6. 意気投合
バチェとリノード一行は、安全都市の外へと出た。リノードたちは馬で移動していたため、バチェにも一頭用意してくれた。馬に乗ったことのないバートだったが、ビチェの姿のときは、不思議と問題なく乗りこなせた。
人の気配のない場所で馬を止めた彼らは、馬を近くの木に繋ぎ、ある儀式の準備を始めた。
リノードによれば、仲間のガイベルは優れた呪術師で、彼が信仰する神を通して、ビチェにかけられた呪いを解けるかもしれないという提案だった。試してみる価値はあると判断し、儀式を行うことにしたのだった。
焚き火を起こし、街で買ってきた山羊を生贄として捧げたあと、ガイベルは携帯用の太鼓を叩きながら呪文を唱え始めた。斥候であり弓使いのホカムは、片手に丸い金属板を持ち、革を巻いた棒で打って太鼓のリズムに拍子を合わせた。
ビチェは、まるで舞い踊るように体を揺らしながら神に祈りを捧げるガイベルとホカムの姿を、どこか異質なものとして見つめていた。自分が知っている神殿の儀式とは、まるで違う光景だった。
心臓の鼓動のように規則的に鳴り響いていた太鼓の音は、次第にテンポを速め、よりリズミカルになっていく。その音に不思議と気持ちが高揚し、興奮が沸き上がってきた。身体がふわりと浮き上がるような感覚、周囲との境界が曖昧になるような錯覚。
呪文を唱えるガイベルの頭上に、群青色の鎧をまとった男の幻影が現れた。そして、バ―ト、ビチェの身体からは銀色の鎧をまとった女戦士の姿が浮かび上がった。この二人の姿は、人間の目には見えなかった。
【やあ、ビチェトレスではないか。久しぶりだな】
【誰かと思えば……ナパタンか】
【あの罰は、もう終わったのか?】
【まだだ。人間の協力を得て、封印を解くのが条件だけど、前の契約者が裏切って、封印を解く道具をダンジョンの片隅にゴミのように捨てていったせいで、ずっと放置されてたの。やっと今、こうして復活できたってわけ】
【人間の協力が必要ってか……】
ビチェトレスは鼻をぴくつかせた。
【あのお方が仰ったのよ。人間と協力して、人間という存在を学べとね】
ナパタンは納得したようにうなずいた。
【人間の都市を一つまるごと吹き飛ばしたんだ。そう言われるのも無理はない】
【そこの人間どもに見せしめにしろって言われたから、ドカンとやってみただけなんだけどな……まさかあんなに怒られるとは思わなかったよ。
まあ、今回はこの人間を通して、ちゃんと終わらせるつもりだ。だから、お前も手を貸して】
【ふむ、内容によるな。我の契約者であり忠実な神官の願いを無碍にするわけにもいかないしな】
【心配するなって。お前の神官にも、お前の加護を受けた者にも害は及ばない。むしろ、その者の運命を成就させるためにも、大いに役立つはずだぜ】
ナパタンは、しばらくビチェトレスをじっと見つめたあと、ふっと納得したようにうなずいた。
【ああ、そうか……だからこそ、我は彼らをここへ導いたのだな。よし、彼らにとっても運命の成就となるのなら、それでよしとしよう。
では、我が手を貸すとして……お前は我に何をくれる?】
ビチェトレスは、にやりとした笑みを浮かべた。
【面白い見物はどうだい?】
【オーケー、よかろう〜】
二柱の神はクスクスと笑いながら、互いに拳を突き合わせた。
その瞬間、太鼓の音がぴたりと止んだ。
ガイベルは天を仰ぐ姿勢で、体を小刻みに震わせていた。彼の口からは、聞き慣れない異国の言葉が漏れ始める。彼はリノードを真っ直ぐ見据えながら、自らの言語で宣言した。
[彼女―ビチェの呪いを解くには、それをかけた邪悪な怪物を討たねばならぬ。ビチェの敵が奪った聖なる遺物を取り戻し、それを用いて怪物を滅ぼすのだ。それこそが、呪いを解く唯一の道である。
もう一つ。ビチェが男の姿になったとき、彼女は脆くなる。その時、お前は彼女を守り、支えなければならぬ]
リノードは、厳しい表情のまま、その言葉に耳を傾けていた。
ガイベルが重々しく問いかけた。
[リノードよ、選ばれし者として、この運命を受け入れる覚悟はあるか?]
リノードは剣を高く掲げ、凛とした声で応えた。
[この運命、我がものとして受け入れ、必ず成し遂げよう]
当のバートは、その言語が理解できず、ただぽかんと眺めているばかりだった。
だからこそリノードが、
「ビチェ、呪い、俺が解く。そしてビチェ、幸せにする」
と真剣に誓ったときも、バートは〈復讐を果たして呪いが解けたら、そりゃ幸せになるだろう〉と、単純に受け止めてしまった。それよりも、出会って間もない自分のために、ここまで動いてくれることに、申し訳なさと感謝が込み上げていた。
一刻も早くヘンダーソン一味に復讐し、ビチェトレスから課された使命を果たそうと、バートは己の力を試す決意を固めた。
― さあ、魔法戦士としての実力、見せてみな。
ビチェトレスの声が響き、ビチェの身に纏っていた衣服が銀の鎧へと変化する。手には、大きな透明のクリスタルが先端に埋め込まれた魔法のメイスが握られていた。
― あっちの方角に魔獣がいるぞ。
その導きに従って馬を走らせた先には、巨大な単眼の巨人がいた。
濃い銅色の肌、乱雑に垂れ下がった黒髪を持つ、身の丈8メートルものその怪物は、バートたちを見つけるや否や、地響きを立てながら咆哮し、突進してきた。その手には、黒い岩でできた巨大な棍棒が握られている。
4人はすぐさま馬から飛び降り、応戦の構えを取った。ガイベルが仲間に各種の強化と加護の呪文をかける。ホカムが素早く矢を連射して援護する中、リノードが前へと出て、巨人と正面から対峙した。
その間に、ビチェの持つ魔法のメイスからいくつもの透明な球体が生まれ、空中を旋回しながら巨人へと飛翔していった。球体の中では雷光がパチパチと音を立て、蠢いていた。それらが巨人に当たった瞬間、球体が炸裂し、内部の稲妻が解き放たれて巨人を襲った!
(おお〜、こんなことができるのか!?)
― 驚くのはまだ早いぜ。
ビチェの手から放たれた雷が鎖のような形を取り、巨人のふくらはぎに巻きついた。彼女は素早く巨人の周囲を駆け回りながら、雷の鎖を力いっぱい引いて巨人の動きを封じた。
その隙にリノードが巨人の足へ剣を突き刺す。
「グオオオォォッ!!」
巨人が苦痛に満ちた咆哮を上げて激しく足を振るい、リノードを振り落とそうとした。リノードは身を転がしてそれをかわした。
巨人の視線は、今度はビチェに向けられた。黒い石の棍棒が唸りを上げてビチェを襲う。ビチェは素早い動きでそれを避けて動いた。
ビチェの状態であれば、身体能力―スピードも跳躍力も、そして力までもが格段に向上していたのだ。
巨人の一つ目が赤く輝いた。
「熱光線だ!避けろ!」
ビチェの叫びとともに、巨人の目から赤い光線が一直線に地を薙いだ。
ガイベルは、即座に呪文を唱えて防御結界を展開し、ホカムと自分を守った。リノードは逆に巨人へと接近し、足の間をすり抜けて死角に潜り込んだ。
ビチェの左腕に半透明の魔法防御膜が展開される。ビチェはそれで頭部を防ぎつつ、小さな雷の矢をいくつも短剣のように変えて巨人の顔へと放った。
眩しさに目をくらませたのか、巨人の目がピクリと動き、熱光線が止まった。
― さあ、本気を見せてあげなきゃね。
ビチェのメイスのクリスタルが金色に輝き、空に突然黒雲が渦巻いた。雷光が雲の中で走り、一斉に複数の稲妻が地上へと放たれる!
「クアアアア!!」
雷撃を浴びて巨人が痙攣したその瞬間、リノードがさらに攻め込んだ。
― 本番はこれからだ。リノードの名を呼んで、こう言うんだ。「選ばれし者よ、汝に雷の力を授けん」と。
何のことかと戸惑いながらも、ビチェは言われた通りに叫んだ。
「リノード! 選ばれし者よ、汝に雷の力を授けん!」
その言葉が終わったとたん、黒雲全体が閃光を放ち、凄まじい雷がリノードめがけて落ちてきた。
リノードは剣を真っ直ぐ掲げて雷を受け止める。雷が剣に炸裂し、彼の全身を電流が纏う!
(うわっ!雷に撃たれた!?)
ビチェは心臓が跳ね上がるほど驚き、リノードが死んだのではないかと一瞬思った。
だが、リノードは微塵もせず、鋭い眼差しで前を睨みつけていた。そして、稲妻を纏った剣を振り抜き、巨人の身体を一刀両断にした!
信じられない光景に、バートは呆然とその場に立ち尽くした。まるで伝説の勇者を目の前で見ているかのようだった。
ガイベルとホカムも、口を開けてその様子を見守っていた。
ホカムがぽつりと呟く。
[わ〜……俺もあんなことできるかな……?]
[無理だな。お前や俺がやったら一発で灰になるさ]
ガイベルは苦笑を浮かべた。
巨人を打ち倒したリノードは、満足そうな表情で自分の手や身体を見下ろしていた。
「リノード、大丈夫?」
心配そうに声をかけたビチェに、彼は満面の笑みで応えた。
「大丈夫。むしろ、最高だ!」
その言葉通り、リノードはどこも怪我していないばかりか、むしろ全身から活力がみなぎっていた。
ビチェトレスが感嘆した。
― ほほう、さすがは生まれながらの勇者ってとこね。こりゃあ、この男のおかげで、ずいぶん早く片付きそうだわ。
正直、いつになったら、お前の力が育つのか心配だったけど……美人の皮を被って英雄を引っかけるとは、大したもんだよ。
あきれ果てたバートは、姿すらわからないビチェトレスをにらみつけながら、何も返さなかった。