第4話 初めての授業①
朝靄の残る学院構内を、アレン=リヴィエールは駆け足で移動していた。
左手には真鍮製の鍵束、右手には魔導教科書と訓練用の小道具ケース。
彼の目指す先は──火の館だ。
火の館は、学院の東翼に位置し、外壁に魔法防火結界が走っている。
天井には炎を模した魔導灯が吊るされ、床には耐熱処理済みの石畳が敷かれている。
室内中央には、直径三メートルにも達する「魔力放出リング」が設置されており、
ここで新入生は初めての火球制御訓練を受けることになっている。
釈迦の導師のような長い白髪を後ろで束ねた教師、ミラベル=ヴェルムが立つ。
彼女のローブの縁には、赤と金の炎紋が刺繍されており、
その落ち着いた声は、静寂の中でもはっきりと届いた。
「諸君、まずは膝の高さで火球を生成し、
魔力放出リングの中心へそっと収めることから始める。
魔法は暴力ではない。制御こそが真の力だ」
アレンは胸を打たれる思いで頷き、リングの手前に立った。
トム=アイゼンハートも隣に並ぶ。彼は既にリングの外側で風魔法のデモンストレーションを行い、
軽くリング上をくるっと一周する小技を見せていた。
「負けねぇからな、アレン」
トムの無邪気な挑発に、アレンは苦笑を浮かべる。
だが、本心は焦りでいっぱいだった。
手に馴染むように魔力を集めようとしても、
火球の輪郭はぼやけ、リングまで届かずに地面で散ってしまった。
「うわっ……ミスった」
アレンの火球は、焦げた匂いを残して消滅する。
後方から、隣の生徒たちが笑い声を上げた。
トムは肩をすくめながら、からかうように笑う。
「まあまあ、初日だしな。俺も最初はリングの半径しか飛ばせなかったぜ」
トムの言葉に、アレンは少し励まされる。
しかしミラベル教師は厳しく視線を注いだ。
「アレン=リヴィエール君、二度目の挑戦は冷静に。
魔力を一点に集中して放てば、力は自然と収束するはずだ」
アレンは背筋を伸ばし、深呼吸する。
掌に意識を集中させ、火のエネルギーを心の一点へと集める。
(落ち着け、自分のリズムで……)
再び火球を生成し、今度は背後に立つトムにも見せつけるように真っ直ぐ放つ。
──シュッ。
火球は勢いよく飛び出し、リングの中心に小気味よく収まった。
小さな歓声があがる。
ミラベルも微笑んでうなずく。
「良いぞ、アレン君。集中力が格段に向上した。
この調子で、次は高さを変えて挑戦してみよう」
アレンの胸には、少しだけ自信が宿った。
火の館での訓練を終えたアレンは、続いて空間理論演習棟へ向かった。
施設は学院の北翼、ガラス張りの天井からは淡い青光が差し込み、
複雑に重ねられた古代魔法陣が床面に刻まれている。
空間理論担当のカルル=フェルナンデス教授は、静かな口調で説明を始めた。
長年研究を重ねた「魔力波動解析機」を掲げながら、
「空間操作は、魔力を“場所”という概念に作用させる高度な技術です。
今日は“瞬間移動の基礎”として、この魔導歩行訓練マットを使います」
教授の指示で、マット中央に立つと、
細い結界線がアレンの足元を囲い、マットの四隅に設定された魔力ポイントへ一瞬でワープする練習が始まった。
「まずは二メートル離れた地点へ移動してみましょう」
声と同時に、カルル教授が杖を軽く振る。
アレンは胸の奥で魔力の流れを感じ取りながら、両手を前に掲げた。
しかし初動がずれて、結界線に手を打ち付けて転倒。
「おっと……」
尻もちをついた拍子に、足元の結界が一瞬乱れ、
隣で見学していたリリア=エルグレアが駆け寄る。
「大丈夫? まずは基礎呼吸から整えたほうがいいわ」
水属性用の練習マントをひるがえしながら、彼女は手際よくアレンを助け起こし、
静かに微笑んだ。
(リリアがこんなに優しいとは……)
本来、火と水は相克の関係。
衝突すればお互いの魔力を干渉し合うはずだが、彼女の補助はまるで水が火を受け止めるかのように穏やかだった。
「改めて……集中して。魔力の起点を“意識”で固定して」
リリアの落ち着いた声に促され、アレンは深呼吸を一つ。
今度は足元にゆっくりと魔力を流し込んでみる。
ジリリリ……
足元の結界線が青白く輝く。
そして、次の瞬間──
「シュッ」
アレンの姿は音もなく二メートル先へ飛び、完璧にポイント内へ着地した。
「できた……!」
喜びの声が思わず漏れる。
リリアは手を叩きながら、満足そうに頷いた。
「素晴らしいわ、アレン。火の制御もだけど、空間適性も相当高いみたいね」
初対面から一歩進んだ信頼感を胸に、アレンは礼を言った。
「ありがとう、リリア。君の助けがなかったら、まだ混乱してたよ」