婚約破棄を取り消すために、英雄のように動かざるを得ない王太子殿下(18)
今回は少し毛色が違います。
スターツとアズィーのいちゃいちゃはありません。
どうぞお楽しみください。
「……待っていたぞ」
「あなたは……!」
「アリー・ヴィズマ……!」
「『様』を付けたまえ。無礼だなぁ」
アリーの言葉に、応接室に通されたフロウとジエルは身を固くする。
先日ヴィズマ伯爵家の夜会に呼ばれた際、アズィーの尻を撫でたアリーに怒り、キャンターの豆茶を飲ませたフロウとジエル。
そのあまりの苦さに奇声を上げてのたうち回ったアリーは大恥をかき、しばらく謹慎となっていたはずであった。
そのアリーが、二人の前で凶悪な笑みを浮かべている。
「先日は随分と世話になったねぇ。まさか伯爵家令息である僕に毒を盛るなんて……!」
「ど、毒……?」
「あれは豆茶で」
「そんな訳あるか! あんな苦い物がまともな飲み物であるはずがない!」
「ふふっ……」
「キャンター先輩が聞いたら、どんな顔をしますかね……」
「何を笑っている!」
思わずこぼれた笑いに、アリーは怒鳴った。
しかしすぐに表情を戻し、蛇のように二人を眺める。
「さて、ヴィズマ伯爵家の長男である僕にこれだけの無礼を働いたんだ。当然覚悟はできているのだよね?」
「覚悟、ですか?」
「一体何を覚悟しろと仰るんですの?」
「……我が家はこの学園に多大な寄付をしている。この一番の応接室に通されたのもそれが理由さ。その僕の機嫌を損ねたらどうなるか……」
「……!」
「な、何をするおつもりですの……!」
二人の表情が変わったのを見て、満足そうに頷くアリー。
「フロウ嬢は察されたようだね。そう、僕が学園長に言えば、君達二人を退学にする事だってできるんだ」
「……」
「そ、そんな事できるわけありませんわ! ねぇお姉様!」
ジエルの言葉に、フロウは首を横に振った。
「……この学園の資金は、貴族や王族からの寄付で賄われていますわ。我がゴーウィズ伯爵家やジエルのリリウム子爵家より遥かに多くの資金を出せば……」
「そんな……!」
動揺する二人に、アリーは不気味な猫撫で声を出す。
「だが、僕に対する無礼を誠心誠意詫びるのであれば、そこまでの罰を与えはしないよ」
「……何をしろと仰るのですか……?」
「裸になれ」
「なっ……!」
「こ、婚約者でもない相手に肌を晒せと仰るのですか!? 私もお姉様もそんな事」
「ほう、退学したいのか。親御さんは悲しまれるだろうねぇ」
「ぐ……!」
絶対的優位を確信し、にやにやと笑うアリー。
二人は打開策を見出せず、黙るしかない。
しかしアリーは手を緩めなかった。
「そうか。やはり君達は僕に対して無礼を働いたとは思っていないわけだ。夜会の主催者に恥をかかせる事の意味を理解していない、と」
「……」
「あれはあなたがアズィー様に、先に失礼を働いたからではありませんか!」
激昂するジエル。
しかしアリーは余裕の笑みを浮かべたままだ。
「あぁわかった。ジエル嬢は学園を去りたいのだね」
「そ、それは……!」
「僕も忙しい身だ。今から五秒以内に決断したまえ。さもなくば僕はこの事を学園長に訴える」
「……」
「ひ、卑怯ですわ……!」
「何とでも言いたまえ。では、五、四、三、二……」
「……分かりましたわ」
「お姉様っ!?」
フロウの言葉に、ジエルが悲鳴を上げる。
薄ら笑いを浮かべるアリーに、フロウは凛とした言葉を叩きつけた。
「ただし! 今回の事を指示したのは私です! ジエルは私に従っただけですので、謝罪は私一人とさせていただきますわ!」
「駄目ですお姉様! そんなの……!」
「構わないよ。君が誠心誠意謝るのならば、ね」
「それとこれはあくまで謝罪ですので、身体に触れる事はお断りいたします! それをなさるのならば、嫁入り前の娘に淫らな事をしたと訴えます!」
「あぁ、勿論だ。僕は触れたりしない。君から触れる事も要求しない。これで良いかな?」
「……えぇ。ご厚意に感謝いたしますわ……」
「駄目! お姉様……!」
服に手をかけるフロウに縋り付くジエル。
その頭をフロウは優しく撫でる。
「大丈夫。身体を許すわけではないですわ。それにジエルを守るためなら、肌身を晒すくらい恥でも何でもありませんのよ」
「でも、でも……!」
「早くしたまえ! 僕の気が変わってしまうかもしれないよ!?」
「……ね? ジエル……」
「……お姉様……」
泣き崩れるジエルの頭を再度撫でると、服に手をかけるフロウ。
アリーは凶悪な笑みでその様子を眺めていた。
(身体を許さないから大丈夫? 馬鹿め! その裸身のあらゆる特徴を記憶して、社交界でばら撒いてやる! そうすれば簡単に肌身を許す女との評判が立つ!)
フロウが震える手で、首元の釦を外す。
(そうなれば結婚など出来はしない! それどころかふしだらな娘と家を追い出されるだろう! そうしてぼろぼろになったところを拾い、奴隷にしてやる!)
そんな中、ジエルは心から神に祈っていた。
スターツの婚約者になりたいと願っていた時よりも、遥かに強く、強く。
(神様! どうかお姉様をお助けください! それが叶うなら私は何を失っても構いません! 優しいお姉様に辛い思いをさせないでください! どうか……!)
その願いが通じたのかどうか。
突然応接室の扉が開いた。
「!?」
「だ、誰だ!」
慌てて服を正すフロウ。
焦りながら怒鳴るアリー。
ジエルはそこに救世主の登場を願った。
(どうかこの男を罰せる人を……!)
しかしそこに顔を覗かせたのは、
「どーも。豆茶お持ちしましたー」
キャンターだった。
セプト家は貴族としては最も地位の低い男爵家。
アリーに対抗できないのは明らかだった。
「豆茶など頼んではいない! とっとと出ていけ!」
「は、はいー!」
慌ててキャンターが出て行った後、アリーは忌々しそうに鍵を閉めた。
「……これでもう邪魔は入らない……! さぁ脱げ!」
「……はい……」
「そんな……!」
鍵は閉められ、もう誰かが乱入する余地はない。
(キャンター先輩の馬鹿……! 一瞬で察してこの最低男を殴り飛ばしてよ……!)
自分でも無茶だと思う怒りを抱えながら、ジエルが諦めかけたその時。
「……開けろ」
扉を叩く音と共に、冷たい声が部屋に響いた。
一瞬びくっとしたアリーだったが、すぐに余裕の笑みに戻る。
「ここは今使用中です。他の部屋をご利用ください」
しかし声の主は立ち去る様子はない。
「ここを開けろと言っている」
「……誰に向かって口をきいている……? 僕はヴィズマ家長男アリーだぞ!」
アリーの少し苛立った声に、扉を超えて怒気が迸る。
「……自己紹介感謝する。私はクオ王家長男、王太子スターツだ……!」
「ひっ……!? お、王太子殿下!?」
スターツの登場で、アリーは恐慌を来した。
アリーには、フロウやジエルを退学に追い込む力はある。
しかし王太子であるスターツには、アリーを家ごと潰せる力があるのだ。
敵うはずのない相手が現れた事で、戦意を完全に失ったアリー。
だがそれで許されるほど、この世は甘くない。
「さて、貴様は誰に向かって口をきいているのだ?」
「あ、いや、その……!」
「っ!」
アリーが怯んだ隙をついて、ジエルが鍵を開けた。
扉を開き、凄まじい表情のスターツが部屋に入って来る。
「……貴様はここで何をしていた? 確かヴィズマ家では謹慎を申し渡したと聞いているが?」
「あ、ですが、その……」
「私達に謹慎の責任を押し付け、お姉様に裸になって謝罪するよう言いましたの!」
「な、お前……!」
「……ほう」
「ひっ……」
もはや怒りを通り越して、殺気に近いものを放つスターツ。
肌でさえ感じられるその憤怒に、アリーは腰を抜かす。
「先日の夜会では、アズィーに私よりもデューイが王に相応しいなどと言っていたそうだな」
「あ、あの、それは、口説き文句というか真意ではなく」
「その時点で不敬罪として裁いておくべきであった。そして今度は婚約者でない相手を、脅迫して裸にしようなどと、貴族にあるまじき行い」
スターツは腰の剣をすらりと抜いた。
「覚悟は良いな」
「た、助け……」
アリーは涙を流し、震えながら懇願する。
しかしスターツの歩みは止まらない。
その剣がアリーの首に届くところに来たその時。
「お待ちください」
「……何故止める?」
スターツの動きを止めたのは、
「お姉様……?」
今まさに被害者にされそうになっていたフロウだった。
「いかにスターツ殿下や婚約者であるアズィー様に無礼を働いたとは言え、裁判も無しに伯爵家の長男を斬り捨てればただでは済みませんわ」
「ふむ、確かにそうだな」
「それに夜会で私達がアリー様に失礼を働いたのも事実。裸になれと仰ったのはやり過ぎとは思いますが、私達に非がないとも言えませんわ」
「ほう、それで?」
「ですので」
フロウは暗黒漂う笑みを浮かべる。
「これまでのしがらみを捨て、スターツ殿下の監督の元、私達とアリー様が交流を深めるというのはいかがでしょうか?」
「成程。それならばお互いの顔も立つな。ではアリー、それで良いか?」
「は、はい!」
「では行け。交流については追って沙汰を出す」
「わ、分かりましたぁ!」
アリーは這うようにして部屋を飛び出していった。
その姿を見て、くたりと脱力するジエル。
「だ、大丈夫ジエル!?」
「……大丈夫ですお姉様……。でも何故あのような事を……?」
腑に落ちない顔をするジエルに、フロウはにっこりと微笑む。
「スターツ殿下がお見えになった時点で、私達の勝ちは確定したわ。私がそこから考えたのは、どうやってあの男に二度とこんな振る舞いをさせないか、だったの」
「……それって……?」
「スターツ殿下の後ろ盾がある以上、アリーは私達には逆らえない。そこでヴィズマ家があれだけの財を成した手法を聞き出して、私達の家や他の貴族で共有する」
「あ、そうしたらヴィズマ家の経済的な優位は消える……!?」
「えぇ。そうなれば彼はただの伯爵家の息子。恐れるに足りなくなるわ」
「流石お姉様!」
表情を輝かせ、跳ねて喜ぶジエル。
そんな様子をスターツは優しい目で眺める。
「じゃあスターツ殿下もあれは演技で……?」
「……あぁ、勿論だ。ああして脅して二度としないようにするつもりだったのだ」
スターツの微妙に焦った反応に、ジエルとフロウは顔を見合わせた。
「……お姉様」
「……まぁそういう事にしておきましょう」
二人の様子を察したスターツが、無理矢理話題を変える。
「そ、そうだ。後でキャンターにも礼を言うと良い」
「え?」
「二人が一緒に呼び出されたと聞いて不審に思い、片っ端から応接室を開けて回っていたそうだ」
「……じゃあさっきのは……」
「そして場所を特定した後、私のところに助けを求めに来た。それで駆け付けられたのだ」
「……キャンター先輩……」
ジエルが頬を染めるのを、嬉しそうに見つめるフロウ。
その視線に気付き、ジエルは焦り出す。
「じゃ、じゃあ今からお礼に行きましょうお姉様!」
「えぇ、そうね」
「いや、少し待ってくれ」
「え?」
「何故ですの?」
「片っ端から応接室を開けて回ったと言っただろう? 学園長が来賓の方と話しているところにも入ってしまってな、お説教中だ」
「……ぷっ」
「ふふっ……、キャンターらしいわね」
こうして応接室に和やかな笑い声が響くのであった。
読了ありがとうございます。
キャンター、三枚目ヒーロー。
次回もよろしくお願いいたします。