私と師匠の最後の旅~かつて勇者の仲間だった師匠に育てられた私が伝説の勇者となるまで~
「君との旅は明日で終わりにしよう」
王国からの依頼で巨大なドラゴンを討伐した日の夜だった。
私の師匠はいつもどおりの柔らかな笑みで、唐突に幸せな日々の終わりを告げた。
師匠の光を失った瞳に映る焚き火だけが揺れ動く静寂の後、思い出したかのように理由を問いかける私に、師匠は笑みを崩さないままいつもの調子で語りかける。
「君が私の希望であることは変わらないよ」
答えになっていないなんて言っても無駄なことは、これまでの旅でわかっていた。
『君は私の希望だ』この言葉は、師匠との長く短い旅路で何度も聞いた言葉だ。
そう、初めて出逢ったあの日――身寄りのない私を買った人に捨てられた日も聞いたはずだ。
降りしきる雨でどんどん体温が奪われていき、今にも消えてしまいそうな命の灯を実感したとき、その人は現れた。
◆
『君は私の希望だ。私についてこないかい?』
私は頷かなかったと思う。その甘い声色にとどめを刺されて意識を失ってしまったから。
次に目覚めたときは暖かなベッドの中だった。その人は暖炉の火に照らされ、古めかしいロッキングチェアに体を揺られていた。
『やぁお目覚めかな。体の調子はどうだい?』
お目覚めなのはあなたも同じだと言うと、『確かにそうだね』と苦笑していた。
私に警戒心なんてなかった。その人の人当たりの柔らかさもあるが、誰かを警戒するほど大切なものなんて持っていなかったからだ。
そんな私にその人は頼んでもいないのに自分の身の上話を語り始めた。
どうやらかつて魔王を討伐した勇者の仲間の生き残りで、熟練の魔術師らしい。今は各地を回りながら困った人の手伝いをしていると。
激しい戦いの中で視力を失ったが、常に自分の周囲に微弱な魔力を張り巡らせて感知してるんだとかなんとか。正直この頃の私にはまったく意味がわからなかった。
そして最後にこう締めくくった。
『君には才能がある。私の希望となり得る才能が。君さえ良ければ、私の旅に同行してくれないかな。代わりに旅の中で、私のできる限りの力を君に授けよう』
引き受ける理由も断る理由もなく曖昧な態度を取っていると、好意的な解釈をしたその人に手を引かれ、いつの間にか私は日の当たる場所へと連れ出されていた。
――これが私と師匠の旅の始まりだ。
◆
私は本当に足手まといだったと思う。
今では簡単に倒せる魔物にも逃げ回ることしかできなくて、いつも師匠に泣きついていた。
その度に師匠は諦めない心の大切さを説いた。師匠は優しい雰囲気とは裏腹にわりとスパルタで、根性論者だったのだ。
その甲斐あってか、私の剣の腕はメキメキ上達していった。今では上位魔族も一人で倒せると思う。
自分に才能があるなんて到底思えなかった私は、師匠を失望させたくない一心であの日の言葉を信じ続けた結果だった。
旅の道中、師匠は約束通り私に魔術師としての知識を持てうる限り授けてくれた。初歩的な火炎魔術から物質を遠隔操作する中級魔術、天候を操作するような上級魔術はもちろん、対象をよく似た別のモノに変えてしまう変換魔術や命を奪う魔術、いわゆる禁術の類まですべてを。
きっと世の魔法使いたちにとって垂涎ものの知識だったのだろうが……私にはなんの意味もなさなかった。
こればかりは師匠の目が節穴だったと言わざるをえない。
このときも諦めない心を説く師匠を正直鬱陶しく思ったことをここに白状しておく。
毎日が命がけだったけど、師匠との旅の日々はかけがえなのないものだった。
ほとんどは森や草原と境界さえわからないような農村だったけれど、かつて勇者が救ったらしい街に足を踏み入れることもあった。
そんな街にはたいてい勇者を模したモニュメントがあった。でも、その土地ごとに偉業をなした勇者の伝説は当然ながら尾ひれがつくわけで。
そういうものを見かけると、師匠は薄っすらと目を細めて感想を述べるのだ。
『あの像はどうして槍を構えているのだろう。勇者は剣の達人だったというのに』
『これはひどい。君、見たまえ。まるでトロールのようだよ』
『あれは……うん、似ているね』
師匠が勇者に似ていると評した石像が、私にも似ていると思ったのは気のせいだろうか。
◆
「目を覚ましなさい。朝食を食べて出発するよ」
永遠に続くと思っていた師匠との日々、そんな夢から覚めるように私はまだ薄暗い朝日を視界に取り込む。
昨日のことなどなかったかのように、師匠はどこまでもいつも通りだった。私に向けられたもう何も映していないはずの瞳を見ても、師匠の考えは読み取れない。
試しに私は今日はどこへ向かうのか、明日はどこへ向かうのかを聞いてみた。
すると、前者には「近くの山の頂へ」と、後者には「明日はわからない。けれど、少なくとも一緒に旅はしていない」と返ってきた。残念ながら、昨日のことは夢や幻ではないと証明されてしまったのだ。
結局、理由を聞いてもはぐらかされたまま、出発の時刻を迎える。
私たちはどのように別れるのだろう。なんとか師匠の気を変える方法はないか。師匠との最後の時間を雑念が奪っていく。
師匠と私は言葉をかわすこともなく、ただただ無言で道なき道を進む。長旅で鍛えた足は、この程度の山道で音を上げることはなく、着実に終わりの場所へ近づいていた。
こんな日に限って魔物も襲ってこない。いつもはうんざりするぐらいに現れるのに、本当にどこまでも空気の読めない奴らだ。
「着いたよ」
朝食以降初めて紡がれた言葉は、そんな短い報告だった。
ここが師匠と私の旅の終着点。どこにでもあるような見晴らしの良い山頂だ。ただひとつ、不自然に積み上げられた石のオブジェクトが目を引いた。
「それは勇者のお墓だよ」
私が疑問を口にする前に回答が返ってくる。確かに師匠と私の旅の終わりにふさわしい場所な気がする。終わらせる理由は、未だにわからないけれど。
勇者。かつて師匠と共にあった人。私は自然な流れでお墓の前にしゃがみ込み手を合わせていた。
目を瞑ると視覚以外の感覚が鋭敏に周囲の環境を捉える。風で木々が揺れ、葉の擦れ合う音が心地良い。
「どうだい?」
不意に、そんな言葉が背中越しに投げかけられた。
質問の意図がわからず、私も眠るときはこういう場所がいい。などと答えてしまう。
師匠はどこまでも無感情に「そうか」とつぶやいた後、膨大な魔力を解き放った。
なんとなく察しはついていた。これが私と師匠の別れ。理由はわからないけれど、師匠は間違いなく私を殺そうとしている。
もともと師匠に拾われた命だ。師匠になら殺されたって文句はない。
だけど、だけど――死にたくなかった。死を前にただ運命を受け入れたあの日の私とは違う。
剣を抜き、師匠に向かって構える。
正直勝ち目なんてない。さすがは魔王を倒した英雄、今まで戦ってきたどんな魔族とも比較にならない威圧感。
だけど私は諦めない。師匠にそう教わったからだ。
天候を操作して雷でも落とすか、もっと直接的に命を奪う魔術を使ってくるか――いや、実力差は師匠が何よりも理解している。そんな大げさなものを使う必要なんてないはずだ。
でも、師匠が唱えたのは予想だにしない魔術だった。
――変換魔術。
対象をよく似た別のものに変換する魔術。石をレンガに、霧を雲に、槍を鎌に。
正直、初めて師匠から教わったときは私は使い道の少ない地味な魔法だと思った。今際の際になって、なぜ禁術指定されているのか、身をもって理解することになるなんて。
私が別のなにかに変わっていく。
一体師匠は私を何に変えたいんだろう。人に似たものといえば、やはり人だ。でも私が師匠に、というのは難しいと思う。性格も、見た目も、何もかもが違いすぎる。
となると、流石に鈍い私でもわかってしまった。
『君は私の希望だ』
口癖のように繰り返していた師匠の言葉が脳裏に浮かぶ。
あぁ――師匠も同じなのだ。
私が夢見ていたように、師匠も夢を見ていたのだ。再び勇者と旅する夢を。師匠は初めから私ではなく、私の中にある勇者の可能性を見ていた。
それに気づいたとき、私の心は決まった。
抵抗をやめて変換を受け入れる。考えてもみればこれほど光栄なことはない。私なんかの命で、勇者が実質的に蘇るのだ。
「なぜ諦めた!?」
初めて聞いた師匠の怒鳴り声に蕩けていた意識が元の形に戻っていく。変換魔術も中断されていたが、師匠の次の言葉で私を慮ってのことではないとすぐに理解できた。
「あれほど諦めるなと教えたはずだ。どんな窮地にあっても勇者は諦めなかった!」
つまり私は勇者となる資格を失ったのだ。
「教育不十分でしたね」
師匠に裏切られた絶望、受け入れた運命に見放された喪失感。いろんな感情が混ざりあった末に出た言葉だった。
私は私だ、勇者ではない。どれほど師匠が熱心に勇者としてのイロハを教育しようと、芯の部分はそうそう変わらない。
どうやら私は、かつての勇者ほど勇者らしくないようだ。
肩を落とし、踵を返す師匠。私に別れも告げないまま、山道を降りていく。
私はいつも通り、その後姿を追った。
「どうしてついてくるのかな」
私はわからないと答えた。何かを隠そうと考えてのことではない。それは私の素直な気持ちだった。
ただひとつ言えることは――。
「……勝手にしなさい」
師匠と私の歪な旅はこれからも続いていくということだ。
――私が勇者となる、その日まで。
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