婚約破棄を取り消すために、料理を作らざるを得なくなった公爵家令嬢(18)
お料理回です。
以前焼き菓子を作ったものの、砂糖の量に怯えたアズィー。
今度はどんな結末がスターツを待っているのでしょうか……?
どうぞお楽しみください。
「はぁ……。あのような素敵な歌が聴けるだなんて……」
アズィーは寝台に横たわり、枕を抱きしめながら溜息をつく。
スターツが妹レトゥランと共に作り上げた歌は、婚約破棄肯定派の意志を曲げさせるには至らなかったものの、アズィーの心には大きな衝撃を与えていた。
「何かお返しをいたしませんと……」
アズィーの手が袖机に伸びる。
そこには以前アズィーが王家の紋章を手縫いした手巾を贈った際に、スターツが手彫りしてくれたティーズ家の紋章があった。
そっと手に取り撫でながら、その嬉しさを改めて噛み締めるアズィー。
またそっと袖机に紋章を戻すと、今回の歌に対して何か誠意を示さなければと考える。
「そしてできる事ならスターツにときめいてほしい……」
そんな決意を固めたアズィーの脳裏に妙案が浮かんだ。
「以前手料理は殿方に好評と聞きましたわ! スターツに私が作った昼食を食べていただけたら、お礼もときめきも得られますわ!」
寝台から跳ね起きたアズィーは、すぐに呼び鈴を鳴らして侍女を呼ぶ。
やって来た侍女は、アズィーが意気揚々と話す提案に目を丸くするのであった。
「今日の昼食は我が家の料理人が張り切りまして、色々な味を試しましたの」
「それは楽しみだ」
翌日の昼。
アズィーは中庭の長椅子で、様々な具を挟んだパンの入った籠を差し出した。
そしてその中から一つを取り出し、スターツの口元へと運ぶ。
「では、あーん……」
「……あ、あーん。……んむ、美味いな。香辛料が刺激的だ」
「……」
スターツの表情をじっと観察するアズィー。
その真剣な様子に、スターツは少したじろぐ。
「ど、どうしたアズ? 私の顔に何か付いているか?」
「いえ、大丈夫です」
「……? と、とりあえずアズも、あーん……」
「あーん……」
「……?」
アズィーはパンを咀嚼しながら、先程のスターツの反応と味のすり合わせを行った。
(香辛料の味はお嫌いではない様子……。ですが特段好みという訳ではないようですわ……。これは主軸に組み込まない方が良いですわね……)
パンを飲み込んだアズィーは、別の味付けの具を挟んだパンを手に取り、スターツに差し出す。
「ではこちらを。あーん」
「あ、あーん……」
「……」
「……?」
真剣な眼差しで観察するアズィーに、スターツは戸惑いながらも、
(こんな真剣な顔で私を見つめるアズも可愛い……)
と喜びを感じるのであった。
「……ではスターツ。お昼ご飯にいたしましょう……」
「……あぁ、それは良いが、どうした? 顔が強張っているぞ……?」
「よ、良いのです! どうぞあーんなさってください!」
一週間後。
スターツの反応から最適解と思われる味付けを割り出したアズィーは、休日の間研究に研究を重ね、理想に近い味を作り出す事に成功した。
水に一晩漬け、瑞々しさを高めた鶏肉。
甘辛い下味を付けて、高温の油で表面を揚げた後、低温の蒸し器でゆっくりと火を通し、氷水で身を締める。
辛子に粒胡椒と蜂蜜を混ぜて、卵黄と乳脂を加えたものをパンに塗り、薄切りにした鶏肉を挟んだ。
(これはスターツの好みに合うはず……!)
これまで共にいた経験と、観察の成果。
重ねた工夫と侍女達のお墨付き。
それでもスターツの反応を直に見るまでは不安が募る。
「……わかった。……あーん……」
そのアズィーの様子からただならぬ雰囲気を感じ取ったスターツは、差し出されたパンを口にした。
「む!」
「え!?」
噛んだ瞬間に目を見開くスターツ。
恐怖と期待とがないまぜになったアズィーは、その反応にうっすら涙を浮かべる。
(お、お口に合わなかったのでしょうか……!?)
しかしそんな心配は、一瞬で吹き散らされた。
「美味い!」
「え……」
「これまでに味わった事のない味だ! 柔らかく汁気の十分な肉の味を、この辛子入りの調味料が最大限に引き出している!」
「え、あ……」
固まるアズィーの手からもう一口食べたスターツが、感に耐えないと言った様子で唸る。
「うーむ、ただ辛いだけではない……! この甘み、蜂蜜か……? 卵の深みも感じられる……! 新鮮な味なのに、どこか落ち着くというか、安心する味だ!」
「あ、ありがとう、ございます……」
手放しの絶賛に、顔を真っ赤にして俯くアズィー。
その様子にスターツは我に返る。
「あ、すまない、夢中になってしまった。アズも食べると良い。あーん……」
「……あ、あーん……」
何度も味見をした味。
それなのにスターツの絶賛を受けた後だと、まるで別物のように美味しく感じる。
「な!? これは美味だろう!?」
「あ、はい……」
「ここ一週間、アズの料理人が張り切っていたと聞いたが、これはその集大成と言っても過言ではない! 我が家の料理人にも作り方を教えてほしいぞ!」
「そ、そんな……」
「これは毎日でも食べたい! これを作った料理人を我が家に迎え入れたいところだが、これ程の腕、アズも手放したくないであろうな……」
「……!」
これ以上ない程に赤くなったアズィーが、無言でゆるゆると手を挙げた。
「? どうしたアズ?」
「……その、これを作ったのは、あの、私、です……」
「何!?」
「……先日の歌のお礼にと、家の料理人と相談して、スターツの好みを調べまして、その……」
「……! 先週の様々な味の昼食は、まさか……!?」
「……」
小さく頷いたアズィーに、スターツの顔も真っ赤に染まる。
「……そ、そうとは知らず、家に迎え入れたいなどと……! い、いや、それは本音なのだが……!」
「あ……! そ、その、スターツが望むなら、また作って参ります……」
「あ、ありがとう……! その、た、楽しみにしている……」
「はい……」
二人を包む甘い空気。
生徒達は一斉に豆茶を飲み干した。
「ぷはー! 久し振りに一気に飲み干してしまったよ! 今回の甘さは凄まじかったねぇ」
「えぇ、本当に……! 一週間かけてスターツ殿下の好みを探り当てたというこの愛! キャンターの深煎り豆茶でなければ耐えられませんでしたわ……!」
「そうかぁ。まめちゃにからしをいれたらきっとおいしくなるぞぉ」
「はいはいキャンター先輩。正気にお戻りになって。お歌の稽古の時間ですわよ」
その後もアズィーとスターツは、お互いにパンを食べさせ合う。
作った当初よりも何倍も美味く、甘くなったパンは、二人の幸せな時間を彩るのであった。
読了ありがとうございます。
ハニーマスタードチキンがこの世界に生まれた瞬間である(迫真)。
ん? 今毎日でも食べたいって言ったよね?
アズィーが作ったと知らずにこの発言ですよ……。
次回もよろしくお願いいたします。