第11話 運の揺り戻し
クレアは吸血蝙蝠の獣人のため、五感の中では聴覚が飛び抜けて優れている。
人間には聞こえない周波数の音まで捉えられる繊細な聴覚は、時として彼女を悩ませることもあった。
聴覚だけではなく嗅覚も優れており、せいぜい人並み以下なのは視力くらいだろう。
そんな蝙蝠の特徴は、獣人である彼女にも受け継がれていた。
そのため、定期的に悪臭漂う地下用水路に赴くことは彼女にとってかなりの苦痛であった。腐敗臭や雑排水の臭いが、鋭敏な嗅覚を直撃する。
とはいえ、それも日常的に行われていけば慣れるというもの。
最初の頃は吐き気を催していたが、今では我慢できるようになっていた。
最近では、侍女の宿舎に戻って洗濯と水浴びを同時に済ませる荒技を身に着けていた。
「ルミナ様には感謝しなければいけませんね」
クレアは周囲から皇女殿下捕獲のプロと認知されている。
その評価は、ある意味で正しい。
ルミナがどこへ逃げても、必ず捕まえてくる。その実態はマッチポンプも良いところなのだから。
そのおかげで、クレアは怪しまれることなく地下用水路に行くことができていた。
普通なら不審な行動に見えてしまうそれも、ルミナのおかげで任務に忠実なメイドとして見せられるのだ。
潜入工作員としての行動がそもそも怪しまれない。
そこまでいければ、もうクレアは完全に帝国城に溶け込んだと言えるだろう。
まさに理想的な潜入であった。
潜入してからのクレアの日々はまさに幸運の連続と言えるだろう。
運命の女神が微笑んでくれたとしか思えない。
レグルス大公に仕えられたこと。
組織にとって一番の重要人物に仕えることで、彼の人となりを知ってどう動けば良いか方針を立てられるようになった。
ルミナと出会えたこと。
皇女殿下との関係は、クレアの立場をより確固たるものにした。
この二つの要素は大きい。叛逆の牙の中でも、これほど恵まれた環境にいる潜入工作員はいないだろう。
しかし、幸運はいつまでも続くことはない。
必ず、揺り戻しというものがやってくる。
「ふぅ……空気がおいしい」
地下用水路を出たばかりのクレアは鼻が一時的に麻痺している状態だ。
強烈な悪臭で嗅覚が一時的に機能を停止している。そんな時は特に警戒が必要だった。
暗闇では、目で見るより〝耳で見る〟方が早い。
それは吸血蝙蝠の獣人としての本能が教えてくれた知恵だった。
クレアは超音波を発しながらエコーで周囲の状況を探りながら歩いていく。慎重に、一歩一歩を確かめるように。
すると、地面に何かが転がっていることに気が付いた。エコーの反射から、それが倒れている人間であることが分かる。
「あの、大丈夫――っ!?」
倒れている人間へ駆け寄って抱き起したことにより、恐ろしい真実が明らかになる。
それは血塗れの死体だった。まだ温かい血が、月明かりを受けて赤く光っている。
「そこのお前! 何をしている!」
クレアの平穏な日々に終止符を打とうとしていた。




