第6話 古代魔法
秋風がそよぐ朝、エリアリス・アカデミー本校舎の講義棟は、いつになくざわついていた。
今日の授業は、魔法史担当のカルル=ヴェスタス教授による特別講義――「古代魔法文明と封印術の基礎」である。
アレン=リヴィエールは、リリア=セレストと隣同士に座り、ノートを広げた。
教壇の上では、カルル教授が分厚い羊皮紙の束を手に、教室をぐるりと見渡している。
「さて、諸君。今日学ぶのは、単なる呪文の歴史ではない。魔法がいかにして文明を築き、そして破壊したか。その要となった“封印魔法”についてだ」
低く響く声に、生徒たちは自然と姿勢を正した。
アレンも、胸の奥に小さな緊張を覚える。
カルル教授は、魔法学界でも有名な古代研究家だと聞く。学院内でも彼の授業は「難しいが面白い」と評判だった。
「紀元前千年、魔力文明は絶頂を迎えた。巨大な浮遊都市、万里を超える魔導鉄道……それらは全て、当時の高度な魔法技術によって支えられていた。しかし──」
カルル教授は、一拍置いて黒板にチョークで古代文字を書き付けた。
【魔力災害】
白く刻まれたその言葉に、教室内の空気がぴんと張り詰めた。
「制御不能となった魔力の暴走。これにより、いくつもの都市が一夜にして崩壊した。
そして、古代の賢者たちは考えた。力を制御し、封じる術が必要だ、と」
教授は黒板に新たな単語を記す。
【封印魔法】
「この魔法体系の確立が、後の魔導帝国の支柱となった」
アレンは、ノートに必死でメモを取った。
(魔力の暴走……封じる魔法……)
どこか、胸の奥にひっかかるものを感じた。
以前、村で発動させた無意識の魔法。その時も、自分の力は制御できなかった。
もしかしたら、同じような危うさを持っているのかもしれない――そんな漠然とした不安が、心をかすめた。
「封印魔法にはいくつかの系統がある。
一時的に対象の魔力を封じ込める“簡易封印”――これは現代にも伝わっている。
だが、最も古い技術であり、現在ほとんど失われたものがある。それが、“完全封印”だ」
教授は、重々しい口調で続けた。
「完全封印とは、対象の魔力核そのものを、空間に隔離し、永遠に閉ざす術だ。
……だがこの術は、危険を伴った。封じた力は、生きたまま、封印内部で暴れ続ける。
やがて、封印そのものを内側から侵食し、壊してしまう場合もあった」
生徒たちの間に、ざわりとざわめきが広がる。
トム=アイゼンハートが、隣の席から小声で呟いた。
「そんな危ないもん、よく作ったな……」
アレンも頷く。だが同時に、どこか惹かれるものを感じた。
制御できない力。封じ込められた怒り。それは、何か自分自身にも重なるものがあるような気がしたのだ。
「記録によれば、封印魔法の頂点は“エル=サラ時代”に達したとされている。
エル=サラ帝国――古代最大の魔法国家。その首都には、今も失われた封印遺跡が眠っているという噂がある」
カルル教授は、少しだけ声を落とした。
「我々が知る封印魔法は、あくまで一部だ。失われた術式、知られざる災厄が、まだどこかに眠っているかもしれない」
教室の隅で、リリアがぴくりと肩を震わせた。
アレンは気づいたが、声はかけなかった。リリアの横顔には、微かだが、張りつめた恐怖の色が浮かんでいた。
授業が終わり、昼休み。
アレンは中庭のベンチで、手にしたノートをぼんやりと眺めていた。
魔力災害。封印魔法。失われた文明――。
壮大な歴史の影に、言葉では言い表せない不穏な気配を感じる。
(魔法って、こんなにも危ういものだったんだな……)
考え込んでいると、ソフィア=ノーラが静かに隣へ座った。
分厚い本を抱え、眼鏡越しにこちらを見上げる。
「アレン君、さっきの授業……興味、あった?」
「うん、すごく……でも、同時に怖くもあったよ」
素直に答えると、ソフィアはふっと微笑んだ。
「私も同じ。
だから……もっと知りたくなったの。封印魔法のこと」
そう言って、彼女は小声で続けた。
「……実は、中央塔の図書館に、封印魔法に関する一次資料があるらしいの。
もちろん、普通の閲覧棚には置かれていない。禁書庫に……ね」
アレンは思わず息を呑んだ。
「禁書庫? あそこって、上級生でも滅多に入れないって聞いたけど」
「そう。でも、全部が完全封印されているわけじゃないの。
入門者向けに、安全な資料だけをまとめた『一次閲覧区画』があるの。
実は、先週の錬金術基礎演習で、私は小規模な古代結界解析の課題に合格したの。
それで、先生に申請して、一次閲覧許可証を特例でもらったのよ」
ソフィアは鞄から、緑色の封蝋が押された小さなカードを取り出した。
「これが、許可証。中央塔図書館の一次閲覧フロアに限って、資料閲覧が認められてる。
……付き添いが一人なら、一緒に入っていいって」
彼女はほんの少し頬を赤らめながら、アレンに視線を向けた。
「一緒に、行かない? ……怖い資料じゃないわ。基礎的な歴史文書みたいだから」
アレンは一瞬だけ迷った。だが、胸の中の好奇心と、
(何か知るべきことがある気がする)という直感が、彼を突き動かした。
「……うん、行こう。知りたい。封印魔法のこと、古代のこと」
ソフィアは嬉しそうに笑った。
「放課後、正門前で集合ね。図書館は午後五時から閲覧者開放があるから、その時間を狙いましょう」
「わかった!」