婚約破棄を取り消すために、抱き締めざるを得なくなった王太子殿下(18)
気が付けば四十話越え……。
十話程度とは何だったのか……。
どうぞお楽しみください。
「おはようアズィー」
「ご機嫌麗しゅうスターツ殿下」
いつもの朝。
いつもの挨拶。
「本日も鶏肉の蜂蜜辛子和えを昼食にご用意いたしました」
「ありがとう。アズィーの手料理を食べられる私は幸せ者だ」
「恐れ入ります」
周囲への牽制。
仲の良さの顕示。
周囲もそれを好意的に見守る。
「やはりお二人はお似合いの婚約者ですね」
「よく考えれば、お二人が婚約破棄をするなど冗談だと分かりましたわね」
「才色兼備のお二人が結ばれるのは自明の理。我々の入る隙などありませんな」
「あぁ、見ているだけで尊いと思いますわ」
そんな声を聞きながら、声を落とす二人。
「順調だなアズ」
「そうですわね」
「このまま行けば遠からず婚約破棄の事など皆忘れるだろう」
「……えぇ」
微かに曇ったアズィーの声に、スターツは気遣う声をかける。
「何か不安でもあるのか?」
「いえ、そういう訳ではありませんわ」
「……そうか。何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「勿論ですわ」
いつも通りの声色に戻ったアズィーに、スターツ追及をやめた。
誤魔化された訳ではない。
これまでの経験から、アズィーがこういう対応をする時は、そっとしておくのが良いと知っているのだ。
(……気にはなるが、今はまだ話す段階ではない、といったところだろう。まぁ現状大きな不安がある訳ではないからな)
スターツのアズィーに対する理解は深い。
幼い時から婚約者と決められ、長きに渡って側にいた経験と、王族として人の心の機微への理解を高める教育とが合わさり、冷静な時ならば読み違いはなかった。
しかしスターツには、大きな見落としがあった。
それはアズィーがどうしようもない程に、スターツに恋焦がれているという点だ。
(あぁ、スターツを欺いてしまいました……! 婚約破棄が忘れられた時に私達の関係がどうなるか、不安でたまりませんのに……!)
スターツには、アズィーがアリーに言い寄られた時にぴしゃりと跳ね除けた事や、頻繁に手料理を作ってくれている事から、若干安心している部分があった。
しかしアズィーには『口付けを拒まれた』という大きな不安要素が燻っている。
スターツからしたら、全てが解決して本当の恋人になったら、と思っているのだが、それをアズィーが知るよしもない。
(このままの関係を続けて、婚約破棄を完全に取り消せたら、その時はアズィーに愛を伝えよう……!)
(このままでは婚約破棄を忘れ去られた時、スターツの側にいられなくなる……!? そのような事、耐えられませんわ……!)
この気持ちの温度差に追い詰められる事になろうとは、スターツは思いもしなかったのだった。
「今日も美味かった」
「ありがとうございます」
昼食を終えた二人。
スターツはアズィーの作った昼食に満足げに微笑んだ。
それを見て、アズィーも嬉しそうに微笑む。
その時だった。
「あ、スターツ。口元に辛子蜂蜜が……」
「何? どこだ?」
「今取りますわ。じっとしていてくださいませ」
「わ、わかった」
スターツの顔に昼食の残滓を見つけ、手巾を持った手を伸ばすアズィー。
その目は、当然スターツの口周りに集中する。
「……」
アズィーの手が止まった。
代わりに顔がスターツの口元へと吸い寄せられていく。
「……?」
気恥ずかしさで中庭を眺めていたスターツは、なかなか口元が拭われない事を不思議に思って向き直った。
「!? あ、アズ!?」
「ひゃっ!? す、スターツ!?」
お互いの唇が布一枚の距離にある状況に驚き、声を上げるスターツ。
その瞬間、夢から覚めたかのように目を開き、飛び退くアズィー。
「……!? な、何を……?」
「え、あ、あの……、頬を拭おうと……」
「そ、それが何故……?」
「……それは……!」
正気に戻ったアズィーは、自分の行動に混乱した。
(わ、私は今スターツの辛子蜂蜜を舐め取ろうとしたの!? な、何てはしたない……! どうして私はこんな……!)
スターツに近付いた恥ずかしさと自身の行動への羞恥で、アズィーの頭の中は埋め尽くされる。
その熱から逃れたい一心で長椅子を立つアズィー。
「も、申し訳ありませんでした!」
「お、おい待てアズ!」
「……!」
勢い良く頭を下げるアズィーを、スターツは呼び止める。
しかしアズィーは羞恥の熱に動かされるまま駆け出した。
「おい! 待つのだアズ!」
「っ……!?」
スターツは素早く立ち上がると、その後を追って猛然と駆け出す。
腕を引いては怪我をさせると思ったスターツは、そのままアズィーを追い抜き正面から受け止めた。
抱き止められた格好になったアズィーの頭は、混乱を極める。
「は、離してください! 私……! 何という事を……!」
「何故それ程に自分を責める!? 私は怒りも不快に思ってもいないぞ!?」
「!」
アズィーを落ち着かせるために言ったスターツの言葉。
それを混乱したアズィーは、間違った方向で聞き取った。
「……そう、ですわね。スターツにとって、私との口付けなど、取るに足らない事ですものね……」
「へっ!? く、口付け!?」
「っ!」
驚き緩んだスターツの腕を抜け、アズィーは駆けて行く。
「……アズ……?」
その横顔に涙を見たスターツは追いかける事もできず、ただその場に立ち尽くすしかできなかった。
それを見ていたバウンシーとフロウは色めき立つ。
「これはいよいよではないかな!?」
「えぇ! これでアズィー様の想いをスターツ殿下が理解されたら、結婚式まっしぐらですわ!」
「神父をしている叔父上に連絡をしないと! そして盛大な披露宴だ!」
「アリーから搾り取った独占資源の利益で、お二人に相応しい宴席をご用意いたしますわ!」
盛り上がる二人に、ジエルは小さく溜息をついた。
「さぁこれでいい加減諦めもつきましたわねキャンター先輩? ……? 先輩?」
ジエルが振り返った先にキャンターの姿はない。
ただ今し方まで主人がそこにいた事を示すように、豆茶が香ばしい香りを立てているだけだった。
読了ありがとうございます。
サブタイトルから甘々だと思った?
残念! シリアスちゃんでした!
いよいよこの物語も完結へと向かいます。
多分後三話くらいだと思いますが、どうなる事か……。
どうぞ最後までお付き合いください。