4,出会い
翌朝、女性の姿のバートは広場に並んでいた。
広場では、祭りのメインイベントの一つである腕相撲大会の準備が進められていた。そしてバート―いや、〈彼女〉の番が来ると、係員が名前を尋ねてきた。
「ビチェです」
バートは適当に、ビチェトレスの名から拝借して名乗った。
彼がこの腕相撲大会に出場したのには、二つの目的があった。ひとつは、変身した状態での肉体的能力を確認すること。もうひとつは、できるだけ早く力を使い切って元の姿に戻ることだった。
ビチェトレスによれば、一度変身すると、十分に力を消費しなければ元の姿には戻れないという。
バートは革のベストの右下に刻まれた、黄色い稲妻の模様をちらりと見た。今は全体が黄色く染まっているが、力を使えば使うほど黄色が薄れていくらしい。
予選を無事に通過したバートは、記念として渡されたビールを一杯飲み干した。いよいよ本戦が始まった。ひとまずの目標は、ベスト32入り。以前、男の姿で出場したときも、そのあたりまでは難なく勝ち進めた。
しかし予想外に、〈女戦士ビチェ〉の力は強かった。当初の目標だったベスト32を超え、16強、8強と破竹の勢いで勝ち進むうち、観客の注目を集め、応援する声も飛び交うようになった。
「頼もしい姉さん、ファイトォーッ!」
「姉さんに賭けたぜーっ!」
バート自身も自分の筋力に驚きながら、「もしかして優勝できるかも……」と考え始めた。
だが、決勝戦で対戦する相手を見た瞬間、
(あ、これ無理かも)
そんな思いが脳裏をかすめた。
その男は、今まで見てきた誰よりも大きく、がっしりとした体格をしていた。一度見たら絶対に忘れないであろう、強烈な印象の男だった。
男は決勝戦を前に気合を入れるように、上着を脱ぎ捨てた。
広場を囲む観客たちから感嘆の声が漏れる。体格にふさわしい、堂々たる筋肉の持ち主だった。
(わぁ〜……あの胸筋、今の僕の胸より大きいんじゃ……。あの腕なんて、普通の女の腰ぐらいあるし……)
それでも,、ここまで来たからには、諦めるわけにはいかなかった。
(オレだって男だ! そう簡単に負けてたまるか!)
― 今は女だっての。
ビチェトレスの冷静なツッコミを無視して、バート―ビチェは、肩をぐるぐると回して筋肉をほぐし、男の正面に座った。
決勝戦は3本勝負で、2本先取した方が勝者となる。
審判が二人の手を取り、姿勢と握りを確認してから、開始の合図を出した。勝敗に賭けた人々は両陣営に分かれて、熱烈な応援を送りはじめた。
見た目どおり、男の力はとてつもなかった。今までの相手とはまるで格が違う。ビチェの腕は一瞬、ぐっと下へと押し込まれたが、歯を食いしばって力を込め、必死に相手の腕を押し返した。
二人の視線が、正面からぶつかり合った。男の目は、逞しい外見とは裏腹に、澄んだ光をたたえていた。
(いい奴なのかもしれないな)
そんな考えが、一瞬だけバートの頭をよぎった。
なかなか勝負がつかず、均衡した対決が続くなか、観客の応援も次第に熱を帯びていった。
ビチェの額には汗がにじみ、呼吸も徐々に荒くなっていく。腕にしびれが走り、じりじりと手が下がっていった。結局、第1ラウンドは男の勝利で終わった。
主催側が用意した回復術師が筋肉の緊張をほぐしてくれる間、ビチェは男の方をちらりと見た。男も彼女を見つめていた。目が合うと、彼はほんのり笑ったように見えた。
(……何よ。なんで笑うの? いい勝負だったってこと?)
しばらくして、第2ラウンドに向けて再び対座したビチェは、男の頬がわずかに赤らんでいることに気づいて、首をかしげた。
(頬が赤い……? 力を使って体温が上がったのかな)
どことなく男の目つきが優しくなったように感じたが、バートは気にしないふりをして、勝負に集中することにした。
第2ラウンドは、第1ラウンドよりも早く、ビチェの勝利で決着がついた。1対1となると、広場の雰囲気は一気に盛り上がった。だが、バートにとっては、どうにも男が全力を出していなかったような気がして、素直に喜べない勝利だった。
男の方を見ると、彼の仲間らしき人物が何か耳打ちしており、男は真剣な表情で頷いてから、ビチェへと視線を向けた。バートは思わず目をそらしてしまった。
第3ラウンドが始まった。男の頬はまだわずかに赤かったが、今回の対決は第1ラウンドと同様、白熱した接戦となった。ビチェの顔も力を振り絞るあまり真っ赤になっていた。しっかりと組んだ二人の前腕が小刻みに震える。
ある瞬間、バンッ!という轟音とともに、重たいテーブルが真っ二つに割れた。
しばしの沈黙のあと、審判がビチェの勝利を宣言した。テーブルが壊れる直前、ビチェの手がわずかに男の手を下回らせていたと判断されたのだ。男に賭けていた人々の中には、不満を口にする者もいたが、男本人は異議を唱えることなく、さっぱりとした態度で敗北を認めた。
ビチェは優勝賞金を受け取ると、すぐに群衆をかき分けて広場を抜け出した。あの男が話しかけてきそうな予感がしたからだ。
― なんだよ、話してみればいいのに?
ビチェトレスが陽気に促してきたが、ビチェ(バート)は聞こえないふりをして無視した。