第9話 魔法基礎演習と小さな気づき
禁書庫での一件から、数日が経った。
アレン=リヴィエールは、あの日以来胸に燻る違和感を抱えながらも、学院の授業に真剣に取り組んでいた。
(今、目の前のことをやらなきゃ)
魔法史の授業で学んだ古代文明の滅亡、禁書庫で見た封印魔法の記録――
それらは確かに重かった。けれど今、アレンにできることはただ一つ。
魔法使いとして、一歩ずつ成長することだ。
今日の授業は「火の館」での基礎演習。
たとえ火属性が得意でなくても、一年生たちはすべての属性の基礎を学ばなければならない。
火、水、風、地、空間――
適性にかかわらず広く基礎を習得させるのが、エリアリス・アカデミーの教育方針だった。
「よーし、お前ら、今日も頑張るぞ!」
演習場に響く快活な声。
担当教官のロイク=バーナードは、豪快な笑みを浮かべながら生徒たちを迎えた。
「今日の課題は【火球・第二式】だ!
ただ火を出すだけじゃない。一定の大きさ、一定の温度を保ったまま、安定させること。
爆発させたり暴発したら減点だかんな!」
「うわぁ……」
「マジかよ……」
教室内に軽いざわめきが走る。
アレンも内心、少し身構えた。
(まだ魔法の制御、慣れてないのに……)
収穫祭の日に初めて魔法を使ったばかりの自分にとって、
火球の安定化は簡単なものではなかった。
隣を見ると、トム=アイゼンハートが腕を組み、どこか余裕そうに立っている。
「ま、俺くらいになれば問題ないけどな。なぁ、リヴィエール?」
不敵な笑みを浮かべるトムに、アレンは苦笑いを返す。
「油断してると痛い目見るかもよ?」
「へっ、言うじゃねぇか」
二人の間に、火花のような空気がわずかに走った。
「配置につけー!」
ロイクの号令とともに、生徒たちはそれぞれ指定の位置へ散らばった。
アレンも、杖を構える。
魔力を意識して、掌に集中させた。
(火球……まずはイメージを……)
ゆっくりと、魔力を練り上げる。
すると、掌の上に、小さな火の種が灯った。
ぱち、ぱち、と、赤い光が脈打つ。
だが、すぐに火球が不安定に揺らぎ始めた。
(うわっ……!)
慌てて魔力を注ぎ直す。
火球は、かろうじて形を保っているが、ふらふらと不安定だった。
「ほう、まだまだだな」
そんな声がすぐ隣から聞こえた。
横目で見ると、トム=アイゼンハートの掌には、見事な火球が浮かんでいた。
トムは風属性が本職だ。
それでも基礎科目として火の魔法も訓練している彼は、やはり生まれつき魔力制御に長けているのだろう。
火球はきれいな球状を保ち、熱量も安定していた。
「お前、火属性そんな得意だったっけ?」
アレンが尋ねると、トムは肩をすくめて答えた。
「風に比べりゃ見劣りするけどな。
けど、基礎くらいはちゃんとこなす。……それが、アイゼンハート家の矜持ってやつだ」
少しだけ、誇らしげな表情だった。
(……すごいな)
アレンは、素直にそう思った。
それと同時に、自分にもできるはずだ、と小さな闘志が湧き上がる。
(俺だって、頑張らなきゃ)
アレンは再び深呼吸をして、火球に魔力を送り込んだ。
今度は、先ほどよりも慎重に、丁寧に。
魔力を波のように滑らかに流し込み、火球の揺らぎを整えていく。
ぱち……ぱち……
火球は、ゆっくりと安定した光を宿し始めた。
「……やった」
小さく呟いたその瞬間だった。
演習終了の鐘が鳴り響いた。
「そこまでー!」
ロイク教官が手を叩きながら、生徒たちを集める。
「今日の演習、まずまずだったな。
特に――リヴィエール、よく頑張った!」
「えっ、俺?」
アレンは驚いた顔をした。
「最初は不安定だったが、最後にはきちんと火球を制御できていた。
この調子で基礎を固めろ!」
「……ありがとうございます!」
アレンは思わず笑顔になった。
周囲からも、ちらほらと称賛の視線が向けられる。
トムも腕を組んだまま、ふっと小さく笑った。
「まあ、悪くなかったぜ、リヴィエール」
「そっちもな」
二人は、ほんのわずかに、微笑み合った。
火の館の演習が終わり、生徒たちは三々五々に教室を後にしていった。
アレンも、リリアとソフィアを探して中庭へ向かう。
夕暮れが近づき、学院の塔の影が長く伸びている。
「アレン君!」
小柄なソフィアが、両手を振りながら駆け寄ってきた。
その後ろから、リリアも静かな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「火の演習、見てたよ。すごく安定してたね!」
「うん。以前より、ずっと力の流れがきれいだった」
二人に褒められ、アレンは頬を赤らめた。
「……ありがとう。でも、まだ全然だよ。制御するだけで精一杯で……」
それでも、確かな手応えがあった。
村にいた頃には想像もできなかった、自分自身の成長を。
「アレン君は、すぐに伸びるよ。だって、魔法に対する感覚が素直だから」
ソフィアがそう言って、眼鏡の奥でいたずらっぽく笑った。
リリアもうなずく。
「焦らなくてもいい。あなたは、きっと強くなれる」
その言葉に、アレンは自然と胸を張った。
(……頑張ろう)
今はまだ、小さな一歩。
けれど、その一歩を積み重ねていけば、きっと――
そのとき、中庭にある掲示板に、教官補佐が何かを貼り出すのが見えた。
ソフィアが目を輝かせる。
「新しいお知らせだって!」
三人は駆け寄った。
そこに貼られていたのは――
《告知:一年生対象・小規模実戦演習開催!》
・約3か月後、学院内訓練場にて実施。
・模擬個人戦。
・詳細は追って通達。
「……実戦、か」
アレンは小さく呟いた。
胸の奥が、わずかに高鳴る。
恐れと、期待と――そして、挑戦への覚悟。
リリアもソフィアも、静かにその紙を見つめていた。
(ここからが、本当の勝負だ)
アレンはそっと拳を握りしめた。