婚約破棄を解消するために、踊らざるを得なくなった王太子殿下(18)
踊りはいいねぇ。
人の生んだ文化の極みだよ。
どうぞお楽しみください。
「おはようアズィー」
「ご機嫌麗しゅう殿下」
いつも通りの朝。
スターツとアズィーは挨拶を交わすと、並んで歩き始める。
「そうだアズィー。この本を返す。なかなか面白かったぞ」
「それはよろしゅうございました」
スターツが差し出した本を受け取るアズィー。
その表紙には『花手折る貴公子』と書かれていた。
「特に『常春の庭園』で二人が音楽もなく踊る場面は、情景が目に浮かぶようだった」
「分かりますわ。美しく咲き乱れる花の中で、妖精のように舞い踊る二人……。この巻屈指の名場面ですわ」
「そこで私もそれを試してみたい」
「え?」
「私とアズィーで昼、中庭で踊ってみないか?」
「……!」
思わず手の本を胸に抱くアズィー。
それは憧れの光景。
音楽などなくても踊りが揃う、心と心の通じ合いが感じられる場面。
「……喜んで」
「ありがとう。楽しみだ」
はにかんで答えるアズィーに、スターツは満面の笑みで答える。
(よし! 舞踊なら手を握り、付かず離れずの距離でアズと接していられる! 膝の上に乗せるのはこの上なく心地よいのだが、その後の胸の痛みが激しいからな……)
(スターツとならこれまでに数え切れない程踊ってきましたもの……! きっと再現できますわ……!)
思惑通りになって喜ぶスターツ。
胸の鼓動を抑えるように、本を抱きしめるアズィー。
二人は手を繋ぐ事も忘れて、まるでそうすれば昼が早く来るかのように、足早に校舎へと向かうのだった。
「……では始めよう」
「……はい」
中庭の真ん中にある円形の広場。
作法通りに一礼すると、スターツが滑らかに差し出した手をアズィーが優雅に取る。
「……、……、……」
「……、……、……」
本来は音楽に合わせてする舞踊。
たとえ練習でも手拍子や声掛けが必要となる。
しかし二人はまるで音楽か手拍子が聴こえているかのように、美しく、乱れなく踊っていた。
(やはりアズとは、何も言わずとも拍子が合う……。これ以上の踊り相手は生涯かけても見つからないだろうな……)
(目を合わせるだけで次の動きが分かる……! まさにあの場面の再現……! あぁ、何と心地良いのでしょう……。いつまでもこうしていたい……!)
その見事な踊りに、周囲の生徒も溜息を漏らす。
「おぉ、流石はスターツ様とアズィー様……。一糸乱れぬとはまさにこの事……」
「あぁ、お二人の足音が、衣擦れの音が、妙なる音楽のよう……!」
「素敵ですわ! 私も踊りたいです、お姉様と……」
「……これは踊りの練習! 胸の激痛はそう思う事でやわらげるッ!」
その時、二人の踊りに乱れが生じた。
「っ」
「あ……」
大きく離れて、繋いだ手を引き寄せて戻る振り付け。
スターツが強く引いたか、アズィーが強く踏み込んだか、二人の身体はぴたりと密着したのだ。
「……」
「……」
音楽が止まったかのように、二人は動きを止める。
その場にいる全ての人間が息を呑む中、さらりと風だけが流れた。
「……す、すまない。もう一度頼めるか?」
「わ、私こそ申し訳ありません。勿論ですわ……」
我に返った二人は、再び一礼して手を取るところからやり直す。
その心中は、数瞬前とは一変していた。
(い、今のは驚いた……! しかし動いていたからか、アズの体温や香りをより強く感じた……! 膝に乗せるのとはまた違う感覚……! 今のをもう一度……!)
(びっくりしましたわ……! でもあの逞しい胸板、もう一度触れたい……! 踊りの拍子になら、スターツも私がふしだらとは思わないはず……!)
一致する二人の思惑。
しかし。
「……お、……ん?」
「……あら、どうして……」
途端にぎくしゃくしてうまく踊れなくなる二人。
「……も、もう一度」
「は、はい……」
心と心が通じ合ったはずのスターツとアズィーは、まるで踊り方を忘れてしまったかのように失敗を繰り返す。
周囲の生徒達は一斉に豆茶を口にした。
「……ふぅ。素直に抱き合えば助かるのに……」
「いえいえ、この焦れ感こそが良いのですよ」
「お姉様と踊れば抱きつける。私、おぼえた」
「まめちゃおいしいお」
生暖かい視線の中、二人は拙い踊りを続ける。
結局午後の始業の鐘が鳴るまでに、二人が抱き合う瞬間は訪れなかった……。
読了ありがとうございます。
下心があると単純に踊れないですね。
次回もよろしくお願いいたします。