婚約破棄を解消するために、尻を撫でざるを得なくなった王太子殿下(18)
サブタイトルを達成するために、なぜ4500文字を超えてしまうのか、これがわからない。
どうぞお楽しみください。
「お待たせしましたスターツ」
「お、おぉ、うん、似合っているな!」
「……あ、ありがとう、ございます……」
ティーズ公爵家に夜会の迎えに行ったスターツは、アズィーが先日の大胆な夜会服でない事に密かに安堵の息を漏らした。
その安堵からするりと出た本音が、アズィーを赤面させる。
それを見て自分の失言に気付いたスターツは、慌ててアズィーを馬車へと誘った。
「と、とにかく行こう! 今日はヴィズマ伯爵家だったな」
「え、えぇ……。最近長男のアリーが様々な貴族を相手に、夜会を開いているようですわね」
「それが私達の所にまで来るとはな……」
「……何かありますわね。私達に取り入るつもりか、それとも罠か……」
動き出した馬車の車内は、真剣な空気に包まれる。
本来の身分を考えれば、王太子であるスターツや公爵家令嬢であるアズィーを夜会に呼ぶのは難しい。
しかし今回ヴィズマ伯爵家は身分の少し高い貴族を夜会に招待し、その貴族からまた少し身分の高い貴族を紹介してもらい、ティーズ公爵家まで至った。
そしてアズィーを誘えば婚約者であるスターツが同行するのは当然の流れだ。
中堅貴族である伯爵家と王家という一見無理に思える関係性を、人脈を見抜く力と夜会を駆使して繋ぎ合わせたヴィズマ伯爵家長男アリー。
二人が警戒するのも当然だった。
「狙いはどちらかな」
「それは王太子であるスターツでしょう。次期宰相あたりを狙っているのではないかと思いますわ」
「アリーは三十前でまだ独身と聞く。アズを妻に迎え、家格を上げる気かもしれないぞ」
「公爵家の娘とは言え、婚約者のいる十も歳下の私に婚姻を申し込むでしょうか?」
「警戒するに越した事はない。アズは……」
アズは美しいのだからな。
その言葉が出せず、固まるスターツ。
アズィーは首を傾げる。
「私が、何ですか?」
「……その、女だからな。力ずくで何かをされそうになれば身に危険が及ぶ。常に私の目の届く所にいるのだぞ。いいな」
「……」
「……アズ?」
「……はい」
守られる嬉しさはあるものの、スターツと肩を並べて難局をも打破したいと思うアズィーは、少し不満げに頷いた。
その変化に、何かやらかしたかと不安になるスターツ。
沈黙する二人を乗せた馬車は、一直線にヴィズマ伯爵家に向かうのであった。
「……これは」
「驚きましたわね……」
スターツとアズィーは、通された広間に目を見開く。
あまりに豪華なその装飾は、王家の夜会に勝るとも劣らない。
盛大な歓迎と言えなくもないが、二人はその裏に挑戦に近い不遜な態度を感じ取った。
「ようこそおいでくださいました。スターツ・クオ王太子殿下、アズィー・ティーズ公爵家令嬢。アリー・ヴィズマでございます」
「お招き感謝する」
「今夜はよろしくお願いいたしますわ」
奥から現れたアリーの挨拶を型通りの返事でかわすと、手を取って奥へと進む。
「……まるで王家や公爵家よりも、上の夜会を見せてやろうと言わんばかりの設えだな」
「えぇ。かなりの自信家で、野心家のようですわ」
「気を緩めるなよ」
「勿論ですわ」
普段の甘い空気はどこへやら。
不敵な笑みを浮かべる二人を、先に来ていた生徒達が頼もしそうに見つめる。
「うーん、やはりお二人は凛々しいお姿がよく似合う」
「やはりアズィー様は最高……! 貴女の隣で毎日豆茶を淹れていたい……!」
「どう見ても勝ち目がないのに、何で諦めないのでしょう。何も女はアズィー様だけではありませんのに……」
「むくれている場合ではなくてよジエル。アリーがお二人を害そうとしたなら、何をしてでも排除しなければならないのですから」
するとアリーが壇上に上がった。
手を二つ叩いて注目を集めると、よく通る声で宣言する。
「それでは今宵も楽しい夜を!」
その声を合図に音楽が始まった。
「では一曲」
「よろしくお願いいたしますわ」
スターツとアズィーは堂々とした踊りを披露する。
以前の庭園の失敗が嘘のようだ。
(アズを守るために隙を見せないようにしなくては……!)
(完璧に、完璧に……! スターツに恥をかかせては、付け入ってくれというようなものですもの……!)
お互いを思う気持ちが噛み合い、その踊りは会場全体を魅了する。
音楽が終わり、スターツとアズィーが一礼を交わすと、会場から拍手が巻き起こった。
するとそこに三人の令嬢が駆け寄る。
「素晴らしい踊りでしたわスターツ殿下!」
「私にも踊りを教えてくださらない?」
「あちらの広い所で是非!」
「な、いや、私はアズィーと……!」
淑女にあるまじき強引さに圧倒され、スターツはアズィーと引き離されてしまう。
そこにアリーがやってきて、仰々しく頭を下げた。
「アズィー様。一曲お付き合いをいただけますか?」
「……構いませんわ」
スターツに素早く目配せをすると、アリーの手を取り踊り始める。
(……成程。随分と早く仕掛けてきたようですわ)
曲はアリーが指定したのであろう、ゆっくり目の曲。
女達を使ってスターツを引き離した上で、この選曲。
何かアズィーだけに話したい内容があるのは明白だった。
「アズィー様」
「何でしょう」
「スターツ殿下と一度婚約破棄をしたという話を聞きました」
「……戯れですわ。実際は今も婚約者ですの」
「本当ですか? 何かやむを得ない事情があって、取り繕っているだけでは?」
「……そうだとして、アリー様に何か関係がありますか?」
「えぇ。婚約破棄が事実であるなら、アズィー様を私の妻に迎えたい」
「……」
スターツから可能性を示されていたため、アズィーの動揺はない。
踊りを乱さないまま、冷たい声で答える。
「申し訳ありませんが、王太子殿下との婚約を蹴ってまで貴方に嫁ぐ理由はあるのでしょうか?」
「ふふっ、まず一つ。女を知らない殿下より、君を確実に悦ばせられる。……こんな風にね」
「……!」
アズィーの冷たい態度に怯むどころか、笑みを浮かべて尻を撫でるアリー。
反射的に引っ叩きたく気持ちを抑えて、アズィーは野望の全貌を暴こうと会話を続ける。
「他には何がありますの?」
「君の兄ドゥーイと僕は仲が良い。そしてドゥーイは王女レトゥラン様と婚約した。つまりドゥーイはスターツ殿下に次ぐ王位継承権を持つ事になる」
「そうなれば貴方は宰相の地位に就ける、と?」
「流石はアズィー様。理解が早い」
「しかしそれはスターツ殿下が王位継承権を辞退した場合ですわ。そんな可能性がありますの?」
「簡単さ。彼は優秀すぎる。完璧と言えるほどにね」
「……!?」
突然スターツを褒められて、昂揚するアズィー。
(この方、意外と良い人……!?)
そう思いかけたアズィーの思考に冷水が浴びせられた。
「あれ程優秀では誰も付いてこれない。独りよがりになって道を誤る。そうなれば穏やかで、人の意見に耳を傾けられるドゥーイが王として擁立されるさ」
「……は?」
「生まれながらの天才というものは、同時に孤独なものだ。才能に驕り、自分だけが正しいと思い込み、知らずに人との縁を失っていく」
「……何?」
「その点ドゥーイは僕の話を聞いてくれるし、僕は人脈が多い! その力を合わせればこの国を建国以来最高の国にして見せる!」
「……けないで」
「その横には君のような美しい妻が似合う! 昼は国を愛し、夜は君を愛す。素晴らしいと思わないかい!?」
「ふざけないでっ!」
アズィーの凄まじい激昂に、会場の音の全てが止まる。
「スターツが孤独!? 独りよがり!? 馬鹿を言わないで! どんな人にも分け隔てなく話しかけて、学園の誰よりも慕われているスターツが!?」
「え、いや」
「スターツが素晴らしいのは事実! それは認めます! でもそれは王太子の責務に応えようと、必死に努力を重ねているからです! 今もなお!」
「あ、えっと」
「スターツの頑張りを何一つ知らないで、王に相応しくないですって!? スターツより王に相応しくあろうと努力をする人が他にいるものですか!」
「う、その」
「それに何ですか! 『昼は国を愛し夜は君を愛す』!? 王たる者、片時も国を忘れず、愛し続けるものでしょう! そんな半端な覚悟で国を語らないで!」
「……」
荒い息を吐くアズィーに、沈黙していた会場から拍手が巻き起こった。
「……!」
自分の失態に気付いたアズィーは、顔を覆って控え室へと駆けて行く。
「アズ!」
スターツが瞬時に追いかけ、控え室に飛び込んだ。
「アズ! 大丈夫か!? あいつに何をされ、た……!?」
胸に飛び込んできたアズィーを、反射的に抱き止めるスターツ。
余程の事をされたのかと怒りに打ち震えるスターツの耳に、アズィーのか細い声が聞こえてきた。
「……ごめんなさい……」
「アズが謝る事など何もない! あいつを死よりも厳しい刑に落として」
「皆の前で、呼び捨てにしてしまって……」
「……え?」
瞬時に血が下がるスターツ。
凄まじい怒りを急激に失った事で、スターツの頭は空白状態になった。
「いや、そんなの別に……」
「でも王太子の婚約者として、恥ずかしい事を……」
「……何を言うアズ」
スターツは子どもの頃、怒られたアズィーを慰めた時のように自然に頭を撫でる。
「あの演説は見事だった。『王たる者、片時も国を忘れず、愛し続けるもの』か。あぁ、言う通りだ」
「そ、それは、その、あの方があまりにも愚かな事を言ったので……!」
「私もまだまだだと思い知らされたよ」
「そ、そんな事は……!」
「だから私が王たる者の道から逸れそうな時には、あのように叱り飛ばしてくれ」
「……! も、もう! そんな言い方しないで!」
真っ赤になりながら抗議するアズィー。
スターツの胸に再び埋めたその顔は、喜びと安堵に満たされていた。
「他に何かされなかったか?」
「あ、その……、し、尻を、撫でられました……」
「……! アニー・ヴィズマ……!」
殺意を吹き上がらせるスターツ。
瞬時に十通り以上の処刑方法を巡らせるスターツの胸を掴んだアズィーが、とんでもない事を口にした。
「だ、だから、その、な、撫でて、あの気色の悪い感覚を塗り消してください……!」
「な、何……!?」
処刑の事など頭から吹き飛び、絶句するスターツ。
しかし、アズィーの訴えるような上目遣いに陥落した。
「……わかった。不快になったら言えよ」
「……はい……」
抱きしめたまま、壊れ物に触るようにアズィーの尻を撫でるスターツ。
(こ、これは治療! そう! 治療行為だ! 断じて欲望に駆られての事では……! や、柔らかい……。だ、駄目だ駄目だ駄目だ!)
(こんなはしたない事を願ってしまうなんて……! でもあのまま離されてしまったら、私はあの男を八つ裂きにしたでしょうから、これは必要な願いですわ……!)
控え室がそんな甘い空気になっているとも知らず、生徒達は殺気立つ。
「アズィー様の話から察するに、アリーは王位を簒奪するつもりですよ! これは一族郎党極刑ですわね!」
「いやいや、アズィー様の言葉だけでそこまでするのは無理がありますよ。まぁもう夜会を開けないくらいにはお仕置きする必要がありそうだけどね」
「そうですわキャンター。貴方の豆茶、少しいただけるかしら?」
「え、いいけど何に使うんだ?」
その後、自分の主催する夜会で奇声を上げながら転げ回る醜態を晒したアリーは、謹慎を命じられる事になったのだった。
読了ありがとうございます。
アリー・ヴィズマは『悪辣な野心・出世欲』を意味するarrivismeから。
最初は結構な陰謀をアズィーが華麗に解決する予定だったのですが、どうしてこうなった……。
まぁ豆茶でしばくくらいで済んで良かったのかもしれません。
次回もよろしくお願いいたします。