元彼に再会して、捕らわれて
「うわっ、びっくりした」
突然の声に見上げると、心臓がドクンと跳ねる音がした。
「久しぶり、こんなとこで会えるとは思わなかった」
言葉が出てこない私とちがって、彼は私の目を見て話す。
見た目はスーツを着て、髪型も整えてあって、シルバーフレームのメガネの仕事ができる男の人。私の知ってる彼とはだいぶ違う。それでも、一眼見て、この男が数年ぶりに会った元彼であるとわかるほど、私の中では忘れられない男だった。
「お久しぶりです。春川先輩」
私は跳ねる心臓を押さえ込むように、自然に笑顔を作ることに集中した。
春川敏樹は私の3つ上の大学の先輩。たまたま友人同士が付き合ってたから、知り合いになった。それがなければ、同じ学内にいても、私の人生とは交わらなかった人。
第一印象は怖い人だった。身長が高いし、前髪も長い。時たま見える瞳は吸い込まれるような鋭さがある。その一方で人懐っこい笑顔や、言葉は多くなくても周りを気遣えるところのギャップも魅力的で、本人はわかっているのかいないのか、初対面の私はその視線を怖がりつつも惹きつけられてしまった。
憧れから始まったとしても、彼を知れば知るほど好きになるのには時間はかからなかった。
高校まではバリバリの体育会系、化粧っ気もなく、髪の毛も肩につくほどにも伸ばしたことがないくらい。
そんな私が、落ち着いて、大人の男の色気が漂う大学の先輩にのめり込んでしまうのは仕方がないと思う。
変に根性だけは、一丁前だった私は彼の優しさに翻弄されながら3度も告白をし、3度目にしてなんとか「お試しで」という、ギリギリ了解を得ることができた。
なんだかんだあったけど、1年ほどの交際期間でそれなりに経験も積んで、私たちはいわゆる彼氏と彼女という存在になれていた。と、私は思っていた。
要するに、全てとは言わないが、圧倒的にわたしのベクトルの方が大きすぎたのだ。
それとも、3度目の告白がうまくいったからと勘違いしていたのかもしれない。私の気持ちを伝え続ければ、いつか彼も同じ気持ちを返してくれるのではないかと。
ちょうど一年目の記念日。私の誕生日の前日。
ずっと待っていた特別の日。遅刻の多い彼でも流石にこの日は早めに来ていてくれた。待ち合わせて、夕飯を食べたまではよかった。でもそのあと、「ごめん、用事できたからまた今度埋め合わせする」と彼は人の良さそうな笑顔で
クズの一言を言い放った。
その日は一人で家に帰って、0時になるまで、期待して待ってた。だけど……。
次の日、私は彼へメールで別れを告げ、一切の連絡をたった。
それなのに、あれから会うことも、声を聞くこともなかったのに、どうしてたまたま仕事の出張先で再開してしまったのか。
こんな街中でスマホを落とさなければ、彼に拾われず、すれ違っていただろうに。
「すみません、拾ってもらってありがとうございます」
彼が持つスマホに目線をやって、早く渡してと訴える。私はあなたと関わりたくない。
だけど、彼は人懐っこい当時の笑顔をみせる。
嫌な予感しかなかった。
スマホは彼に握られたまま。
「もう仕事終わり?一緒にごはん行かない?」
「いや……あのまだ仕事があって……」
「じゃあ何時に終わるの?」
「えと、あの、今日は何時に終わるか……」
「奈緒、相変わらず嘘下手だな」
ぐいっと手を取られ、いわゆる恋人繋ぎというやつで道路を歩く。待て待て、付き合ってた当時も、恥ずかしいからとあなたに拒否されてたので、一度もしたことありませんでしたよ?
どうしてなのか、彼はどこかうれしそうで、私は戸惑うばかりだった。
オシャレなレストラン。
仕事のこと、休みの日はなにしてる?といった、いわゆるありきたりな事でなんとか話しははずむ。
お互い探り合いでもしてるかのようで、目の前に分厚い壁を感じる。
「奈緒、俺はお前が好きだよ」
少しの沈黙のあと、唐突に爆弾を投下した。お陰で、フォークが芋を刺し損ねた。
「奈緒は俺のこと嫌いになった?」
目の前にいるのは、確かに彼なのに、中身は違う人間みたい。
きっと彼を見ると、あのいつもの瞳に捕まってしまう。そしたら、私は……、私はどうなる?私は目線を右手のフォークに集中させた。
「……いきなり、そんな事言われたら驚きます。さっきから、私の知ってる人ではないみたいです。」
「こんな俺は嫌い?」
そんな聞き方ずるい。
彼は私がフォークを持つ手を取って、フォークを置き、そのまま手を引き寄せ、唇を当てる。上目遣いで、私を見つめる意地悪な瞳に顔に熱が集まるのを感じる。
本当、この人は……!!
「本気だよ。奈緒のこと、ずっと考えてた。いなくなって、連絡できなくて、いろんな奴らに連絡先聞いたけど、誰も教えてくれなかった。」
それは知ってた。友達から、遠回しに言われたけど、あの時は忘れたくて、絶対に教えないでって私が頼んだ。
「そしたら、いつのまにか留学したって聞いた」
物理的にあなたから逃げたかった。
「就職して、今度こそ忘れようと思った。」
私だって忘れたかった。
「でも、奈緒のことばっかり思い出して。……本当かっこわるいけど、つらかった。」
私だって、あなたを思い出すといつも泣いてばかりで、こんな自分大嫌いだった。
「もし、会えたら、絶対離さないで、かっこつけないで、奈緒が好きだって言いたかった」
涙が滲んで、頬を伝う。それを親指で撫でるようにして、顔をあげさせられ、彼の瞳を見つめる。
吸い込まれそうなほど、熱くて真剣な瞳に、また涙が伝う。
「もう辛い思いさせない。」
もう、逃げられない。
「奈緒」
もう、取り繕ったり、できるはずがなかった。
「俺とまた付き合って」
ねぇ、わかってるでしょ?私のこんな泣き顔みて、うれしそうに笑って。やっぱり、私をからかうようなところ、全然変わってない。
「返事して?」
「……いじわる」
「え?」
「トシくん、そういうところ全然変わってない。」
彼は、顔をくしゃって笑って、
「やだって言っても、逃してやんないけど」と、大好きだった笑顔をみせた。
「トシ、お前まだ奈緒ちゃんとつきあってんの?もうすぐ一年でしょ?最長じゃない?」
靖信の揶揄いも、もう気にならないくらいになってきた。
ニヤニヤとこの後俺がいう言葉を言わせたいがために、言ってるのは百も承知だけど、イライラがどうしてもこの言葉を言わせたがる。
「奈緒ってよぶな」
靖信はニタニタ笑って、俺の肩を押す。点滴の管が絡む腕には、繰り返された内出血の痕が痛々しい。
俺は、不倫で生まれた子だ。小さい頃は母と二人だったけど、母が死んでから遺伝子学上の父親にひきとられた。
父は俺の母だけでなく、他にも不倫をしているようで、引き取られた父親の家庭も絵に書いたようにギスギスしていた。でも不思議なほど、異母兄弟の靖信は俺に対して友好的で、毒牙を抜かれたのを覚えている。
靖信いわく「俺たち被害者だし、同志でしょ?」らしい。
俺の異母兄は本当に出来が良く、完璧なやつだった。でも神様はなにが憎いのか、そんな靖信を病気にした。血液の病気だ。この前まで元気にしていたのに、こんなに話していておもしろいのに、楽しいのに、靖信はこのままじゃ助からないらしい。
「トシくん。この前食べたいって言ってたオムライス。」
奈緒が俺に手作りの料理を作ってくれるのに、もう違和感が無いほどで、俺の一人暮らしのアパートのキッチンは完全に奈緒の庭となっている。
奈緒のごはんは美味しい。ホッとする。母親の料理を覚えてない俺がいうのもなんだけど、これが家庭の味なんだと思う。
奈緒を初めて見た時、綺麗だなと思った。美人は靖信の近くにいたから腐るほど見てきたけど、そういうのじゃなくて、なんていうか純真とか無垢とか神聖なっていう綺麗さがあるなと思って目が離せなかった。
なにがよかったのか、奈緒から好意を告げられた時も、俺なんかが奈緒を汚してはいけないってのが率直な思いで、俺は逃げた。二度も。
同じ大学に通う靖信からは、コテンパに言われた。何やってんだ?好きなくせに、誰かにとられてもいいのか?って。結局、それがきっかけで俺も決心したんだが。
奈緒は本当に見た目も綺麗で、色白で吸い付くような肌も、黒い髪も、ぷっくりした唇も、吸い込まれるような黒い瞳も、誰にも見せたくないくらい、好きで好きで。本人は背伸びしようとしていても、触れるとすぐに顔が赤くなるところや誤魔化す時に目線をそらせる癖も、全てが愛おしくて、溺れていく一方で。そんな彼女だから、自分のせいで、奈緒を汚していくような罪悪感を抱いていた。いつも言いようのない不安や苦しみを感じて、でも一緒にいたくて、そしてまた溺れて。
同じ大学でも、靖信と俺の関係を知る人はほとんどいなかった。元々、戸籍上は他人だし、雰囲気も違うし、苗字も違う俺らは「なんであの二人いっしょにいるの?」って具合に見られていた。
俺は奈緒に、靖信のことは言えなかった。それはすなわち俺の生い立ちに触れなければいけないし、幸せな家庭で育ったであろう奈緒に、拒絶されるのではないかと恐怖で言えなかった。
もっと早くに言っていたら、何か変わっていたのか。
あの日、靖信の容体が急変した。
靖信が助かるには、移植をうけること。奇跡的に俺がドナーに該当するとわかった。
靖信の体調を考慮すると早く移植をする必要がある。
靖信の母から連絡があり、奈緒を残して俺は病院に向かった。翌日緊急で移植手術となり、靖信はどうにか一命を取り留めた。
「お前、本当バカだなー。」
「……」
「俺のせいだけど」
「思い上がるな。お前は関係ない」
「……じゃ、より戻してよ」
「……」
「はー、お前いい男なのに。奈緒ちゃん見る目ねーなー」
「……奈緒って呼ぶな」
靖信はまたニタニタ笑った。
「トシ、これなーんだ?」
あれから3年。俺も、一年遅れてトシもそれぞれ就職。トシは父親の会社で、病気のブランクなんか感じさせないほどの働きで、いつか親父を捻り潰すって物騒なことを本気で言っている。
「新作のイベント?お前またなんかすんの?」
「俺は何にもしないよ。お前がすんの」
「俺?」
「そう、敏樹」
めずらしく名前で呼ばれて、本を閉じ、靖信に向き直る。
「俺んとこのプロジェクトで、これに絡んでるんだけど、その関係で見つけちゃったんだよね」
ニヤニヤとイベントのチラシをひらひらさせる。
ドクンと自分らしくなく、動悸がするのを感じる。悟られたくなくて、冷静に返す。
「誰を?」
「…誰って、名前で呼んでいいの?」
靖信はまたニタニタ笑った。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「全然待ってない。走らなくていいから」
トシくんと再会して、何度目かの待ち合わせ。トシくんはいつも私より早くに来ている。時間通りにきても、早目に来ても、私より絶対早い。何時に来てるの?
自然と私の手を取り歩いてくれる。恥ずかしがり屋なのに、手を握ってないと落ち着かないって言う彼の横顔がすごく愛しい。
「奈緒、今日大丈夫?」
「うん?」
「一緒にごはん食べるの」
「もちろん!逆に私、大丈夫かな?少し緊張する」
今日は、トシくんが紹介したい人がいるって、食事のセッティングをしてくれた。トシくんの大切な人に紹介してもらえることがすごく嬉しい。
「今更だけど、トシくんの友達?であってる?」
「まぁ、そんなとこ。」
トシくんに連れられて行ったのは、入ったことがないような大きな料亭。政治家とかが利用してそうな厳かな感じがする。トシくんは手慣れてる感がして、つないだ右手に力を入れた。トシくんはそんな私に気づいて、大丈夫って柔らかく笑った。
通された一室には、先客がいて、見たことのある人がいた。その人は大学の時、すごく有名な人でわたしの友達もキャーキャー言ってた人。私を見つけると、柔らかく微笑んだ。
「奈緒ちゃん、初めまして。弟がいつもお世話になってます」
え?とトシくんを見ると、
「奈緒って呼ぶな」と不機嫌そうに呟いた。
その顔がかわいくて、笑ってしまいそうになったのはトシくんには内緒だ。