婚約破棄を取り消すために、恋文を書かざるを得なくなった王太子殿下(18)
すみません。ちょっと遅くなりました。
スターツの手紙に手を取られたからで、昨夜のお酒は関係ない、いいね?
ごめんなさい。
どうぞお楽しみください。
「……手紙?」
「えぇ。『花手折る貴公子』の中で描かれた手紙のやり取り、実に恋人らしいと思いませんか?」
「……ふむ、確かにな」
いつもの昼の中庭。
スターツの了承に、アズィーは心の中で拳を握る。
(やりましたわ! これでこの手紙を渡せます! 膝に乗ったり踊りの拍子に抱いたりは、スターツにはしたないと思われる恐れがありますが、手紙なら……!)
(もっと直接的に触れ合いたくもあるが、アズィーにいやらしい男と思われたら事であるし、何より私の心臓がこのままでは保たないしな……)
ずれた思惑が一致したところで、アズィーが手紙を差し出した。
「ではこちらを」
「ありがとう。……これは今読んでも」
「お部屋でお願いいたします!」
「あ、あぁ、そうだな、すまない……」
この二人のやり取りを、周囲の生徒は訝しげに眺める。
「……妙だな? 秘密の話なら、耳打ちでもすればよいものを……」
「そうですわね。こんな風に、ね? お、ね、え、さ、ま?」
「み、耳に息をかけるのはおよしなさい!」
「ははーん? 別れ話を直接言うと角が立つからと、手紙に託したのだな! アズィー様の覚悟が! 『言葉』でなく『心』で理解できた!」
そんな周りのどよめきを感じ取りながら、スターツはアズィーに微笑みかけた。
「読んだら返事を書こう」
「楽しみにしておりますわ」
スターツはこの約束に苦悶する事を、まだ知らずにいた。
『親愛なるスターツへ
突然の手紙で困惑させていましたら
申し訳ありません
婚約破棄から此の方 心休まる時が
減ってしまいました
ですがスターツと共にいる時は
ひだまりのような安らぎを感じています
どうかこれからも変わらぬ縁を
お願い致します
あなたのアズィーより』
自室で手紙を読み終えたスターツは、深々と息を吐く。
「ふうぅ……。わざわざ手紙でと言っていたから何が書いてあるのかと思ったが、まぁ普通の手紙だな……」
しかしその顔は、王太子らしからぬ緩んだものであった。
最後の『あなたのアズィー』の部分を何度も読み返す。
「『あなたのアズィー』か……。ふふふ……」
しかし次の瞬間には真顔に戻るスターツ。
「いや、待て、落ち着け。これは恋愛小説における手紙の定型文だ。浮かれてはいけない。アズィーもそんなつもりではないはずだ」
アズィーが考え抜いて絞り出した攻めの言葉は、自身が勧めた恋愛小説によって阻まれた。
「さて、返事を書かねばな。幸い万年筆も便箋も手元にある。さっと書いてしまおうか」
万年筆を取り、白紙の便箋に向かい合うスターツ。
美しい字が便箋に踊る。
『愛しいアズへ』
「待て!」
突然叫ぶと、今書いていた便箋を脇へと置いた。
「……落ち着け。アズの定型文に惑わされてはいけない。冷静に書けば間違いなどない」
深呼吸をすると、スターツは新たな便箋に向かい合う。
『親愛なるアズへ
君からの手紙を嬉しく思う
紙から漂う君の香りに胸が高鳴』
「何を書いているのだ!」
自分の書いた文字を自ら否定するスターツ。
「……まぁ確かに、紙からアズの香りを感じるのは否定しないが、これを書いたらアズに軽蔑されてしまう。書き直すべきだな……」
溜息と共に書きかけの便箋を横に追いやる。
『親愛なるアズへ
君からの手紙を嬉しく思う』
「ここまでは良いのだ。さて次は……」
と、そこでスターツは、アズィーから借りた恋愛小説で、やたらと女主人公が男から誉められているのを思い出した。
「誉めれば良いのだな……」
更に筆を進める。
『親愛なるアズへ
君からの手紙を嬉しく思う
柔らかで暖かみのある字、実に美しい』
「お、これは良いのではないか?」
頷いたスターツは、機嫌良く手を動かす。
『まるでアズを表すようだ』
万年筆がぴたりと止まった。
「……柔らかで暖かく美しい……。これがアズを表すと書いたら、膝に乗せた時にいやらしい気持ちを抱いていたと取られるのではないか……?」
全く問題のない問題に躓き、スターツは便箋を新たにする。
『親愛なるアズへ
君からの手紙を嬉しく思う
柔らかで暖かみのある字、実に美しい
アズの人柄を表すようだ』
読み返して頷くスターツ。
「よし、この感じだ」
機嫌良く筆を進める。
『アズの優しさはいつも私を支えてくれている
私の人生はアズなしには考えられない程で』
「ぬああああ!」
スターツは思わず便箋を引きちぎった。
「駄目だ! アズの事を思うと書く言葉がおかしくなる! 他の誰に見られるわけでもないのだから、自然に書けば良いのに!」
思っている事が自然に出ているという事に気付かず、頭を掻きむしるスターツ。
「と、とにかく落ち着いて書こう。何、手紙など落ち着けば簡単なものだ。アズには初めてだが、今までに何度も書いてきているのだからな」
呼吸を整えて、再度筆を取る。
『親愛なるアズへ
君からの手紙を嬉しく思う
柔らかで暖かみのある字、実に美しい
アズの人柄を表すようだ
アズの優しさはいつも私を支えてくれている
私も君といると安らぎを感じるのだ
これからも婚約破棄を取り消すために
力を貸してほしい』
「よ、よし……。これなら妙な誤解を生む事はないだろう。さて署名だが……」
一息ついたスターツはそこで固まる。
結局手紙を書き上げたのは、その一時間後であった。
「おはようアズィー」
「ご機嫌麗しゅう殿下」
翌朝、学園へ向かう道で出会ったアズィーに、スターツは手紙を手紙を差し出した。
「昨日の手紙の返事だ」
「ありがとうございます」
渾身の手紙。
しかしスターツは文面に力を注ぎすぎたために、大きな失敗を犯していた。
「あっ」
「しまった! 封を……!」
封を忘れた封筒から、手紙がぱさりと落ちる。
足元に落ちた手紙は、アズィーの目にスターツ渾身の署名を晒した。
「……『誰よりも君を思うスターツより』……!?」
「あ、いや、その、間違いではないが、あの、婚約者なのだから当然というか、だから」
「……はい、ありがとうございます」
「え、あ、うん……」
優雅に手紙を拾い、封筒にしまうアズィー。
その所作に動揺は見られず、スターツは困惑する。
(……目の前で読まれたからつい妙な事を言ってしまったが、それにしても反応が薄い……。アズィーを少しはときめかせられると、恥を忍んで書いたのだが……)
落胆するスターツをよそに、アズィーは必死で呼吸を整えていた。
(こ、これはスターツの策なのです! わざと封をせず、署名を私に読ませる事で、周りを牽制する高度な策! あぁ、でも嬉しくなってしまう……!)
スターツはそんな事を考える余裕はなかったのだが、アズィーが想像した策は効果を表す。
「神は死んだ。いや元々神などいない。救いはない。恩寵もない。ならば僕自身が神になる事を目指すしか……」
「お姉様、あの人怖ーい」
「人前で抱きつくなんてはしたないわ。淑女としての嗜みを持ちなさい」
「こっちはこっちで仲良いなぁ。僕も恋人が欲しいや……」
生徒達の様々な葛藤がいつか解消する事を暗示するかのように、学園の空は雲ひとつなく晴れ渡っているのだった。
読了ありがとうございます。
もしこの世界にラ◯ンがあったら、既読が付いてから延々返信のない感じになるところでした。
手紙で良かったねスターツ!
明日はパロディ昔話の更新なので、次回は月曜日になる予定です。
次回もよろしくお願いいたします。