婚約破棄を取り消すために、お菓子を取り上げざるを得なくなった公爵家令嬢(18)
昨日は多くの誤字訂正ありがとうございます!
やはり炎天下の公園を歩きながら執筆するのは危険ですね……。
ビール飲みたさにチェックが甘くなった訳ではない。いいね?
どうぞお楽しみください。
「……はぁ……」
「……ど、どうだ? アズ……」
「……素敵です……。こうして銀で仕上げると、こんなにも美しくなるのですね……。そしてこの木の紋章を見ると、その素晴らしさが更に際立ちます……」
「そ、そうか……!」
スターツから差し出された木と銀の紋章。
交互に眺めながら、アズィーは溜息をついた。
スターツが徹夜で木を削って作った、ティーズ公爵家の紋章。
そこからバウンシーが家の職人に型を取らせ、銀を流し込んだ後スターツが仕上げた紋章。
どちらもスターツの真剣さが宿っている。
それをアズィーに手放しで評価され、スターツの相好が崩れた。
「アズが贈ってくれた手巾に、僅かでも応えられたなら嬉しく思うぞ」
「そんな……! 私なんて慣れ親しんだ物を贈ったまでで……! スターツこそ一晩でこんなに素敵な物を彫ってくださって……!」
「いや、あの精緻さは長年の修練の成果だ。それに比べたら、私の贈った紋章は技術では遠く及ばない……」
「それを仰るなら、私とて職人には遠く及びません! むしろ短期間でここまでの物を作り上げるスターツこそ、私なんかより才気溢れる……!」
「そんな事はない! 我が王家の紋章程、複雑で困難な意匠はないと聞く! それを容易く作れるアズの方が上に決まっている!」
「いいえスターツの方が優れています!」
「アズの方が上だ!」
相手を褒めようとするあまり、段々とむきになる二人。
見守る生徒達は溜息をつく。
「何故褒め合いであれ程声を荒げるのでしょう? 私には理解できませんわ」
「あー、全くそうだなジエル! これが二人の修復し難い亀裂になるとは、この時誰も予想をしないのであった……! くくくくく……!」
「どう見てもいちゃいちゃしているようにしか見えないので、キャンターの言う通りですわね」
「……まぁあの紋章二つを無事にお渡しできた時点で、僕はもう何でも良いんですけど……」
そんな生徒達の思いをよそに、昂ったアズィーがとんでもない事を口にした。
「分かりました! では私がまだやった事のないお菓子作りをして参ります!」
「何!?」
「それを見ればスターツがどれ程素晴らしい事をしたのか、十二分に理解できると思いますわ!」
「何を言う! アズが作る菓子が不味いはずがあるものか!」
「一度も使った事のないものが、そうそう上手く行くはずがありませんわ! そのお言葉、後悔なさいませんように!」
「後悔などする訳がない! 欠片も残さず食べ切ってみせよう!」
言い合いをしながら肩を並べて校舎に向かう二人。
「いやっほう! とうとう俺の時代がやって来たぜ!」
「はいはい、今こそキャンター先輩の豆茶が輝く時ですよー」
「夫婦喧嘩は犬も食わない、か。こんなに甘くてはまさしくその通りだね」
「はぁ、豆茶が美味しいですわ」
その姿を見て喜ぶキャンターから豆茶を受け取りながら、ジエル、バウンシー、フロウは満足の溜息をつくのであった。
「……どうしましょう」
自室でアズィーは溜息をつく。
売り言葉に買い言葉であったが、スターツに手作りの菓子を振る舞う好機。
そこで失敗はできないと、アズィーは思い悩む。
「……とにかく作り方通りに作りましょう。下手に独自性を出そうとすると、取り返しのつかない事になりそうですから……」
そう決意すると御付きの侍女を呼び、一番簡単な焼き菓子を選択するアズィー。
その事を深く後悔する事を、この時のアズィーは知るよしもなかった。
「おはようアズィー」
「……ご機嫌麗しゅう、殿下……」
翌日。
籠を手に持ちながら明らかに元気のないアズィーに、スターツは優しい笑み浮かべる。
「アズ、何を思い悩んでいる?」
「……いえ、大した事では……」
「……昨日の事ならば謝る。アズが私の作った物を評価してくれていた事は感謝している。私もむきになってしまった」
「いえ、その、私も頭に血が昇ってしまいました……」
ふわりと緩む空気。
その空気は続くスターツの言葉で凍りつく。
「菓子の出来が悪かったとしても、気にする事はない。作ってくれたその気持ちが何より」
「お待ちください」
「えっ」
「菓子の出来が悪い……? そう仰いましたか?」
「え、いや、思い悩んでいる様子だから、てっきり失敗したのかと……」
「……違います!」
戸惑うスターツに、アズィーは籠から包みを取り出して突き付けた。
「え、これは……?」
「失敗だとお思いなら召し上がってくださいませ!」
「えぇ……?」
スターツは何が何だか分からないまま、包みを開く。
そこには輝かんばかりの完璧な焼き色に染まった菓子が、幾つも並んでいた。
「こ、これは……!?」
黒焦げを想像していたスターツは度肝を抜かれる。
恐る恐る一つを摘んで口にした。
「ん! 美味い!」
さくりとした歯触りの後に、さらりと溶ける食感。
口の中に広がる香ばしい香りと乳脂の深い味わい。
舌に乗った甘さは、春の日に当たった淡雪のように、その存在感だけを残して消える。
その後引く味わいに、思わず二つ目を手に取るスターツ。
その時。
「駄目です!」
その手をアズィーが抑えた。
「な、何をするアズ! こんなに美味い菓子は初めて食べた! もう一つ食べさせてくれ!」
「駄目なのです! 作って初めて分かりました……! お菓子にどれ程の砂糖を使っているのかを……!」
「えっ?」
「こんな小さなお菓子を作るのに、山のような砂糖を使うのです! こんな物をいくつも食べていたら、遠くない未来に身体を壊してしまいます!」
「え、そ、そうなのか!?」
「スターツに美味しい物を差し上げたいと思って教わった通りに作ったら、こんな恐ろしい物になるなんて……! 味が良いのがまた恐ろしい……!」
「そこまで私の事を心配してくれたのか……」
アズィーの表情が優れなかった理由を理解し、喜びに震えるスターツ。
「では数日に分けて食べれば良いか?」
「それでもやはり心配です……。砂糖の摂り過ぎは肥満や身体の不調に加え、歯にも良くないと聞きますし……」
「む……。ではこの見事な菓子をどうするか……」
その時あの男が動いた。
「お任せくださいアズィー様! 私が淹れましたたんぽぽ茶は、身体の循環を助け、肥満や体調不良を軽減します!」
「あなたは、キャンターさん?」
「はい! キャンター・セプトです!」
この機を逃すまいと飛び出したキャンター。
突然の飛び入りにも、アズィーは優しい笑みを浮かべる。
その笑顔に気分を昂らせたキャンターが早口で捲し立てた。
「私は日常的にたんぽぽ茶を愛飲しておりますので、その焼き菓子を頂いても身体に問題は」
「あ、では少し頂けますか?」
「も、勿論です! これには美容の効果も」
「はい殿下。お菓子の砂糖をこれで少しでも中和なさってください」
「え、あ、あぁ……」
明らかにアズィーに好意を示すキャンターに敵意を向ける前に、さらりとたんぽぽ茶を勧められてスターツは毒気を抜かれる。
その隙にアズィーはスターツの手から菓子の包みを取り、一つだけ手に取るとキャンターに渡した。
「よろしければあちらの皆様でお分けになってくださいな」
「え……」
「おいアズ、ィー……!」
取り返そうとするスターツの手を押し留めて、アズィーは手に取った焼き菓子を半分に割る。
「殿下はこれを私と半分にいたしましょう。それなら身体への害もないはずです」
「え、あ、う、うん……」
差し出された半分の焼き菓子をそのまま口で受け取り、黙るスターツ。
「ありがとうございます。これお返しいたしますね」
「……ありがとう、ございます……」
スターツが飲み干した器を返し、手に残った半分の焼き菓子を嬉しそうにアズィーは口に運ぶ。
二人が手を繋いで立ち去るのを見送り、固まっているキャンターの元に駆け寄る生徒達。
「おい、キャンター! 無事かい!? 傷は浅いぞしっかりしろ!」
「ばうんしー。おれはこううんなおとこだなぁ。だってあずぃーさまのてづくりのおかしをいただけたんだぜ? こんなこううん、にどとないよなぁ」
「駄目ですわ! ジエル! その豆茶を早く!」
「もう心が折れるまで放っておきましょうよお姉様」
こうして甘さの恐ろしい力を、この場にいる人間は色々な意味で理解するのであった。
読了ありがとうございます。
洋菓子の砂糖は秤の天使がドン引くほどだからね。仕方ないね。
次回もよろしくお願いいたします。