかけた。

「絶対ダメ」

 鯖丸は、所長に飛びついて押さえつけた。

 所長相手にそんな無茶をする人間は、見た事がなかったので、周囲の皆は凍り付いた。

「ますみちゃん、まだちゃんとして無いから、刺激しないで」

「私は、そんな刺激的かね」

 所長が冷静に言ったので、鯖丸はすいませんと謝った。

「三匹居るのは、確実なんだな」

「はい」

 所長は、周囲を見渡して、考え込んだ。

「よし、予定通りのシフトで、明日出るが、相手が二匹以上だと確認した時点で、一旦引く」

 妥当な判断だった。

「一度目で駆除出来なかった場合は、鯖丸の回復を待って、チームを組み直す。それでいいな」

 皆、異論はない様子だった。

 ただでさえ戦力の高いかまいたちの、更に大型化した個体を、三匹も同時に相手にした経験は、誰にも無かった。


 地図を出して、具体的な位置を話し合う地味な作業も終わり、皆で茶を飲み始めた頃、庭先に女の子が現れた。

「鯖丸兄ちゃん居ますか」

 ジョン太だけはますみちゃんだと分かった。

 見違えるくらい明るい表情になっている。

「先生が、早く帰れって」

「あ、ごめん。もうそんな時間?」

 鯖丸は立ち上がって、皆に一礼した。

「すみません。今日はこれで」

 ますみちゃんに手を引かれて、ハザマの家がある高台に歩いて行った。

 何だか少し、いい雰囲気にも見える。

「ロリコンだっけ?彼」

 所長は聞いた。

「違うと思うけど…」

 ジョン太は考え込んだ。

 年齢が離れているせいか、女関係の事は話題に上らなかった。

 ただ、携帯のアドレスに、女の子の名前が一個も無いのは確認済みだ。

「たぶん童貞じゃないかな、あいつ」

「わぁ、最悪」

 所長は頭を抱えた。

「別に普通じゃないですか。世間の皆が所長みたいに、中学生で暴走族のヘッドとデキて、ハイスクールではプロのヤクザ屋さんを何人も乗り回したりはしませんから」

 分かっていたけど殴られた。

「あの子なら、お前が魔法使える様に出来ると思ったんだが」

「まだ、諦めてなかったんですか」

 ジョン太は、ため息をついた。

「こんなおっさんのオカマ掘るのは、荷が重いでしょう」

 所長は、少し驚いた。

「君がされる方なの?逆でいいじゃないか。そういう趣味じゃなかったろ」

 どうもこうも、女以外は趣味じゃねぇんだよ…と、ジョン太は思った。

 それに、溝呂木の話を信じれば、ポジションを逆にすると、暁とか言う奴が出て来る可能性が高まる。

 鯖丸と魔力が同等だとしたら、抑制の利かない暁を怒らせたら、いくら頑丈な自分でも、少しヤバイ。

「いや…趣味とかじゃなくて、命を大事にー」

 RPGの気弱なコマンドみたいな事を言い始めた。

 完全に、目が死んでいる。

「リンク張らないで済む、気軽な所が俺の売りなのに」

 ジョン太は、ぶつぶつ言い始めた。

 所長は不審な顔をしていたが、結局、鯖丸の抱えているらしい精神的な障害については、言い出せなかった。

 自分の目で確かめるまでは、所長に話すのはフェアじゃない気がした。

 軍属だった頃には、想像も付かない考え方だが、下手をすれば親子くらい年が離れていても、鯖丸は対等な相棒なのだ。


 そんな気持ちの悪いカップリングが計画されているとは露知らない鯖丸は、もらったエロ雑誌で二回程抜いてから、ぐっすり眠った。

 あまりにもぐっすり眠っていたので、表が大騒ぎになってから、やっと目が覚めた。

 外から、何人かの悲鳴と叫び声が聞こえた。

 根性で眠り続けようとして、はっとなって飛び起きた。

「何…」

 かまいたちが出たぞ、という叫び声が遠くで上がった。

 障子戸を開け、まだ閉まっている雨戸に手をかけたが、上手く開けられないので蹴りを入れた。

 かかとがじんじんする。

 昔の自分だったら、この程度で骨にひびが入っている所だが、何事もなく、二度目で雨戸は外れた。

 まだ早朝で薄暗い。

 畑の向こうを、うねる様な動きで走って来るかまいたちが見えた。

 やっぱり三匹居る。

 十三人食われたという話を思い出した。

 こちらから山狩りに出掛ける事しか念頭になかったが、当然向こうから来る可能性もあったのだ。

 村の人々は、もう、守りを固めていた。

 男女や年齢の別なく、ランダムに並んでいる様に見えるが、これが魔力の高い順なのだろう。

 松吉の奥さんが最前列に居るのが見えた。

「やばい…」

 周囲を見回したが、武器になる様な物は何も無かった。

 とりあえず、昔、先に鍬が付いていたのではないかと思われる棒を拾って駆け出した。

 本社から来た魔法使いが、先の方に展開している。

 上方ハルオ、ヨシオという、ぼてぼてのお笑い芸人の様な名前の二人と、エンマの三人だ。

 少し離れて、こちらから関西本社に転属になったという、平田と斑という、男女のコンビが居た。

 更に先に、ジョン太と所長が居た。

 民宿松吉とネームの入った浴衣姿で、腰に刀をぶっさしている所長は、何だか間違った外国映画の侍の様に見える。

 刀は抜かないで、突進してくるかまいたちを睨み付けてから、かけ声もろとも地面に掌底を撃ち込んだ。

 一瞬周囲が振動し、地面がめくれ上がる様に、何本もの壁が伸び上がった。

 かべを踊り越えるかまいたちの腹を、下からジョン太が狙い撃ちにした。

 一匹が、血を噴き出して転がったが、二匹は止まらない。

 撃ち出される鎌を避けながら、平田と斑が左右に離れた。

 二人の間に蜘蛛の巣の様な物が展開され、二匹のかまいたちを絡め取った。

 間髪入れずハルオヨシオが冷気をたたきつけ凍らせる。

 エンマの周囲に舞っていた火の玉が、待っていた様に飛び込んで行って炸裂した。

 一匹のかまいたちの首が吹っ飛んだ。

「みんな、このレベルかよ…」

 自分が、魔力が高いだけの素人だという事が、良く分かった。

 両足が、地面に張り付いて動かなかった。

 体中ががくがく震えた。

 首を落とされなかったかまいたちが、蜘蛛の巣を引きちぎって立ち上がっていた。

 背中に鎌を作り始めている。

 気が付いたジョン太が、おもちゃの様に軽々とロケットランチャーを構えてから、はっとして止まるのが遠くに見えた。

 かまいたちは、村の人々に向かって突っ込んで来る。

 破壊力の大きい武器では狙えない。

 拳銃を抜いて、かまいたちにだけ正確に打ち込んだが、止められる程のダメージは無かった。

 村の人達は引かなかった。

 全員で防御壁を展開した。

 大き過ぎて、壁が薄い。自分達の身を守るには、もっと小さくて分厚い壁を…。

 背後に並ぶ民家が視界に入った。

 違う。小さい子供や戦えない人間が居るから、引けないんだこの人達は。

「くそっ」

 自分の足を、こぶしで殴り付けて叫んだ。

「動けぇ!」

 次の瞬間、宙に舞った。

 両手で棒を握りしめると、震えが止まった。

 木材は刀より魔力の通りが悪い。

 力を込めて強引に通した。

 かまいたちが、鎌を撃ち出すのが見えた。

 皆に当たる。

 もっと大きくて重い鎌。あれをはじき返せるくらい、速く、強く。

 右腕に、奇妙な痺れが走った。

 完治するまであまり動かすなと言われていたが、もう、どうでもいい。

 痺れが体の中心まで抜けると、代わりに何かが伸び上がった。

 びしり…と、体中に芯が通った。

 外れそうで不安だった腕も、着地の度に折れないか不安だった骨格も、何もかもに外側から補強が入った様に安定した。

 どんな衝撃にも耐えられる気がした。

 もう、繰り出す魔法に、自分の体が耐えられるかとか、気にしなくていい。

 叫び声を上げて、魔力の通った棒を振り下ろした。

 自分でも信じられない大きさの半月形の鎌が撃ち出され、反動で更に宙高く飛び上がった。

 轟音を上げてかまいたちの鎌を叩き付け、勢い余って地面をえぐり、大穴を空けた。

 突進は止まった。

 かまいたちが、周囲を見回した。

 上空を見上げるまでに、少しの時間があった。

 その間に、体を反転し、落下を始めた。

 棒を投げ捨て、落下方向に向かって、体を真っ直ぐ伸ばして空気抵抗を減らし、定まった方向に向かって、軌道を安定させる為に回転しながら重量を増した。

 最初にかまいたちに会った様な森林を想定して練習していた。

 障害物のない場所で飛んでしまったら、落下地点はもう、微妙な修正しか効かない。

 いつも溝呂木先生に「本番に強い奴」と言われていた。

 もちろん、練習をさぼってバイトに行ってしまうくせに、公式戦ではそこそこの結果を出す自分への叱咤だが、この際ほめ言葉だと思って信じよう。

 俺は本番に強い。絶対、当たる。

 上空からは、小さな点だったかまいたちの首筋に、正確に着地した。

 つま先が触れた瞬間、更に重量を追加して、巨大な生き物を地面に叩き付けた。

 只では済まないと思ったが、耐えられた。

 屈み込んで、毛皮に覆われた首筋を掴んだ。

 ハザマに何度も治療されていたので、相手の体に魔力を通す方法は、もう熟知していた。

 もっと重く。動けないくらい。

 ずしんと音を立てて、長い体が地面に倒れた。

 もちろん、自分の重さもその分だけ増している。

 遠くでジョン太が、目をむいてこっちへ駆け出すのが見えた。

「何やってんだぁ、お前。地球人でも死ぬぞ、それ」

 所長がジョン太に足払いをかけて止めた。

 最初にジョン太が銃弾を撃ち込んだかまいたちが、立ち上がりかけていた。

「五分止めろ、サバぁ」

 所長は命令した。

「五分は無理ぃ」

 鯖丸は叫び返した。

「じゃあ死ね」

 所長がリーダーになったら、命令には絶対服従らしい。

「はいぃ、止めます」

 鯖丸は叫んだ。

「それと、所長。おっぱい見えてます」

 所長は、浴衣の前をぎゅっと締めてから、きっと顔を上げた。

「見なくていい」

「はいっ」

 すらり…と、所長が刀を抜くのが見えた。

 剣道をやっている自分から見たら、型も何もかもめちゃくちゃだが、すごい迫力だ。

 全員が、立ち上がりかけたかまいたちに向かった。

 ハルオヨシオの冷気で、地面に釘付けにして、平田と斑が確保し、ジョン太とエンマが波状攻撃を仕掛ける。

 本気のちんぴら剣法で、所長がかまいたちを真っ二つにするのに、五分はかからなかった。

 世の中は広い。

 溝呂木先生が見たら、何て言うだろう。こんな無茶苦茶な人。

「よし、放せ」

 所長は命じた。

 もちろん、確保しているかまいたちを放すのは簡単だが、大変な事に気が付いてしまった。

「すいません。余力がないから、もう飛べない」

「そうか。斑」

「はい」

 歌舞伎の土蜘蛛の様に、両手から糸を出した斑が、鯖丸を絡め取った。

 体を軽くすると、そのまま空中に投げ捨てられた。

 着地の面倒までは見てもらえないらしい。

 体を捻って、どうにか藁葺き屋根に背中からぶち当たって止まった。

 立ち上がったかまいたちは、走り出した。

 村の中心を走り抜け、裏手の山に逃げ込もうとしている。

「残り一匹だ。追うぞ」

「所長ぉぉ、乳首見えてるからぁ」

 ジョン太が、自分のシャツを脱いで渡していた。

「うるせぇ。見せてんだよ」

 ジョン太を蹴飛ばしてから、シャツを羽織った。

 豪傑の様に振る舞っていたが、そうやって男物のシャツを羽織ると、小柄な女だという事が良く分かる。

 袖口を折り返してから、振り向いた。

「鯖丸、お前はもういい。戻って休め」

「ええっ、何で。まだ行けます」

 実際、調子は悪くなかった。

 あれだけの事をしたのに、体のどこも痛くない。

「なぁ、兄ちゃん。悪い事は言わんから」

 ハルオヨシオのどっちかが言った。

「深呼吸してから、自分の頭、触ってみ」

 皆が走り去ってから、鯖丸は言われたとおり頭に手をやった。

 何かが額から生えていた。

 長いのと短いのが二本ずつ。握ってみると感触があるので、自分の体の一部だと分かる。

「えええっ、何これ、角ぉ」

 叫びながら、目の前にかざした両手を見て、更に驚いた。

 両方とも、人間の腕では無くなっている。

 特に怪我をした右手がひどい。

 がっちりと、鎧の様な、甲殻類の皮の様な物に包まれて、斬られた場所からは、無数の棘が生えて、全体を補強していた。

「何じゃこりゃあ」

 夭逝した大昔の名優の様なセリフを吐いて、鯖丸は地面に転げ落ちた。


「あああ、こんなにしちゃって」

 ハザマは、ため息をついた。

 鯖丸は、神妙な顔で医者の前に正座していた。

「まずいですか」

 元に戻ろうとしたが出来ない。

 先刻鏡で確認したが、思った程ひどい事にはなっていなかった。

 角が生えて、両手が変なだけで、おおむね普通の人間だ。

 ただ、体中の骨格が、内側から補強されているのは自分で分かった。

 たぶん今なら、地球育ちの人間より頑丈だろう。

 最後のかまいたちを追って行った皆は、割合速く戻って来た。

 手負いの一匹に、本社合同の精鋭部隊で当たったのだから、当然かも知れない。

 戻って来たジョン太は、鯖丸を見て固まってしまったが、ハザマと普通に会話しているのを聞いて、その場にへたり込んだ。

 姿が変わっているから、暁だと思ったのかも知れない。

「良かった…」

「良くはないよ」

 ハザマは言った。

「自力で、こんな変な風に治しちまって。まぁ、怪我は大体治ってるけどなぁ」

 それは朗報だ。

「元の姿に戻れますか」

 鯖丸は聞いた。

「戻せるよ。慣れたら自分でも出来る」

 ハザマは、あっさり言った。

「何もしなくても、魔界出たら元通りになるけどな」

 それもそうだ。特に深刻に考える事でもない。

「やって見せるから憶えて」

 ハザマは、鯖丸の額に指先を当てて、少し力を込めた。

 あっけないくらい簡単に、元の姿に戻った。

 自分の両手を見て、頭に触ってから、鯖丸は少しほっとした顔をしたが、ハザマはシャツを脱がせて、あちこち点検してから、肩を落とした。

「折角もうちょっとで、傷跡も残らないくらい綺麗に治せたのに」

 切れた腕と肋骨を折られた右胸に、けっこうひどい傷跡が残っていた。

 触ってみると、皮膚の感覚が少しおかしいが、まぁ、普通の古傷に見える。特に問題があるとは思えない。

「別に、服着れば隠れるから、いいですよ」

「脱いだら見えるじゃないか。水着とか着れないぞ」

 一体何の心配をしているんだ、この先生は…。グラビアアイドルじゃないんだから。

「普通に着ますよ。これくらい」

 寒いのでさっさと服を着込みながら言った。

「そんな傷があると、女の子が引くよ」

「うっ…それは」

 急に、重大な問題に思えて来た。

「まぁ、いきなりあんなのが襲って来たんだ。黙って見てる訳にもいかねぇだろうし、仕方がない。

 後で調子の悪い所があったら、連絡してくれ。手紙くらいはここでも届くから」

 よっこらせと立ち上がって、ハザマは言った。

「何かあったら外の医者に診せられる様に、診断書出しとくから待ってな」

 いきなり、普通の医者の様な事を言い始めた。

「それと、ジョン太。ちょっと来てくれ」

 二人で奥の診察室へ消えたが、割合すぐ戻って来た。

「じゃあこれ、診断書」

 普通の茶封筒を渡された。

「もう帰っていいよ。お大事に」

「あ…はい。お世話になりました」

 割合あっけなく解放された鯖丸は、拍子抜けしたまま挨拶した。


 昼前にはもう、撤収だった。

 仕事が終わったら、長居するつもりはない様だ。

 本社の人達は、所長が怖いのか、単に別方向へ帰るからその方が便利なのか、なにわナンバーのRVに固まってしまったので、支所に帰る三人は、いつもの四駆に乗り込んだ。

 ハンドルは、来た時と同じで鯖丸が握った。

 所長は後部座席に偉そうに座ってしまったし、ジョン太は何だか疲れている様に見えたからだ。

「大丈夫?」

 路肩の崩れた狭い道を、的確に走りながら、鯖丸は聞いた。

「お前に言われるなんてな」

 ジョン太は苦笑いした。

「大変だったな、今度の仕事は」

「うん。何か色々」

 しばらく黙って運転していた鯖丸は、たずねた。

「溝呂木先生に、何か聞いた?」

 ジョン太は、少し迷ってから、うなずいた。

「聞いたよ。暁の事とか」

「そうなんだ」

 戻って来た時の、ジョン太の様子が変だったので、そうじゃないかとは思っていた。

 それからしばらく、三人とも口を利かず、車は走り続けた。

 診断書を書くついでに、ハザマに聞かされた話を、ジョン太はずっと考えていた。

「治療の時は魔力を通すから、相手の事は良く分かるんだ」

 そうでなくては、魔力で他人の体なんかいじくれない。

 一方通行だが、リンクを張った状態に少し近いとハザマは言った。

「一体何なんだ、あいつ。三人居るぞ」

 まだ他に居るのかよ…と、ジョン太は頭を抱えた。

 一応、溝呂木に聞かされた話を手短に説明した。

 そうか…と、ハザマは納得した様子だった。

「魔界に長く居ると、まずいって言われたんだが、何かなかったか」

「別に何も」

 診断書を書きながら、ハザマは言った。

 外でも良く見かける、普通の診断書だ。

 ハザマは、外界での医師免許も持っている。魔法医としては、めずらしいタイプだ。

「その師匠はなぁ、心配性だ」

 二枚目をめくって書き続けながら、ハザマは言った。

「こっちに居て、あれだけきちんとコントロール出来てるんだ。問題ない。外界じゃ完治したと言われてるんじゃないのか」

 めずらしい病気だから、わしは実例を診た事はないんだが…と、ハザマは言った。

「本人は、治った様な事を言ってた」

 ジョン太はうなずいた。

「出て来たら、どうすればいい?」

「普通に接してやれ」

 ハザマは言った。

「二人とも、別に悪い奴じゃないよ」

 書き終わった診断書を茶封筒に仕舞って、ハザマは文机の前から立ち上がった。

「わしはなぁ、お前の方が気がかりだ。いつ檻の中から出て来る?」

「もう、無理かも」

 ジョン太は、諦めた様な感じで言った。

 それでも、普通に生きて行ける。

「けっ、チキンが」

 ハザマは言い捨てて、皆が居る部屋に戻って行った。

 それが二時間程前だ。

 車は走り続けていて、風は冷たいが、日差しは暖かだった。

 ゲートが見えて来た。

 後部座席で寝ていた所長は、起き上がって伸びをした。


 ハザマ医院では昼時だった。

 いつも通り手伝いに来たますみちゃんは、いつもならお代わりを山盛りにしている青年が居ない事に気が付いた。

 おかげでごはんが余っている。

 炊事のおばちゃんが、おにぎりにして並べるのを手伝ってから、ハザマの所へ行った。

 今の所患者として通っているが、雑用を手伝ってバイト代はもらっている。

 将来的には、こういう仕事に就くのもいいかも知れないと思い始めていた。

「こんにちは、先生。鯖丸兄ちゃん居ないんですけど」

「ああ、あいつは退院したよ。外界に帰った」

 関節を悪くした老人を治療しながら、ハザマは言った。

「あいつが居た部屋、片付けてくれるかな。来栖さんが入院するから」

「はぁぃ」

 そんなに急に居なくなるとは思わなかった。

 いずれ居なくなるのは知ってたけど。

 何だか胸が苦しい。

 じっとしていたら涙が出そうだった。

 雑巾とほうきを持って、鯖丸が居た部屋に入った。

 最初の二日くらいは、本当に辛そうで、得意な冷却の魔法で、冷たくしたタオルを、ハザマ先生に言われた通り首筋や額に当てて冷やしてあげると、ありがとうと言われた。

 背が高くて優しそうに笑って、親身になって話を聞いて、一緒に泣いてくれた。

 どうして、こんな急に…。

 掃き出し窓と障子戸を空けて、部屋に空気を通してから、日の高い内に布団を干してしまおうと、持ち上げた。

 ばさりと、何かの雑誌が足元に落ちた。

「あ、忘れ物だ」

 今からなら、日義のおっちゃんが持っているカブに乗せてもらえば、追い付けるかも知れない。

 せめてお別れくらいは。

 雑誌を拾い上げ、ぱらぱらとめくったますみちゃんは、その場に硬直した。

 絶対にローティーンには見せてはいけない、身も蓋もない巨乳物のエロ雑誌には、所々に折り目が付いていた。

「うわ」

 変な声を上げて、床に放り出した。

 かっこいい鯖丸兄ちゃんが、単なるエロいアホ青年に失墜するまで、0.2秒。

「無い、これは無いから」

 汚い物を捨てる手つきで(実際、ちょっと汚いかも)エロ雑誌を屑籠に放り込んだますみちゃんは、同じ様な感じで布団を縁側まで引っ張り出した。

「もういい、あんな奴」

 ちょっとませていて、色々知っていたのが敗因だったが、可哀相な感じで、初恋が終わってしまった。

 別に、誰も悪くはないんだが…。


 その頃鯖丸は、自分の人生初のモテ期が、あっけなく終結した事も知らず、所長のおごりで焼き肉を食っていた。

 割合幸せだった。

※解離性同一性障害

強い心的外傷などにより、一人の人間に二つ以上の人格が現れる様になる疾患。一般的に多重人格と呼ばれる事が多いが、必ずしも同義ではない。


この物語はフィクションです。魔界が係わる性質上、実際の解離性同一性障害や薬物中毒とは、違う表現になっています。


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