結婚式を間近に控えているのに、過去に捨てた女に脅されている
封筒の口の端から数本の髪の毛が伸びていた。それを見て、ロッドは動揺を抑えるのに必死だった。
──よりによってこんなときに……
「ねぇ、大丈夫ですか? 凄い顔していますよ」
婚約者のリスティが心配そうに自分を見ていることに気づいて、ロッドは慌てて背中に封筒を隠した。
「ああ、ただの嫌がらせの手紙だよ。よくあることだ。新しい税が相当効いたみたいでね」
感触からして中に入っているのは大量の髪の毛。そして恨みつらみの籠もった手紙。もしかするとカミソリも入っているかもしれない。1週間後に式を控えている今、彼女を不安にさせるわけにはいかない。
「まあ、新しく領地を賜るほどの伯爵様ならそんなこともあるのでしょうね」
長い黒髪を僅かに揺らして上品に笑うリスティを見て、ロッドは決意を新たにした。とにかく1週間でケリをつける。彼女は自分と違って普通の女性なのだ。こんな手紙を見られたら卒倒してしまう。
※※※※※
ロッドが父から領地を継いだとき、それはもう酷い惨状だった。農地は荒れ果て、汚職が横行し、魔獣が闊歩している。
ロッドは各地を巡視し、丁寧に問題に対処していった。その結果、タリュセック領の奇跡とまで呼ばれるほどの大転身を遂げたのである。
皆はロッドの領主としての手腕や優れた魔術師としての技量を褒めそやしたが、実際は多くの女性冒険者の助力を得たことが大きい。そしてそのほとんどと男女関係があった。
冗談でなく各地に恋人がいた。場所によっては二人以上いることもあった。爵位と母から継いだ甘い顔を使えば靡かない女はいなかった。
しかしいざ結婚するとなったとき、その女性遍歴が邪魔になった。どこの家も外で遊ばれると分かって娘を嫁がせる人間はいない。
かと言って冒険者の女と結婚する気は無かった。彼女たちとはまさしく遊びだった。プライドが高く、自己主張の激しい女が家庭に入っても面倒なだけだ。粗野な女をエスコートして社交パーティに出るなんて想像するだけで寒気がする。
逆に遊ぶときには冒険者ほど都合のいい女はいなかった。プライドの高い彼女らは少し冷たくしてやれば、勝手に向こうの方から絶縁を突きつけてくる。あとはフラレた男を演じてやれば代わりの女が尽きることは無かった。
リスティと出会ったのは奇跡に近い。彼女はある弱小子爵の娘で、恐ろしく普通の女性だった。普通に刺繍が趣味で、馬鹿でもなく意見して来たりもしない程度の教養があり、皆が笑うところで笑う。下らない占いを大真面目に信じてしまうようなところも普通の女のようで良かった。
一つ普通でないところを挙げるとすれば魔物の血が少し混じっているくらいだろうか。刺繍で指に針を刺したとき、またたく間に傷が塞がって行くのを目にした。だが別に不死身というわけでもないらしく、幼いときに階段から落ちて骨折したときは治療に数ヶ月かかったそうだ。
ここで彼女を逃すともう次は無いだろう。だが、あの封筒……
封筒に入っていた髪の毛は想像していたものよりおぞましいものだった。長い髪を強引に引きちぎったらしく、根本には赤い肉片のようなものがくっついていた。手紙には筆跡を誤魔化すような金釘文字でロッドの女性遍歴が書かれ、トドメに『あなたのような人間がけじめもつけずに幸せになれると思っているのですか』の文字。
女性からの脅迫の手紙を大量に受け取ってきたロッドでもこれには震え上がらずにはいられなかった。
心当たりはあった。へレナ・ブランショネという女性だ。没落した貴族の令嬢だったという魔術師で、身なりに気を使う習慣があるらしく冒険者には珍しい艶のある長髪を保っていた。
ロッドはその儚げな雰囲気に魅せられ何度も食事に誘った。身持ちが固く、そう簡単には身を許さないところも気に入った。数カ月を費やし、ようやく夜を共にしたときの達成感は他に無かった。
だが一度成し遂げてしまうともう興味は無かった。元貴族で無駄に教養があり、ロッドの施政に口を出そうとするのも気に食わなかった。
いつものように冷たくして疎遠にしようと思っていると、ヘレナは大量に手紙を送りつけてきた。それでも無視していると、巡視先にも現れるようになってきた。
その時の彼女は物語に出てくる魔女のようだった。ぼろ切れを纏い、目は爛々と輝き、美しかった長髪はボサボサに乱れていた。
ロッドは衛兵を呼び、彼女を拘束した。二度と付きまとわないように念書を書かせた。それでようやくロッドは彼女の嫌がらせから開放された。
あいつに違いない。どこからかロッドの結婚の話を嗅ぎ付けこんな手紙を送ってきたのだ。ロッドはケリをつけるために出かける準備を始めた。
そこで控えめにノックの音がなった。扉を開けると、執事が顔面を蒼白にして立っていた。
「だ、旦那様。少し図書室を見ていただけますか」
「なんだ?」
「髪の毛が……」
すぐさまロッドは執事を連れて、問題の部屋に向かった。そこには一人の人間から出来たものとは思えないほどの大量の黒い髪の毛が床を覆い隠していた。
「……なんだこれは」
「昨日には間違いなくこんなものは無かったのですが……今日開けてみるとこんなことに……」
報告するメイドの声は震えていた。ロッドは背中から何かが這い上がるような嫌な感触を覚えた。
「ねぇ、あなた。誰かに呪われてるのではないですか? お祓いでもして貰った方がいいのでは?」
リスティが剣呑な雰囲気を漂わせながら言った。メイド達が顔を見合わせる。
下らない。呪いなんてものは存在しない。そんなものがあるのなら、暗殺や毒殺なんてものは起きないのだ。女というものはすぐ論理的な解決を投げ出してしまう。だからこそ男が導いてやらなければならないのだ。
「いや、どこぞの脅迫屋の仕業だろう。ここ最近結婚式の準備で隙があったからな。俺が話をつけてくる。それまで警備を増員しよう」
メイド達は尚も不安そうにしていたが、リスティが一言「わかりました」と言って片付けを始めると、慌てて手伝い始めた。
リスティは良き伯爵夫人になるだろう。だからこそ自分がこの危機から守ってやらなければならない。
※※※※※
「ヘレナは数ヶ月前に死にました。天井の梁で自ら……」
現地の領地管理人からそう聞いたとき、流石のロッドでも声が上擦った。
「馬鹿な。じゃああの手紙は……」
「本当ですよ。遺書もあります。読みますか」
「……いや、いい。邪魔したな」
管理人は怪訝そうな顔をしたがそれ以上追及してこなかった。
帰り道、ロッドは馬車の馭者が怯えたような表情で自分の顔を窺っているのに気づいた。
「なんだ?」
「旦那様。その鞄なんですが……」
言われて鞄を開けたロッドは、中にあるものを見て鞄を投げ飛ばした。髪の毛が入っていた。
※※※※※
屋敷に戻ったとき、リスティに再びお祓いの提案を受けた。ロッドは迷いはしたものの、メイド達の不安を和らげるためと言われて渋々受けることにした。本心では彼女の方から言い出してくれてありがたかった。怖くて仕方がなかった。
教会から来たエクソシストはリスティの知り合いの女性だった。エクソシストのクレアは髪の毛を見て眉根を寄せた。そして一瞬リスティの顔を見たあと、ロッドの方を向いて話しだした。
「これは…………生霊ですね。誰か女性に恨まれるような覚えはありますか?」
「……どういうことですか?」
いつもの穏やかなリスティの口から出たとは思えないほど冷たい声だった。
リスティはロッドの女性遍歴を知らない。箱入り娘として育った彼女には教えるべきでないと判断したからだ。だがそれも限界だった。
ロッドは脅迫状の件を全て話した。そこに書かれている内容も全て明かした。リスティは顔色一つ変えずに話を聞いていた。そんな姿がとてつもなく頼もしく見えた。髪の毛如きに怯えている自分が情けなかった。全てを話し終えたとき、リスティが深い息をついた。
「それだけですか?」
「なにが……」
「……私が気づかないとでも思っていたのですか?」
リスティの視線に捉えられ、ロッドは歯の根が合わなくなった。
「あなたの執事はあなたの部屋に入るときに必ずノックしますね。それは一般的ではありません。なぜそんなことをするのか。それは主が"取り込み中"のことがよくあるからです」
リスティは椅子から立ち上がりエクソシストを指し示して続けた。
「先程クレアが生霊という言葉を出しましたね。本来は生きてる人間が飛ばす霊という意味なのだそうですが、これはある種の隠語なのです。意味は生きた人間の仕業だと言うことです。そうですね?」
エクソシストのクレアが申し訳なさそうに頷く。
「だがあの髪の毛はとても人間技には……」
「ええ、一人ならそうでしょうね」
リスティは扉に手を向けた。
「ですが複数なら話は別です。ましてメイドなら職業柄髪の毛を集めることなど造作もないでしょう」
リスティはロッドの前に立ち、見下すように視線を浴びせた。
「あなた、一体何人のメイドに手を付けたのですか?」
※※※※※
結婚式当日、リスティは何事もなかったかのように幸せな花嫁を演じた。その姿にロッドは戦々恐々としていた。
彼女はメイド達を大勢入れ換えた他に、何もしなかった。紹介状まで書いていたくらいだ。そしてロッドは彼女に一切頭が上がらなくなっていた。彼女を前にすると自然に声が震えてしまう。
「ほんといい嫁を捕まえたよな。綺麗で器量も良くてお前にはもったいないくらいだよ」
「あ、ああ」
親友に茶化されても生返事しか返せなくなっていた。
「そういえばうちの妹が奥さんの髪を結ったんだが、一本も髪の毛が抜けなかったんだってな。よく手入れしてるんだって感心してたよ」
その言葉を聞いたとき、ロッドはある違和感を思い出した。これまでリスティが髪を切っているのを見たことがなく、伸びているところも見たことがないことを。
そこから連鎖していくつもの疑問が浮かび上がってきた。
図書室の髪の毛は全てが黒いものだった。メイド達が結託してやったのだとして髪の種類を統一する必要があるだろうか。
それに最初に受け取った封筒。あの髪の毛には根本に肉片がついていた。もし結託して報復するのなら、そこまでする必要があるだろうか。
捨てられた女が脅迫するとして、手紙にけじめを促すような書き方をするだろうか。
……彼女は魔物の血を引いていて傷の治りが早いが、それは髪の毛にも適用されるのだろうか。
「どうかしましたか? あなた」
リスティが笑顔でロッドを見ていた。




