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1 白坂琉未菜

 灰色の街の丘の上の時計台から、西洋風のどこか懐かしい鐘の音が聞こえてくる……。

(もうこんな時刻か……)

 と図書委員の琉未菜は思った。


 琉未菜(るみな)は、常日頃から愛読しているオースチン・フリーマン著「ジョン・ソーンダイク博士の事件簿」を手に取ると、埃を払い落として、ふうとため息を漏らし、この学園の生徒はミステリ愛が枯渇しているとひとり嘆いたのだった。


(こんなに埃かぶって、わたしのソーンダイク博士が可哀想……)


 物置きと化した書庫の棚に並んだミステリ小説の背表紙は、どれも白く色褪せている。指でそっと触れると、分厚い埃をかぶっているようだった。微笑みを浮かべた鉄仮面と丘の上の洋館、首を切断された胴体の横たわる陰惨な表紙なども、今ではすっかり日に焼けて、過去の幻想さながらに、その殺戮描写の生々しさをぼやかしてしまっていた。次から次へと本を手にして、頼りない電灯の下で確認してゆくものの、どれもその状態に大差はなかった……。


 とはいえ、琉未菜が図書委員として今出来ることはあまりなかった。琉未菜は、そのハードカバー本を胸に抱きしめて、図書カウンターへと戻り、窓際の椅子に座ると、ぼうっと数ページめくりながら、時折、窓の外の美しい宵闇をただ眺めていた。


 赤い日が山の峰に沈むと、窓ガラスには図書室の白々とした蛍光灯ばかり映るようになった。目が慣れてくると、黒髪を可憐なショートヘアに切り揃えている、あどけない童顔の自分の顔が映っているのが、ありありと見えてきた。まぶたが重たく、どこか眠たげで、可憐な美少女と呼べるかは、今の琉未菜には自信がない。


 ……図書室には自分の他に誰もいなかった。


(あまりにも静かな日暮れ。この世界にたったひとり、わたしだけが残されているような空漠(くうばく)の景色……)

 

 探偵小説部の青蓮院(しょうれんいん)行彦(ゆきひこ)部長は、ミステリ小説のことよりも、現実の事件の捜査に追われているので、ミステリ小説の貸し出し数の少なさなんて全然気にしていないんだろうな、と琉未菜は思った。


 青蓮院部長はここ数日、部室にも姿を現していない。


 琉未菜は、図書委員としての仕事を終えた後に、部室へと向かった。冷たい廊下に靴音が虚しく響いていた。

 部室のドアの鍵は開いていて、中へと足を踏み入れ、電灯をつけると、そこには誰もいなかった。

 その代わりにテーブルの上に一枚の便箋が置かれていることに琉未菜は気がついた。

(これは、部長からの手紙……?)

 琉未菜は、その便箋を手に取った……。


          *


  白坂琉未菜(しらさかるみな)殿


 本当に申し訳ない。

 殺人事件の捜査のため、やむ無く、しばらくの間、俺はこの学園から失踪する。

 探さないでくれ。

 入学したての君にこんなことをお願いするのは気が引けるが、俺のいない間、探偵部を頼む。

 君は曲がりなりとも副部長だ。副部長は、部長代理でもある。

 他の幽霊部員が役に立つなどとは思わないでくれ。

 事件の依頼が来たら、できるだけ断らずに解決しておいてほしい。

 うちの探偵部の伝統を守ってくれ。

 白坂琉未菜、君だけが頼りだ。


      探偵部(ディテクティぶ)部長 青蓮院行彦


         *


 一年生の白坂(しらさか)琉未菜(るみな)が「探偵小説部」に入部したのは、今から五ヶ月ほど前の入学式の日のことであった。

 入学式の数時間後に、部活動の紹介があり、ステージに上がった人々の中に、現在の青蓮院部長がいたのである。


 かっこいい……と琉未菜は瞬間的に思ってしまった。わたしの永遠のソーンダイク博士がイケメン高校生になって現れた、と思ってしまった。部長は、さらりとした高身長のイケメンであったが、彼にはどこか博士と類似した聡明さと気品が漂っていたのだ。

(わたしはこの部長と一緒にがんばる……!)


 それに琉未菜は、今の時代に珍しい「探偵小説」なんて呼称をしている部活動は、相当な伝統のあるところだろうと勝手に思い込んで憧れてしまったのだった。


 入部して早々、部長に尋ねてみると、

「いや、そいつは君の勘違いだ。数代前の初代部長というのが、戦前の探偵小説しか愛読しない、ミステリファンとしても一際変わり者の男子だったんだ。その彼が好みで名付けたんだよ……」

「そうなんですか……」

「ああ、しかしだな、そのおかげで今では、この部活はもうひとつの顔を持つようになった……」

「もうひとつの顔……。それってなんですか……?」

「探偵小説部は、略称されて普段は「探偵部(ディテクティぶ)」と呼ばれているんだ」

「でぃてく……」

 琉未菜は、ふざけているのかと思った。

「そのため、探偵のいる部活と勘違いされて、事件の調査を依頼しに来る生徒が後を経たなかった……。初代部長はその期待に応え、無数の事件を解決した。その頃から、我が探偵部は、探偵小説部であるのと同時に事件を探偵し解決する部活にもなったんだよ……」

(そんな馬鹿な……)

 と琉未菜は聞いた瞬間こそ思った。


 しかし入部後すぐに、最寄り駅前のレモンドールという名前の喫茶店で、奇妙な毒殺事件が発生した。青蓮院部長は警察に呼ばれて赴き、数時間後には、本当に真犯人が特定したのだった。


 琉未菜は、無知な一年生であったから、三年生の聡明なイケメンである青蓮院行彦部長に心惹かれていった。

(本当の名探偵だ……!)

 そう思っているうちに一学期が終わり、夏休みを過ごし、二学期になって学校に舞い戻って早々、こんなことになってしまうとは……。


(わたし、探偵なんてしたことないからね……)

 琉未菜は、部室の椅子の上でふんぞり返った。室内の空気はひんやりとしていた。なにか時間が止まったようでもあった。しかしこうしてもいられないと、琉未菜は、部室の鍵を施錠し、意中の青蓮院部長がこの学校にいないことに寂しさを覚えつつ、明かりの少ない廊下を歩いて、校舎に併設された女子寮へと向かった。


 琉未菜は、女子寮の自分の部屋に入ると、床の上に一枚の紙が置かれていることに気がついた。鮮血のような赤色の紙である。不思議に思って、それを手に取ると……。


『探偵部の副部長。白坂琉未菜さん。はじめまして。間も無く今まで体験したことのない惨劇が身近なところで起こって、あなたを驚かせることになるでしょう。あなたはこの街のことを何も知らない。知らないうちが華なのです。この街は異常なことが平気で起こりうるアンバランスゾーンなのです。あなたもずいぶん、殺人事件の起こる街だなという印象をすでにお待ちでしょう。それは事実です。この街の人の死を何とも思わない不可思議な習俗が、殺人事件を常態化させているとも言えるでしょう。それでもこの街の人々は平気なのです。面白おかしいゲームのように慣れてしまっているから。しかし、今度の惨劇ばかりは平気ではいられまい。このような秋の始まりには、この学園に伝わる魔術協奏曲第一番を奏でる、フルートの美しい音色と共に、生首コレクターの奇術師が現れて、首さらいをしますので、くれぐれもネックレスにはご注意を』


 と活字で記されていた。一体、何のことだろう……と琉未菜は首を傾げた。


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