転生した世界でモラハラ夫を改心させるべく奮闘したら、なぜか溺愛されるようになりました。
「マリエラ。貴女の今日の服装は少しばかり派手すぎやしないか?メイクも濃すぎる。それでは、誰かを誘っていると取られても仕方がない。他の男が言い寄ってきたらどうするつもりだ。貴女は私の妻であるのだから、いくら華やかな晩餐会と言えど、そのような、はしたない行為はやめていただきたい。」
突き放したような冷淡な声が私の鼓膜を揺らす。
顔を上げると、少し吊り上がった目じりに銀色の長髪を携えた美形が視界に入った。
鋭く尖ったような鷲鼻に、ターコイズブルーの瞳。
スラっと高く伸びた背丈に、定規を仕込んでいるのではないかと疑いたくなるほど真っ直ぐに伸びた背筋。
彼を構成する一つ一つの要素が私に酷く冷たい印象を与える。
「申し訳ありません。キーラン。すぐに直してまいります故、どうかお許しを。」
この人は誰だ?ここはどこだ?確か、私は交通事故に遭って死んだはず。何が起きた?
そんな疑問を処理しきれなままでいると、また声が聞こえた。
聞こえた……。いや、聞こえたのではない。
私の口から発せられたということに遅れて気が付く。
私の発言によると、目の前の彼はキーランと言うらしい。
見つめていたはずの彼から視線が離れ、眼前には床だけが映し出された。
徐々に身体の感覚に頭の理解が追い付いていく。
両足は折りたたまれ、膝から足先にかけて少しばかりしびれと痛みを感じる。
肘が曲がり、両手を地面につけている。そしてその上に額が乗せられる。
そうか、土下座をしているのか。
「いや、もういい。それに、そのようなみっともない態度もやめてくれ。私が貴女を虐めていると勘違いされてしまったらかなわん。」
身体の感覚と共に記憶が蘇っていく。
フィオール王国の西の領地を治めるアボット公爵の一人息子だったキーラン。
そして、東の領地を治めるケイリー伯爵の一人娘であった私。
領地拡大を共通目的としたアボット公爵とケイリー伯爵は、私をアボット公爵家に嫁がせる形で結びつきを強く持とうと画策した。つまり、政略結婚だ。
領地に住む人々の生活が懸かっていた。だから、私もキーランも成す術もなく、その結婚を受け入れるしかなかった。
結婚した当初こそ、お互い遠慮がちだったが、キーランは徐々に私を束縛するようになっていった。
日々仕事に追われる傍ら、彼は私に対して否定や批判ばかりしてくる。
服装からメイク、態度、言葉使い、食事の仕方、私の行動一つ一つに彼は注意をしてくる。
私はそんな彼に怯えて口ごたえも、反論も出来なくなっていった。
彼を刺激しないように、常に彼の機嫌を伺い、神経をすり減らす毎日だった。
そうか、そうだったのか。生まれ変わったんだ。マリエラに。
マリエラとして生きてきて、幼いころから記憶の片隅にあった違う世界の違う人の人生。
ただの空想だと思っていた。
でも、気づいてしまった。私は前世、交通事故で死んだ。
そして、今マリエラとして生きている。
私は前世の記憶を、マリエラとして過ごしてきた記憶を完全に思い出した。
「も、申し訳ございません。キーラン。そのようなことにすら気づかず、妻失格でございます。」
ふと、鏡が視界に入る。
そこにはガリガリに痩せ、目の下には大きな隈を携えた貧相な女が映し出されていた。
光を反射しキラキラと輝きを放っていたはずの金髪はパサパサで潤いを無くしている。
大きく燃えるような赤い瞳も、今ではどんよりと曇り、不自然にくぼんでいて不健康にしか見えない。
かつて傾国の美女、高嶺の花などと謳われたマリエラは今やもう見る影もない。
確かにメイクも施していて、真っ赤に染まる華やかなドレスを身に着けてはいるものの、このようなみすぼらしい姿では、誰かを誘っているようにはどうしたって見えないし、言い寄ってくる男などいるはずもない。
「妻失格などと言ってくれるな。私達が夫婦であるということは否定したくても変えようのない事実。それならば、失格などと自分を卑下するのではなく、どうしたら相手に相応しい人間になれるのか模索することが重要なはずだ。なぜそのようなことすら分からないのか。」
黙って聞いていればこの男。好き勝手自分の妻を言いやがって。
このような物言いでは、結婚したくなかったと暗に示しているようなものだ。
それでも夫かと疑いたくなる。
マリエラもマリエラだ。
結婚する以前のマリエラはもっと活発な女性であったはずだ。活発で頭脳明晰。
そんな彼女が見るも無残に痩せこけ、ボロボロになっている。
こんな男に怯えて、謝罪を繰り返して、支配されて悔しくはないのか。
私は悔しい。
──お前、本当に何も出来ないんだな、本当に使えねぇよ。俺の金で養ってやってるんだから、家事くらい完璧にやったらどうなんだ。──
前世のあの男の、言葉が蘇る。
25歳で結婚した、一人目の夫の大輔。
確かIT企業に勤めていて毎日激務をこなしていた。
私はあいつのせいで人生が狂ったんだ。
毎日あいつの顔色を伺って、あいつのことがずっと頭の中を巡っていた。
夜は眠れず、食事も喉を通らない。
寝ても覚めてもあいつの言葉が私を支配していた。
見かねた友人が助けてくれなければ、私は自ら命を絶っていたかもしれない。
生まれ変わったはずの今ですら、あの時の絶望感が鮮明に思い出せる。
もう、あんな日々を送りたくない。あんな思いをしたくない。
ずっと悔しかったんだ。あいつの言いなりになっていることが、あいつに支配されてしまっている毎日が。
嫌で、嫌でたまらなかった。腹立たしかった。
生まれ変わってまであんな生活を送るのは御免だ。
キーランの言う通り、私達の結婚は変えることなど出来ない。
離婚なんてした日にはそれこそ、内戦が起きかねない。
人々の幸せを踏みにじってまで、幸せになろうとする度胸なんて持ち合わせていない。
だったら、キーランを変えて、幸せな結婚生活を送るしかない。
この男を改心させるしかない。
「キーラン。私、傷つきました。否定したくても変えようのない事実という言い方をされてしまっては、貴方が私との結婚を否定したいのではないかと疑いたくなります。いくら私のことを気に入らなかったとしても、それは口に出してはいけない事でしょう?私は結婚生活を楽しくて、幸せなものにしたいと思っているの。でも、貴方にそんな態度取られてしまったら、私、どうすればいいか分からない。それに、私は貴方の妻です。誰かを誘うなんてこと致しません。私達が不仲だと知れたら、アボット領の民も、ケイリー領の民もどうなってしまうか貴方も想像は着くでしょう?私は人々を悲しませることはしたくない。」
私はありったけの感情をこめて彼を睨みつける。
もしかしたら、大輔への恨みも混じっていたかもしれない。
「そ、そうか。それは確かにすまないことをした。以後気を付ける。時間になったら、晩餐会に出発する。それまでに準備を済ませておいてくれ。」
私の迫力に、言葉に圧倒されたのか、キーランは謝罪をしてすぐにどこかに行ってしまった。
キーランのあっけに取られたような驚いた顔、初めて見た気がする。
馬のいななきが聞こえ、目を覚ました。
晩餐会が始まってすぐに体調が悪くなってしまった私のせいで、私達夫婦は早くに帰ることになってしまった。
馬車を使い、帰宅した私達はようやく自宅に到着したようだった。
キーランとの夫婦生活で取れなくなってしまった睡眠、摂れなくなってしまった食事。
そのせいで私の身体はどんどん体力を無くしていった。
すぐに熱を出し、風邪を引く。動けば眩暈がして、すぐに疲れてしまう。
見た目だけじゃなく身体も不健康そのものだ。
「マリエラ。着いたぞ。体調が悪いのならどうしてそれをもっと早く言わない。ただでさえすぐに体調を崩すのだから、もう少し自身に気を使うべきなんじゃないのか。どうして貴女は自分のことにそんなに無頓着なんだ。」
彼の言葉に答えようとするが、眩暈のせいで気持ち悪くて、返事すらまともに出来ない。
キーランは返事をしない私を気にも留めず、私を背負い自室まで運んでくれているようだ。
晩餐会は苦痛だ。
妻であるのだから、私のもとを離れるな、私の許可なく人と話すなと口うるさく言われ、彼からはひとときも離れることができない。
彼の監視下で過ごさなければならず、常に彼の鋭い視線が突き刺さる。
彼の許可なく家を出ることの出来ない私が結婚する前の友達と会える唯一の機会。
なのに、友達も彼に遠慮しているのか遠巻きに私達を眺めるだけになっている。
だから、晩餐会は嫌いだ。
常に気を張りつめていた。彼の視線が刺すように痛くて、息が上手くできなくて。
屋敷に籠ってばかりいるからか、広い空間と大勢の人間を見るだけで吐き気がした。
疲れを見せないようにしていたけれど途中で眩暈がしてきて記憶が途切れている。
気が付いたらキーランに抱えられていた。
「身支度は侍女にでも手伝ってもらえ、今日は早く寝るんだぞ。」
キーランは言い放つと、部屋を後にした。
私はその言葉に従い、すぐに眠ることにした。
目が覚めると、大きなベッドの上にいた。
幸い、昨日の体調不良は収まってくれたようだった。
改めて周りを見渡してみると、部屋は広く、埃一つ無いほどに片付いている。
こんなに広い部屋では逆に寂しく感じてしまう。
私の身の回りの世話をしてくれる侍女もなぜかいつもよそよそしい。
心を許せる相手がここには誰もいない。
でも、これがマリエラの日常。
「マリエラ様。キーラン様はもうリビングにいらっしゃいます。早く食事に向かっていただかないと、キーラン様を待たせてしまうことになりますし、食事も冷めてしまいます。急いでいただきたいです。」
侍女が扉を叩き話しかけてくる。
わたしに冷たい態度を取る侍女のケニー。
彼女はなぜか私にだけ冷たい。
突き放した言い方ばかりで、ことあるごとに私を責め立てる。
早く朝食に向かわなければキーランに何を言われるか分からない。
私は早速朝食の為に、リビングに向かうことにした。
食事は屋敷に務めている料理人が準備を行ってくれている。
リビングに近づくと、コーンスープの香りが漂ってきた。
この香りにつられてお腹が空いてきてもおかしくないはずなのに私の身体は全く食事を求めていない。
食事は必ずキーランと取らなければいけない。
それが結婚してキーランが最初に定めたこの家のルールだった。
私のする行動一つ一つに対して鋭く目を光らせるキーラン。
彼の視線の中、食事を摂らなければならない。
それが苦痛で、食べ物が喉を通ってくれなくなった。
気を重くして、リビングの扉を開けるとキーランはすでに座っていた。
「おはようマリエラ。昨日はあの後、しっかりと眠ったのか?睡眠不足が積み重なれば、身体にも良くない。昨日倒れたのも眠れていないからではないのか?そういった体調の変化は夫である私に報告することが妻としての務めであると私は思っている。貴女は、これから子供を設けなければならない。子供はまだなのかと皆が気にしている。私の妻として、健康であってもらわないと困る。」
私の身体を気にしている振りをして、跡継ぎにしか興味のない男。
せっかくの食事だというのに、こんな話を聞きながら食べなければならないのか。
もともと無かったはずの食欲がさらに減退し、吐き気すら感じられる。本当に嫌になる。
「はい。今日はよく眠れました。ご心配かけてすみません。」
いつものようにキーランに返答する。
マリエラは眠れても眠れなくてもこの返答をしていた。
ほとんど眠れてなどいないのに。
この返答以外、彼を納得させることは出来ないと考えていた。
少しため息をついてキーランは口を開いた。
「そうか、それならば、そういうことにしておこう。冷めてしまっては料理人に迷惑だ。早くべようか。」
「そうですね。キーラン。」
私は全く気の乗らない食事を始めた。
「マリエラ。こんなことを言うのは何だが、食事を残すのはさすがに失礼ではないか?それに、食事を取らないのは健康に悪い。身なりを貴女なりに気にして食事量を抑えているのかもしれないが、最近は細いを通り越して病的に感じられる。もう少し自身を客観的に見てみたらどうだ?」
喉を通らない食事に悪戦苦闘していると、黙って私を見つめていたキーランが口を開いた。
この男はなぜいつもこんなことしか言えないのだろうか。
この発言も私を気にかけているように思えて、どうせ跡取りのことしか考えていないのだろう。
誰のせいで食事が出来なくなってしまっているのか教えてやりたい。
病的に痩せてしまっていることぐらい私だってわかっている。
確かに結婚した当初、素敵な妻になりたくて少し過激なダイエットを行ってはいたが、今の私は別にこうなりたくてなっているわけじゃない。
でも、こんな感情も彼を改心させるためには一つずつ伝えていかなければならない。
「キーラン。貴方のその発言はさすがに失礼よ。貴方は私のことを気にしている振りをして、跡継ぎのことしか考えていない。私はそれが凄く寂しい。私、この屋敷に一人で嫁いできたのよ。仲のいい友達も離れ離れで会えない。ここの屋敷の人はいつもどこかよそよそしい。私が頼れるのは夫である貴方しかいないの。それなのにあなたも跡継ぎのことしか考えていない。私だってこんな身体になりたくてなっているわけじゃない。でも、貴方に睨まれながらする食事じゃ味なんて感じられないし、どうやったって喉を通らないの。」
強く言い放ってやるつもりだったのになぜか声が震えた。
涙が滲み、前が良く見えない。
彼の前で泣くなんてしたくはなかった。
きっとまた何か言われてしまうから。
今までずっと耐えてきたのに、こんな醜態晒してしまっては彼になんて言われるか。
怯える私に彼が口を開く。
それは、想像もしていなかった発言だった。
「マ、マリエラ、マリエラすまない。泣かないでくれ。私はただ、貴女が心配で。結婚してからすぐに驚くほどの速さで痩せていった貴女が心配で。だから、ちゃんと食べられているか不安でしょうがないんだ。どうしても食べているか確認してしまう。睨んでなんかいない。それだけは信じてほしい。それだけ苦痛を感じていたことに気づかなくて済まない。私がいないほうが食べれるのであれば席を外す。そこまで追い詰めてしまっていたなんて、本当にすまない。」
慌てた様子で言葉を紡ぐキーラン。怒られはしなかった。
人に冷たい印象を与える彼が今は慌ててキョロキョロと挙動不審になっている。
彼の口から紡がれる言葉は、彼が示す態度は驚くほどに普段と違っていた。
でも、そんなのはただの言い訳だ。
「でも、失礼とか、病的だとか、客観的に見ろだとか、なんでそんな棘のある言い方をするの。そんな人を傷つけるような言葉ばかり使って、心配を免罪符にされても困るわ。」
「すまない。何を言っても食べようとしない貴女にどうにか食べてもらおうと思って。そういった言葉を使えば責任感の強い貴女は食べてくれるから。それに貴女に見つめられると緊張して、上手く言葉が出てこなくて。あんなことばかり。本当にすまない。お願いだから泣かないでくれ。私まで悲しくなってきてしまう。」
そうだ、食べない私を責めるような言葉ばかり使われてしまっては食べるしかなくなってしまう。
逆流してくる胃酸を無理やり飲み込み、食事をしてきた今までの日々が脳裏に浮かぶ。
食事後はいつもトイレに駆け込んでいた。
「泣くなって、泣かせているのは貴方よ。どうせ貴方は私のことなんてどうでもいいんでしょ。私の身体のことを気にしているのもどうせ跡継ぎの為なんでしょ?」
ダダをこねるように私の口は言葉を放つ。
だって、彼のこれまでの態度はどう考えたって私のことを考えてはいない。
「私は貴女と本当の夫婦になりたい。本当だよ。跡継ぎなんてどうでもいい。ただただ、貴女と私の子供が欲しい。美しいマリエラの子供だ。とびきり可愛らしい子供が生まれるだろう。それが楽しみで、楽しみで仕方がないんだ。そのために貴女には健康でいてほしい。それもあるが、やっぱり、私が惚れた女性だ、元気で笑っていてほしい。」
でも……、だって……。反論はいくらだって出てくる。
彼の今までの態度はこんな言葉で取り繕えるようなものではないはずだ。
「それに貴方、私を束縛してきたじゃない。晩餐会に行けば私を監視して、家の外に出ることだって許してくれない。世間体を気にしてそんなことしているのかもしれないけど、私だって一人の人間よ。心なんてとっくに折れているの。そんな言葉で納得できるわけない。」
「すまない。貴女がそんなことを思っていたなんて。本当にすまない。監視しているつもりはなかった。私の大切な妻だから、心配だったんだ。体調も心配だったし、貴女は綺麗だから、誰かに取られてしまうんじゃないかって。私なんかすぐに見限られてしまうんじゃないかって。政略結婚っていう名目で憧れていた貴女の夫になることが出来たんだ。だから、貴女を手放したくなくて。でも、貴女はいつも借りてきた猫の様によそよそしくて。なかなか私に振り向いてくれなくて、悔しくて。気づいたらどんどんエスカレートしていってた。本当にすまない。」
キーランが声を震わせ俯く。
どんな言葉をかけられたところで、今まで積み上げてきた言葉は、態度は変えようのない事実だ。
「そんな言葉信じられないわよ。今までの貴方が私を支配するの。貴方の眼が、態度が、声が、言葉が怖くて、怖くて仕方がないの。貴方は、私と夫婦だってこと否定したいんでしょ?昨日そう言ってたわ。でも、貴方と私は夫婦を続けるしかない。一体、どうしたらいいの。」
「違うよ。違う。私はずっと思っていたんだ。貴女は私のことなんで興味が無いんだって。ずっと自分の意見は言わず、謝罪だけで終わらせるから。出会った時からずっと、私の言葉に従って、謝って。だから、私との結婚は否定したいんだろうなってそう思ってきたんだ。本心を見せない貴女に少し拗ねてしまっていたのかもしれない。でも、言い逃れ出来ないな。私が貴女にしてきたことが、それに対して貴女が感じた感情が全てだ。本当にすまない。お願いだ。一度でいい。もう一度でいいから、私にチャンスをくれないか?私達が本当の夫婦に、家族になるためのチャンスを。変わるから、思っていることは真っ直ぐに伝える。貴女を傷つけるようなことはしない。ちゃんと大切にする。大切にされてるって思えるように言葉にする。だから、チャンスをください。」
一度頭を下げ、顔を上げたキーランは涙を流していた。
陶器の様に白い肌に透明な涙が伝う。
さっきまで怖いとしか感じられなかった彼の顔が、なぜか美しく見えた。
確かに私は彼に対して従うか、謝罪しかしてこなかった。
始めは美しすぎる彼に緊張してしまって、それからは彼の言葉と態度に怯えて。
私たちはもしかしたら不幸なほどにすれ違ってしまっていただけなのかもしれない。
今だって恐怖を感じないと言えば嘘になる。
だけど、私にはここしか居場所が無い。
領地の民の為、私はここで生きていくしかない。
「チャンスって言われても、私はここで生きるしかないのよ。貴方だって知っているでしょう?」
「ああ、わかっている。でも、それでも貴女の許可が欲しい。貴女の本心が知りたい。本当の貴女と心から繋がりあいたい。だからこそ、貴女の許可が欲しいんだ。」
「わかったわ。そこまで言うのなら、許すしかないわ。私だってこのままじゃ嫌だもの。」
私がいるんじゃ食事が進まないんだろう。ゆっくり食べられるだけ食べてくれ。時間を空けて侍女に片づけさせるから何も気にせずゆっくりしてくれ、と言い残し彼はここを後にした。
あの会話から1か月が経った。
彼の鋭い眼差しは少しずつではあるが改善されてきた。
笑顔など見たことのない彼が私に微笑みかけてきたときにはびっくりしすぎて持っていた花瓶を落としてしまったほどだ。
食事も夜だけは一緒に食べてほしいと頼み込まれたが、朝と昼は別々で食べられる様になった。
最近では食欲も出てきて、ついつい食べ過ぎてしまうことも増えた。
「マリエラ、今度、一緒に出掛けてはくれないだろうか。あと少しで貴女の誕生日だ。貴女が許してくれるのならば、大きな街にでも出て、盛大に祝いたいと思っている。それに、侍女の話によると、食事も摂れるようになってきているし、外出して体調を崩すこともないだろう。もし、仮に何かあったとしても、馬車で行くつもりだし問題ない。外出して問題ないようだったら、月に何度か友達にでも会ってくればいい。」
夕食を一緒に摂っていると、キーランが話しかけてきた。
ずっと屋敷にこもっている私だ、外出する機会は否応なく嬉しくなってしまう。
今までは外出と言ってもキーランが近くに居る限り、憂鬱で仕方が無かった。
しかし、最近のキーランはそこまでの恐怖を感じない。
私を傷つける発言を一切しないから。
常に私の意見を聞いて、尊重しようとしてくれるから。
それに、今回の外出中、体調を崩さずに乗り越えられたら、友達にも会える。
願ってもない機会だ。
「ありがとうキーラン。正直嬉しいわ。でも、誕生日って一か月も先よ。」
「私は半年前から楽しみにしていたんだ。一か月なんて一瞬だろう?」
当然と言うように話すキーラン。いや、一か月はまだまだ先だ。
半年前から楽しみにしていたなんて、この人は本気で言っているのだろうか。
一年中誕生日を楽しみにしちゃっている子供みたいじゃないか。
「私は一か月はまだまだ遠いと思っちゃうけれど、貴方にとってはそうなのね。それにキーラン、私、外出してもいいのね?あれだけ私が外出するのを嫌がっていたくせにどういう心境の変化なの?私絶対に体調を崩さないで、友達に会うわ。」
思わず口角が上がる。やっと友達と会える。今回の外出何としてでも乗り越えてみせる。
「だって、マリエラ。元気になってきたから。この前までの貴女は外出なんてとてもじゃないが、許可できるような身体じゃなかっただろう?食事の度にトイレに駆け込んで、食べないよりは吐いてでも何かを口にするべきだと思って何も言わなかったけど、あんな状態じゃ外出なんて到底、無理だったろう。体力だって無いから、食事以外の時間はずっと横になっているし、その割には眠れていなさそうだったし。晩餐会だって本当だったら行かせたくなかったんだ。行かないといろいろな所から指摘を受けるし、貴女の評判の為にも行くしかなかった。だから、私は片時も離れないようにしようと思っていたんだけど。それも貴女を傷つけていたんだよな。」
寂しそうに笑い、私を見つめるキーラン。そんな風に思っていたなんて。
言ってくれないと分からない。
ああやって押し付けて、上から抑え込むように圧をかけて。
それじゃあ本心なんて一ミリも伝わらない。
でも、私もそうなのかもしれない。
彼に謝れば、従えばどうにか収まると思っていた。
そんな私の態度が、彼を知らず知らずのうちに傷つけていた。
「そうよ。本当に傷ついたんだから。悲しかったし、寂しかったんだから。辛かったの。本当に。でも、もしかしたら、私も貴方を傷つけていたのかもしれないわね。ごめんなさい。私、本心を一つも言わずに、何もしなかった。何もしない事が貴方を傷つけていた。今更、気が付いたわ。」
「そんなこといいんだ。私が言えなくなるほどに貴女を追いつめていた。それがすべての原因だ。本当にすまなかった。初めて貴女が自分の本心を言ってくれた晩餐会のあの日、私は飛び跳ねたくなるほど嬉しかったんだ。やっと心から向き合えたような気がして。」
首を振り、彼は微笑む。
晩餐会のあの日を思い出しているのか遠い目をしている。
そうだ、私達に、私に足りなかったのは本心をぶつけ合う覚悟だったんだ。
受け止めてくれる、受け止められる保証がないから、お互い上辺だけで関わりあって、本心を伝えられずに曲解してしまった。
でも、それじゃあ、何も生まれない。
お互い勘違いしたままでは悲しい。
ちゃんと言葉にしよう。思いを伝えよう。
きっと伝わると信じて。
「私も、貴方と本心で向き合えてよかったわ。ちゃんと言葉にするから、好きも嫌いもちゃんと伝えるから、聞いてくれるかしら。」
「もちろんだよ。こんなに嬉しいことは無い。私は昔からそれを望んでいたんだ。ありがとう。これまでも、これからも私は貴女の為に人生を捧げるよ。」
キーランは満面の笑みで私を見つめた。
美形な彼の顔立ちも相まって、その表情は驚くほどに輝いていた。
物語から出てきたような美しい眺めだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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