表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

第8話 禁書庫

 放課後のエリアリス・アカデミー中央塔。

 夕暮れの陽が石畳を黄金色に染め、影を長く伸ばしていた。


 アレン=リヴィエールは、ソフィア=ノーラと並んで、厳めしい扉の前に立っていた。


 ――中央塔図書館。

 学院内で最も古く、最も秘密を抱える場所。


 入り口には、二重になった魔力結界が施されている。

 通常、生徒は自由に立ち入ることができない。だが今日は、事情が違った。


「じゃあ、行こうか」


 ソフィアは鞄から緑色の許可証を取り出し、扉脇の認証盤にかざした。

 魔力が反応し、低い唸り音とともに結界の一部が解除される。


「すごいな……本当に通れた」


「一次閲覧区画だけだけどね。でも、きっと何か手がかりが見つかるはず」


 ソフィアは小さく微笑み、扉を押し開けた。


 中に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。

 高い天井、幾重にも連なる書架、重厚な木の香り――。


 そこは、知識の海だった。


 二人は足音を忍ばせながら、案内図に従って進んだ。


 一次閲覧区画――それは、中央塔図書館の中でも「比較的安全」と認められた文献だけが保管されているエリアだった。

 簡単な魔導史の入門書、初級錬金術指南、古代文明の年表など、内容も厳しく選別されている。


「封印魔法について、詳しい資料……あるといいけど」

 アレンが棚を探りながら呟いた。


「この辺りに、古代術式に関する目録があるはず」

 ソフィアも手際よく検索石を操作する。


 だが、探せど探せど、出てくるのは断片的な記述ばかりだった。

 「封印」という単語は散見されるものの、その具体的な構築式や応用例に触れた文献は、まるで存在しない。


(やっぱり、簡単には手に入らないか……)


 アレンが肩を落としかけたその時だった。


 ふと、目の端に奇妙なものが映った。


 石造りの書架の隙間に、微かに揺らめく青白い光。

 近づいてみると、それは、わずかに“ひび割れた結界”だった。


「ソフィア……これ……」


 アレンが呼びかけると、ソフィアも目を凝らす。


「……結界障壁。これ、普通じゃない」


 彼女は専門家らしい鋭い観察眼で続けた。


「本来なら、禁書区画との間に絶対遮断結界があるはず。でも、ここは……劣化して、隙間ができてる」


「つまり、向こう側に……?」


「本物の禁書庫が、ある」


 二人は顔を見合わせた。

 胸が高鳴る。恐怖と興奮が、ないまぜになった感情が、心を打つ。


「どうする?」

 ソフィアが小声で尋ねた。


 許可されたエリアを出るのは、もちろん規則違反だ。

 だが、そこにあるかもしれない真実を、見過ごすことはできなかった。


 アレンは、ごく小さく頷いた。


「……少しだけ、見るだけなら」


 ソフィアもまた、わずかに微笑み、頷き返した。


 そっと、ひび割れた結界の隙間へ――二人は歩みを進めた。


 隙間を抜けた先は、まるで異世界だった。


 空気はさらに冷たく、重く、澱んでいる。

 書架に並ぶ書物も、どれも古び、魔力の波動を纏っていた。

 ここは明らかに、一次閲覧区画とは異なる。


「これが……本物の禁書庫……」

 ソフィアが囁くように呟く。


 床に敷かれた赤黒い絨毯には、消えかけた封印陣の痕跡。

 壁には、警告の古代文字が無数に刻まれている。


『無断立ち入り禁止』『未知なる力への警戒を怠るな』


 アレンはごくりと唾を飲み込んだ。


(引き返すなら今だ……でも)


 心の奥で、何かに引き寄せられる感覚があった。

 そして、奥の棚に、一際目立つ本が鎮座しているのを見つけた。


 黒革装丁、銀色の留め金。

 そして背表紙に刻まれた文字。


《エル=サラの記録》


「……!」


 アレンとソフィアは、無言で顔を見合わせた。

 授業で聞いたばかりの、あの名だ。


 ソフィアが、おそるおそる手を伸ばす。


 ぱちり。

 留め金が自然に外れた。


「待って……」

 アレンは思わず声をかけたが、ソフィアは静かに首を振った。


「見るだけ。……危険なら、すぐ閉じるから」


 彼女の指先が、本をめくった。


 そこに現れたのは、草書体とも異なる古代文字がびっしりと書き込まれたページだった。


――エル=サラの記録――

――古代魔法文明アスラ・最後の遺産――


 見開きの左には、地割れした大陸の地図とともに「魔力災害」の項目。

 緻密な図版で古代都市が崩壊し、周囲の大地に巨大な亀裂が走る様が描かれている。

 燃え盛る炎が空を染め、正体不明の瘴気しょうきが立ち上るその異様な光景に、アレンは息を呑んだ。


「……こんな災害が、本当にあったのか?」


 そっと左頁を指で辿ると、さらに詳細な考察が続く。


「古代アスラ王国の最盛期、王都ナル=カシアは五元素の力を結集し、

世界を繁栄へと導いた。しかし同時に“封印せし力”を蔑ろにし、

精霊の怒りを買い、魔導機構は暴走を始めた――

それが“魔力災害”である」


 隣の右頁へ視線を移すと、「失われし封印魔法」の記述が目に入る。

 緻密な魔法陣と呪文、そして


「封印魔法エンシェルの真髄は“魂の共鳴”にあり――

魔導士自身の意志が呪文に宿らぬ限り、封印は完全とはならぬ」


 と書かれていた。

 アレンは掌に冷たい汗を感じた。


 禁書庫の静寂を切り裂くように、彼の鼓動だけが大きく高鳴る。

 ページの隅には、アスラの紋章と似た図像が小さく描かれており、光が照らすたびに淡い輝きを放っていた。


「これは……いけない。本物の“古代封印魔法”の研究記録よ。

 こんな資料が学院に残されているなんて……」


 ソフィアの声には戸惑いと興奮、両方が混ざっていた。

 アレンはさらに奥の頁をめくる。そこには失敗例として、「封印に失敗しし者の魂が消えた」という断定的な記述が赤い染料で強調されている。


(魂の消失……?)


 背筋がひんやりした。

 目の前に広がるのは、ただの学術書ではない。

 ──人々の滅びの記録。


 アレンは頁に指を置いたまま、自分の運命と重ね合わせるように呟いた。


「もし……俺が“共鳴”できなかったら?」


 ソフィアは表情を曇らせる。

 だが、その瞬間、背後から足音がした。

 扉の開く音と共に入ってきたのは、リリア=エルグレアだった。

 彼女の瞳は、いつもよりも険しさを帯びている。

リリア=エルグレアの足音が、古書の並ぶ厳かな空気を切り裂いた。

 アレンは驚いて顔を上げ、手にしていた羊皮紙を慌てて閉じようとする。

 しかし、ソフィアの「待って」という声が優しくも厳粛に響いた。


「リリア……」


 リリアはテーブルまで素早く歩み、止まった。

 淡い水色の瞳が禁書庫の奥で揺れるランプの光を映し出している。


「アレン君、ソフィア。ここは“禁書庫”――深く入り込みすぎてはいけない。

 この本は、学院でも最も危険視されている“封印魔法”の記録よ」


 アレンが息を飲む。

 確かに、ページをめくるごとに重苦しい言葉と図像が積み重なり、

 読むほどに誰かを傷つけるほどの魔力と呪縛を感じさせた。


「失われし封印魔法の真髄に触れれば、読み手の魂まで巻き込まれる――

 と、ダリル教授の講義で聞いたばかりだわ」


 リリアの声には、いつもの静けさを超えた緊張が混じっていた。

 アレンは本をそっとテーブルに伏せ、封印符文の描かれた扉に視線を移す。


(もしこれ以上調べたら、本当に――)


 背中がぞくりと震えた。

 だが同時に、「なぜリリアがそんなに警戒するのか」を知りたくもなる。


「リリア。君は、どうして……この本のことを知っているんだ?」


 アレンが胸にあった疑問を口にした。


 一瞬、リリアの表情が凍りつく。


 だが次の瞬間、彼女はわずかに笑って言った。


「私も、昔……同じ過ちを犯しかけたことがあるの」


 それだけ言い残して、リリアは踵を返し、夕闇の中へと消えていった。


 アレンとソフィアは、その後ろ姿を、しばらく言葉もなく見送っていた。


 胸の奥に、小さな棘のような違和感が残る。


 リリアが抱えている“何か”。

 自分たちがまだ知らない、遥かに深い闇。


 そして――。

 エル=サラの記録に刻まれていた、古代魔法の封印と、魔力災害。


 知らなければよかったとさえ思うような、危うい世界が、そっと二人に触れた夜だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ