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第3話 解釈違いによる困惑

 クレアが静かに執務室の扉を開けて入ると、レグルス大公が机に向かって書類に目を通しているのが見えた。

 机の上には積み重なった書類が並び、その顔には疲れの色がわずかに浮かんでいる。

 クレアは、丁寧に一礼してから大公に近づき、穏やかな声で話しかけた。


「失礼いたします、大公閣下。今朝の朝食の準備が整いましたが、召し上がりますか?」


 レグルス大公は書類から顔を上げ、クレアに目を向けた。


「ありがとう、クレア。だが、今は少し手が離せない。後で頼む」


 レグルス大公の言葉にクレアは少し困惑しながらも、すぐに微笑みを浮かべて頷く。


「かしこまりました。無理はなさらないでください」


 その言葉に大公は微かに笑みを返すが、すぐにまた書類に目を戻す。

 クレアはその場から下がり、控えめに整理整頓を始める。彼女の手際の良さはすでに他の使用人たちからも評判になりつつある。

 叛逆の牙の潜入工作員として、クレアは着実に帝国城に馴染みつつあった。


 ふと、そこでクレアは執務室の内装が気になった。

 他の官僚の執務室とは違い、煌びやかさの欠片もない落ち着いた調度品の数々。

 クレアは内心で首をかしげながら、紅茶の準備を始める。レグルス大公の書類仕事がひと段落付きそうだったからである。


「紅茶をお持ちいたしました。少し休憩なさってはいかがですか?」


 一息ついたタイミングを見計らい、クレアは紅茶を大公の机にそっと置いた。


「ああ。すまないな――っ!?」


 紅茶の表面に光が反射して僅かに光った瞬間、レグルス大公は目を見開いて立ち上がった。


「熱ぅっ!?」


 その結果、腕が当たって机上の紅茶が零れ、レグルス大公にかかってしまった。


「大公閣下!?」


 あまりの出来事に固まっていたクレアは慌ててレグルス大公に駆け寄った。

 入れたての紅茶はレグルス大公の服にかかっており湯気を立てている。そのことに気が付いたクレアは顔を青ざめさせた。


「も、申し訳ございません!」


 服にかかった紅茶の量は多くなかったとはいえ、クレアはレグルス大公が火傷をしてないか心配で仕方がなかった。


 迂闊にも程があった。

 レグルス大公が紅茶にどんな反応を示すかも考えずに目の前に置いてしまった。潜入工作員が呆れてものも言えない。


 そんなクレアの不安とは裏腹に、レグルス大公は落ち着いた様子だった。

 彼は紅茶がかかった上着を脱ぐと、クレアに視線を向ける。

 その目には怒りなどなく、ただ心配の色が浮かんでいた。

 そして、彼はゆっくりとした口調で口を開いた。


「騒がせてすまない。実は水面の反射などが苦手でな」

「水面の反射、でございますか?」


 レグルス大公は神妙な顔をしながら頷く。


「余は泳げないのだ。本能的に水を恐れていると言っていいほどだ」


 獣人は力を宿している動物と同じ生態的特徴を持つことがある。

 獅子の獣人であるレグルス大公も、嗅覚、強靭な顎、筋肉質な肉体を持っていた。

 その肉体は泳ぎには不向きであり、本能に刻まれた水への恐怖も加わり、彼は過剰に水辺を恐れているのだ。


「水面だけではない。鏡面のような光沢のあるから反射された光でも水面を想起してしまってな。情けない話だが、反射的に恐怖を覚えてしまうのだ」

「だから、この部屋には煌びやかな調度品がないのですね」


 銀製品どころか鏡のない部屋を見てクレアは納得したように頷いた。


 しかし、同時に納得ができないことがあった。


 紅茶をかけられるという失態を犯されながらも、それを咎める様子もなく、水面の反射という弱点まで明かしてくれる。

 クレアは訝しみながら尋ねる。


「何故、それを新人メイドの私に?」

「はっはっは! なに、君が今にも自害しそうなほどに震えていたからな。君が粗相をしたのではないとわかってほしくてな」

「いえ。粗相ではあるかと思いますが……」


 クレアが困惑しながらそう言うと、レグルス大公は豪快に笑った。

 不思議なことに、迫力のある面構えに浮かべるその笑顔は威圧感など微塵も感じさせなかった。


 叛逆の牙より植え付けられたイメージからかけ離れたレグルス大公の姿。

 それに困惑しつつも、クレアはどこか心地良さを感じていたのだった。

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