婚約破棄を取り消すために、想いを吐露せざるを得ない公爵家令嬢(18)
スターツに口付けを願うも、拒否されたと思い込み、走り去ったアズィー。
その後を追ったのは……?
どうぞお楽しみください。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
スターツの元から駆け去ったアズィーは、校舎の陰にもたれかかり、荒い息を吐いた。
胸が激しく弾む。
足の震えが止まらない。
それが一気に走ったからなのか動揺からなのか、わからないアズィー。
冷静さを取り戻そうと、必死に呼吸を整える。
(早く戻ってスターツに謝りませんと……! でも何と言って謝れば……!?)
アズィーの怒りに火をつけたのは、スターツが自分との口付けを意に介していないという誤解。
しかしそれを説明すれば、スターツとの口付けを望んでいると言うも同然だった。
事実とはいえ、いや事実だからこそ、アズィーはそれをスターツに伝える事ができない。
(そんなはしたない事を願っていると思われたら私は……!)
淑女としての羞恥心が、それを言葉にする事を拒む。
しかし内心では、演技ではなく本当の恋人として結ばれた証拠と感じる口付けを求めてるアズィー。
溢れそうな感情を抑え込む負荷に、胸は悲鳴を上げていた。
その時。
「!」
駆け寄ってくる足音。
アズィーの心臓が期待と恐怖で高鳴る。
(スターツ……!? 追いかけてきてくださったの……!? ですが今の私には何も言える事が……!)
見つけてもらいたい。
でも通り過ぎてほしい。
アズィーの矛盾した期待は、予想もしない方向で裏切られた。
「あ! アズィー様! 良かった!」
「……キャンター、さん……?」
息を切らせた坊主頭の笑顔に、アズィーは安心と落胆を同時に感じる。
そんな様子を気にした素振りもなく、キャンターは笑顔を崩さない。
「お水をお持ちしました! お……、私が豆茶を淹れる時に使っている名水です!」
「あ、ありがとう、ございます……」
戸惑いを残したまま、受け取った器から水を飲むアズィー。
「……あ、美味しい……」
少し表情を綻ばせるアズィーに、キャンターは満面の笑みを浮かべる。
「良かった! やはりアズィー様は笑顔が一番です!」
「……! ありがとうございます……」
「!」
微笑みかけるアズィーに、キャンターの顔は一気に真っ赤になった。
しどろもどろになりながら、必死に口を動かす。
「そ、それにしてもスターツ殿下は酷いお方ですなぁ! アズィー様をこんなに悲しませるなんて!」
「え……」
「だってそうでしょう! アズィー様のお気持ちを知ろうともなさらず、このように傷付けて……!」
「……違うのです……。それは……」
「婚約破棄を取り消したと言っても、内心ではどうお考えでしょう!? アズィー様にあまり触れようとしないのは、アズィー様を軽く見ておられるからでは!?」
「やめてください! スターツは私を大切に思ってくれています! ……それが恋人としての気持ちでないとしても……!」
アズィーの叫びに、キャンターは顔を引き締めた。
「……ならば、大切にされているはずのアズィー様が、泣いているのは何故ですか……?」
「っ」
叫びと共に溢れた涙を、手巾で隠すアズィー。
そんなアズィーに、キャンターは一歩歩み寄る。
「私ならそんな顔はさせません」
「……? それはどういう……?」
「正式にスターツ殿下と婚約を破棄して、私と婚約してください!」
「!」
顔は赤く、身体は小刻みに震え、それでも目はアズィーをまっすぐに捉えて。
キャンターの真剣さはアズィーの心に強く響いた。
「……ありがとう、ございます……」
「! では……!」
「……ですが、申し訳ありません……」
「……!」
キャンターの顔が強張る。
そこには強い覚悟を決めたアズィーの顔があったからだ。
「……たとえ恋人として見られていなくても、私はスターツを心から愛しています。ですからスターツ以外と結婚するつもりはありません」
「……そこにスターツ殿下の愛がなくても、ですか……?」
「はい。スターツが私をどう思おうと、私の想いは変わりませんから」
「……!」
絶句するキャンター。
しかし次の瞬間、にっこりと微笑んだ。
「いやー、最後の好機かと思ったのですが、やはりお二人の絆は強かった! 残念ですがお幸せに!」
「……ありがとうございます」
「でももしスターツ殿下がアズィー様を蔑ろにしたり他の女の人に目移りしたなら、いつでもお迎えにあがりますから!」
「ありがとうございます。ですが万が一そのような事になっても、私の全力で振り向かせてみせますわ」
「……そこはお世辞でも『その時はよろしく』と仰ってくださいよぉ……」
「あら、失礼いたしましたわ」
おどけるキャンターに、小さく笑うアズィー。
その顔が不意に引き締まり、駆けて来た道を見つめる。
「……行かれるのですね?」
「……えぇ、この想いをスターツに伝えます」
「幸せな結末を願っております」
「……勇気を、ありがとう……」
「どういたしまして」
そうしてアズィーはスターツの元へと駆け出した。
それを見送るキャンターの元に、小さな影が忍び寄る。
「……アズィー様の恋の後押しだなんて、随分と気の利いた事をなさいますのね、キャンター先輩」
「……」
「でもちょっと格好良かったですわ。ここまで潔いとはちょっと意外でしたけど」
「……ぅぇぇ……」
「……キャンター先輩……?」
直立不動のキャンターの正面に回って顔を覗き込んだジエルは絶句した。
ぐしゃぐしゃに顔を歪めたキャンターが、大粒の涙を溢していたからだ。
「……もしかして、さっきの告白は本気でしたの……?」
「……ぅ……」
「スターツ殿下と仲違いした今が好機って思って……?」
「……ぅ……」
「……じゃあ最後の『幸せな結末を願っております』は、ただの強がりでしたの……?」
「……ぅ……」
泣きながらの全肯定に、ジエルは大きく溜息をつく。
「傷付いているところに付け込もうだなんて、恥ずかしいと思いませんの?」
「……ぅぅ……」
「あれだけ想いを寄せているのを見せられているのに、その諦めの悪さも驚嘆に値しますわ」
「……ぅぅ……」
「……まぁ私も人の事は言えませんけど……」
「ぅ?」
キャンターの涙に濡れた頬に、小さな両手が添えられた。
驚くキャンターの視界いっぱいに、ジエルの顔が映る。
「……ん」
「……!?」
強引に唇を押し付けたジエルは、真っ赤な顔をして唇を拭った。
「……お、お分かりですの……?」
「え……? おま……? え……?」
「……以前よりお慕い申し上げておりましたわ、キャンター先輩……」
「!?」
「……想定内の反応ですけれど、やはり腹は立つものですわね……」
じっと睨んだジエルが、キャンターの胸に飛び込む。
「……容姿も家柄もアズィー様には敵いませんが、覚悟だけなら負ける気はありませんから」
「!? !? !?」
戸惑うキャンターの身体を逃すまいと、強く抱き締めるジエル。
差し込む陽射しよりも熱い春が訪れようとしていた。
読了ありがとうございます。
格好良いようで格好悪い、ちょっと格好良いキャンター。
名もないモブからこんなに進化するなんて……!
なので主役の二人より一足早く、幸せを掴ませてみました(ネタバレ)。
さて、いよいよ本命の二人の結末は?
いよいよこの物語もクライマックス!
次回もよろしくお願いいたします。