第6話 植えつけられた叛逆の牙
ドラキュラ・ルナ・モルド。
それがクレアの本当の名前である。
かつて帝国の御三家として栄華を誇ったモルド家の血と、暗闇に生きる吸血蝙蝠の獣人の血が彼女の身体を流れている。
幼い頃から、彼女の教育は歪んだ形で進められた。
彼女が暮らしていた古い館は、まるで時が止まったかのように静謐な空気に包まれていた。
重厚な暗赤色のカーテンが窓を覆い、廊下には歴代当主の肖像画が並んでいる。
その冷たい視線の下で、人間の醜さと獣人の優越性を説く声が、毎日のように彼女の耳に響いた。
人間達の歴史上の過ちが、まるで暗号のように彼女の心に刻み込まれていく。
戦争に敗北し蹂躙された領地。根拠のない偏見に基づく迫害。
《《体験したことのないそれらの記憶》》は、彼女の幼い心を少しずつ染め上げていった。
「人間は獣人を恐れている。何故なら奴らは愚かな弱者であり、我々は圧倒的な強者だからだ。理解することも、歩み寄ることもしない。ただ排斥することしかできない愚か者共、それが人間の正体だ」
そう語る大人たちの目は、いつも遠い虚空を見つめていた。目の前で泣きじゃくる彼女の姿なんてまるで写ってやしない。
今思えば、この大人達ですら体験したことのない過去の憎しみに囚われていたのだろう。
反抗的な態度を示せば、必ず〝反省部屋〟が待っていた。
それは館の地下深くに設えられた、光の届かない空間。吸血蝙蝠の血を引く彼女にとって安寧を感じるはずの暗闇は、苦痛を感じることしかできなかった。
古びた木製の椅子に縛り付けられた状態で〝教育〟が行われ、彼女の皮膚は痣で彩られた。
そうやって人間への憎悪を植え付けられてきた。
「どうして……誰も助けてくれないの……これが本当に正しいことなの?」
けれど、そんな疑問は次第に薄れていった。
幾度となく繰り返される〝教育〟は、確実に彼女の心を蝕んでいった。
植え付けられた憎しみの種は、彼女の心へ着実に根を張り、やがて花を咲かせた。
「身体が寒い……血が、欲しい」
彼女はその日も反省部屋で目を覚ました。
古びた椅子に縛りつけられた彼女の体は、鞭打ちの痛みに震え、口の中には鉄の味が広がる。種族柄、血は好きだが、自分の血の味にはもう飽きた。
「全部、人間のせいだ……この苦しみも、全部、全部……!」
やがて、彼女はその憎悪を糧に自身の牙を研ぎ続けることになる。
至高の存在である獣人を虐げる愚かな人間共の喉笛を食い千切る叛逆の牙を。
これが彼女の始まり。
反帝国組織〝叛逆の牙〟潜入工作員ドラキュラ・ルナ・モルドは、こうして生まれたのであった。




