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フェンリルに目立った外傷はない。
ボクの前に立った時、高さ3メートルくらいだったフェンリルが横にぶっ倒れていると流石にデカい。
おそるおそる体の周りを歩いてみるが、本当に出血どころか傷一つない。ホントに死んでんのかこれ。
「ねぇ、これホントに死んでる?」
「…………体内で心臓と脳付近の血液を爆発させたから確実に死んでいる」
血液、爆発。
こっっっわ。なにその物騒な単語。
「心配なら息を確認してみるといい」
そう言われたのでおそるおそるフェンリルの口元に手をやると、確かに呼吸をしていなかった。
ボクはすぐ安心して腹付近のモフモフした毛を撫でる。おお、フワフワだ。死骸だから冷たいけど。
撫でているといきなりフェンリルの首が飛んだ。
「うわああああ!!!!!」
「なんだうるさい」
「くっ、首!いきなり飛ばさないでくれるぅ?!ビックリするでしょ!!」
「返り血がついたか」
「ついてないけどさっ!!!箱入り娘にもう少し配慮というか!!」
いやこの人配慮とか無理そうだよな。数時間しか一緒に過ごしてないけどじつはなんとなく察してる。
めんどくさそうな顔を少しこっちに向けた後、すぐにフェンリルの首の断面をいじりだした彼。
ちらりと転がっているフェンリルの頭を見た。
うわうわ、結構グロいな、ボクが肝が座ってる貴族令嬢で良かったよ。ボク以外の女だったら首がぶっ飛んだ時点で失神してるぞ。
「ねぇお兄さん、フェンリルこの後どうするのさ」
「………………」
「焼いて食べるの?美味しい??ボクも食べてみたいんだけどご馳走してくれる?」
「…臓器が薬になる」
「へぇ、お兄さん薬も作れるの。すごいねぇ」
「………………魔法薬だけ、ただの薬は専門外だよ」
魔法薬とただの薬の違いが分からない女がここに居りますが。
溜息をついて地べたに座り込んだ。
空は少し曇っていて星があまり見えない。もっときれいに見える場所に行きたいな。ツァヴァ―トは首都の少し上の地域がめっちゃ綺麗な星空が見えることで有名なんだ。いつか行ってみたいな。
………………いや寒いな。実は我慢して気づかないふりしてたけど寒いな。秋の真夜中にワンピース一枚とポンチョだもんな。そりゃ寒いよな。
あれ、でもお兄さんも厚着してないよね。魔術師っぽい黒のローブを着ているけど、そのローブ大して厚くなさそうだしな。
「お兄さん、ボク結構寒くて風邪ひきそうなんだけど、そろそろ帰りたいかなって」
「………………」
「ボクとてもか弱い乙女なんだけれど………知ってた?」
「………………ここから北の方角に進んでいくと町があるよ」
「こんな暗い中一人で歩いたら絶対迷うね。うん。自信あるよボク」
あはは、お兄さんボクのこと絶対メンドクサイ女だと思ってるでしょ。顔にそう書いてあるもん。
ええ、そうですとも。でも見栄より命だ。こんな時間に遭難したらまず生きてられる自信ないからね。
お兄さんは腰を上げ、ボクの目の前に立った。
ハァ、と息を吐いてお兄さんは手を伸ばした。
ぺとり。
「ファッ?」
額に、冷えた指先がフェンリルの血液と共にくっついた。
息を呑み込んだ瞬間、ぱあっと視界が眩く光り、反射的に目をつぶった。
そのあとすぐ指は放れ、瞼を開けるとお兄さんがものっそい不機嫌そうにプイとそっぽを向いた。
「なん、なにかボクに、しなかった?」
「……もう寒くないだろ」
「え」
あ、確かに。寒くないし、ほんのり足先や指先がぬくい。
「えっ、うおおおおお!!!なにこれなにこれ、温かい!!すごいすごい!どうやったのさコレ!!!」
「………………」
「わああ!こんな魔術あったんだね!!魔術自体あまり詳しくないけど初めて知ったよ!!………戦地の兵士はこの魔術があったら一気に生存率が上がるだろうなぁ」
そう、こんな魔術、聞いたことがない。
最近の魔術なのだろうか。これほど便利なら、多少値が張っても使える魔術師を国は囲っておきたいものだが。北の魔物討伐は過酷だと聞く。こんな画期的な魔術が普及すれば………………。
おっと、つい癖で考えてしまった。……もうボクには関係のないことだった。
「君は…………そういうことを考えるのか」
頭上から降ってきた声に驚いて顔を上げる。
彼から僕に話しかけてきたことにビックリした。
「うん、ボクは元、最有力王妃候補だったからね。次期国母として、国民のためにやれることはやってきた、精一杯考えてきたんだけど…………なぁ」
「………………」
「震災が起これば被災地に訪問し、国民の声を聴いて何が必要か、次が無いようにどんな対策を講じればよいのか考えたり、他国との会談とかも、上のジジィが変なこと言って争いの種が起きないように、って、………………」
「………………」
「まぁ!ボクは!!なんだかんだ言っても!!ボクのことが一番大切なので!!!」
膝を叩いて勢い良く立ち上がった。
「向いてないんだよねー、そういうの。クソ王子が公衆の面前で婚約破棄したおかげで体裁とか考えて、もう王妃になる未来は消えたし。本当だよ、ボクは安心してるんだ。元々決められた未来なんてクソったれって思ってたしね」
「………………」
顔が近いな。
ボクが勢い良く立ち上がったおかげで、元々僕の前に立っていたお兄さんとお顔の距離がすげえ近い。
ちょこちょこと後ろに下がると、二つの海底のような深い紺ともう一度目線が重なった。
「………………俺は人間が嫌いだよ」
「えっ、」
遠くからだんだん上ってくる朝焼けが、彼に影を降り注ぎはじめた。
彼が何を言いたいのか、どうしてボクにそんなことを言い出したのか。よくわからなかったけど、頭の中は彼の声で妙に冴えわたった。
「昔、少し魔術を人前で使っただけで、気持ちが悪い猫撫で声でたくさんの人間がすり寄ってきた」
「どうやら、魔術を極めるには、そういう人間とうまく付き合っていかないと駄目らしい」
ハッ、と吐き捨てるように彼は薄く笑った。
「俺には到底無理だった」
「、じゃあっ!」
あぁその、一つ、とてもいいアイデアが思い浮かんだんだけど!!!
「ボクがそういうめんどくせぇ、対人関係を全部受け持ってあげる。このボクが!!」
「………なにをいきなり」
「ボクほどそういう醜悪な人間たちとの人付き合いが上手い女はなかなかいないよ、というかそれに関してボク以上に長けているヤツはいない。賭けてもいいね」
「………………」
ぱちくり。
紺の双眼が驚いたように瞬いた。
「ボクを誰だと思っているの、元次期王妃、オゥロ・ツーリエ公爵令嬢だぞ」
「知っている」
「でっしょー!じゃあボクの有能さを一先ず認めて、ボクの提案を聞いてほしい」
わかってる、流石に出会って数時間しかたってない、名前も知らない相手に言うことじゃないって。
でも彼はボクの命の恩人であり、ボクがここまで素で話したことのある人間はある一人と彼しかいない。
「このボクが君を人の憎悪から守ってあげる。だから君もボクを物理的に守ってよ」
「………………」
「お兄さんはボクの人生で会ったことある強い人ランキングダントツで一位だよ!ねえボクを守って!」
「………………」
「真剣によく考えたらさ、オーフェン、絶対ボクを探すはずなの。ボクの事嫌いな奴がボクが自由になるのを許すはずがないし、ボクがあまりに有能美少女過ぎて手放したことを後悔する連中がボクをどんな手を使ってでもオーフェンに連れ帰って縛り付けようとするはず。あと、一番の理由が血にうるさい連中がボクのこの瞳を国外に出したがるはずがない。これは国の繁栄の象徴なんだから、もし他国で別の血と交わったら、なんて気持ち悪いこと考えてさ、おええ、キッッショ」
「………………」
「ねえお兄さん、ボクなら君を自由にさせてあげる。だから、もう一度ボクを助けてほしい」
彼の瞳が少し揺れ、形のいい唇が微かに開く。
「―――嫌だ」
ウソん。