お前たち覚えてろよ
僕はただの伯爵家の三男坊である。
優秀な兄たちがいたもんで、家を継ぐ必要もなく生まれた時から周りから何かを求められることのなかった僕は客観視してもかなり自由な環境で育ったように思う。僕は僕で野心とかもないから、婚約話だとか面倒なものから逃げ続けて、無気力に17まで生きてしまった。
だから、この王族主催の夜会で今目の前で第一王子に糾弾されてるご令嬢を、心の底から可哀想だなと思った。
数日前まで将来の国母として厳しすぎる妃教育を施され続け、上級貴族たちには色々な思惑を秘めた猫撫で声で話しかけられ、周りに味方はおらず、根も葉もないうわさで貴族たちの娯楽と化していた彼女。
これが名誉な、国母となるその代償、だなんて、この世界はあまりにも彼女に厳しい。
そして、その約束された地位まで、今ぐちゃぐちゃに踏みつぶされた彼女は今何を思っているんだろうか。
彼女は俯きながら、男爵令嬢を抱きしめる第一王子の罵声を浴びていた。
手が震えていた。あまりにも見ていられなくって、僕は瞼を伏せた。
その時だった。
「るっせーなぁ、お前バカかよ。脳みそまで腐ってんのか、この腐れ王子が。あ``ぁ?」
………………ん??
え、なんだろ、なんか今、貴族令嬢にあるまじき暴言が聞こえたような気がする。
おそるおそる瞼を開くと、彼女は美しく結い上げられた髪から簪を一本抜き取り、鋭く尖った先端をピッと王子が抱きしめているご令嬢に向けた。
「ハイ!その………えっとぉ、名前なんだっけ…………ゆるふわ女子と、生まれてからずうっとこのクソみたいな国を治める王様の最たる臣下なれと教育されてきたこのボク、この場にいる特権階級のみなさーん!どっちが王妃に相応しいと思う?」
「お、お前、何を言って、それにおま、ぼ、ボクって」
「あー、まぁ、普通に考えてボクなんだけどさぁ、………………もういいやこの話。お前はボクがそのゆるふわ女子を虐めて、精神的苦痛を負わせたって言ってるんだよね」
彼女はペンを回すように簪を手で弄びながら穏やかな口調で話し始めた。
「……どうなの?」
「そう、だ。そうだ!お前がリーヴィを」
「いや虐めてねーし!!!!マジでっ!心当たりなさ過ぎて笑うんだけどぉ!!ッあははは!!!」
彼女は床を高いヒールでバシバシ叩きながら、腹を抱えて爆笑しだした。
彼女の特徴的な長い翡翠色の髪がつやつやと揺れた。
…………え、なにこの雰囲気。多分さっきまでシリアスだったよね?ん??物語のワンシーンのように固まっていた空気が彼女の変わりようで変な風に掻き回されましたけど。
僕と同じように見物していた貴族たちは何も言わずに、皆唖然として彼女を見つめている。
「あはは、……いやぁ、心の広さ国母級の僕も流石にこれはプッチンするわ。でもいいよ、それを覆い隠すほど寛大な聖女級の心の広さで王子、お前の失礼を許してやんよ」
バチコーン☆
確かに彼女はそう効果音が聞こえるようなウインクをして持っていた簪をポイっと投げ捨てた。
「んで、こんな公の場でバカみたいなことしてるってことは、なんか正式な書類とか必要なくってもお前のその王族の特権とかで婚約破棄とか成立しちゃう感じ?なんか王位継承者にそういう権限、確かあったよね」
「……………あ、あぁ!!俺はオーフェン第一王位継承権のもとお前との婚約を破棄し、お前を直ちに国外追放とする!!」
「ガチかー、帰ったらすぐ荷造りしないと」
んんッ!!
噴き出しそうになった口を全力で結ぶ。
いけないっ、こんなとこで噴き出したら流石にヤバいと僕でもわかる。あ、駄目だ、さらに王子のポカンとした顔が腹筋を破壊しにくる。ねぇやめてくれ、マジで。なんだこの女。
王子が彼女に罵声を浴びせる中、王子にひしっとくっついていた男爵令嬢が、するりと放心状態の王子の腕から抜け出し、目の前の彼女を睨んだ。
「あなた………なんのつもりよ。こんな公の場で………………、罪の自覚がないわけ?」
「うん」
「ふっ、ふっざけんじゃないわよ」
弾けるような音がした。
男爵令嬢が彼女の頬をぶったのだ。
更に混沌と化した状況に、石像のように固まっていた貴族たちは騒めいた。
ぶたれた頬を抑え、彼女はゆらりと令嬢に背を向けて出口の扉に歩き出した。
令嬢の怒りで荒くなった息と、貴族たちがスッと避けていく道をカツカツと歩く彼女のヒールの音だけが良く聞こえた。
背筋を伸ばし、貴族たちの目線を一身に受けても堂々と歩く彼女は確かに美しかった。
出口の扉を開き、広間の外に一歩踏み出した時、くるりと彼女は振り返り、んべ、と舌を出した。
「ボク、ただじゃ転ばないから。お前たち、覚えとけよ」
にっこり微笑んでそう言った後、本当に彼女は去って行った。
彼女、オゥロ・ツーリエは確かに器の広い女性だったと、晩年に僕は思うことになる。
まぁ、器が広いと言っても、その器自体にヒビでも入っているのかもしれないが。
要するに、なにが言いたいのかというと、彼女は歴史に名を残すほどの
変人なのだ。