婚約破棄を取り消すために、手作りの品を贈らざるを得なくなった王太子殿下(18)
手巾の件で、身につける物を贈りたいという気持ちを知ったスターツ。
となれば何か贈りたくなるわけで……。
どうぞお楽しみください。
「ふぅ……」
空になった額を眺め、スターツは大きく息を吐いた。
そこに飾ってあったアズィーの贈り物の手巾は、無事スターツの手の中にある。
アズィーの願いで、心の拠り所として眺める事ができなくなったが、スターツの溜息の理由は他にあった。
「身につける物、か……」
手巾をアズィーが身につける物として贈ってくれた事を知って、自分も何かを贈りたいと考えるスターツ。
問題は何を贈るか、であった。
「アズィーは自ら刺繍を入れた手巾を贈ってくれた……。それに見合う物となると、やはり手作りか……。しかしアズィーが身につける物となると……」
スターツは王太子としての勉強や稽古に追われ、手芸などをしたことがない。
作った事があるとすれば、アズィーと遊んでいた際に、木の実に穴を開けて作った首飾りくらいであった。
「穴を開けるくらいで作れる物……。いや、それでは手抜きのようだし……。かと言って今からあの刺繍に匹敵する精緻な物を作れるとは思えないし……」
その時、スターツに天啓が閃く。
「そうだ! 薄い木の板にティーズ公爵家の紋章を写し取り、それに丁寧に穴を開けていけば……!」
スターツは急いで部屋を飛び出すと、木材の調達に走った。
スターツは知らない。
木に穴を開ける、それ自体は簡単だが、それで絵を描くためにはどれ程の努力が必要かという事を……。
「……おはようアズィー」
「殿下!? どうなさったのですか!? お顔の色が優れませんわ!?」
「あぁ、いや、大した事はない……」
一晩中アズィーへの贈り物に苦戦して徹夜したとは言えず、曖昧に誤魔化すスターツ。
(まさか木の加工があれ程難しいとは……! 力を入れなければ穴は開かず、しかし入れ過ぎれば木ごと割れる……! 何とか形にはなったが、これは……)
胸にしまった、何重もの布に包んだ完成品をそっと撫でる。
完成した後丁寧にやすりをかけ過ぎたそれは、美しくも力を込めれば折れてしまいそうな、華奢なものになってしまっていた。
(これでは日常的に身につけてもらうなど無理だ……)
それでも捨てるには惜しく、スターツは渡す勇気のないままに胸に忍ばせていたのだった。
「……スターツ」
「何だ?」
「何か眠れない程の悩みがあるのですか……?」
「え、いや……。た、単なる夜更かしだ……」
「そんなはずはありません! 一晩中何かに神経をすり減らしていなければ、そこまで疲弊する訳がありませんもの!」
「う……!」
アズィーの指摘に、スターツは言葉に詰まる。
隠しきれないと観念したスターツは、胸から包みを取り出した。
「……実はこれをアズに渡そうと昨夜作っていたのだ」
「……! これを、私のために……!?」
「手巾の礼に、私も身につける何かを贈りたいと思ってな……。しかし不慣れでな、こんな物しか作れなかった……」
「いえ……! 我が家の紋章をこんなに丁寧に……! しかも殿下の手で作って頂けたなんて……!」
感激に打ち震えるアズィー。
対照的にスターツの顔は曇ったままだ。
「しかしこれでは、何かに引っ掛けただけでも折れてしまう……。アズのように新たな物をすぐに作れる自信もない……。情けないばかりだ……」
「! で、では布に包んで大事に持ち歩きますわ! 何か箱に入れても良いですし……!」
「……そうだな。ありがとうアズィー……」
「スターツ……」
目的を果たせなかった後悔から力なく笑うスターツ。
アズィーもどうしていいか分からず、悲しげな表情を浮かべる事しかできない。
するとその時。
「ご機嫌麗しゅうスターツ殿下、アズィー様」
「……バウンシーか。おはよう」
「ご機嫌麗しゅうバウンシーさん」
遠巻きに見守っていたバウンシーが、二人へと声をかけた。
「すみません。とても興味深いお話が聞こえたもので、失礼を承知の上でお声を掛けさせて頂きました」
「……興味深い、だと?」
「えぇ。スターツ殿下がティーズ公爵家の紋章を彫られたと伺いました。それを見せて頂ければ、と」
「……何のつもりだ」
スターツの言葉の怒気に、空気が張り詰める。
「こちらですわ、バウンシーさん」
空気を察したアズィーが、静かに木の紋章を差し出した。
しげしげと眺めたバウンシーが感嘆の声を上げる。
「ほう、素晴らしい……! スターツ殿下、これなら原型にする事ができますよ」
「原型、だと……?」
少し薄れた怒気の隙を突くように、バウンシーは説明を始めた。
「えぇ。これで型を取り、そこに金属を流し込めば、この精緻さそのままで、日常的に持ち歩ける紋章をお作りする事ができます!」
「何……!?」
「しかも我が家の職人に任せて頂ければ、スターツ殿下のお作りになった原型も、このままの形でお返しできます!」
「まぁ! ではこちらを部屋に飾り、金属で作って頂いた物を首飾りにする事も可能ですのね?」
「えぇ! いかがでしょう!?」
バウンシーの問いに、スターツは大きく息を吐いた。
そしていつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「……感謝する。アズィーへ贈る品が日常に耐える物になるなら、それは本当に有り難い」
「いえ! これ程素晴らしい物を目に触れないままにしておくのは、いかにも惜しいと思ったまでです! お許しを頂き、ありがとうございます!」
頭を下げたバウンシーは布で包み直した紋章を丁寧に受け取った。
「スターツ殿下、これから家の者に渡せば、きょ、……明日の放課後には出来上がると思います! よろしければ仕上げにお手をお借りできますか!?」
「うむ、そうだな。そうしたい。感謝するバウンシー」
「はい!」
バウンシーが駆け足で学園の門に戻っていくのを見送って、大きく息を吐くスターツ。
心配そうに身体を支えようとするアズィー。
「だ、大丈夫ですかスターツ……?」
「……あぁ、少し気が抜けただけだ。アズへの贈り物が無駄にならなくて良かった……」
「……何を仰っているのです。スターツからもらえる物なら、何だって嬉しいと思いますのに……」
「それでもあの手巾の紋章に見合う物を贈りたかったのだ。言わば私の意地のようなもの。むしろ心配をかけてすまない……」
「……はい。ではせめてお昼は少し寝てくださいませ。……膝は、お貸しいたしますから……」
「あ、いや、それは……、う、うむ、分かった……」
真っ赤になるアズィーと、顔に血の気が戻るスターツを見ながら、生徒達は駆け戻って来たバウンシーを迎える。
「うわあああぁぁぁ……! 怖かったぁ……! あそこでアズィー様の口添えがなかったら、僕は、僕はあああぁぁぁ……!」
「えぇ! えぇ! お疲れのためとは言えあのお怒り、遠目にもわかりましたもの! 良く耐えられましたわ! よしよし……!」
「ほら、これ飲め。たんぽぽ茶を改良した、旨味を伸ばしつつ、胃に優しい茶だ。しかし一度や二度の失敗で荒れるとは、本当の高みには登れないな! その点俺は」
「わー、失敗続きのキャンター先輩が言うと深みがありますねー」
こうしてスターツは、渾身の贈り物を無事アズィーに渡す事ができたのであった。